143話 浮浪者アベル~~IF~~
とりあえずIFです。そんな訳で残酷描写、暴力描写にお気をつけください。
世界は、赤く染まる。
真っ赤に染まる。
世界は視界の全て。
世界はそれまでの全て。
ずっと暮らしていた家が、真っ赤に染まる。
ずっと一緒にいた家族が真っ赤を吐き出す。
「よう、覚えておけよ小僧ども。俺の名前はジオレイン。竜殺しのジオレイン・べルーガーだ」
父と母の体をひらいた男はそう言った。
溢れ出す真っ赤なそれに染まった男はそう言った。
家の中をそれで染め上げた男は、愉悦に浸るような笑みで、そう言った。
そう言って、男は家に火をつけて、どこかに消えた。
残されたのは大声で泣く三歳の弟と、六歳の兄。
兄は火の手に囲まれる前に、弟の手を取って逃げ出した。
ジオレインという名前を、胸に刻んで。
******
それから短くない年月が流れた。
家を襲ったジオレインは偽物で、奇しくもアベルは本物に拾われた。
あるいはそうしていればいつかあいつに会えるかも知れないと考えて、アベルは本物の家に身を寄せた。他に行き先もなく、三歳の弟を守るためにはそうするしかないという理由もあった。
そして、本物から剣を学んだ。
あいつを殺すには強くならなければならない。
弟を守るには強くならなければならない。
剣を教わった始まりの気持ちはそれ。
その気持ちに変化はなく、しかし付け加わるものがあった。
新たに、妹が二人できた。多くの弟弟子ができた。頼りになる先生ができた。
毎日が少しづつ楽しいものに変わっていった。
楽しいと感じても良いと、そう思うようになりつつあった。
そんな矢先、弟が殺された。
たとえ遊びに出ても、夜になる前に帰ってきた弟が、その日は夜遅くなっても帰ってこなかった。
父は珍しく落ち着きなく、父を慕っており、道場で先生をしているクライスという人物に家の留守を任せ、外に出ていった。
そして弟の亡骸を抱えて帰ってきた。
政庁都市で、弟は殺されたらしい。
犯人はその時は分からなかった。
父は必ず見つけると、報いを受けさせると、そう約束してくれた。
だがそれが、なんの慰めになるだろう。
アベルはその日、血のつながった最後の家族を失った。
弟は死んだ。
本当の父と母のところに逝った。
アベルは生きている意味を失った。
弟だけが、弟を守ることだけが、アベルにとっての生きていて良い理由だったのに。
アベルはそれからの事をあまり覚えていない。
ただ毎日を同じように過ごした。体を限界まで酷使するような訓練を続けた。誰に止めろと言われても止めなかった。
そうしなければ許されないと、自分を追い詰めていた。
そうして過酷な日々を一年続けて、弟の仇を知った。
犯人の名はケイ・マージネル。
皇剣武闘祭準優勝者であり、天才と呼ばれるマージネル家の秘蔵っ子。
その手で仇を討ちたいと願ったアベルだったが、それは許されなかった。実力が足りなかったからだ。
アベルもそれは理解していた。だがそれでもと追いすがって、同行させてもらった。
アベルは街を歩いていたケイに声をかけて、人目のない路地裏に連れ込んだ。
何か不審には思っているようだったが、それでも大した力を持たないアベルを警戒せずにケイはついて来た。
そしてそのケイの首を、父が後ろから切り落とした。
ケイは自分が殺されたことを理解する暇もなく、死んだ。
普通の少女の顔のまま、首を落として死んだ。
父が、そしてアベルが、ケイを殺した。
そして家に帰り、いつもどおり過ごそうとアベルは振舞った。
上手くやれていたという気はしない。
そうして数日が過ぎて、深刻な表情のクライスが父と二人だけで話し合っていた。
声はそれほど大きくなく、聞き取ることはできなかった。
それでもクライスの真剣で重い雰囲気からとても大事な話を、ケイを殺したことについて話し合っているのだと察した。
アベルはその場に居たくなくて、道場で素振りをしていた。
そして、その襲撃を迎えた。
考えてみれば当たり前の話だった。
弟を殺されたアベルはケイに報復を考えた。
ならケイを殺されたその家族も、同じ事を考えるだろう。
違ったのは早さ。
アベルたちは犯人を見つけるのに一年をかけたが、彼らはたった数日で見つけ、やって来た。
道場に置いてある武器を手にアベルは戦ったが、襲ってきた彼らにはとても敵わなかった。
殺されると、そう思ったが、すんでのところで父に助けられた。
逃げろと、そう言われた。
言われるがままに、逃げた。
生きている資格が無いなんて思いながら、殺されそうになって、みっともなく逃げ出した。
背中には火を放たれた家がある。
家が焼け落ちていく。
かつての時と同じだった。
でもあの時と違って、アベルは一人だった。守らなければいけないものは無く、未だに家の中にいた。
アベルは逃げて、そのあとでもう一度ブレイドホーム家に戻った。
弟はもういない。
それでも今のアベルには妹が二人いる。
アベルは戻ったが、しかし家には入れなかった。
ギルドの屈強な戦士たちが家の周りを取り囲んでいた。彼らがブレイドホーム家に入ろうとするものを押しとどめていた。
アベルは妹がいるんだと、そう叫んで押し通ろうとして、戦士に気絶させられた。
目を覚ましたアベルが目にしたものは、焼け落ち煤にまみれた二番目の我が家だった。
誰もいなかった。
父も、二人の妹も見当たらなかった。
どこかに運ばれていく多くの死体があった。その中にも見当たらなかった。妹たちはいなかったが、しかしそこには変わり果てた姿のクライス先生の遺体があった。
アベルは事情を聞こうと話しかけてきたギルドの手を振り払って、逃げ出した。
アベルは本当に一人になった。
******
それから気が付けば、アベルはホームレスをやっていた。
父や妹を探し、生活のために働こうとした。
だがずっと道場で剣を振っていたアベルは、どうやってお金を稼げばいいのかわからなかった。
わかりやすくギルドに行けば、登録試験のお金を持って来いと追い返された。
街のお店で働かせてくれと頼んでも、お前のような汚い子供に何ができると追い払われた。
食べるものに困ったアベルは飲食店のゴミ箱をあさり、時折襲いかかってくる同じような境遇の浮浪者たちを殴り飛ばして金や物を巻き上げて、何とか飢えを凌いでいた。
お金も職もないアベルには、時間だけがあった。
何度となく考える。
家が焼けて失われたこと。
生き別れた妹たちのこと
逃げ出したこと。
ケイを殺したこと。
弟を失ったこと。
そして、両親が殺されたこと。
有り余った時間で、そんなことばかりを考えていた。
そんなアベルに話しかけようとする者はなく、浮浪者になってそのまま一年を過ごした。
そしてある日、ジオレイン・べルーガーを見つけた。
父ではない。
父の名を騙った偽物を見つけたのだ。
アベルは何も考えずその男の後をつけた。
殺すと。
絶対に殺してやると、そう考えて後をつけた。
――そして、あっけなく殺された。
「なんだぁ、このクソガキが。この俺に殺気なんざ向けやがって。ぶち殺すぞ」
男は人気のないところにアベルを誘い出すと、躊躇なく得物を抜いてその腹を突き刺した。
仰向け地に倒れ、腹をえぐられるアベルは苦悶の声だけを吐き出した。
「きったねぇガキが。金や食いもん狙うならせめて相手選べよ、馬鹿が」
そう唾と悪態を吐き捨てた男は、アベルの顔をまじまじと見つめる。
「お前、どっかであったか? あぁん?
――おい、俺の名前を言ってみろ。ちゃんと言えたら、助けてやってもいいんだぜ。
ほら、言ってみろよ」
馬鹿にするような、かつてと変わらない見下し嘲笑うその姿に、アベルは精一杯の力で拳を握り締める。
視線で人を殺せるなら、今のアベルは男を殺し得ただろう。
それだけの殺意と怒りと恨みをもって、男を睨みつけた。
「クソッタレのクズ野郎」
舌打ちした男が、その足でアベルの頭蓋を踏み抜いた。
ぐしゃりと、アベルの頭はそれで砕けて、血と脳症を撒き散らした。
◇◇◇◇◇◇
相変わらずいきなりな夢だね。
まあ兄さんはこんな風にはならないだろうけど。
でもクソッタレ偽物野郎さんには、法の裁きくらいは与えたいところだね。