161話 守護都市のあるべき姿
暴力描写、残酷描写が続きます。
ご注意ください。
デイトは気の無い様子で手に持ったダガーを遊びながら、シエスタに向かって歩く。シエスタは一歩後ずさった。
「貴方の目的は、誰がこんなことを」
「言うわけねえだろ。馬鹿じゃねえのか」
嘲るように、デイトはシエスタの言葉を切って捨てた。しかし同時に受け答えもした。
ならば会話を。少しでも時間を稼ぐ。少しでも会話を引き伸ばして、少しでもここから離れる。
そうすれば倒れているアベルが本当に見逃してもらえる可能性が、少しだけでも上がる。
そんな絶望的な希望にすがって、シエスタは後ずさりながら重ねて言葉を発する。
「こんなことをして、ジオさんがただで済ますと思っているのですか」
「あん? ま、タダじゃすまねーだろうな。気が重いぜ。あの馬鹿とガチで喧嘩するって考えるとよ。
でもまあ、家族を殺すってのに比べれば、落としどころはあるだろうよ」
家族を殺すわけじゃあない。デイトはそう言った。
「じゃあ、アベルは――」
「ああ、最初っからあの小僧を殺す気はない。ま、逃げてりゃ小僧を放って背中から殺らせてもらったがね」
シエスタはその言葉に少しだけホッとする。だが依然として自分の命は風前の灯だ。生まれた小さな安心は、より大きな恐怖に押しつぶされる。
「私を殺すのは、ジェイダス家のためですか。セージさんを次期当主にするため、洗脳するために」
「ぁん? 何言ってんだ? なんでセイジェンドがジェイダス家何ざに――」
デイトはそこまで言って、心底驚いたという様子でシエスタを見る。
「――は。こりゃ驚いた。クラップのバカを騙すためにそうは言ったが、お前らもそんな勘違いをしてんのか」
「何を、言っているのですか?」
「ジェイダス家の遺児はセルビアンネだ。セイジェンドじゃない。テメエらはそんなことも知らなかったんだな」
小馬鹿にするようにデイトは鼻を鳴らす。
「セイジェンドがどこの誰の子供かなんざ知らないがね、ジオレインの血を受け継ぐのはケイとセルビアンネの二人だけだ。生きてるのはな」
「――あなたが殺したんですか」
「……ま、そんなところさ。質問は終わりか。さっきからさっさと終わらせろって催促が来ててな。
思い残すことは多いだろうが、さっさと覚悟を決めてくれや」
そんなもの決まるはずもない。しかし正直にそう言えば、目の前の暗殺者はそうかとシエスタの言い分を切り捨てて殺すのだろう。なんとなくこの男の性根が見えてきた気がしてきた。
「ならば何故。商会に魔人の子を誑かすなと送ったのは、あなたたちではないのですか?」
「それは俺だ。
だが、それがどうした。何もおかしくはないだろう。
たとえ血の繋がりがなくとも、セイジェンドはジオレインの力と技と教えを受け継いでいる。才能に溺れるケイとは違う。あいつがジオレインの、魔人の子だ」
デイトの目が、冷たく輝く。
「ああ。だからこの仕事は気に食わないが、お前を殺すのには賛成だ」
「何故。セージさんにとって、私が悪影響を与えていると」
「お前がさっき言ったろう。子供のうちに洗脳すると」
「それは私ではなく――」
「同じさ。お前ら弱者はいつも群れをなしてお綺麗な理屈で強い奴を戦わせる。まるで下僕に命じるように、従うのが正しいんですよって面をして、弱い奴を守れと言う」
それまで小馬鹿にするような嘲笑を浮かべていたデイトが、真剣な目でシエスタを睨む。その気迫は常人のシエスタが耐えられる量をはるかに超えている。
シエスタは震えながら、それでも必死に足を踏ん張ってデイトを睨み返した。
「さっき言ったよな。自分に手を出せばジオレインが黙っちゃいないと。ムカつくんだよ。自分の力でもないのに、自分のために使おうとする。テメェの身を守るのは自分の力だろう。
お前たち弱者は多くの戦士が必死になって戦っているから安全なところで生活できるのに、まるでそれが当たり前のことだと思ってやがる。当たり前のように、俺たちを同列か、あるいは下働きの下僕だと見下している」
「そんな事はありません。それに貴方の言う弱者がいるからこそ食事をする店があり、武器を買う店があるのでしょう。職業に貴賎がないとまでは言いませんが、ギルドの戦士も都市で働く騎士も相応に尊敬されています」
「おいおい、話を綺麗な方にすり替えるなよ。
俺が言ってるのは、弱い奴が強い奴と同列の気分でいるなってことだ。
なあ、おい。人間一番大事なのは命だろう。それ以外のものはたいてい替えが効く。
だってのにその一番大事なものを守れる強い人間と、そうでない弱者がまるで同じ生き物として扱われてるってことが我慢できねえのさ。
強い奴らが尊敬されてるって言ったよな。でもそんなのは当たり前のことなんだよ。
ああ、弱い奴は強い奴に頭を下げるのが当たり前だ。弱者ってのは守って貰ってようやく生きていられるんだからな。
そうだってのに、そんなこともわかってねぇ勘違い野郎が増えてきて、気分が悪いのさ。
そしてなにより、誰よりも強くて、誰よりも自由なはずの男の教えを受け継いでいるはずの子が、バカみたいにヘラヘラ笑って頭を下げて生きているってのが許せねぇ」
だからお前は死ねと、デイトの目がそう告げる。
シエスタがセージを教育したというのは間違いだ。だがそれはこの場において助けにもならない。そもそも私怨を交えているとは言え、そもそもデイトは仕事としてシエスタを殺しに来た。
だから何を言ってももうシエスタは殺されるのだろう。
それはきっともう変えられない。それでも言われっぱなしで済ませるのは我慢がならなかった
「セージさんが弱い人に愛想を振りまいているのが、気を遣っているのが許せないのですか」
「ああ、そうだ」
「セージさんの影響で、戦士や騎士の人たちが愛想が良くなったのが、街の人に気を遣うようになったのが許せないのですか」
「ああ。セイジェンドは父親と同じように多くの人間を引きつけている。それに目をつけ、お前やシャルマー家が利用しようとしている」
利用していると思われているのは仕方がない。
あくまで対等な協力関係だとシエスタは思っているが、デイトの言うところの弱者である自分は、セージの好意を利用している寄生虫か何かという扱いだろう。
それは別にかまわない。
言われっぱなしではいられないのは、別の一点だ。
「そう。じゃああなたはセージさんの敵ですね」
「――何?」
繰り返す必要はない。シエスタははっきりと敵意をのせてデイトを睨んだ。
「おいおい。ジオレインならともかく、子供にまで縋るのか。悪いがいくら才能があっても、今のあいつじゃ俺は殺せねえよ」
「ええ、殺さないかもしれません。それどころか剣を交えることもないかもしれません。
でもセージさんはあなたを、あなたが信じるこの都市のルールを倒します」
「……ふん。負け惜しみってわけじゃあねぇようだが、まあいいさ。それはお前を殺してから片付けりゃあ良い問題だ」
話は終わりだと、デイトはそう決めてダガーに殺意を通す。
デイトに向け、炎弾が迫ったのはちょうどその時だった。
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デイトはそれにいち早く気がついた。遠くからの攻撃魔法。高いところを飛び、その軌道は上を向いているが、照準が自分を捉えていると感じ取る。
デイトは即座にその場から飛び退いた。その魔法は上空から直下し、回避した先へと追尾して迫って来る。
デイトは重ねて回避行動に移る。自分を狙う攻撃魔法は上空から落ちてくる。そしてそれは一つだけではない。無数の炎の魔法が向けられている。数は多く、そしてその威力は上級相当。
そこまで見抜いたところで一発目が着弾する。
デイトは当然それを回避した。だが躱した炎は着弾と同時に地面を焼き、舞い上がって炎の壁となった。
標的であるシエスタの姿が、それで見えなくなった。
まさかと、そんな思いが脳裏によぎる。だが落ち着いて思考する時間はない。無数の炎が勢いよく何発も向かって来ていた。
そして遠くから、大きな魔力が凄まじい勢いでやってくる。
お前を殺すと、そう猛る魔力が向かってくる。
デイトに向かって一直線にやって来る。
炎弾を回避し、時にダガーで撃ち落とし、デイトは笑った。
ありえない事態だ。
ここはあの女の結界内。まともな人間は意識を向けることもできないし、向けたところで何が起きているのか知覚もできない。
そのはずだというのに、迫って来るそいつは間違いなくここで何が起きているかを理解している。
デイトが敵だと、はっきりと見定めている。
こんな事はありえない事態だ。デイトは自分のものではない驚愕と困惑を小気味よく思って、笑った。
こんなありえないこと行う馬鹿な男を、デイトは知っている。
そしてこれはその馬鹿な男と比べて少々甘い。
まるで見せつけるように迫って来る魔力の奔流は、しかしデイトからすれば見掛け倒しのハッタリだと見抜ける。
まるでその馬鹿な男を子供にしたかのようだと感じ取った。
「焦っているな、セイジェンド」
嗤うデイトに、多くの炎弾が迫り、その尽くを防ぐ。時に切り払い、時に回避を強いることでシエスタとの距離は確かに開き、矢のように一直線に向かってくる魔力の大元との距離は無くなっていく。
炎の向こうではセージが通信魔法でシエスタに逃げろと叱咤し、彼女も即座にそれに従った。
それでもデイトの余裕は消えない。シエスタの死は覆らない。
もしもデイトが動揺をしていれば好機は生まれていた。
シエスタが逃げ切る時間が稼げたかもしれないし、セージが到着する時間が稼げたかもしれない。
だがデイトはこの状況を予期こそしていなくとも、しかし動揺をする事は無かった。判断を間違えなかった。チェックメイトはかかっていた。
ならば相手の失着がなければ、ここからの逆転など出来はしない。
デイトは炎弾から逃げながら、一人の少年を拾う。
傷つき倒れていたアベルを掲げると、デイトの目の前まで迫っていた炎弾が空中で四散する。
「目がいいのも考えものだな、セイジェンド」
デイトは嗤って、無造作にダガーを振るう。
まともな魔力を持たないシエスタが姿を隠せば、見つけるのはそれなりの手間だ。だがここは女の結界の中。デイトには大まかにだがシエスタの居場所が送られていた。
その辺りに向けて、衝烈斬変異・三日月を放った。
全力で振るわれたそれに路地裏に日陰を作っていた多くの建物が倒壊させられる。その中に向けて行き場を失い空中待機していた炎弾の一つが向かっていった。
一拍遅れて炎弾の爆散する音が響き、人一人を容易く殺せる大きな瓦礫が、小さな破片と砕かれる。
デイトは拾ったアベルを無造作に投げ捨てると、そこへ向けて一直線に走った。
空中の炎弾が息を吹き返してデイトを襲うが、間に合わない。
埃の舞う中、デイトはシエスタの姿を確かに見つけた。
だが違和感を感じる。作り物のような分かりやすい怯えた表情。砂塵の舞う中で時折走るノイズ。乱れた魔力場でかすかに感じ取れる魔法の発動。あれは偽物だと判断した。
デイトが高速の衝烈波を放つと、シエスタの姿は掻き消えた。
消えたのは魔法で作られた幻像。だが本人も間違いなく近くにいる。
多くの建物が倒壊を始め、落下物に殺されかねない状況。追いかけるデイトとの速度の差は圧倒的。
ならセイジェンドが来るまで隠れてやり過ごそうとするはずだ。
デイトは目を閉じ耳を澄ます。
瓦礫が倒壊していくあまりに大きい騒音の中で、たしかにその押し殺すような呼吸を捉えた。
デイトは迫って来る炎弾を切り払って、一足飛びにその音のもとへ跳ぶ。
倒壊した瓦礫と瓦礫の狭間に、小さくなって隠れるシエスタがいた。
「よう。なかなか手こずったぜ」
そうしてデイトは絶望の表情で身を固くするシエスタを引きずり出し、その心臓をダガーで貫いた。