150話 契約者がいる意味
スノウの長い話が終わる。
シエスタとアベルはドッと押し寄せてきた疲れに、知らずため息を吐いた。
「セージが、本家の跡取り……」
アベルがそのため息に合わせて独り言を零す。スノウの眉がぴくりと動いた。
「……家の再興。でもそれなら何故、セージさんに直接接触しないのでしょうか」
「彼が嫌だといえば、ジオさんと君たちが立ち塞がることになる。全盛期ならともかく、権威のない傍流の家が寄せ集まっただけの今のジェイダス家に君たちを無理やり従わせる力なんて無いし、むしろ真っ向からぶつかり合えば潰されてもおかしくない。
それに彼らからすれば、ジオさんも含めて自分たちの陣営に引き込みたい。でもジオさんの行動は読めない。だからバックアップしている君たちを排除して、その席に自分たちが滑りこもうとしている。
ジオさんが子供に甘いっていうのはなんとなく囁かれ始めてきたからね。君たちがいなくなれば幼いセージ君を懐柔するのは容易い、そうすればジオさんも味方に引き込めるって、そう思い込んでいるんだろうね。
馬鹿げているよね。そもそもセージくんの立ち居振る舞いを見ていれば、誰かに従う性分でないのは分かりそうなものなのに」
やれやれと、スノウは呆れるように言った。
「ですが、そこまで分かっているのなら問題は簡単です。彼らの動きに注意していれば良いのですから」
「そう上手く行けば良いけどね。
それでこちらからも聞きたいのだけど、君たちはセージ君の力をどれだけ知っている?」
虚を突かれて、シエスタとアベルが息を呑む。
「……何の事ですか?」
「その顔は心当たりがあるけど、答えたくないという顔だね。
僕は十分以上に、君たちの望む情報を与えたと思うのだけど」
「……それは――」
「――詳しいことは何も。
あいつが特別な力を持っていることは分かっている。人の気持ちや過去を見抜くような、そんな力を。でもそれが正しいかどうかは分からない」
言いよどむシエスタに代わって、アベルが答えた。スノウはそれに満足そうに頷いた。
「そう。ありがとう。それで十分だよ。
それじゃあ用件も済んだでしょう。
僕も忙しいから、そろそろ帰ってもらえるかな」
「ええ、そうですね。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
立ち上がって礼を言い、シエスタとアベルはスナイク家の使用人に先導されて退室する。
そして二人が退室する直前に、スノウは思い出したように声をかけた。
「アベル君。余計なお世話だと思うけど、君の持つ劣等感はきっと生涯に渡って付きまとう」
アベルは咄嗟に振り返った。唐突な言葉だったが、心当たりは胸の真ん中に確かにあった。
「家から離れてみるというのも、君のこれからの選択肢にはあるべきだよ」
「……」
「行こう、アベル。気にしてはダメ」
鋭い目つきでスノウを睨むシエスタに促され、アベルは何も言わず退室した。
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「最後のは本当にお節介だったかな」
アベルにかけた最後の言葉に悪意はなかった。だがシエスタはそれに敵意を持った。
スノウ・スナイクは今でこそ守護都市でもっとも権威のある男として知られている。だがかつては類稀なる才能を持つ兄ラウドと比較されて、出涸らしと蔑まれていた過去がある。
守護都市の騎士養成校を次席という優秀な成績で卒業したものの、卒業後の進路は騎士士官学校ではなく、ギルドでもなく、そもそも守護都市ですらなく、学園都市の大学進学を目的として作られた一般の高等学校だった。
スノウは騎士養成校において次席という成績だったが、闘魔術や実践魔法、戦技では主席卒業のアールに大きく差をつけられていた。
スノウに戦闘の才能は無い。
正確には戦闘の才能が無いのではなく、戦闘という一芸に秀でる才能がなかった。
それでも血筋と環境には恵まれているのだから、長く鍛えれば上級にまで足を踏み込むことができたかもしれない。だがスナイク家前当主である父は、スノウに別の道を示した。
学園都市に留学した当時はまだ十五歳で、スノウは親に見限られたと不貞腐れもした。だが当主の座につき、結婚して、子どもを育てるようになってからその考えは変わった。
守護都市に在籍する上級の戦士はギルドで百名をやや超えるだけで、騎士も同程度。ジオのようにどちらにも所属していない例外(主に民間企業などで専属契約を結んでいる)を入れても三百をかろうじて超えるぐらいだろう。
そんな守護都市でも限られる上級にまで成長すれば、確かにある程度は周りからも認められるだろう。
だがそれでもスノウの才では上級の下位が精一杯で、皇剣を持つには相応しくない。よしんば皇剣になったところで兄ほどには強くなれはしない。
それが分かっていたから、父はスノウに別の道を示した。
その事を、長らく見限られたからだと誤解していた。
そして今は、父がスノウに兄への劣等感を抱いて生きて欲しくなかったのだと理解している。そのためにあらゆる分野に一通りの才能を持っていたスノウに学園都市の高等学校という、別の道を模索する時間と環境を与えたのだと。
しかし今となってその想いを理解し、感謝をしていても、それを伝える相手は墓の中だ。
父は間違いなく二人の息子を愛していたのに、結局息子たちからその愛情を返されることなくこの世を去った。
「……まったく、アールを笑えないんだよね。僕は」
スノウは呟いた。
そんな後悔があるから、つい口を出してしまったのだろうか。
劣等感を抱く相手が兄と弟という違いはあっても、スノウはアベルに自身の境遇と似たところを感じる。
おそらくは生涯及ばない相手、それもかつての事件から政争を嫌い、考えることをやめたラウドと違い、セージはむしろそちらの方面でもスノウの心を躍らせるほどの才気を見せている。
そんな彼を意識せずにはいられないアベルの境遇には、同情の一つも持っていた。
そしてだからこそ、一度セージから離れたほうがいいと、自身の経験を省みて助言をした。
もっともそれは余計なお節介だったようだが。
「……さて」
名家の当主であるスノウが考えるべき案件は別にあった。
マージネル家での様子から推測はしていたが、セージはやはり限定的ではあるものの他人の感情や記憶を読み取れるようだ。おそらくそれが、セージの契約者としての力だろう。
精霊との契約者である皇剣は無尽蔵とも言える魔力供給と、竜の呪いと聖域と呼ばれる特殊な圧力を跳ね除ける加護を得る。
土着神との契約者であるエルフは植物の扱いに長け、木製の弓矢の扱い、大気にある魔力の扱い、草木の加工や細工などを得意とする。
同じく土着神との契約者であるドワーフは土や岩の扱いに長け、名工カグツチなどは手にとった武具が辿った歴史を見抜くことすら可能だ。
セージが何と契約をしているのかは分からない。
だが現時点でわかる限りでも魔力供給に感情の看破、そしてギルドでの戦績を考えるに魔力感知の強化も、加護として獲得していると見ていい。
それだけでも強力な加護だが、この国は結界によって守られている。盟友関係にあるカグツチたちの加護はともかく、本来は外部の上位存在の力は十分に届かないはずなのだ。
それなのに、セージは十分な力を持っている。
セージが力を振るうのは主に荒野であるので、もしかしたら結界内ではその力が使えないのかもしれない。
だが政庁都市でテロリストを捕まえた件や、外縁都市接続の際にその都市へ降りることを、つまりは結界内に入ることを避けていないことを考えれば、その可能性は低い。
「それだけの力を持った上位存在が、セージ君を送り込んでいる……」
心当たりは、ある。
だがそうであるなら、セージの行動が不可解だった。
セージのやっている事は善行であり、この国の平和と発展への貢献に繋がっている。
それはスノウの推測とは矛盾する。
スノウの心当たりは、現世神を擁する帝国は、そんなことは望んでいないはずだ。
「……考えてもわからない、か」
少なくとも今の精霊様はセージを敵視していないようだ。ならば今は考えても仕方がない。
目下の問題は、ジェイダス家の残党だ。
騒乱はスノウの望むところであるが、それは単に治安が悪化すればいいというものではない。
喧嘩等による死傷者の発生は守護都市の名物みたいなものだが、計画的な殺人では話が変わってくる。
それにシエスタたちは気づいていなかったようだが、もしアベルの家族を殺した犯人が今のジェイダス家の残党に加わっていたのなら、彼らはもう少しまともな勢力を維持しているはずである。
犯人は間違いなく上級の中でも上位。下手をすれば皇剣にも匹敵するであろう実力者だ。
そんな実力者を擁していれば内紛の後に上手く残った家をまとめ上げることが出来ただろう。
だが今の残党の勢力は、名家と呼ぶのが躊躇われるほどみすぼらしいものだ。
だから犯人とジェイダス家の残党は別であり、当然その思惑も別だろう。
商会傘下の店長が殺害された事件も、おそらくはジェイダス家残党ではない。彼らにはもう正面切って商会を相手取るだけの体力すら残っていない。出来るのは細々とした嫌がらせぐらいなだけのはずだ。
もともと両者に歩み寄る余地はなかったが、殺人事件が起き、ジェイダス家残党が疑わしい以上、対立は明確化する。
殺人事件の犯人は、おそらくそれが狙いだろう。
だが放っておいても対立する両者の溝を、殺人というリスクを犯してまで深める理由はわからない。
ジオの教えを受け継いでいるセージは、身内を殺されてはっきりと報復に出るだろう。
あるいはそれが狙いだろうか。
犯人がマージネル家との顛末を知っていれば、和解を選ぶ可能性があると錯覚してもおかしくはない。
そこまで考えて、スノウはふと呟いた。
「しかしジェイダス家もアベル君もこそこそと動いている誰かも、セージ君がそうだって判断したのか」
スノウとしても出自に関しては証拠を持っているわけではないので、セージがそうだとしてもおかしいとは思わない。
ただ外部との契約者であるセージは他所から流れ込んだように思えたし、ケイに近い成長の仕方をしているセルビアの方が可能性が高いと見ていた。
さらにセルビアの髪の色と目の色はジオと同じで、セージのそれはジオとも母親であるジェイダス家の当主とも違う。
しかしケイもカレンともジオとも違う赤髪赤眼なので、誰とも分からぬジオの両親が赤髪や黒髪だったという可能性もある。
もしかしたらジェイダス家残党は真実には興味がなく、旗頭として相応しい功績を持つセージに目を付けただけかもしれない。
「……しかしセージ君って、結構不運だよね」
色々と常識の通じない少年ではあるが、父親と違って自分から率先して問題を起こすような子ではない。
それなのにスノウが知る限りでもしょっちゅう問題の中心にいる。
それに関しては父親が父親なので仕方がないのかもしれないが、あるいはもしかしたら強力すぎる加護の代償として運が悪くなっているのだろうか。
「まあ、そんな訳がないか」
そう言ってスノウは思索を止めた。
今回の件に積極的に関わるつもりはないが、セージたちが事態を解決できず、身内が殺されでもしてジオが暴れまわれば守護都市の損害が大きくなりすぎる。
最低限の保険に手を回しておかなければならないし、そもそも普段の仕事も溜まっている。
高額の武器が手に入る算段がついたので金策の一部は後回しにできるようになったが、それでも名家当主でギルド理事長のスノウは忙しいのだった。