165話 ふたりのこうさつ
道場で、ケイは座禅を組んでいた。
あまり大人しくしているのが得意でないケイだが、一年前にジオの道場に預けられてからは、時折こうする機会があった。
その時は安静にしなければならないという必要と、圧倒的強者であるジオの動きを観察し学ぶために行った。
そしてその経験が、気持ちを落ち着け思考を整理することの価値をケイに教えた。もっとも戦闘以外のことではあまりその価値を大事にはしていないが。
ケイの頭にあるのはセージのことだ。
セージは弟のようなものだが、同時に負けたくない相手でもある。今はまだ魔力量でも単純な戦闘技術でもケイが優っているが、それがいつまで続くかわからない。
下の人間から追いかけられているというプレッシャーは、ケイの中に常にある。
そして今のケイは戦術と魔力制御でセージにはっきりと劣っている。
特に魔力制御ではもう勝てないだろうと思うほどに差がある。
最初に事務所を壊したとき、セージは身体活性と二つの無詠唱の魔法、そして自身の魔力の隠蔽を行った。
ケイも身体活性と無詠唱の魔法の両立はできる。というか、上級に至っていてできない戦士はそもそもいない。二つの無詠唱魔法も、やろうと思えばなんとかできる。でもその上で身体活性の強度を弱めずに肉体から漏れる魔力を抑制するとなると、どうやっていいかもわからない。
だがセージはそれをやって、足場を崩し、上級の戦士に奇襲をかけて穴に落とした。
戦士がセージを舐めていたことも、ケイに注意を割いていたことも影響はしている。
だが真正面にいる上級の戦士の死角に回り込んで奇襲するなど、普通はできるとも思わない行為だ。
そう、セージは相手の油断や隙を的確に捉える。
ケイも勘は働くときはある。だがセージほどの精度はない。
そしてセージは多種多様な魔法と戦術を持っている。それはケイにはないものだ。
単独で狩りをするセージと、近接戦闘に特化し、仲間である騎士たちと共に軍で活用されるケイでは出来ることの幅が違うのは仕方がない。
だがセージは多くの技を持ち、そしてその使い方も上手い。さらに技で言えば今後ももっと増えていくだろう。
セージの父であり師であるジオも幾千幾万の技を修めた技巧派の戦士だったと聞く。
いや、実はこの話はそんなに信じていないのだが、ケイの師であるマリアや、その友人でありジオのライバルでもあるラウドのおっさん――おっさん呼びするとラウドは嫌がるのだが、幼い頃にマリアにそう呼ぶよう教え込まれたせいで癖になっていた――がそう言っていたのだ。
なので今後、セージはもっと多くの技を覚えていくだろう。それはケイとは違う道だ。
セージがこのまま成長し、同等に身体能力を持ったとしたら、どうやれば勝てるだろうか。
まず前提として、セージと戦う時は極限まで集中していなければならない。おそらくそれが彼の揺さぶりに対する最大の対抗策となる。
ついでセージの先読みだ。セージは相手の頭の中を読んでいるかのような行動をとる。
先の先。あるいは後の先。
的確にこちらの動きを読んで、最適な対抗策を行ってくる。
それへの対抗策は、やはり極限の集中力だ。
相手が最適な対応をするならこちらも最適な技で返し続ければいい。そうすればきっとなんとかなる。
問題は距離を取られたときだ。逃げに徹し、遠くから狙い撃たれればケイとしては対抗手段が乏しい。中・遠距離の技も学んでいるが、どうにも大技ばかり覚えてしまっているので、街中では使えない(ちなみに余談となるがケイは警邏騎士所属なので、犯罪者やテロリストの鎮圧といった、街中での仕事が主なものとなるはずだ)。
距離を取られれば負ける。ならばどうすればいいか。
簡単だ。
有無を言わせない突進力で、強引に距離を詰めればいい。
近接戦闘ならきっと分はある。遠距離戦で負けるなら、近接戦闘は有利になるはずだ。
「うん」
ケイは自分の考えに満足して立ち上がった。
「――何やら考え込んでいましたが、下手の考え休むに似たりという言葉を知っていますか」
「……うん?」
マリアにそう声をかけられて、ケイは頭をひねった。
馬鹿だと言われたのには気づいたが、もういい加減慣れているのでそれほど気にならなくなっているのだった。
「……それで、イメージは固まったんですか」
「うん。走り込みしてくる」
「……そうですか。それはいいんですが、セージ様には謝りましたか?」
ケイは口をへの字に曲げる。
事件の起きた数日前、ケイはあまりに無理が過ぎるとセージを昏倒させて病院に運び込んだ。
ケイとしてはむしろ当然のことをしたというか、セージの身を案じてやったことなのだが、エースやマリアをはじめとした周りの人間からはさんざん責められ、謝りにいけとしつこく言われて辟易としていた。
あの時のセージはああでもしないと止まらなかったと言い切れるし、あのままだとどうせぶっ倒れるんだから早めにぶっ倒して病院に運んだほうが正しいと、ケイは確信していた。
そしてそう素直に弁明したことで追加の説教などもされて、ケイはこの話題には本当に嫌気が差していた。
「昨日謝りに行ったけど、いなかった」
「それは聞いています。
……家には行っていないんですね。
では、今日は家の方に行きましょう」
「むー、謝るぐらい私一人でできるし。べつに一緒でもいいけど」
ケイはそう言ったが、しかし一緒にブレイドホーム家に行くことに異議はない。今日の訓練として走り込みをする予定だったが、それは後に回してもいい。
実際、ケイとしてもあの日からセージとは会えていないので、気にはなっていたのだ。
昏倒させたセージを病院に連れていくと、即座に面会謝絶、絶対安静が言い渡された。
そんなに強く殴った覚えはなかったのだが、やはりあの時のセージは相当の無理をしていたようだった。
左腕や肋骨が折れたあと、おかしな具合に繋がれていたらしい。あとは全身にひどい疲労。ケイも一年前に経験済みだが、過剰な魔力供給を受けた反動だろう。
そして疲労が抜け――医者が言うにはありえないぐらいに早い回復速度だった――あらためて治癒魔法を施し骨の結合状態を修正して、それらが定着するまで安静にしているという条件で、退院が許された。
そして昨日、セージは迎えに来た家族やお見舞いに来たケイとは行き違いになって、さっさと一人で家に帰っていた。
無駄足を踏んだカインが『セージが親父みたいなことしてやがる』と、ぼやいたのを覚えている。
そんな訳であれからまだセージに会っていないので、ケイとしては怒ってないか、嫌われていないか心配をしているのである。
「ではお嬢様はとりあえずシャワーで汗を流してきてください」
「うん、わかった。……変ないたずらとかしないでよ」
変ないたずらとは具体的には着替えを極端にセクシーな下着に変えたり、ケイには似合わない(と思っている)ひらひらフリルの可愛らしすぎるゴスロリ風のワンピースに変えたりする事だった。
ちなみに余談だが、守護都市では自衛のため女性がスカートなどの愛らしい装いをする事は少ない。
実力者や娼婦などの例外もいるし、ケイは前者であったが、同世代で可愛い格好をするものもいないことから、野暮ったいズボン姿でいる事が常であった。
なお同じく実力者のマリアは好んでスカート……というか、メイド服を着ている。
「ええ、わかっています。それはフリですよね」
「違うからっ!!」
******
場面は変わり、スナイク家に移る。
スノウは執務室で書類とにらめっこをしていた。それはわりと珍しい光景である。スノウが書類仕事で頭を悩ませる機会というのはそうそうない。
だが、今回はその珍しい状況に陥っていた。
「……はぁ」
スノウはこの日、何度目になるかわからないため息を吐いていた。
目の前にあるのは今回の事件の顛末書だ。
セージやケイから聞き取りをされたものも騎士たちの方でまとめてあり、その写しはスノウの下にもある。だがスノウも現場に立ち会ったものだから、顛末書の提出を求められているのだ。
別に出さなくてもいい。騎士からの要請を断る権利はある。だが断ればいらぬ腹を探られるだろう。
ちなみにセージの聞き取り調査の結果は、
・なぜあの場に行ったのですか。
→シエスタ・トートが襲われている可能性に気づき、探査魔法にて居場所を特定、襲われていたたため駆けつけました。
・市街地で戦闘行為を行った理由はなんですか。
→人命救助のためです。
・その結果建物の倒壊、路面の破損など大きな損害が出ています。その責任はどこにあると考えますか。
→襲撃を行った犯罪者にあります。
・トート監査官には高度な治療魔法がかけられていました。それはあなたがやったものですか。
→はい。
・具体的に、どのような治療を施しましたか。
→無我夢中で行ったため、覚えていません。
・トート監査官はどのような傷を負っていましたか。
→覚えていません。
・傷も治療法も覚えていないのに、治したのは自分だと言い切れるのですか。
→はい。
と、襲撃者に関する質問などもあったが、まあこんな感じだった。
セージが正直に話をしていないのはスノウの目から明らかだったが、それは別にいい。
問題は聞き取りの内容からして、セージが一般人の心臓治療を成功させた事に興味を持っていることが見て取れる事だ。
治癒魔法というのはその性質がかなり特殊である。
例えば身体活性でも、傷は治療することができる。ただ治癒魔法と違って、身体活性で治した傷は再発のおそれが極端に低い。ただ身体活性での治療は体力の消耗が治癒魔法以上に多く、治るまでの時間も長い。さらに今回のような臓器の治療は完全には行えない。
対して治癒魔法では臓器の治療もできるが、ちょっとした衝撃で傷口が再び開くことがある。これは魔法で傷が治ったものとして錯覚させているために起きることだとされている。
そしてその魔法という嘘は癒えた傷に血が巡り、時間をかけることで真実になる。こうなればようやく完治したといえ、これを治癒魔法が定着したとも言う。
なので戦闘中の負傷は治癒魔法で傷を塞ぎ、身体活性でその傷の修復した状態が定着するのを早める。
ちなみに身体活性との複合治療を用いれば、中級程度の治癒魔法でも臓器の治療もできる。
もっともその分高いレベルでの身体活性が求められるため、それが出来るのはギルドメンバーでも中級以上の実力者に限られるだろう。
話を戻すが、セージが治療したシエスタの心臓はほとんど定着に至っていた。
臓器などの再生や治療では起こりがちな副作用――他人が手を加えた臓器への肉体の拒否反応――もまるでなく、シエスタは死の淵から蘇ったことなどまるで感じさせない健康体になっていたのだ。
ただ体に残った治癒魔法の残滓と、病院に運び込んだ際に検査にあたる医者にあれこれスノウが説明してしまったため、シエスタの心臓がセージが手を加えたものだとバレてしまったのだ。
病院関係者はスノウの配下というわけではない。完全な口止めは難しい。
セージの治癒魔法は心臓の治療技術にしても高レベルで、さらに蘇生不可能な状況の一般人を救ったという奇跡がくっつく。
医療に携わるものなら興味を持って当然だし、特にマッドの集まる学園都市のその筋の教授に知られれば面倒なことになるのは間違いがない。
そしてマッドはこの手の話に耳が早く、ついでに次の接続先がその学園都市だ。
顛末書を正直に書いて、起こりうる面倒――学園都市のセージの引き抜き、誘拐、脅迫――などに対処するか。
あるいはそれを回避するためにお茶を濁して、クラーラやエースに弱みを握られるか。
スノウはその瀬戸際に立たされていた、というのは実のところ正しくない。
スノウは迷っていたのだ。
クラーラやエースに弱みを握られるといっても、傘下のギルドメンバーの立場を守るためだと主張すればどうとでもなる。
公的な調書の回答を誤魔化すのは精霊様への反意と結び付けられる可能性は高いが、今のところ精霊様からも政庁都市からも、セイジェンド・ブレイドホームに関心を寄せる意思表明は出ていない。
だからどうとでも誤魔化せる。
しかしそれでもスノウは迷っていた。
スノウは十五歳から二十二歳までの学生時代の大半を学園都市で過ごした。
都市の特性はよく知っているし、当時は当主になることを意識はしていなかったが、それでも名家に生まれついた性から人脈は十分に作った。
だからこそあの学園都市のマッドどもの行動は予測できるし、学園都市内で起こる情報も入手しやすいし、ついでに言えばマッドどもが何をしたとしてもセージが守護都市から引き抜かれるとは思えないし、主舞台は学園都市になるだろうから守護都市の被害も少ない。
なんと言うべきか、何が起きるかわからないが、だからこそ何が起きるのかを見てみたい衝動に駆られてしまうのだ。
「……ごめん、セージ君。身から出た錆だと思って諦めて」
一応、無理なくごまかせる範囲でごまかして、ある程度は正直に書くことを決めたスノウだった。
これがデス子の導く試練かどうかは、定かではない。