170話 子供ではいたくない
「なぜ?」
セージは短い言葉でアベルに尋ねた。
アベルは答えられずに目をそらした。
「なぜ?」
未だに座り込んでいるアベルを睥睨して、セージは再び尋ねた。強く硬い声音は、まるで尋問でもするかのような圧力を持ったものだった。
傍から見ているケイとジオも、息を飲んでその様子を見た。
「わかるだろう、お前なら」
アベルは何とかそれだけを絞り出した。お前は人の気持ちを見通すから、人の過去を見れるから、そんなことはわかっているだろうと。
「わからないよ。他人の気持ちなんて。
ああ、言葉にされたってわからない。
態度で示されたってわからない。
結局のところ、他人の気持ちや考えなんて、どれだけわかろうとしたって、本当のところはわからない。
だって自分の気持ちや考えだって、全部はわかってないでしょう」
「何を言って……、それじゃあ、なんで」
こんな事を聞くのか。
得体の知れない苦しみに耐え兼ねて、アベルはそう零す。
「だってわかりたいもの。全部はわからなくても、わかろうとすれば少しはわかる。
だから聞くんだよ。なぜ、帰らないのって」
「……帰りたくない、から」
「なぜ?」
「……フレイムリッパーが許せない。弱い自分が許せない。だから――」
だから、いつの日か、どんな手段を使ってでもフレイムリッパーを殺す。それまでは家に帰りたくない。
「――それは私の役目だ。アベル」
アベルは言葉の先を奪われて、セージを睨んだ。
ミルク代表を救い出して、フレイムリッパーを追い払って、シエスタを救って。
その上お前は復讐まで僕から奪うのかと、どす黒い嫉妬の感情がその目には宿っていた。
「フレイムリッパーに、何を言われた?」
「お前には関係ない」
「弱いのが悪いって?」
アベルは屈辱に歯噛みした。知っていて聞いたのかと。
セージは昨晩、軍の調書に目を通してはいるものの、重傷患者であるアベルからの聞き取りは出来ていなかった。
しかしシエスタからの聞き取りは十分に出来ており、フレイムリッパーとの会話も記されていた。
「アベルはフレイムリッパーの背中を追いかけて、その真似をするのかい?」
「何を言っているんだ、お前は」
「わかってないようだから、教えてあげるよ。
家を出て、何が何でも強くなって、どんな汚い手を使ってでもフレイムリッパーを殺す。それはフレイムリッパーと同じ道だって言ってるんだよ。
強い奴が正しい。そんなのはわざわざ言うまでもない当たり前の理屈だよ。
強い人は弱い人に優しくしよう。
強い人は弱い人を守ろう。
富める者、権力を持つもの、頭のいい人。強い人ってのをそんな言葉に置き換えてもいい。
そんな大人が子どもに教える優しい嘘が、フレイムリッパーは許せないって言ったんでしょう」
アベルは何を言われているのか理解できなくて、あるいは理解を拒絶して、口をつぐむ。
だってそれは嘘なんかじゃない。
それを実践している人を、アベルはよく知っている。
死ぬしかなかった弱い自分たちを拾ってくれた、屈強な父。
貧困に耐えることしかできなかったバカな自分達を救ってくれた、幼い弟。
アベルはその幼い弟を妬んで、憧れて、真似をしてきた。
だからそれが嘘でないと、少なくともセージにはそう言って欲しくないと、そう思ったから。
「嘘だよ。誰だって自分が気持ちよくなりたいから何かを得るんだ。
それは力だったり、権力だったり、お金だったり。
それを誰かのために使うのが当たり前だっていうのは、結局のところ耳当たりのいい嘘だよ。
ああ。きっと今のアベルのように、フレイムリッパーにも打ちのめされた過去があるんだろうね。
だからその優しい嘘を信じる人間に、信じさせようとする人間に突っかかってくるんだろうね」
アベルは口をつぐんだまま、その言葉を聞いた。
ああ、そうかと。アベルは思った。
優しい嘘と、大人が子どもに教える優しい嘘と、セージは言った。
セージは最初から大人だった。だからアベルのように優しい嘘を信じていない。
ただその優しい嘘を、自分のような子供に信じさせようとしてきたのだと。
「アベルはギルドに登録しないと、戦わない生き方をするって決めたんだろう。なら――」
「――ああ、いや、いいよ。わかった。確かに、フレイムリッパーはお前の敵だ。お前に任せるよ」
焦ったように言い募ろうとするセージを遮って、アベルはそう言った。
言いたいことは伝わったから、もう心配しなくていいと、そう伝えたくてアベルは意地を張って痛みで悲鳴を上げる体に鞭を打つ。
アベルはゆっくりと立ち上がると、セージの頭をゆっくり撫でた。
「もう大丈夫。
ありがとう。
それじゃあ、帰ろうか」
アベルは安心してと、そう伝えたくて無理やり微笑んで一歩を踏み出した。
そうして一歩を踏み出して、そのまま前のめりに倒れた。
「アベルっ!? セージがキツい事ばっか言うからっ!!」
「今そんなこと言ってる場合ですか。親父、病院に運んで。優しく!! 優しくだからね!!」
「……いや、俺もお前がきついことを言ったせいだと思うぞ」
◆◆◆◆◆◆
さて、いろいろあったが、日暮れには家に帰ることができた。
病院ではくれぐれも、くれぐれも安静にさせてくださいねと念押しされた上で、兄さんも一緒だ。
お医者さんは数日は再入院させたほうがいいと言っていたが、兄さんが帰ると固辞したため、絶対安静を条件に帰ることを許してくれた。
ケイさんもマリアを待たせているからということで付いてきた。色々と迷惑をかけたし、折角なので夕飯をご馳走しようと思う。
ちなみに兄さんは歩かせられないので親父の背中におんぶされて寝ています。寝ているのは疲れているのもあるけど、痛み止めと抗生物質が効いているのも理由だ。
「ただいまー」
そう言って家の門をくぐる。
兄さんの診察の途中で一度帰っているので、この時間になることは伝えてある。ちなみに食材の買い足しや次兄さんに夕飯を食べる人間が増えることも伝えてあるので、ある程度料理の下準備も終わっているはずだ。
いや、夕飯ができているのは匂いでなんとなくわかっているんだけど。
「おかえり。アベルは大丈夫?」
「うん。まああんまり大丈夫じゃあないけど、とりあえず安静にしておく分には問題ないって」
「そう。それでセージは何をしてたの?」
出迎えに出てきた姉さんにそう聞かれる。
「うーん。なんて言えばいいのかな。まあ、強いて言えば後処理、かな」
適当にはぐらかそうとそんな事を言うと、思いのほか強い目で姉さんに睨まれる。
「な、なに?」
「べつに。どうせ私は関係ないんでしょ」
「え、あ、まあ……、そうなるの、かな? いや、大したことはしてないんだよ?」
そうは言ったものの、姉さんはひどくご立腹で、ドスドスと怒りを音に変えて家の中に入っていった。
「あ、カインたちがもうご飯作ったから、シエスタ呼んできて。あと手を洗うのも忘れないで。
お父さんはアベルを部屋に連れてって。ケイはこっちに来て」
「ああ」
「わ、わかった」
「はーい」
不機嫌な姉さんの圧力に屈したわけではないが、みんな言われた通りにする。
私はシエスタさんの担当だ。
丁度いい。フレイムリッパーを優先させていたが、シエスタさんにも用はある。
シエスタさんの心臓が切り裂かれたあの時、私は衝動的にその心臓を治し、そのために彼女と契約を果たした。
それは確かに私の望んだ結果だったが、しかしあの時の衝動と発想は、本当に私のものだったのだろうか。
シエスタさんを救うために魔力が必要という結論はまあ出てもおかしくはない。だが契約をするという発想と、それができるという確信は私のものとは思えない。
もしかしたら、またデス子に助けられたのだろうか。
一年前、私を殺せと精霊に操られたケイのように、私に何かをして。
だとすれば今回は素直に感謝をしてやってもいい。
いざという時に操られるということが分かったのは大きな不安要素だが、それはそれとして今回は素直に助かったのだから文句はない。
今の私が考えるべきはシエスタさんのことだ。
契約は続いており、私の意思で魔力を与えることが出来る。ここ数日はずっと与え続けてきたので、肉体的には完全に回復している。
ただ精神的にはひどく不安定だ。
体を動かして誤魔化していたが、私から与えられる生命力を不気味に感じているし、襲ってきたフレイムリッパーが捕まっていない事を不安に思っている。
さらには兄さんに冷たくされていることも大きな精神への負担となっているようだった。
シエスタさんとの契約は切ったほうがいいだろう。
いや、どうやって切れば良いのかはわからないが、私は竜と関係が有り、どうも国主である精霊に敵視されかねないデス子の契約者だ。
その私と契約をしていることが明るみになればシエスタさんに無用な危険が迫るかも知れない。どうにかして契約を切るべきだ。
ただ矛盾したことを言うが、当面はこの契約を続けるべきだとも思っている。
フレイムリッパーの脅威はまだある。フレイムリッパーは親父の家族、つまりはブレイドホーム家の人間は襲わないと言っていたらしい。
兄さんが重傷を負いながらも命に別状なしと診断されたこと、そして戦闘時のフレイムリッパーの殺意がシエスタさんにしかなかったことからも、その事には一定の信用ができる。
だから狙われる危険が高いのはミルク代表とシエスタさんだ。
そしてミルク代表を襲った戦士が囮であり、シエスタさんには特殊な魔法が使われたことから、危険度がさらに高いのはシエスタさんだろう。
そして契約をしていると、シエスタさんの状況が魔力感知を向けなくても把握できる。
いや、知ろうとしなければ知ることができないのは魔力感知と同じだが、これはいざという時に役に立つ。
少なくともフレイムリッパーとの決着を付けるまでは、この契約は継続をするべきだろう。
ただこの契約はシエスタさんに厄介事をもたらすかも知れないし、さらにプライバシーを侵害するものだ。
説明責任は果たすべきだろう。
そんなことを考えながらシエスタさんのもとを訪れ、
「それぐらいにしておけ、体に毒だぞ。半死人」
「だって~。ぐすん。アベルが、アベルが~」
「いや、あいつも疲れていただけだろう。元気になれば元の通りになるさ」
「そんなことないですよ。わかってたんですよ、私だって。あんないい子がいつまでも私みたいなおばさんと一緒には居てくれないって」
「……いや、お前がおばさんだったら俺はどうなるんだ」
泣き顔で管を巻くシエスタと、それを宥める代表を目にすることとなった。
ぱっと見では酔っぱらいのようなシエスタさんだが、飲んでいるのはソフトドリンクだ。
実のところもう問題はないのだが、臓器に負担をかけるアルコールの摂取は医師に止められている。その事はシエスタさんに付き合っているミルク代表も知っている。
それでもシエスタさんの様子は酔っぱらいにしか見えない。それもかなり悪い酔い方をした酔っぱらいだ。
どうも間が悪かったようなので、出直すことにしよう。そうしよう。
「おい。逃げるな、セージ」
「あ、セージさん。聞いてくださいよ。アベルがひどいんですよ」
……捕まってしまった。
作中フォロー~~今章のダメインさんについて~~
シエスタは真剣に思い悩んでいましたが、ミルク代表がセージ&アベルが青春している間、粘り強く声をかけ、話を聞き、その気持ちを安らげたため回復しました。
そして真剣に思い悩んだ反動から気が緩みすぎ、まるで酔っ払いみたいになってしまいましたが、アベルと同じくらいに思い悩んでいたのです。本当なんです。