157話 あとはどれだけ勝てるか
死中に活ありという言葉がある。
今の戦士の精神は正しくそれだった。
足をやられた。治癒魔法によって普通に動かすことも、踏ん張ることもできる。だが長くは持たない。走っては数分で、あるいは何度も本気で剣を振るえば傷が再発し、今度は治癒魔法も通らなくなってしまうだろう。
もうまともに逃げることもできない。
この場にいるセージやケイを倒すことができたとしても無傷とはいかないし、時間をかければ騎士の応援が来る。
絶体絶命のこの状況は、だからこそ戦士の心を昂揚させた。
興味本位でセージと戦うべきではなかった。すぐに逃げるべきだった。そんな反省も今は頭から消えている。
ただ戦いたい。
この最悪な状況を戦い抜きたいと、胸に熱を灯していた。
「面倒ですね」
「追い詰められた魔物って感じね。私がやろうか?」
「いえ、折角ですからこのまま私がやりましょう」
そう、とケイは頷いて一歩下がった。
「第二ラウンドと行く前に、あなたにこの仕事を依頼した方のことを聞かせてもらえませんかね」
「言うわけねぇだろ、バーカ」
セージの問い掛けに、戦士は嘲笑で返した。
「それじゃあ、命をかけてでもこんなことをする理由をお聞きしても?」
「金のためだよ」
「それは嘘ですね」
間髪入れずに否定したセージに、戦士は変わらず嘲笑を浮かべて返す。
「あん? 金のために命を懸けるのは汚いってか。ガキは世の中を知らなくて困るな」
「いえ。お金のために命をかけられる人間がいるのは知っています。私がそうですから。
でもあなたはそうじゃない。お金じゃなくて、プライドや信念、あるいは義理人情に命を賭ける人でしょう」
「……知った風な口をきくなよ、ガキが」
「感じ取っているんですよ。ええ。今のあなたが、必死に何かを隠そうとしているのをね」
セージの口元には冷たい嗤いが浮かび、戦士の口元からは消える。
「あなたはフレイムリッパーという犯罪者を知っていますか?」
「――っ!! 知らねぇな。何を言ってやがる」
「知っているんですね。
もしかしたらと思っただけなんですが、こうしてクラップさんを焚きつけて商会を襲ったのも、かつてジェイダス家を襲ったのも、何か繋がりがあるんですかね」
セージが問いかけるのを無視して、戦士は剣を手に詰め寄ってくる。
これ以上話をするのは危険だ。そう思い近寄ってくる戦士から、セージは小走りで逃げた。そこだけを見れば愛らしささえ感じる子供っぽい走り方で、戦士から距離をとった。
「あははっ。怖いですね。親父の名前を騙る偽物のクソ野郎のこと、知っているなら教えて欲しいんですけど」
「テメェ……」
「あれれ、なんで怒ってるんですか。知らない人なんでしょ。英雄の名前を騙って、戦う力の無い一般の人を殺して、それで僕は強いんだ。すごいんだ。なんて、バカみたいにいい気になっている、チンケな犯罪者を馬鹿にされたからって、何であなたが怒るんですか。教えて欲しいな」
それを見るケイは呆れ、戦士は青筋を立てて小さく呟いた。
「死ね」
次の瞬間には戦士はその手の剣を一閃していた。
上級である戦士の本気の踏み込みと、一撃。
ランクの違いを考慮すればセージの頭と胴は切り離されていて当然だが、しかし加護によって先読みの力を持つセージはその一撃に反応してみせた。
ギィンと、甲高い金属音が響く。
戦士の剣はセージの剣をはじき飛ばした。セージの手から離れた剣はくるくると宙を飛ぶ。
踏み込みの勢いから通り抜けた戦士は振り返り、返しの一撃を放つ。だがその一撃はセージが新たに抜いた鉈に逸らされた。
さらにそこから剣を薙ぐ戦士だったが、それはセージが後ろに飛んで回避する。
戦士はここで仕留めるとばかりに薙いだ剣を強引に突きの形に変え、踏み込もうとするが、しかしその直前で足を止めた。
急制動をかけた戦士の目の前に、高速で剣が落ちてきた。
否、落ちてきたというにはその剣の速度はあまりに速かった。
戦士に当たることのなかった剣は地面に突き刺さる直前で停止し、空中を滑らかに飛んで、セージのもとへ返っていった。
「飛翔剣……。使えるようになってたの」
「ええ。何度かラウドさんに見せてもらったので、いつか親父に使おうと思って」
ごく軽い口調でセージは言って、戦士を見据える。
「もっともこれはただの物真似です。ラウドさんのように強い魔法が込められているわけではありません。当たっても即死なんてことはありませんから、ご安心ください」
戦士は冷や汗を覚える。
飛翔剣の怖さは二つある。
一つ目はその威力だ。高価な武具に限界まで込められた魔法はそれだけで脅威だが、飛翔剣が体に突き刺されば内側からその魔法を受ける事になる。目の前で炸裂すれば致命傷とまではいかない魔法でも、身体の中で受ければ即死は免れない。セージはそんな威力はないといったが、それを馬鹿正直に信じることができるはずもない。
二つ目はその奇襲力だ。使いこなされた飛翔剣は死角から飛んでくる。一撃でこちらを殺しうる技が、常に死角から狙っている。どうしても集中力が分散する。そしていま戦士が戦っているセージは、そんな意識の隙を衝くのを好む戦闘スタイルだった。
飛翔剣に対し、有効な対応策は二つ。
距離を取ってまず目障りな武器を潰す。だがそれは選べない。挑発に乗って全力で踏み込んだ。踏み込んだ右足は無傷な方だったが、踏み込んだ勢いを止め、返しの一撃の軸足としたのは腱を傷つけられた左足だ。
傷口は開きかかっている。距離を取るにしても、取った距離を再度詰めるにしても足に負担がかかる。それは選べない選択肢だった。
もうひとつの対応策は距離を詰めること。
使い手の至近距離に詰めれば、そうそう飛翔剣に込めた魔法が発動されることはない。さらに接近戦になれば魔法を操るリソースを削ることもできる。
室内で極めて高い魔力制御技術を発揮したセージにどこまで意味が有るかはわからないが、しかし戦士がとりうる有効手段はそれしかない。
死中に活あり。
戦士にとって、この状況はまさにそれだった。
転じて、セージから見た状況は極めて良くない。
ケイが合流してからここまで終始格上の戦士を圧倒したセージだが、多くの小細工を積み重ねたことからもわかるように地力ではやはり劣っている。
正直なところ、先の飛翔剣の奇襲で深手を与えられなかったのは大きい。
戦士は危機管理意識からセージの飛翔剣をラウドのものと同等と見積もったが、そんな訳はない。
小さな子どもを預かり、またセルビアやカインのように幼い子供と一緒に暮らしている環境で、ラウドのように暴発の危険のある魔法を剣に込めることなど出来はしない。そもそも剣自体がラウドの使っているものと比べて安物で、込めている魔法も空を自在に飛ばせることだけだ。
十分な速度を乗せた上で隙を付かなければ、上級の戦士が身にまとう強固な防護層を突破する事もできないだろう。
つまるところ飛翔剣があるとバレた時点で、戦士に痛手を負わせる武器足りえなくなっている。
警戒を強いることは出来ているが、このブラフがバレるまでの時間はそう長いものではないだろう。
開けた場所で正面から切り結ぶのは圧倒的に不利。ブラフと戦士の足の傷がどこまでセージに味方するかが勝負の分かれ目であった。
勝算は、そう高くない。
だがそれでもセージはケイにこの戦闘を譲る気はなかった。
意地を張っている訳ではない。ミルク代表の商会を襲い、多くの知人友人を殺した襲撃者の一人を許す気はないが、しかし自分の手で行うことに拘る気はない。
ケイならばこの戦士に危なげなく勝つだろうという信用もある。セージの信条から言えば譲っても問題はない。
しかしこの戦士はフレイムリッパーと何かしら関係がある。そして敗北し騎士に捕まるぐらいなら死を選ぶ覚悟が胸にある。そうでなくともケイは捕まえることより確実にこの戦士を殺す事に意識を強くおいている。
それではダメだ。偶然とは言えようやく見つけたフレイムリッパーにつながる手がかり。
戦士を逃さない環境は整っている。ならばここは欲を出すべきだ。
幸いといって良いかどうかわからないが、セージは死んでもやり直しがきく。事実上、何のリスクもかけずにトライできるチャンスなのだ。
「……いや、リスクはあるのかもしれないけどね」
セージは誰に言うともなく呟いた。
デス子が自分の行うことに味方をしてくれている事には気づいている。実際、何度となく助けられているし、夢の啓示にしても踊らされているような不安こそ抱くものの、何も知らされないことに比べれば大分マシだ。
だがそうだとしても、信用はできない。信用してはいけない。
死んでやり直すなんて奇跡としか言えないデス子の力を借りることが、後々どんな災いにつながるか想像もつかない。
死んでもやり直せるが、それは使わないにこした事のない保険のたぐいだ。
そして何よりデス子に助けられるということは、セージにとってプライドを踏みにじられる類の苦痛なのだ。
「……さて、それじゃあ始めましょうか」
******
仕掛けたのは、セージから。
時間の経過は戦士にとって望むものではない。
騎士の応援が増えれば、万が一にもここから逃げ出す可能性がなくなってしまう。
死の覚悟があるとは言え、それは自殺を望んでいるのでもなければ、生きることを諦めているわけでもない。
だから単純に考えれば時間の経過はセージに味方する。
だがセージの目的は戦士を殺すことではない。そんなものはケイがこの場にいる時点で保証されている最低勝利条件だ。
セージの目的はフレイムリッパーに関するヒント。それを引き出す前に戦士が諦めて自決しては元も子もない。
セージは中級の火の魔法を繰り出す。〈ファイアウェイブ〉。津波状に押し寄せる猛々しい炎を、戦士はその手の剣で切り裂く。飛び越える事は簡単だったが、しかしそれをすれば空中を狙い打たれるだろう。足に負担をかけたくない戦士としては当然の選択だった。
だからこそ互いに次の手を予想していた。
戦士に迫ったのは高速の飛翔剣。炎を切り裂いた姿勢からその剣を迎撃することは難しい。だが避けられない訳ではない。
戦士は前にダッキングして飛翔剣とすれ違う。後方で飛翔剣が反転するのを魔力感知で捉えながら、戦士はセージへと距離を詰める。
戦士はセージが距離を取って中距離から魔法での牽制をし、飛翔剣を打ち込む隙を探るだろうと、そう読んでいた。
戦士を殺すための戦いなら、セージはそれを選んだだろう。もっとも飛翔剣はあくまでブラフとして使い、中級の魔法でチクチクと削って時間をかけて消耗を促し、そこから騎士の応援によって完全な敗北を認めさせ、自決を促すという姑息とも言える戦法を使う。
だが繰り返すがセージの目的は戦士から情報を引き出すことにある。
よってセージは正面からの打ち合いを選んだ。戦士と、そして観戦をするケイが虚を衝かれたが、しかしそれは隙と呼べるものではない。
「はっ。そうこなくっちゃな!! エンジェルっ!!」
興奮と喜色を孕んだ戦士の声が大通りに響く。
それを見つめるケイも完全に傍観者気分で手に汗を握った。
集まってくる騎士たちもケイを見て、様子見するべきだと判断したようだった。
セージはそんな周りの状況を魔力感知で俯瞰して捉え、嗤った。
ケイ 「使うのよね(わくわく)」
セージ「え?」
ケイ 「手負いとは言え格上の相手と正面から戦うんだから、本気になるんだよね」
セージ「……ええと、私は最初から本気なんですか」
ケイ 「そうじゃなくて、変態するんでしょ」←※変態はHENTAIという意味ではありません
セージ「しないですよ。何を言い出すんですか、いやらしい」←わかってて誤魔化した
ケイ 「ちょっと。そういう意味じゃないし。そんなこと考える方がマリアだし」
マリア「……お嬢様、今何か言いようがおかしくありませんでしたか?」
ケイ 「ひっ、地獄耳」
セージ「ちょっとケイさん。年増耳とか言ったらダメです。気にしてるんですから」←悪ノリしている
ケイ 「い、言ってない。私、言ってないよ」←半泣き
マリア「殺すっ!!」←悪ノリしている
ケイ 「私言ってないのに!!」