168話 殺人宣誓
守護都市軍部市中治安対策隊――通称、警邏騎士団の本部で、エースは頭を悩ませていた。
強盗や殺人は相変わらず日常茶飯事の守護都市だが、犯罪の発生率はここ十年で落ち着いてきた。
それには魔人ジオレインの引退から騒動の種であるギルドメンバーたちの活気の低迷、さらには天使セイジェンドの活動開始によって生まれ、今尚拡大するモラルの向上が主な原因と推測されている。
もちろん警邏騎士や行政も治安改善のためには尽力している。ただそれ以外の外的要因で大きいものは、その二つだと考えられた。
そして現在、そのセージがかつての魔人のように暴走をしている。
いや、暴走といっても実際の被害はまだ出ていない。
だが身内に害が及び、普段の聞き分けのいい顔が鳴りを潜めていた。
目を覚ますとすぐに病院から強引に出て、現場検証中の犯罪発生場所に押し入り、さらには部外秘の機密文書を見せろとエースのところにも詰め寄ってきた。
ジオならばそんな遠回りをせずまず怪しい奴に殴りかかっただろうが、それでもエースの見たその時のセージの顔には、アシュレイを殺された時のジオの面影が確かにあった。
まだ都市に被害は出ていない。
いや、商会には大きな被害が出ていたし、フレイムリッパーとの戦闘では建物の倒壊と舗装された路面の損壊が起き、当事者三人の死傷も起こってはいる。だが不幸中の幸いとして倒壊した建物に巻き込まれるなどの関係ない人間の被害は発生していない。
また目を覚ましたセージは駆けずり回っているものの、今のところ物的ないし人的な被害は出していない。
セージにはジオにはない理性と常識がある。しかし顔を合わせて、必要ならばそれらを捨て去るだろう気迫と覚悟が察せられた。
早急に事態を解決する必要があるが、しかしフレイムリッパーの足取りはまるで掴めていない。それこそアシュレイ殺しの犯人と同じように、存在しない人間を追っているようなもどかしさがあった。
ジェイダス家残党筆頭であったクラップ・ジュームのアジトには、繋がりになるであろうものはなかった。
かろうじて関係があるであろうと考えられる上級相当の戦士も、身元が分かるものは所持しておらず、守護都市でもひと握りしかいないと言える実力を持っているにもかかわらず、その戦士を見知っているものはいなかった。
そこでふと、疑問に思う。
守護都市にいる強者の種類は二種類だ。
軍の任務に従事し、その腕を磨いていったリオウやワルンのような騎士。
ギルドに属し、魔物を相手に成り上がっていったジオやセージのような戦士。
犯罪者として身を落とした者にしても、実力者ともなればそのどちらかを経ているのが常だ。
そして元騎士の実力者であるなら、エースやその周りのものが気付かないはずがない。
逆説的に言えば犯行に及んだ戦士はギルド崩れである可能性が極めて高く、その風貌をあのスノウが知らないということがあり得るだろうか。
エースはそこで胃が痛むのを感じる。
もしも、あくまでもしもの可能性だが、スノウが知った上で口を噤んでいるとしたならば、それはそういう事だろう。
もはや名家とは呼べないジェイダス家や正当な当主継承がなされなかったシャルマー家と違い、スノウはスナイク家の正当な当主だ。ならばかつて四家が共有した秘密も知っているはずなのだから。
「……いや、杞憂だな」
エースは頭によぎった良くない可能性を否定した。
もしそうだとしたのなら、フレイムリッパーを追うエースに干渉がないのはおかしい。スノウに口を噤ませるより、そちらのほうがよほど楽なはずなのだから。
スノウは単純に知らないか、知っていたとしてもあえて干渉せず、騒動を楽しむつもりなのだろう。
必要なことではあるのだろうが、あれは災いごとを楽しむ悪癖がある。おそらくはそれだろう。
今のエースが考えるべきことはフレイムリッパーとセージだ。
もっとも解決の糸口はなく、今のエースにできるのは捜査に当たっている現場の騎士たちを信じ、そしてセージが警邏騎士たちの敵に回ることがありませんようにと、お祈りをすることぐらいだった。
◆◆◆◆◆◆
セージを連れた女の子は、持っていた鍵を使ってそのアパートの扉を開けた。
「ただいまー」
「……お邪魔します」
セージもそう言って女の子と共に部屋に入った。
もともと女の子を無事に保護者の下まで送り届けるのが目的だった。だからここで引き返しても構わなかった。だがセージは保護者への簡単な説明は必要だろうと、そんな建前で入った。
「――リン!! どこに行ってたのっ!?」
「ご、ごめんなさい」
部屋の中にいた十五歳くらいの少女が、女の子の――リンの姿を見るなり泣きそうな声で叫んだ。
「バカっ!! 一人で外に出ちゃダメって何度も言ったでしょ!! アンタまでいなくなったらアタシは――セイジェンド、さん?」
「……どうも」
「なんで、ここに?」
「……成り行き、ですかね。この子が一人で彷徨いていて、私に声をかけたので。一応、送り届けようと」
「あ、ありがとうございます」
「……いえ、お礼を言われることでは」
「……おにいちゃん、おねえちゃんをしってるの?」
「……ああ、お兄ちゃんのこともね」
少女――セージは記憶をたどる。確か名前はシンシアだった――との縁はそれほど深くはない。道場に連行し、商会で働くようになった不良の一人が、彼女も働かせてくれと連れてきたのがこのシンシアだった。
まともに会って話をしたのは商会への面接を仲介した時ぐらいで、あとは働いている時に声をかけたことが何度かあるだけだ。
「じゃあ、おにいちゃんがなんでかえってこないのか、しってるの?」
「……ああ」
セージはそう言って、伝えてもいいかとシンシアに目配せした。シンシアは静かに首を横に振って、口を開いた。
「あいつ、死んじゃったの。リンのパパとママと、同じ所に行ったの」
「……え」
ずっと笑顔だったリンの顔が凍る。それを見てセージは唇を噛み締め、シンシアは目に涙を溜めた。
「……なんで」
「悪い奴がね、あいつを殺したの」
「なんでおにいちゃんいなくなるのっ!!」
リンはシンシアの言っていることは聞こえていないようで、そう叫んで泣き出した。
わんわんと泣き続けて、なんで、なんでと、繰り返しそう言った。
声がかすれるまでリンは泣き続け、シンシアも涙をこぼしながらリンの頭を胸に抱いて優しく撫で続けた。
「……ごめん」
そんな光景を見ながら、セージは誰にも聞こえないぐらいの小さな声で謝った。
******
リンが泣きつかれて大人しくなると、シンシアはベッドに寝かしつけた。
「ありがとうございました。この子、連れてきてくれて」
「……いえ。……本当の妹ってわけじゃないんでしょ」
「はい」
「優しいんですね」
セージがそう言うと、シンシアはくすりと笑った。
「……すんません。セイジェンドさんにそう言われんのが、おかしくて」
「……いえ」
「セイジェンドさんの真似なんすよ」
「……は?」
セージが素っ頓狂な声を上げると、シンシアは嬉しそうに笑みを深めた
「あいつが、クロウは、セイジェンドさんたちに助けてもらったから、今度は俺の番だって。
それで両親を亡くして途方にくれてたリンを、拾ってきたんです。おかしいっすよね。二人で生活するのだって楽じゃないのに」
「……それ、は」
「でも、楽しかったんです。リンや、クロウのために頑張るのが。お仕事も、料理作ったりすんのも。バカな私が、リンに読み書きを教えたりもするんすよ」
おかしいでしょうと、大切な記憶を思い起こしながらシンシアは語った。
「そんなことは、ないですよ」
「へへ。ありがとうございます。
たぶん、あいつも喜ぶと思います。セイジェンドさんのこと、よく家で話してたんすよ。すごいやつだって。絶対に英雄になるんだって。ケイなんか目じゃないって」
「……お礼を言われるようなことは」
クロウのような純粋さはない。打算と自己満足で動く自分にそんなことを言われる価値はない。
そんなことは口に出しても伝わらないとわかっているから、セージはそんな言葉を絞り出す。
「いえ、本当にありがとうございます。ミルクのお袋に聞きました。セイジェンドさんが仇を討ってくれたって。悪い奴らを捕まえてくれたって」
「……でも、私は間に合わなかった」
我慢できず、セージはそう零した。そんな事を口にしても、当然のことながら罵倒の声は向けられない。
案の定、シンシアはセージに同情といたわりの感情を向けた。
何を言うかシンシアは迷い、そして口にする。
「そんなことないです。お袋は助けたじゃないですか。今回だって、リンに何かおかしな事が起きないようにしてくれたじゃないっすか」
「それは――でも、私が余計なことをしていなければ、あの商会で働かせていなければ」
「それは違うっす」
セージの言葉に、我慢できずにシンシアが声を張った。
「あのままの生活を続けてたら、アタシたちはきっともっと早くに、酷い目に遭ってました。セイジェンドさんは悪くないっすよ」
言われてセージは俯いた。その慰めは決してセージの欲しい言葉ではなかった。
シンシアは恐る恐る手を伸ばして、目に見えて傷ついている幼い少年の頭を撫でようとする。
セージは一歩後ずさって、その手から逃げた。
「――っ。これから、どうするんですか」
「お袋には、このまま働いてもいいけど、よそのもっと安全な都市に降りるなら援助するって言われたんです。私は、その方がいいかなって。
よその都市には一足先に降りたクロウの友達が働いているお店もあるって言うから」
「……そう、ですね。女の子が二人で生活するなら、その方が良いでしょうね」
セージはそういった後、頭を振った。
「いえ、家に来ますか? その、金銭的には不自由はないと思います」
「……心配しなくても大丈夫。そりゃあ、セイジェンドさんから見ればアタシたちは弱くて貧乏な女のガキですけど、自分のことは自分でできます。そのために必要なものはたくさんあんたたちからもらいました。
だから、なんつーか、アタシのこととかクロウのこととか、そんな責任感じないでください」
「――っ。そうですね。色々と失礼しました。困ったことがあったら、いつでも遠慮なく言ってください」
それではと、セージは思いのほか長居をした部屋から出ていった。
「そりゃこっちのセリフですよ。ホント、アイツが言ったとおりズレてるんすね」
聞こえてしまったその独り言を遮るように、セージは玄関の扉を閉めた。
******
アパートの階段を下りて通りに出ると、そこにはセージのよく知る男が待っていた。
「よう。帰るぞバカ息子」
「……ふん。バカ親父」
その男は、ジオはそう言って、セージは鼻で笑って馬鹿にする。そんなセージを窘めることもなく、ジオは労わるような優しい笑みを浮かべる。
「少しはまともになったか」
「多少はね。冷静になったよ。フレイムリッパーには完全に出し抜かれた。得意分野で完全に負かされたのは悔しいけど、負けは負けだ」
「……お前はなんの話をしているんだ」
ジオが尋ねるが、セージは肩をすくめるだけだった。
「気にしないで。こっちの話」
「そうか。みんな心配しているだろう。帰るぞ。
……納得は出来たのか」
「まさか。負けたのは認めるけど、やったことを許す気はない。
フレイムリッパーは絶対に見つけて殺す。すぐにどうこうできないから後回しにするだけ」
見つからないというそもそもの問題はあるが、しかし見つけたあとにも問題は残っている。
セージはフレイムリッパーとの間接的な戦闘を思い出す。
魔力感知でフレイムリッパーが利き腕を損傷し、庇いながら戦っているのを見抜いていた。そうだというのにその弱点を満足に突けなかった。
動きは速く先読みが追いつかないほどだった。揺さぶりにもまるで動じることがなく、最善の選択でセージの打つ手に返してきた。
単純な実力もそうだが、相性という意味でも最悪な敵だ。戦っても勝算は低いだろう。
それはデス子の力を借りても同じだ。死に戻りはとにかく、魔力供給は戦闘時間に制限ができるという弱点が生まれてしまう。フレイムリッパーのような相手に安易に使うのは危険だ。
だから今は力を磨く。
あのクソムカつく偽物野郎を完膚なきまでに叩きのめし、その湖面のような感情を屈辱で満たすことができれば最高に気分がいいだろうと、暗い炎を胸に抱いて。
「……お前には似合わんがな」
「何か言った?」
「いや」
ジオはそう言って質問をはぐらかした。
「……まあ、いいか。じゃあ、帰る前にちょっと寄っていこう」
「……うん?」
「少し面倒が起きているからね。放っておいても面白そうだけど、後で何を言われるかわからないし、回収して帰ろう」
真剣な面持ちのセージは偽悪的にそう言うと、足取りを自宅とは別のほうに向ける。
ジオは特に何も言うでもなく、好きにさせるかといった様子でその後についていった。