158話 その勝利は犠牲という敗北の上に
セージは身をかがめて戦士の懐に飛び込む。
ただ勝つだけで満足するべきではない状況だ。
しかしそれは能力以上の結果を求めているとも言える。
欲は往々にして身を滅ぼす。しかし欲があるからこそ得られるものもある。
セージはここが勝負どころだと決断した。
だが心臓にある封印は解かない。デス子からの魔力供給には頼らない。
それを使えば時間の制限こそあるものの、魔力量の不利を覆す事ができる。現状で戦士に劣っている最大の理由が覆るのだ。目的の達成は格段に楽になるだろう。
だがそれは使わない。デス子はおそらく味方だが、しかし信用や信頼はできない。
何より今ある手札でも戦士には勝てる可能性があるのだ。信じるのも頼るのもまずは己自身から。少なくともセージは前世においても、そして今生においてもそうやって生きてきた。
セージが飛び込むのに合わせて、戦士が剣を振るう。
セージを殺してはいけないという命令はしかし、どうせ死なないだろうという奇妙な信頼が理由で手加減には結びつかなくなっていた。
その剣速は当然、セージよりも速い。
強引に飛び込めば頭をかち割っただろう一撃に、セージは鉈で迎え撃った。
剣と鉈が交差する。ぶつかり合いの拮抗はほんの一瞬。
体格の差から、戦士は剣を振り下ろし、セージは振り上げた。重さの存分に乗った剣に鉈は弾かれる。そうでなくとも力も体重も魔力も負けているのだ。
鉈を弾いた剣はそのままセージの顔面に迫る。
セージは弾かれた鉈に、それを握った手の流されるままに体を流し、その剣を紙一重で躱した。
セージは躱した姿勢からくるりと回転し、遠心力をのせて鉈を振るうが、戦士の三撃目がわずかに早い。
魔力感知でそれを察したセージは回転撃をキャンセル。側転して戦士の剣の間合いから離れる。
そのついでに中級の炎の魔法を弾丸として発射する。戦士は躱された斬撃でその炎弾を払った。
「はんっ!! 身軽だな!!」
「足の鈍いあなたに比べればね!!」
「ほざけっ!!」
戦士は踏み込み、突きを放つ。咄嗟にセージは鉈で逸らし、自身も横に逃げるが、わずかに遅く頬の肉と髪を散らされる。
セージは突きを放った姿勢の返りの隙を逃すまいと踏み込み、戦士の蹴りに迎え撃たれる。
セージは蹴り飛ばされるも、しかし同時に自ら飛んで痛みと衝撃を逃がす。
結果として高々と空を舞ったセージは空中で姿勢を整えながら戦士に向け、魔法を放とうとして、即座にキャンセル。緊急回避を試みる。
空中のセージを襲ったのは、戦士が放った衝烈斬。それが三つ。
作りかけの魔法で一つを迎撃し、一つを躱し、一つは鉈で切り払う。
三つの衝烈斬をしのいで、しかし一息つく暇はない。
その一拍の間に戦士は魔力を溜め、ひときわ威力の高い衝烈斬を放った。
だがセージもその間に並行して魔力を溜めていた。
魔力制御に関してはセージは戦士の上をいき、さらに魔力感知による行動予測で戦士がそう動くのもわかっていた。
戦士の衝烈斬に、しかしセージは打ち合わない。
溜めに入った時間が同じでも、魔力制御で上をいっていても、迎撃をしながら溜めていたセージと、単純に溜めだけに専念していた戦士では差が生じていて当然だった。
セージは爆裂の魔法を自らの至近で発生させ、その風圧だけを受け取って戦士の衝烈斬から逃れた。
吹き飛び、受身を取りながら地を転がるセージに、戦士はしかし追撃をせず見送る。
「……けっ。いい判断するじゃねぇか。来いよ。今のでブルった訳じゃねぇだろ」
「当然。あなたからは聞きたいことがありますから」
「はんっ。しつけぇな。話すことは何もねぇ。今は殺すか殺されるかだろうが」
戦士はそう言って剣を振るった。地を這う剣圧が大地を裂き、セージを飲み込もうと迫る。
セージは左にも右にも避けず、裂かれた大地の上を疾空で走り、戦士へと向かった。
実際に正面から手を合わせた感触は、やはり強い。
スピードやパワーは当然として、経験も違う。揺さぶりがまともに通じない正面からの戦闘では、その差がはっきりと現れる。さらには経験の差も大きい。
セージの戦闘スタイルは独特ではあるが、しかし先読みのスキルも奇をてらう戦術も魔力制御の技量も、一つ一つを取ればそこまで異質というわけではない。
戦士はここまでの短いやりとりでセージのスタイルに慣れつつあった。また戦士の判断は反射的でかつ、魔力による強化で極端に早い。それはセージの行動予測が追いつかないことすらあった。
だがセージに勝機がないわけではない。
一度切りつけた足はここまでの戦闘で少なからず傷口が開き始め、戦士の動きを鈍らせていた。
また武器にも差があった。
セージの鉈は名工カグツチが手ずからセージのために打った一品だ。対して戦士の剣は呪錬兵装ではあったものの、セージのそれとは明らかに格の低いものだった。
何度も打ち合うことで戦士の剣は刃こぼれしていき、それを気にかける必要があった。
そして戦士の背に配置した飛翔剣もどき。
一撃必殺と誤認させたそれに要所要所で魔力を流し込み、警戒を強いて注意を分散させた。
それらがセージと戦士の地力の差を確かに埋めていた。
「……なんだ。こうなっても結局、セージは本気出さないんだな」
この戦いの先が見えたケイは、少しだけ不満を込めてそうぼやいた。
緊迫した目の前の戦いは見ごたえのあるものだが、しかしケイからすればどちらが勝つか見えてしまっていた。
ピンチになれば割って入れるのに、大きな借りを少しでも返せるのにと、心のどこかで考えていたケイとしてはついついそんな不満をこぼしてしまうのは仕方のないことだった。
******
綱渡りのような戦闘はそう長くは続かず、ケイの見立て通りセージの勝利に傾いた。
何度となく切り結んだ結果、戦士の剣は折れ、左の肩には飛翔剣が刺さり、足の傷口は開いて膝を折っていた。
セージも無傷ではない。蹴りを受けて左腕と左の肋骨が折れていた。
戦士の剣を折り、それに合わせて飛翔剣を叩き込んだ。だがその瞬間に油断が生まれたのだろう。
戦士の廻し蹴りを受けて、その傷を負った。
「……私の勝ちですね。さあ喋ってもらいましょうか」
怪我の苦痛を感じさせない様子で、セージは語る。
「誰が仲間を売るかよ。阿呆が……」
戦士は諦観の浮かんだ顔でそう口にした。
片腕と片足が使い物にならず、武器は折れ、戦闘の中で多くの魔力を消耗した。セージにも少なくない消耗があるが、しかしセージを殺したところで、もうここから逃げ切れる可能性は完全にゼロになっていた。
後悔は多い。最初から全力で戦っておくべきだった。人目を引くだけの簡単な仕事と侮って、身元が割れる恐れのある本来の装備ではなく軽装で挑んだのも敗因だった。
もっと言えば予定通りに天使をおびき寄せたのだから、さっさと逃げてしまえば良かった。
だが戦士は満足もしていた。
噂に聞く天使が、仲間の心酔する男の子供が、それに相応しいだけの力を持っていると確認できた。
自分の培った技の多くを出すことができた。いずれ英雄をも超える男になるであろう少年と戦って、死ぬ。
それは多くの犯罪に手を染め、多くの無残な死に立ち会ってきた戦士にとって、マシなほうだと思える死に方だった。
仲間を売る気はない。だが満足もできた。
それならまあ天使などと呼ばれている子供に、少しぐらいどうしようもなく残酷な真実を教えてやってもいいかと思った。
「よう、エンジェル。お前、精霊様をどう思う?」
「……この国を守り、繁栄させるありがたい君主様です。崇め奉るのが当然の絶対者です」
「けっ。そうだ。そのとおりだ。だから精霊様には逆らうな。敵に回すな。そして、絶対に――」
戦士の言葉は、しかし途中で遮られた。大剣がその言葉を遮った。
ケイの投げた大剣が戦士を串刺しにして、その言葉を遮った。
「――かぁっ!!」
戦士の言葉は消え、吐血と断末魔の一鳴きが響いた。
セージは邪魔に入ったケイに咎めるような視線を送る。
「ご、ごめん。つい。で、でも、あんまり犯罪者の言うこと聞いたらダメ、だから……」
「……そうですね。ええ。わかりました」
自分でも何故とっさに体が動いたのかわからないと狼狽した様子のケイに、セージは深く追求はせずに相槌を打った。
戦士との戦闘に集中しすぎてケイの様子には気を配ってはいなかった。だからケイの動きには気付かなかったし、今のケイの感情が混乱していることもわかっている。
問い詰めても意味はないだろうと見送った。
「……これで振り出しか。まあこんな偶然に頼っても仕方がないか」
セージはそう言って空を見上げた。
ふと駆け寄ってくる気配を感じてそちらに視線を向けると、マリアに付き添われたミルク代表たちの姿があった。
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ようやく終わったけど、すごい疲れた。
なんていうか戦士の人、すごいしつこかった。戦闘狂はこれだから困るよね。
まあなんとか終わってよかったけど、被害は結構たくさんあるんだよね。事務所完全に壊しちゃったし、たくさん人が死んだ。
その中には商会の顔見知りってだけでなくて、うちの道場に通ってた元不良さんたちもいた。
ひどい話だ。唆されたクラップや、戦闘狂の犯罪に巻き込まれて多くの人が殺された。
親父達もきっと悲しむだろう。
元不良たちは道場に通っていた頃、次兄さんと仲良く遊んでいたし、姉さんは口説かれてたりもした。まあ、親父に睨まれて直ぐに引き下がってたけど。嫌だな。楽しい思い出が蘇ってくる。
まあ、いいか。
犯人は殺した。生きているのは捕まえた。これを依頼したやつもいつか必ず捕まえる。
それぐらいしか私には出来やしない。
この襲撃にもっと早くに気づいていれば。
商会がおかしいことには気づいていたのだから、もっと気にかけていれば。
後悔はあるけれど、もうどうしようもない。
だってもう死んでいるんだから。
私は気持ちを切り替えるために大きく息を吸って、大きく息を吐いた。
そうして代表たちを迎えた。
「無事だったか、セージ」
「ぐわぁっ!!」
駆け寄ってきた代表が私の両肩を掴んで、みっともなく悲鳴を上げることになった。
「あ、セージの腕、折れてるから触ったら痛いと思うよ」
「うわぁ。す、すまん、セージ。大丈夫か」
「だ、大丈夫です。大丈夫」
涙目になって私はそう答えた。ケイさんがカラカラと気持ちよく笑っているのにちょっと腹が立つ。
治癒魔法はかけ始めているのだが、私は治癒魔法は中級までしか使えないので骨を治すのには時間がかかるのだ。それに折れた骨は治癒魔法で治すより身体活性で治す方が丈夫になって良いとされている。
ただそれをするには体力と魔力が心もとない。
勝ち名乗りを上げておいてなんだが、たぶんあのあと戦士の人がやぶれかぶれで突っ込んできていたら私は殺されていたかもしれない。まあそうなってもケイさんが助けてくれただろうけど。
私は串刺しの死体となった戦士を見る。
この人は最初からわたしを殺すつもりが無かった。
戦闘開始からケイさんが来るまでは、まるで親父が私を相手にするかのように、稽古をつけているように剣を振るっていた。
それにその心も綺麗なものだった。
クライスさんやアーレイさん、スノウさんたちにも通じる信念のある魔力を感じた。この人は犯罪者の悪党で、紛れもない敵だったが、殺すことはなかったんではないかと思ってしまう。
……いや、これは危険な考えか。
強い信念があってこんな犯罪を犯すのなら、この人は社会秩序を守るためにも排除されなければならない。殺されるというのもその中の一つの形だろう。
そう考えていると私の背を叩かれた。
「殺したのは私なんだから、あんたは別に悪くないでしょ」
ケイさんだった。私が何かを言う暇も待たず、背中を向けて歩いていき、串刺しにした大剣を戦士から回収した。
どうも気をつかわれた様だ。
「別に責めてないですからね」
「ん? ……うん?」
私がそう言うと、ケイさんが頭をひねった。
そしてハッとなって心外だと叫ぶ。
「なんで私が責められないといけないのよっ!!」
「責めてないって言ったんですよっ!!」
咄嗟に声を張ってツッコミを入れると、激痛に襲われた。
脇腹が痛い。これはあれだ。折れた肋骨が突き刺さるとかいうお約束のあれだ。
なんてことだ。ツッコミって、戦闘並みに危険な行為だったんだな。
「なによ、大声出して。もう。病院行くでしょ。おんぶしようか?」
「いえ、自分で歩けます」
「……そう」
なんで残念そうな声を出すんだ。
「そもそもこれぐらいなら病院は必要ないですよ。ちゃんとご飯食べて寝れば明日には治ります」
「えっ。
……便利な体ね。子供だから?」
若いっていう意味ならケイさんも同じだと思います。そして大丈夫な理由はこの世界に魔力とか魔法があるからであって、年齢は関係ないです。
「それよりミルク代表、これからどうしますか?」
「あん? ああ、とりあえずは騎士連中の事情聴取だろうな。あの戦士の本当の依頼主はわからんにしても、ジェイダス家が関わっているのは間違いない。被害はそっちにしっかり弁償してもらうさ」
「まあ壊したの僕ですから、事務所の再建費用が足りなかったら言ってくださいね」
「……いきなりお金の話するの?」
「大事なことだからな」
「大事なことですから」
私と代表が揃ってそう言うと、ケイさんが何故か気圧されるようにたじろいだ。
「まあ、それはそれとして今回は助かった。おかげで命拾いしたよ」
「……いえ、遅すぎました」
「お前のせいじゃない。殺したのはあいつらだ」
代表はそう言ってわずかな時間、目をつぶった。私もそれにならい、黙祷する。
「遺体の収容は騎士にやってもらうとして、あとは家族だな。話をしないとな」
普通の従業員もそうだが、元不良たちには少なからず家族がいた。それは血を分けた兄弟だけでなく、同じ境遇で肩を寄せ合った仲間もいる。
そういった人たちに悲報を伝えるのは、とても気の滅入ることだった。
「ええ。その時はご一緒します」
「馬鹿。あいつらを雇って、護衛として使ったのは俺だぞ。お前が気にすることか」
「わかってます。でも、こうなるよう勧誘したのは、私ですから」
そうだ。二年前に私が街の不良を道場に無理やり勧誘していなければ、この結果にはならなかった。
慈善活動だと、ストリートチルドレンをやるよりは幸せになれるだろうと善意と正義を振りかざした結果、あの子達は十代で命を落とすことになったのだ。
「……猫かぶりが剥げてるぞ。
わかった。どうせ断っても勝手に一人で行きそうだからな。
それより、あんまり魔法だなんだを過信せずに、きちんと病院で治療と検査しをてもらっておけ」
「……病院はどこも混んでるから嫌いなんですよ。待ち時間が長くて」
「変なところで子供だな、お前は。人のいない病院なんぞヤブ医者のところだけだろうが」
この話題はどうやら続けても好転はしなさそうだ。
他に話すべきこともあるし、さっさと話を切り替えることにする。
「そうかも知れませんけどね。それより代表、しばらく家に泊まりませんか?
ジェイダス家はともかく、彼の依頼主は分からずじまいですから、ほとぼりが冷めるというか、自宅の安全が確保されるまではそうした方がいいかと」
「む。そうだな。せっかくだ。そうさせてもらうか。
だが非合法の組織がそうそう上級の戦士を囲っているはずもない。そう心配しなくても、今後は普通の護衛で事足りるはずだぞ」
「だとしても、しばらくは様子を見たほうがいいでしょう」
「わかっている。だから世話になると言っただろう。
前から言いたかったがな、お前は他人のことばかり心配しすぎだぞ。もう少し自分を大事にしろ」
「自分の事ならどうとでもなりますからね。自らを信じている強者の余裕というやつなのです」
そんなやり取りをしていると、ケイさんがそっと近づいてきて、私の腕にそっと触れた。ちなみに骨が折れている方の左腕である。
「いったいっ!!」
「あ、ごめん。なんか偉そうだったから、つい」
「そんな理由で怪我人に無体を働かないでください」
「……むたい?」
「ろうぜき……、おかしなイタズラってことです」
「うん。ごめんなさい」
ケイさんは素直に頭を下げる。なので、よしと許すことにする。
この人は対人関係の経験値がかなり低いので、これくらい大らかな気持ちでないといけない。
「ははっ。そうしているとどっちが年上かわからんな。
しかしまあ、こいつの依頼主か。ギルド崩れのようだからスノウ・スナイクなら何かわかるかもしれんが、あいつに頭を下げに行くのは癪だな」
「そういう問題でもないでしょう。手がかりが手に入る可能性があるなら、素直に聞きに行ったほうが得策ですよ」
「まあ、そうなんだがな。その辺はシエスタあたりとも相談して決めるか」
「ああ、確かに。そうですね」
私は相槌を打った。
ジェイダス家関連はともかくとして、フレイムリッパーという危険人物のことがあったため、私は常に兄さんを魔力感知で捉えていた。そしてそれは結果としてシエスタさんの行動を見張ることにもつながった。
だから話題に上がればすぐに二人の状況を語れるぐらいに、意識の片隅で見続けていた。
だというのに、何故。
変わらず見続けていたのに、何故。
私は二人がそんな状態まで追い詰められているのを、今の今まで放置していたのだろうか。
混乱と驚愕が頭を占め、許容限界を超えて一転、クリアになる。
反省も後悔も今するべきではない。
まだ出来ることはある。
手遅れになったとしても、全てを失うよりはマシな未来はある。
行動をする。行動をしなければならない。
魔力はない。体力はない。問題はない。それは解決できる。
頭をクリアにする。余計なことを考える必要はない。助けられるだけを助ける。
人形のように、機械のように。
今得られる最悪よりもましな結果を選ぶには、そうなる事が都合がいい。
「心は死んでいる」
私はデス子からの魔力を受け取り、走り出した。