145話 親父は去勢したほうがいいと思う
夢を見た。
懐かしいといえば、懐かしい夢だった。
ただそれは見たかったというわけではない。
幼い頃に体験した悪夢。
この家に来てしばらくは、その夢に毎晩うなされていた。
それは弟も同じだったのだろう。三歳だった弟は赤ん坊の時のように夜泣きをして、新しい家族に迷惑をかけていた。
しかしいつしか弟が夜中に起きて泣き出すことはなくなり、僕も同じようにその悪夢を見ることはなくなっていた。
僕は六歳の時に、目の前で両親を殺された。
ジオレイン・ベルーガーと名乗った悪漢に押し入られて。
両親を殺したそいつは怯える僕たちを嘲笑い、見逃した。
僕は火の放たれた家から弟の手を引いて逃げ出し、そして街の中を走り回って、浮浪者に襲われているところを今の父に助けられた。
この時、僕は親戚の家を頼ることもできたと思う。
それでも来るかと、僕たちを見て短く問いかけた父について行く事にした。
その父の名が、ジオレイン・ベルーガーだったから。
昔の悪夢を、久しぶりに見た。
ベッドから起き上がると体中に嫌な汗が噴き出していた。
何故と、考えると、理由が浮かんだ。それはここしばらくずっと不安に思っていたことだ。
僕は十五歳になった。
それなのに両親を殺した犯人を見つけることもできず、それどころか未だに父の庇護の下で生活をしている。
僕は笑った。何がおかしかったわけじゃあない。あいつが僕の立場ならきっと笑うだろうと思って、笑った。
少しだけ元気が出る。
僕は最初の気持ちを忘れていた。
今では両親と過ごした時間よりも、今の家族と過ごした時間の方が長くなっている。
記憶の中の彼らの顔は、今ではおぼろげだ。
そんな事が、許されていいのだろうか。
******
その日はミルク代表のもとで仕事があった。
家族みんなで朝食を食べていると、血の繋がらない二番目の弟が心配そうにこちらを見ていた。
父と同じく勘が良くて、父と違って人が良すぎる弟に余計な心配をさせないよう、努めて普段通り振舞った。
そうだというのに家を出る間際に、
「……兄さん。顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」
「ああ。ちょっと変な夢を見て、寝覚めが悪かっただけだよ」
そう声をかけられた。周りに他の家族はいない。弱音を吐きやすいように二人きりになってから声をかけてくる気遣いに、少しだけ苛立ってしまう。
弟はもう大人なのに、僕はやはり、大人にはなれていない。
「……そう。兄さん、今の……ああ、いや、なんでもない。お仕事頑張ってね」
「そっちもね」
二番目の弟が、家族の一番の誇りであるセージが何を言おうとしたのか。
気にはなったけれど、僕は逃げるように仕事に向かった。
******
僕の仕事はミルク代表のそばで雑用をすることだ。秘書みたいなものだねとセージは言ったが、とてもそんな上等なものではない。
「セージとシエスタは税吏の方ですか」
「ああ、ようやく証拠が集まったと言っていたからな。やれやれだ。あそこは適当にやってくれていた方が俺には都合が良かったんだがな」
「代表」
一年ほど前から、都市間の関税面でうちの商会は不利益を被っていた。
これは監査官のシェスの後ろ盾をうちの商会がやっているため、税吏官が意図的にうちの商会にだけ厳しくチェックをしていたのだ。
ただそれはあくまで法に則ったもので、他の商会が目こぼしを受けているからといって、うちの商会が厳しく取り締まられること自体は適法だ。
そのためこの一年間は他の店よりも仕入れ値が上がり、商会の運営は難しいものになってしまった。
ただそんな嫌がらせをする人間が他の仕事も真面目にやっているわけもなく、シェスがこの一年間の地道な調査で尻尾を掴んだようだった。
そしてミルク代表は尻尾を掴んだのなら、それを利用して甘い汁を吸える関係に持って行きたかったと愚痴をこぼしたのだ。
「そう怖い顔をするな。持ちつ持たれつでやっていくのも大事だぞ……と、まあお前を呼んだのは別件だ。
うちで娼館を取り扱っているのは知っているな」
「……ええ、一応。うちに昔から子供を預けているのは、そういった家庭ですから」
「ふむ。そういえば、そうだったか。ひと月前の話なんだが、その店の店長が殺されてな」
僕は頷いた。深夜勤務ということぐらいしか知らなかったが、商会の人間が殺されたのは聞いていた。
「実は騎士連中には隠しているんだがな。その事件のすぐ後に、こんな脅迫文がうちに送られてきた」
ミルク代表はそう言って僕に一枚の手紙を見せた。そこには黒ずんだ赤い文字で、おそらくは乾いた血で、こう書かれていた。
魔人の子を誑かすな、と。
「これは……セージのことですか」
「ああ、間違いないだろうな」
「商会に敵対行為をしているのはジェイダス家ではなかったんですか」
僕が聞くと、ミルク代表は少し考え込む。
「……はっきりしたことは言えんが、俺はジェイダス家がセージに強い関心を持っていると思っている」
「どういう事ですか?」
「確証がないから何とも言えん。まあ、勘だ。
そんな事より、お前にこれを教えたのは――」
ミルク代表の言葉を遮って、力強く頷く。
「犯人を見つけて、セージを守るんですね」
「――違う、馬鹿。誰がそんな危ないことをやらせるか。
もしこれをセージが知ったら、店長の死を自分の責任だと感じるだろう」
否定された。それに馬鹿と言われた。
「そう、ですね。
じゃあ知られないようにするんですね」
「そう出来れば良いんだが、あいつは察しがいいからな。
もしも知られた時に暴走しないように見張る人間も必要だろう。
俺はその間に犯人を探し出す」
「……僕も、そちらの手伝いをしたいんですが」
僕は食い下がった。
二回も馬鹿呼ばわりされたくはないが、それでも弟の身になにか良くないことが迫っているのに、また足手まといの子供扱いされたくはなかった。
「だめだ。お前に危険なことをさせれば、間違いなくセージはお前の周りに気を張るし、自然とこっちに首を突っ込んでくる。
今回の喧嘩は俺が売られたものだ。俺の商会でカタをつける」
「……今まで黙っていましたが、僕はジェイダス家の関係者ですよ」
「あん? どういう事だ?」
僕は意を決して告白した。ミルク代表の名家嫌いは傍にいれば嫌でもわかる。
ただもう子供扱いは嫌なのだ。
一年前、セージは殺されかけたというのに、僕は何も知らされないまま全てが解決していた。
いつも兄さんはすごいなんておだてられていても、実際には頼りになんてされていない。
それに危ないというなら、きっとセージはもっと危ないことをやっている。
だからもう、子供扱いされて安全なところにはいたくないのだ。
「九年前に、僕の家は見知らぬ男に押し入られ、使用人と両親が殺されました。父さんに拾われたのは、その後です。
僕の家はジェイダス家の傍流で、その中ではわりと大きな家だったと思います」
「家名は? 傍流なら、ジェイダスとは名乗れなかったはずだ」
「ジューダス」
僕が答えると、ミルク代表は舌打ちした。
「ああ、聞き覚えがある。
……九年前。押し入りの強盗殺人。……ああ、あの頃は多かったな。
子供が二人いて、死体が見つからないから攫われたんだろうって話だったが、まさかジオ殿の家に転がり込んでいるとはな。
だが、それがどうした。今のお前はジェイダス家と関係はないだろう。それとも人脈の一つでもあるっていうのか?」
「……いえ。でもジェイダス家が絡んでいるなら、僕の問題でもありますよね」
「そんな訳があるか。お前は関わるな。それよりも家をしっかり守ってやれ。そうすればセージも安心できるだろう。
そもそもジェイダス家が関係しているっていうのは、俺の想像でしかないんだ」
そう言って話を打ち切ったミルク代表は、嘘をついている。はっきりわかった。
確信があるんだ。確実にジェイダス家がこの問題に関わっていて、セージに関心を寄せる、その理由があるのだ。
******
アベルの責めるような視線に負け、ミルク代表は適当な仕事を命じて遠ざけた。
九年前から、正確には十年ほど前からジェイダス家は零落の一途をたどっていった。
歴史こそあれど、名家としての格は他の三家に比べて一段低いものとなっていた。その上、唯一の皇剣も大竜との戦いで失ってしまっていた。
ミルクはそれより以前からジェイダス家に囲われていた時期が有り、その内情には詳しかった。
だからジェイダス家が魔人ジオレインに、そしてその実子と目されるセージにこだわる理由を知っている。
ジェイダス家が零落をした理由は皇剣を失ったこともそうだが、それ以上に名家を支える主要な人物がことごとく殺されたことが理由として大きい。
当時、大竜襲撃の被害によって守護都市は大きく荒れ、治安も相当悪くなっていた。
そんな中でジェイダス家に関わる多くの家が襲われた。アベルの生家、ジューダス家もその一つだ。
そして七年前にはジェイダス家当主の家にも襲撃が及び、その家にいた全てのものが皆殺しにされている。
当時はマージネル家も痛手を負っていたことから警邏騎士も手がまわらず、実行犯の半数近くは未だに捕まっていない。
そして半数の実行犯を捕まえたにも関わらず、この件の明確な黒幕は分からずじまいだった。
実行犯に動機があったものもあったが、大抵は誰かに依頼されたものだった。だがその依頼した人物は様々であり、明確な共通点がなかった。
治安が悪くなっているのを好機と見て、不届き者たちが金持ちの家への襲撃を画策した。そしてその標的が、たまたま偶然ジェイダス家だけに集中した。
つまりこの一連の問題は、荒くれ者たちの間でジェイダス家に襲撃をかけるのが流行になっただけの、黒幕のない事件として片付けられた。
現在のジェイダス家は主要な人物がみな鬼籍に入ったことから名家としての体裁が取れなくなり、傍流の家が集まって再興をなそうとしているところだ。
そして彼らは、ミルク代表のところに援助を求めてきたことがある。
拾ってやった恩を返せ。いま商売ができているのは誰のおかげかと、かつて当主がミルク代表を無理やり男たちの慰みものにした事も忘れて、ジェイダス家の元下っ端たちがそう迫ってきたのだ。
当然そんな申し出は、塩を叩きつける勢いで丁重に断った。
ただその時に、彼らが気にかかる捨て台詞を残したのだ。
当主の子供は、まだ生きていると。
最強の血を受け継いだその子を旗頭に、必ず再興は果たされる。その時になって泣いて詫びてもこの無礼は絶対に許さんぞと、そんな負け惜しみを言っていたのだ。
その時は聞き流したものの、当主が最後に産んだ子供が生きていれば、八歳になる。
当時はジェイダス家が厳戒態勢に入っていたため、新しく生まれたその子供の名前も性別も公表されていないが、しかしその子供は八歳だ。
そしてその子は、最強の血を受け継いでいるという。
ミルク代表がいたころから、その計画は存在していた。そしてミルク代表が知る限りでも実際に数名が関係を持って、子供を産んでいた。もっともその子供たちは襲撃事件ですでに鬼籍に入っている。
ミルク代表の中には、一つの仮説があった。
ジェイダス家の襲撃事件は、マージネル家と同様に深い恨みや悲しみがきっかけで始まったのではないかと。
黒幕がいないと断じられたように、多くの人間の怒りや恨みが連鎖的に発露したのではないかと。
もしもそうならセージだけは関わらせたくない。
そしてそれは運良く生き残ったアベルも同様だ。
あの二人は優しすぎる。
だから、この問題には関わらせたくはなかった。
そしてミルクは自らが決して優しい人間ではないことを、清廉潔白な人間ではないことを、わが子のように可愛がっている二人に知られたくなかったのだ。