155話 善人になれなかった偽善者
「初めまして。クラップさん、でよろしかったでしょうか」
窓から侵入をしたセージは、恭しくお辞儀をした。
「あ、ああ。なぜお前がここに」
「なぜ? お世話になっている商会が大変なことになっているのですから、助けに駆けつけるのは当然のことでしょう」
セージは言いながらごく自然な態度で腰の剣を抜き、ミルク代表に歩み寄る。
クラップは思わず後ずさって、護衛を務める上級戦士の男のそばに駆け寄った。
セージはクラップを追うのではなく、そのままミルク代表に近づいて彼女を縛る縄を切った。そしてそのまま衣服と一緒に浅く切られた肌に治癒魔法を施した。
そしてジャケットを脱いで渡そうか思案し、それを見たミルク代表が苦笑して首を横に振った。小柄なセージのジャケットがミルク代表に入るはずもない。ミルク代表は自由になった手で切れた衣服を結んで、前を隠した。
セージは改めて、クラップたちに向き直った。
「わざわざ待って頂き、ありがとうございます」
「……」
「それで、あなた方はこの商会に何の御用なのでしょうか?」
ごく自然に、そして状況を考えればひどく不自然に、穏やかな口調でセージはクラップに問いかける。
クラップは咄嗟に何も言えなかった。
ここにセージが来るなんて聞いていなかった。後々、彼をジェイダス家に引き込む予定なのだから、ここで彼に悪印象を与えたくはない。
だがそのためにどう返せばいいのかまるでわからなくて押し黙った。
「……生憎と別件にかかりきりで、この状況は不案内でしてね。解説をしてくれると助かるのですが」
「あ、ああ。もちろんだとも」
「おい。のんびりしている時間はないぞ。下はどうやら劣勢のようだ。包囲が完成する前にここから逃げるぞ」
クラップがセージに何かを答えようとしたが、護衛の戦士がそう言って遮った。
「わ、わかっている。セージくん。色々と誤解をしてしまう状況だけれど、詳しい説明をさせて欲しい。どうだろうか。一緒に来てもらえないかな」
クラップは似合わない精一杯の猫なで声でそう言った。護衛の戦士がクラップに見えないところで呆れたように嘲笑を浮かべるが、セージは愛想良く笑って頷いた。
「わかりました。案内してください」
その言葉にクラップは目に見えて安堵し、セージの後ろにいるミルク代表の顔が驚きと心配と怒りのまぜこぜになったものになる。
セージはクラップたちには見えないように手を動かし、落ち着いてと示した。しかしそれは、もっと自分の心配をしろと怒らせる逆効果にしかならなかった。
「ああ、ああ。ではこちらに来てくれ。我々の家には、君の従兄弟達もいるんだ」
「……? それは、楽しみですね。早く行きましょう。
――ああ。ところでミルク代表は捨て子の私にとって、母親がわりとも言える大切な女性です。そして彼女が大事にする従業員も家族のようなものです。これ以上傷つけるような真似はやめて欲しいですね」
「あ、ああ。わかっている。当然じゃないか。お前たち、早く彼らを解放しろ。早く行くぞ」
クラップの指示に、従業員たちを見張っていた部下たちが戸惑いながらも従う。
それを見て、唐突に護衛の戦士が笑いだした。
大口を開けて笑いだした。
くははははと、大きな声で笑いだした。
「なんだ。バカみたいな声を上げて。さっさと先導しろ」
苛立ちを隠さず怒鳴るクラップに、護衛の戦士は剣を突き立てた。
「――は?」
クラップは呆気にとられて、自分の胸に刺さった剣を見る。一拍遅れて、口から悲鳴代わりの血を吐いた。
その場にいた者たちが目を見開いて驚く中、護衛のはずの戦士と、セージだけは平然としていた。
「わかってましたって顔だな、エンジェル」
「主体性があやふやな方でしたからね。使いっぱしりだろうとは思っていました」
男はクラップの身体から剣を抜き、ニヤニヤと笑いながらセージに語りかける。
セージも男の感情からそうすると分かっていたので、動揺はなかった。
クラップはそのまま床に倒れふし、血だまりを作りながら痙攣をする。致命傷ではあるが、すぐに治癒魔法を施せば助かる可能性はある。
だがそのために動く人物はいなかった。
「はんっ。良い勘してるじゃねえか。さすがは魔人の落とした天使。でも良いのかい。人殺しを見過ごしちゃあ、大事な評判に傷が付いちまうぜ」
「私は偽善者であって、善人ではありませんよ。劣情に駆られてこんなことをしでかした彼に同情する気はありません」
そう淡々と吐き出したセージの声音は冷たい。声も出せずに助けてと苦悶の表情や震える手で訴えるクラップを見下ろす視線は、ただただ冷たい。
セージは明言しなかったが、クラップには目的があった。それをセージの仮神の瞳は確かに見抜いていた。
ジェイダス家の傍流の中でも格の低い家に生まれたクラップは、かつてジェイダス家の本家に住み込みで奉公をしていた時期があった。そしてその頃に、ミルク代表のことを見知っていた。
多くの男性に汚されながらも気の強い瞳の色は濁らず耐え抜き、その性根を次期当主が確定していた当主の娘に見出されてまともな仕事を与えられ、いつしか本家の中でも一目置かれるようになっていた。
立場の低いクラップはミルク代表を抱ける立場に無く、いつしかものにしたいとずっと劣情を抱いていた。
そんな事情の詳細までは見抜けなくても、しかしクラップが心の奥で情欲に支配されており、理由をつけてミルク代表を囲おうとしていたことは見抜いていた。
そんな彼が苦しみ死んでいくことを厭うほど、セージは善人ではなかった。
「いいねぇ。退屈な仕事かと思ったが、楽しくなってきたじゃないか。
なあ、エンジェル。
俺がこれから何をするか、当ててみろよ」
「闘争の昂ぶり。殺意のない敵意。好奇心と期待。
手荒なご指導をしていただけるという事ですかね」
「――はっ。上品な言葉使ってんじゃねぇよっ!!」
戦士が吼え、セージに襲いかかった。
******
階上で、戦闘の気配を感じる。
ケイは上級の戦士をおびき出すため、魔力を抑えて戦っていた。
だがその敵は勝てるはずの自分と戦いに降りてくることはなく、さらにはセージも隠していた魔力と姿を現し、ついには戦闘を始めた。
「予定と違いすぎるっての」
ケイはそう言うと抑えていた魔力を解き放った。
この一年でかなり魔力制御の技術を伸ばしていた彼女だが、生来の気質からこの手のややこしい事はあまり好きではなかった。やはり戦うなら全力を出したいのだ。
その魔力開放に驚いたのは、他の誰でもなくケイと戦っていた、中級相当を筆頭にした襲撃者たちだった。
ケイの魔力量はそれまで襲撃者たちと同程度に押さえ込まれていた。
しぶとく粘り強いが、しかしこのまま数の差で押しつぶしてしまえばいいと優位を信じていた彼らは、しかしこの瞬間にその考えが間違いだったと知らされる。
学の乏しい彼らはケイの名は知っていても、その容貌は知らなかった。
もしも知っていたら、この魔力量を知っていたら、目の前に現れた時点で即座に逃げの一手を打っていただろう。
実際、ケイが魔力を開放すると同時に、即座に逃げに転じた者はいた。
だが結果は無残なものだ。ケイに背を向けきることも出来ず、逃げの気配を感じた彼女に一刀で切り伏せられた。
その一撃に容赦はない。
ケイの振るう大剣によって、肩口から股間まで、綺麗に両断された死体が一つ出来上がる。
人一人を殺したケイは見せつけるように大剣をくるりと振るい、そして背に直した。
「死にたいなら逃げろ。
死にたくないなら騎士に投降しろ。
理解したら武器を捨てろ」
その場にいた生きている襲撃者は、五名。
ケイは順々にその五名を見据えていく。
最初の一人はすぐに手に持っていた剣を捨てた。二人目は逃げようとして、殺された。三人目は咄嗟に武器を捨てられずに殺された。四人目と五人目はケイが視線を向ける前に武器を捨てることができた。
「外に騎士がいる。投降しろ」
ケイは重ねてそう言って、返事を待たずに二階へと登っていった。
彼らは呆然とした様子でその背を見送り、その後死体となった仲間たちを見て、逃げ出すように外へ出て騎士に取り押さえられた。
******
戦闘が始まってからケイがその場にたどり着くまで、さしたる時間はかからなかった。
だがその短い時間の中で、執務室は無残に荒れ果てることとなった。
ソファーや机は転がり、床や壁には大きな裂傷が刻まれていた。
扉を開けて部屋に入ったケイは、躊躇いなく神速の踏み込みを行う。
ケイに狙われたその人物は反応もできずに、大剣によってやはり両断された。
その男はこの部屋の出入り口を警備していた中級相当の襲撃者の一人であり、戦闘の気配を感じて部屋に入っていた者だった。
人質になっている従業員に一番近かったのはそいつだった。
ケイはそうして従業員と襲撃者との間に割って入ると、改めて部屋の中を見渡す。
「……なんだお前。何なんだよお前」
「騎士」
襲撃者の誰かが怯えながら漏らす問いに、ケイは端的にお前たちの敵だと答えた。
そしてセージと、上級の戦士の戦いを見て、目を細める。
「おい。ケイ・マージネルだな。セージを助けてやってくれ」
「必要ない」
襲撃者も人質も、戦いに巻き込まれないよう部屋の隅に固まっていた。より正しく言えば、人質たちが固まったところに襲撃者たちも身を寄せ、少しでも巻き込まれる可能性を減らそうとしていた。
セージは使いっぱしりと断じたが、しかしクラップはこの場にいる襲撃者のまとめ役であり、ジェイダス家残党の中心人物の一人であった。
上級の戦士はクラップがその伝手で雇った非合法な仕事を生業にしている者であり、襲撃者とは立場が違った。
その上級の戦士は裏切り、しかし周囲は騎士に囲まれ襲撃者たちだけではその包囲を突破できる採算は低い。
それにそもそも唐突な展開に混乱していて、逃げようという発想もまともに浮かんでいなかった。ただ人質の傍にいればいざという時に盾にできると、そんな皮算用で近くにいて、そこをケイに襲われた。
ケイは人質を庇う姿勢を見せつつも、しかしセージと戦士の戦いは傍観の構えを見せる。
ミルク代表が救援を願うが、返答はすげないものだった。
「セージ。こっちは私が守るから、遠慮なくやりなさい」
「おい、ケイ・マージネル」
「なによ。……ああ、あんたたち、武器を捨てなさい。そうすれば殺さないから」
後半は襲撃者たちに向けて、ケイはそう言った。
皇剣ケイの名はさすがに聞き及んでいたし、なにより襲撃者の中でも手練の一人が何もできずに殺されて、実力の違いは嫌というほど理解できている。
さらに言えば階下の者たちと違って戦闘の熱も無く、むしろこの急激な展開に気持ちは怯えていた。
彼らは素直にケイの言葉に従って、武器を捨てた。
「皇剣ケイとは随分な大物が出張ってくるじゃないか。喧嘩に手を出さない姿勢は立派だが、このエンジェルが俺に勝てるとでも思ってるのか」
そのやりとりを見て、上級の戦士はそうからかうように言った。女子供を相手取るなら二人でも余裕だと嘲るような挑発は、その実、逆である。
国内最強とされる皇剣だが、その実力は個人差が大きい。ラウドのように単独で竜にも匹敵する力を持つものもいれば、カナンのように衰えて上級下位程度の力しか持たないものもいる。
強さの序列という点において、ケイの評価はそう高いものではない。
皇剣武闘祭で見せた実力はかろうじて上級に届く程度で、一年前の竜との戦いでは大きな負傷を負って戦線を離脱し、ジオとラウドに見せ場を奪われている。
才能はあるかもしれないが、しかし現状では精霊からの魔力供給を加味してもせいぜい上級中位といったところ、というのがケイの世間的な評価だった。
ならば戦士にとって、セージを含めた二対一でも戦えないことはない相手のはずだった。
だがこうして実際に顔を合わせ、僅かなりとも大剣を振るうさまを見て、戦士はケイを格上の相手と見定めた。
今戦えば勝てる可能性は低い。逃げるにしても逃げ切れるかどうか、可能性は半々だろうと冷静に計算していた。
だからこそ、あえて挑発した。
勝気そうな少女が感情的に反発することを見越して。
ケイはそんな戦士の考えに気づくことはなく、しかし感情的になることもなく鼻で笑った。
「ええ。勝てるでしょ。余裕のあるふりなんてしてないで、もっと必死になりなさいよ。
そのままじゃあんた、セージを本気にさせることもできずにやられるわよ」