171話 これで一応ハッピーエンドかな
「あー、ご飯ができましたんで、呼びに来ました」
「そうか、まあちょうどいい頃合だな。こっちもいい加減、愚痴を聞くのに疲れてたところだ」
「ちょっと、代表」
観念した様子でセージがそう言うと、ミルク代表はそう応え、揶揄されたシエスタが不満そうにした。
「お前はもう落ち着いているようだな。アベルの様子は知っているか?」
「ええ、一応気持ちの整理は出来たようです。ただ体の調子は悪くて眠っているので、とりあえず先に夕飯済ませてください」
「……そう。そうね。でもセージさん。私も一応、病み上がりなんですよ?」
「もう元気でしょ」
セージがからかうようにそう言うと、シエスタは急に居住まいを正した。
「はい、元気です。ありがとうございます」
「……どうしたんですか、急に」
「ふふっ」
セージが訝しげにそう尋ねると、シエスタは優しい微笑をその顔に浮かべた。
「やっぱり、そういう反応なんですね」
「……何が、ですか?」
「助けられた人間が、助けた人間に礼を言うのは当然のことだろう」
馬鹿じゃないのかお前はと、そう言いたげに口を挟んだのはミルク代表だった。
それを肯定するように、シエスタはその笑みを深める。
「……ああ、いえ。最低限のことは出来ましたけど、十分ではありませんでした。それにモニカさんは殺されてますから」
セージがそう言うと、目に見えてシエスタの表情が曇る。モニカは年が近い同性ということで、これまで何度もシエスタの護衛を務めていた。親しいというほどではないにしても、決して知らない仲ではなかった。
「それでも、私は助けてもらえました。それにあの場で治療をしたのがセージさんじゃなければ、私は間違いなく死んでいたと、お医者さんも仰ってました。
セージさんがどんな無茶をしたのかは専門外の私にはわからないですけど、それでも必死に無茶をしてくれたのはわかるんですよ?」
シエスタは自分の左胸に手を当てて、真摯な目でセージを見つめてそう言った。
一般人の心臓を治すことの難しさは、シエスタにはわからない。だがそのためにセージが自分の手首を切って儀式魔法――のようなもの――を行ったことは聞き及んでいた。
そして記憶には残っていなくとも、セージが自分を助けるためにそれこそ命懸けで臨んでくれたことを確信していた。
「……まあ、そうですね」
「ふん。納得できてないにしても、胸を張れ。バカめ」
不承不承といった様子で頷くセージに、ミルク代表が悪態をつく。わかっていますよと、不満そうに零すセージをシエスタは優しく見つめる。
繰り返しになるが、シエスタにデス子と相対し、会話をした時の記憶はない。
ただそれでもその時に見た光景――祈りを受けながら、自らと死に瀕したシエスタの血で染まって儀式を行う、異様とも言える幼い少年の姿――は、シエスタの心に感動を与えていた。その影響は記憶を失った今も残っている。
命の恩人である以上に、シエスタはセージをとても尊いものとして、信仰のような想いを抱いていた。
その感情はセージも感じ取っており、契約の悪影響かと陰鬱な思いで勘ぐっていた。
すぐにでも契約は切りたいが、しかしどうやればいいか分からず、リスクを鑑みれば当面は切らないほうがいいという葛藤もある。さらにはこの場にはミルク代表という第三者がいる。
巻き込みたくないという意味で契約に関すること――ひいては、デス子との関係――を彼女には知らせたくないセージは、そういう意味でももどかしい思いをこの場で抱いた。
だがそれはあくまで自分の問題だと、セージは割り切って話題を変えることにする。
「まあとりあえず、兄さんは今は寝てますし、消化のいい食事にするよう言われているので、後で別のものを作ります。シエスタさんはそれを持って行ってください。
今は夕飯にしましょう。みんな待ってますから」
セージはこの場での契約に関する説明を諦めて、そう言って二人を夕食の場へと促した。
******
夕飯は終始和やかな空気で進んだ。
アベルが病床に臥してこそいるが、安静にしていれば問題はないと知らされたし、いくらかは元気が出たことも伝えられた。
そしていつものセージが帰ってきて、ブレイドホーム家にもいつもの団欒が戻ってきていた。
「それでさ。言ってやったんだよ。食い終わったんならさっさと出てけって」
「次兄さん、お客さんに何言ってんの。店主さんに怒られたでしょ」
「怒られたよ。怒られたけどよ。マジで態度悪い客だったんだぜ。五人で来といてやっすいツマミ一つだけ頼んでよ。だらだら二時間も長居して。ランチタイムだったんだぜ。しかもでかい声で喋っててうるさかったしよ」
カインはそう言って愚痴を続けた。
「……何しに来てたの、その人たち」
「知らねーよ。騎士みてーだったけど、若くて見習いぽかったから、セルビアの先輩じゃね?」
「養成校の高等科か、あるいは士官学校の子ですか。まあカリキュラムの都合で昼の授業がなく、時間を潰してたんでしょうね」
ケイの相槌に、カインとマリアが答えた。
その推測は概ね間違っておらず、子細を付け加えるなら学生たちが同世代の皇剣がよく来るという食堂でそのケイを待っていたと言うのが真相だが、そこまで考えを巡らせるものはいなかった。
「ふーん。そういえば士官学校の方はお昼に外に出る人も多いみたいだね」
「ケイは知らないの?」
「私、士官学校行ってない」
「姉さん、聞いちゃダメだよ」
セージはマギーを嗜めるように言ったが、言葉の意図するものはケイに向いていた。
「ちょっとセージ、私が進学できなかったみたいに言うの止めて。騎士やりながらでも講習とか受けれるし、早く実戦経験積みたかったから進学しなかっただけなんだからね」
「まあそうしていなければ、流石に皇剣を手にしたのは来期になっていたでしょうね」
「そうよ。ふふん。最年少優勝の記録は私が塗り替えたんだからね」
平らな胸を精一杯張ったケイに、マリアの可哀想な視線が突き刺さるが、ケイがそれに反応するよりも早くカインが口を開いた。
「……セージ、お前が再来年の皇剣武闘祭で優勝したらぶっちぎり最年少だよな」
「――っ(ガタっ!!)」
「お嬢様、落ち着いてください」
身じろぎして椅子を鳴らしたケイを、マリアが嗜める。
「お、落ち着いてるわよ。せ、セージは出ないって言ってたわよね。そうよね」
「はい。っていうか、出たとしても僕が優勝できる可能性って、極端に低いですよ。そもそも本戦までたどり着けるかどうかも怪しいですし」
「そんなことを言いながら、気が付けば出場して、予選も楽々突破して、優勝までされそうなのが、セージ様ですよね」
「出来ませんよ。僕をなんだと思ってるんですか」
からかうようなマリアの言葉を、セージはさらりと受け流す。それを見てジオは重々しく頷いた。
「身勝手なバカ息子だな」
「黙れバカ親父」
いつものと言っていいやりとりをするセージを、セルビアが真剣な目で見つめる。
「……」
「どうしたの、妹?」
「あたしも出たい」
「……え?」
聞き間違いかと、あるいは聞き間違いであってほしいと、セージは声を上げた。
「あたしも皇剣ぶとー祭に出たい」
「……えっと、再来年だから、無理じゃないかな?」
それはさすがに諦めてほしいなと、セージは宥めにかかる。もしも本当に本気になられて、予選にでも出てしまえば妹の身が危険だ。
「ムリじゃないもん。あたし出来るもん」
「セルビア、わがまま言わないの。すごく強い人がたくさん出る大会なんでしょ。セルビアはセージにもカインにも、全然勝てないじゃない」
「ぶぅ。今度は勝つもん……、カインには」
「俺かよ」
そのやりとりを見ていたケイが口を挟む。
「まあ本戦はともかく、実技で飛び級してるなら新人戦の方にだったら出れるんじゃない?」
「……ケイさん」
「なによ、その目。本人がやる気なのに何止めようとしてんのよ」
「む」
セージは口をへの字に曲げた。正論ではあるが、八歳の子――二年後は十歳だが――に試合とは言え真剣での戦闘を経験させたくないというのも正論だろう。
ただそれを言ってもお前が言うなとブーメランするので、自重した。
「養成校の実技成績優秀者は新人戦の推薦があったはずだから、セルビアはそれ目指してみたらいいんじゃない?」
「わかった」
ちなみにケイもおよそ六年前は実技成績優秀者であり推薦候補に上がっていたが、年齢と座学の成績を理由に候補止まりで終わっていた。
セルビアを応援する理由はそんなところにもあった。
「……ちっ。なんか、めんどくさい流れだな」
「どうしたの、次兄さん?」
「いや、俺も次の新人戦あたりでギルドに登録しようかと思ってたからよ」
「……え?」
セージがあっけにとられて聞き返すと、カインは頭をガリガリとかいて気恥ずかしそうに口を開く。
「なんだよ。別にいいだろ。再来年には俺も十四だし、一年早いけど、ギルドに登録すんならちょうどいい時期じゃねぇか」
「……親父、知ってた?」
「いや」
そんなやりとりに、カインは文句あるのかよと口を尖らせる。
「初めて言ったからな。反対だってんなら、今度こそセルビアと一緒にお前から一本とってやるからな」
「なんで妹と一緒なんだよ。
いや、ちゃんと考えて答えを出したんなら邪魔しないけど……。そうか、次兄さんもちゃんと考えてるんだねぇ」
「お前……、後で道場来いよ。絶対その顔面ぶっ叩いてやる」
じゃれあうようなそのやり取りを、マギーが少し寂しそうに見つめていた。
「……カインも。そう、だよね。みんな考えてるよね」
「姉さん?」
「あ、ううん。何でもない。考え事してただけ」
セージは重ねて聞こうとするが、それを遮る形でケイが提案をする。
「ふふん。じゃあセルビアも道場おいで。私が稽古つけてあげるから」
「お嬢様、そろそろ夜も更けてますから、長居しすぎるのは迷惑ですよ」
「家としては別にかまわないですよ。むしろ夜に女性二人を出歩かせるのも問題があると思いますし、泊まっていきませんか?」
嗜めるマリアに、セージがそうフォローを入れる。そもそも夕食をご馳走した時点で、泊まっていかないかと誘うつもりであった。
「マリア」
「……まあ、しょうがないですね。
セージ様のお言葉に甘えさせえてもらおうと思うのですが、よろしいですか、ベルーガー卿」
上目遣いに目を輝かせてお願いをしてくるケイに負け、マリアは形式的に家長の許可を求める。
「ふん。襲われるようなタマでもないと思うが――」
「あ゛?」
「――好きにするといい。……なぜ睨む」
「一言多いんだよ、バカ親父」
「よっし、それじゃあ行こうか。――と、その前にアベルの様子見ていかない?」
食事を終え、和やかな談笑を交えていた彼らは、ケイのその一言に固まった。
いや、正確には固まったのはセージとミルク代表とマリアの三人で、他のものはその三人の反応に釣られてしまっただけである。
「……いえ、そちらはシエスタさんが一緒なので」
「……? それは知ってるけど、ずっと看病じゃあシエスタも疲れるんじゃない?」
「あー、そうなんですが、交代はタイミングを見てというか……」
「そっちは俺が気にかけておく。子供は子供同士遊んでこい」
「何よ、おばさん。私は大人だからね」
ミルク代表に不満そうに言い返しながらも、ケイはそれ以上頑なに主張する気もないようだった。
ちなみにこの時ケイは、別にアベルの見舞いに行きたいと思ったわけじゃないし、みんな気にしてるだろうなって思ったから声かけただけだし、だから私が無理に行こうって言ったとか思われたくないし、あれ、私なんでこんなこと考えてるんだろう、とか考えていたが、完全に余談である。
セージがなんとか話を逸らせたかと安堵していると、
「シエスタとアベル様は付き合っているんですよ」
素直になりきれないケイの様子を見て考えを改めたマリアが、爆弾を投下した。
「えっ?」
「あれ? ケイ、知らなかったの?」
顔色の変わったケイに、マギーの悪意のない残酷な声がかけられた。
「え、あ、え、うん。……へ、へー。知らなかった、付き合ってるんだ。あのおばさんと」
「ええ、そうですよ。もう深い仲のようです」
なんとか自分を保とうとしているケイに、マリアが追い討ちをかける。
深い仲という言葉の意味を、発揮しなくても良い勘の良さを発揮して理解したケイは、その体を硬直させ、しかしその手だけをプルプルと震わせた。
「ど、道場! 道場に行こう。お風呂の前に汗をかいておこう」
たまらず声を上げたセージに、ぎぎぎと、ケイは錆び付いた音でもしそうなぎこちない動きで顔を向ける。
「知ってたんだ?」
「え」
「知ってたんだ」
セージの顔に冷や汗が流れた。
「うん。道場、行こうか。ねえセルビア、セージの倒し方教えてあげる」
「あ、う、うん」
静かなケイの声にセルビアも感じるところがあったようで、そう相槌を打つだけだった。
セージは助けを求めてマリアに視線を向けるが、すいませんが付き合ってやってあげてくださいと、死刑宣告が返ってくるだけだった。ちなみにミルク代表とジオは面白がって助け舟を出すつもりはなかった。
そして道場に行ったセージはセルビアとカインが見守る中、ケイの指導という名のストレス発散でボコボコにやられる事になる。
これがデス子のもたらした試練の導きかどうかは、やっぱり定かではない。
ミルク「初恋は叶わないとは言え、お節介じゃないのか?」
マリア「そうなんですけどね。初々しすぎて見ていられなくて」
ミルク「残酷な保護者だな」
マリア「そうかもしれませんね。ただ、これで諦められるのなら、ここで諦めて次の恋を始めた方が本人のためかと」
ミルク「ほぅ。それは経験からくる答えかな」←ジオをチラ見
マリア「あ゛?」←半眼で睨む。ただし殺気はジオに向いている
ジオ 「……」←道場に行けばよかったと思っている