164話 話が違う
魔力感知に頼りきりだった。
この無様な状況は、その一言に尽きる。
兄さんとシエスタさんのことも、見えていたのに見ていなかった。
いつかの時に、ハイオーク・ロードの咆哮に魔力感知を吹き飛ばされたことがあった。
だからこれは完全無欠なものではないとわかっていたはずなのに、慢心があった。
誰にも気づかれずに行使できる、探査魔法以上の精度を持つ魔力感知。死に通じる仮神の加護。
そんな与えられたものに、驕っていた。
どんな技術も、結局は使う人間しだい。この事態は私の未熟さが招いたこと。
魔力感知で見ていたものが、正しく認識できていなかった。あるいは意識を逸らされていた。おそらくはそういう魔法。
兄さん達がいた場所には何かしらの魔法がかかっていた。ちゃんと見ていれば、理解できていれば二度引っかかることはないだろう。
だが私はフレイムリッパーに夢中になって、その魔法をちゃんと見ていない。その構成と効能を理解していない。
そしてその結果がこれ。
「……もしかして、見失ったの?」
「……ええ」
心配して付いてきたケイさんの言葉に、頷いて肯定を示す。
フレイムリッパーを追うことよりシエスタさんを優先させたことに後悔はない。
だが魔力感知で捕捉しておけば大丈夫だと、アジトまで泳がせて依頼主もろともに殺してやると、そう侮ったことが間違いだった。
犯罪者ならば追跡に対して万全を期すのは当然のこと。
それを想定せずに魔力感知だけに頼った私が阿呆だった。ただそれだけのことだ。後悔も反省も今やるべきことではない。
「どうするの」
「ここにいたのは間違いありません。近くにいるか、あるいはどこに向かったのか手がかりになる痕跡を探します」
「……それで、見つかると思う?」
「……見つけます。ケイさんは先に帰ってください」
そっかと、ケイさんは相槌を打った。私は気にせず周囲の探索にかかる。
「セージ――」
ケイさんが何かを言う。だが私も忙しい。適当に返事をする。
魔力の痕跡はある。ここでなにかの魔法が使われた痕跡だ。それが魔力感知の目を誤魔化した。捕捉が外れた。
魔力場は乱れている。だがどこかを通ってフレイムリッパーはどこかに向かったはず。
魔力の流れの変化から見通す。足跡を辿るなどのまともな追跡術は私にはない。ここに来ても魔力探知しか頼るものがない。
それが私の鍛えてきた結果だ。それを嘆いても仕方がない。出来ることで何とかする。
慣れたものだ。こんなのは何度となくやって来た。今度も上手く――
「――ごめん」
――その一言と共に衝撃と痛みが私を襲い、この探索は意識の喪失という形で強制終了した。
◆◆◆◆◆◆
フレイムリッパーことデイトがアジトに戻ると、そこには人形のような女が待ち構えていた。
「上手く撒いたようですね」
「たぶんな。探査魔法を使われてるでもないのに、粘りつくような視線を感じた。
気持ち悪いもんだな。あれがセイジェンドの契約者としての力か?」
「さあ、どうでしょうね」
女は微笑でその質問をはぐらかした。
デイトは目を細める。この女はいつもそうだ。無理難題を命じられることはあっても、それを達成するために必要な情報が与えられたことは今まで一度としてない。
「ふん。標的は殺したが、しかし生き返ったぞ」
「ええ、存じています」
「――ちっ。カイルは帰ってないのか」
カイルとはセイジェンドの目を引きつける囮役を買って出た上級の戦士であり、デイトの旧友であった。
「彼は死にましたよ」
「……そうか」
「ええ」
特に感想もないといった様子で肯定を示す依頼主に苛立ちを感じないでもない。だがそれを言っても仕方がない。
カイルは実力者だったが、熱が入りやすく実力に驕ることも多かった。デイトはそう思って、喪失感を誤魔化す。
「そうか。……まあ、いいさ。
それでどうする。次はそう容易くないぞ」
今回はデイトがセイジェンドの上を行った。いや、カイルを失い、結果としてシエスタを殺しきっていない以上、デイトは負けている。
そして直接ではないものの戦意を交えたことで、おおまかにだが把握できるものもあった。セイジェンドは決して侮っていい相手ではない。同じ手は間違いなく通用しない。
「いいえ、シエスタ・トートはもういいのです。彼女はこの国に有用な存在。生かしておいて困ることもないでしょう」
「はぁっ!?」
女の手のひらを返すような言葉に、デイトは声を荒らげた。
それでは何のためにカイルは死に、自分はセイジェンドに殺意を向けられるほど憎まれることになったのか。
……いや、あるいはそれが女の目的だったのか。
デイトと女の関係はけっして良好ではない。むしろ呪いさえなければ百度殺しても飽き足りないほどに憎んでいる。
そしてその呪いも、二年後には消える。
デイトの仲間を殺し、敵を増やし、孤立させようとすることは十分にありえることだった。
思えばセイジェンドの横槍が入ったあの時、まだ女の張った人払いの結界の効果時間内だったはずだ。
人間以上の力を持つこの女の結界をはねのける力がセイジェンドにあったのか、あるいはそれとも、女が意図的に結界の効力が切れるのを早めたのか……。
「全ては私の手のひらの上。あなたは私の言うことだけを聞いていればいいのですよ」
デイトの考えを肯定するように、女は人形のような顔に作り物の微笑を浮かべ、そう言った。
デイトは歯噛みし、それに耐える。
呪いが解ければ必ずこの女は殺すと、そう固く胸に誓って。
******
寝覚めの気分は悪い。
肉体は鈍く、反応は緩慢。
それでも意識は覚醒し、重い瞼をゆっくりと開く。
視界に映ったのは真っ白の見慣れない天井。
アベルはゆっくりと体を起こす。
その動きに気づいて、少女が声を上げる。
「アベル、起きたの?」
「マギー……、僕は?」
「ここは病院。大怪我したから入院してるの。ほら、寝てて」
マギーに言われて、アベルは起こしかけた身体を再びベッドに委ねる。痛み止めの薬を投与されているアベルは、起きたばかりだというのにそれだけで抗いがたい睡魔に襲われる。
「マギー……、シェス、は」
「同じ病院にいるよ。さっきまでお見舞いに来てたんだけど、お医者さんにフラフラするなって怒られて病室に戻ったよ。全然元気なのに、お医者さんも心配性だよね」
「元気、なの……」
「うん。怪我してる感じじゃないよ。お医者さんはセージがすごいって言ってたけど、なにがあったの」
「はは……。そう、か。そうだね。セージは、すごいん、だ……」
アベルはそう言うと、また眠りに着いた。
マギーは少しだけ不満そうにして、でも仕方ないかと考える。
アベルが病院に運び込まれたとき、全身の打撲や捻挫、顔や鎖骨に肋骨とおおくの箇所の骨折をし、肩の骨は外れ、内臓にもダメージがある深刻な重症だった。
幸い命に別状はなかったし、今は治癒魔法が効いて見た目もそれほどひどくはない。
それでも治癒魔法の効果が定着するまでは安静にする必要があり、合わせて効能の強すぎる治癒魔法の代償として強い疲労状態にある。
それら全ての説明をマギーが正確に理解したわけではない。
それでもいつもすました顔をしているアベルの弱りきった姿を見れば、優しくしなければいけないと感じるのは当然のことだった。
「……苦しそう」
悪い夢でも見ているのか、アベルの寝顔は顔をしかめたものだった。
マギーは濡らしたタオルで汗の浮かんだその顔を拭くが、その顔色が晴れることはなかった。
「私、いつもこうだな……」
何も知らされず、何も分からず、ある日唐突に怪我をした家族の姿を目の当たりにする。
あるいは、ある日唐突に家族を失ってしまう。
「嫌だよ……。こんなの」
昏睡するアベルのそばで、マギーは泣きそうなか細い声で呟いた。