159話 再会~~engage~~
スノウから狙われているのがシエスタだと、そう教えられた。
スナイク家から出たシエスタとアベルは、外で待っていた監査官付きの騎士とともに街を歩く。
アベルは仕事が休みで、シエスタは休みではないが、差し当たって予定のない身であった。
シエスタはギルドスタッフの報奨金横領の疑いに結びつく書類の項目を見つけており、それをスノウとの交渉のカードとして使うつもりであった。
シエスタとしては一年前の事件にも結びついた不正を見逃す気はなかったが、ここで見逃しても味をしめたスタッフは必ずまたやる。
ならばそれを見つければいいと思い、差し出すつもりだったが、シエスタの思惑は外れてスノウはそれを受け取らなかった。
受け取らなかったということは遠慮をするなということであり、それはシエスタの本意とも合致する。
あのうすら笑みを凍りつかせてやろうと、静かに意気込んでいた。
しかしこの後はスノウの顔を立てて、ギルドへ緩く監査権の行使をするつもりだったが、その予定は崩れた。
かといって厳しく監査権を行使し、不正を行うギルドスタッフたちを裁くには、今はまだ準備が不十分だ。
そしてその準備は今日明日、急いだ所でどうにかなるものではなく、そんな訳でこれからの予定は白紙となったのだ。
とりあえず監査室のある官庁に戻るのだが、生憎と今日のためにほぼ全ての仕事を綺麗にしてあるので帰ってやるべきことも特にはない。
ただ予定は空いていても、二人の心中としてはのんびり散策して帰ろうかというような、浮ついたものにはなり得なかった。
「随分と緊張してますね、室長」
「うん。まあね」
護衛の騎士――シエスタの護衛ということで、同年代の若い女性が選ばれており、名前はモニカと言った――に声をかけられ、シエスタはそう返した。
シエスタは官庁を目指して歩きながら、かいつまんでスナイク家での話をモニカに説明をする。
ただし内容は護衛に関わるジェイダス家の残党と犯罪者フレイムリッパー関することだけで、セージのことは一切話してはいない。
「そう、ですか。
その話が本当なら……。いえ、間違いなく真実だと考えるべきですね。
申し訳ありませんが、私だけでは有事の際に室長を守りきるのは難しいと思います。なるべく人通りの多い大通りを使って、早めに戻りましょう」
「ええ、そうね」
モニカはシエスタの返事に重々しい表情で頷くと、一歩下がってシエスタとアベルの二人に前を歩かせた。
モニカの全身からは目に見えるほどの緊張感が漂っており、通行人は自然と三人を避けて道を譲った。
押し黙った三人はそのまましばらく歩みを進めた。
周囲に気を配り緊張感を持つのはモニカだけでは無かったが、シエスタもアベルもそれぞれスノウとの会談に思うところが有り、いくらかの気を持っていかれていた。
アベルはセージの事を考えていた。
幼くして家を離れたとはいえ、アベルには名家に連なる家で生まれ育った記憶がある。そして記憶にある両親は、本家に深い敬意を払っていた。そして長男のアベルは、同じように良く仕えるのだぞと、幼いながらに期待されていた。
それはいい。恩を返そうと、なにか困ったときは弟の味方をしようと、ずっとそう思ってきた。むしろあいつがジェイダス家の跡取りだったのなら、それはむしろ本望とも言える。
だがそうだと言うのに、アベルの胸にはシコリのようなものが生まれていた。
一度家を離れたほうがいいと、そう言われた。
その言葉は決して悪意のあるものではなく、思いやりのあるものだと感じた。
そして、そうするべきではないのかと思う自分がいた。
今のアベルは何をするにも中途半端で、十五歳という成人を迎えても何一つ立派になれたわけでもなく、ミルク代表のもとで小間使いをやっている。
商会代表の専属秘書官などとも呼ばれているが、実態はそう立派なものではない。
剣の腕では、父や多くの戦士がセージを支えている。
商売では、ミルク代表とその商会が支えている。
政治の世界では、シエスタやエルフの貴公子であるアーレイが支えている。
今のアベルは、どこを助けようにも中途半端で、そもそも全ての分野でセージに劣っている。
そう。いつかの時からずっと、アベルはセージの背を見て、そのあり方を真似てきた。
でもそれが限界だと、心のどこかで気がついていた。
セージは、頭がおかしい。
セージは普通の人のように振舞っていたけれど、ずっと見ていたから、気づくことができた。
肉体や魔力の才能だけではない。セージの心は魔人と呼ばれる父と同じように、やはり普通ではないのだ。
ぼんやりとそれを理解することはできる。
父が天使と呼んだように、その心が尊いものだとも思う。
でもそれ以上に恐ろしいとも思っていた。
家族に、そして家族以外の誰かに尽くすのが当たり前の生き方。まるで死に場所を求めるように、命懸けで誰かを助ける姿勢。平気な顔で、あるいは笑いながら苦行を重ねるスタイル。
そしてアベルには、その心の有り様を真似することができない。
だから、限界があるのだ。
どれだけ真似たところで、その本質を得られない以上、アベルはセージの劣化コピーにしかなりえない。
だから家を出て別の道を探すべきではないのかと、そう心が揺らいでしまっていた。
一方で、シエスタはアベルの事を考えていた。
隣で思い悩むアベルの頭に、自分がいないことは簡単に分かる。
幼い天使が少しだけ妬ましかったので『私は命を狙われているんだけどなー』なんて本心ではないことを口にして、その真剣な顔を困らせてみたいと思った。
実行はしなかった。
そして考えるのは、どうしてこうなったという事だった。
名家のお坊ちゃんに巻き込まれて魔人の家を訪れ、勢いに任せて話をつけた。
そうして名家の不興を買って左遷され、左遷先でも名家に嫌われて宿無しになりかけた。
そして困っていたところを偶然、魔人の家の子に助けられ、野心的な商会の代表に唆されて、気が付けば立派に名家と戦う立ち位置が出来ていた。
お仕事にはやりがいがあるし、それも良いかななんて思いながら魔人の家と仲良くなって、一回りも年の離れた恋人ができて、そして気が付けば命を狙われていた。
シエスタはなんとなく楽しくなって笑った。
命を狙われているのは怖いけれど、きっとなんとかなると、そう思った。
勉強ができるからと田舎の町から学園都市に出てきて、先生の教えを守って成績を伸ばして、推薦をもらって政庁都市の官僚になって。
それからも色々と流されてきたけれど、今ここにいるのは紛れもなく自分の意志で、家族思いの大事な恋人と、破天荒で常識が通用しないその家族たちの助けになりたいと、そう思っていた。
三人はそのまま歩いて、大きな人だかりに道を遮られた。
なにか騒動があったようで、騎士が規制線を張り、何が起きたのかと野次馬たちが押し寄せその周囲を囲っていた。
遠目からは何が起きているのかわからなかったが、大通りをそのまま進むことができないのは簡単に見て取れた。
シエスタが振り返ってモニカに意見を求め、迂回しましょうと簡潔に答えられ、その通りにした。
そうして三人は人だかりを避けて脇道に入っていく。
一般人のシエスタは、同じく一般人にナイフで刺されるだけで殺されかねない。密集した人混みの中に入れば、その手の刺客に狙われた際に対処ができなくなる。
だから人混みを避けるのはおかしなことではない。
ただ不審な点もあった。
襲撃者を避けるため、三人は人目の多い道を選んでいた。有事の際は通行人や警邏中の騎士に助けを求めることができるし、なにより目撃者の多い環境ならばそもそも襲撃を躊躇わせる効果もある。
だが三人は大通りから脇道に入り、そこからも通行止めの標識や明らかに柄の悪い不良の集まりなどが理由で迂回を重ね、裏道の奥へと入っていった。
まるで何かに誘導されるように、それをおかしいとも思わず、三人は人目のない暗がりへと進んでいった。
それにシエスタとアベルは人混みが起きた騒動に興味を示さなかった。
先を急いでいたというのなら、確かにそれは大きな理由としてある。
だが二人の観察力は高い。
そうであるのに、二人は騒動が懇意にしている商会の近くで起きているというのに、なんの興味も示さなかった。
もしも騒動を少しでも気にしていれば、二人のうちどちらかは、あるいはどちらともが商会で発生した問題に気がついただろう。
そしてそうしていれば、これから訪れる運命は大きく変わっただろう。
だが二人は気づかず、素通りした。
何かに導かれる、そのままに。
不意に、モニカが二人を押しのけて前に出た。
腰の剣を抜き、最速でもってモニカは前に出た。
おそらくそれは彼女が出せる生涯最高速だっただろう。
燃え尽きる寸前のロウソクの火のように、彼女はそれを悟っていた。だからこそ、その速度が出せた。
一般人のシエスタはもとより、十五歳としては秀才と呼びうるほどに鍛えているアベルでも驚く暇もないほどの速度で前に出た。
モニカの腰元から抜き放たれた剣は、確かに前に向いていた。
だが――
「遅ぇんだよ」
――嘲る声の主は、そんなものはまるで意に介さず、その剣の切っ先をくぐり抜けて、反りのある大振りのダガーを突き立てた。
モニカは呆気にとられてその声の主を、襲撃者を見る。
そして遅れて走る激痛に身を固める。
ダガーが突き刺さったのは、モニカの左胸。
大振りのダガーは胸の装甲も、肉も、肋骨も裂いて心臓を突き刺し、その切っ先は背にまで達していた。
明確な致命傷に、モニカの目尻に痛みだけでない理由で涙が浮かぶ。
どうあがいても手遅れ。もう死ぬしかない。
そんな理屈は頭に無く、それでも生きたいという本能が正しく作用する。
上級の治癒魔法ならば重要臓器すらも再生ができる。だから致死に至っていなければ、心臓だって再生ができる。
モニカは懸命に残った魔力を練り上げる。
一分でも長く、一秒でも長く生きたいと、本能が生成の途絶えた魔力を切り裂かれた心臓にかき集めて延命を試みる。
ずぶりと、文字通りに必死なっているそんなモニカの胸からナイフが抜かれ、盛大に血と魔力が抜け出ていく。
「……ぁ」
モニカは鳴く様に声を漏らした。それが最後の言葉だった。
襲撃者はモニカの努力をあざ笑うようにダガーを左手で振るい、その首を切り落とした。
モニカの体は糸の切れた人形のように崩れ落ち、その首もまた地面に転がる。
暗く薄汚れた路地裏の色彩は、モニカの体から吹き出した血で染め変わる。
「初めまして、カンサカン。とりあえず、死んでくれや」
モニカを殺した男は、幽鬼のような雰囲気を持つ長身痩躯の男はそう言って、大振りのダガーを手に無造作に歩み寄る。
唐突に起きた惨劇にシエスタは腰が抜け、悲鳴も上げられない。
そんな彼女を庇ってデイトの前に立ちふさがったのは、アベルだった。