142話 かつての学友
ベンチに座って馬車を待つアールに、声をかける男がいた。
「やあ」
「スノウか」
応えたアールの声は辟易としたものとなる。旅の門出に見たい顔ではなかったのだ。
スノウは人の心を読むのがうまいが、しかしそんな前提を抜いても容易に察せるアールの態度に苦笑を零した。
「随分な態度だね。娘の晴れ舞台は見なくてよかったのかな」
「必要ない。それにあの場に私がいれば余計な勘ぐりをする者もいるだろう。マージネル家にこれ以上の弱みはいらん」
「相変わらず真面目だね」
スノウはそう言って、特に断りもなくアールの隣に座った。
「見送りは断っていたんだが、まさかお前が来るとはな」
「まあ、同期の期待の星が落ちぶれていくところは見届けたいからね」
「あ゛?」
アールの荒い声に、スノウはくっ、と笑いをこらえきれずに喉の奥を鳴らした。
「いやいや、ごめんね。最近ちょっと忙しくて毒が出ちゃった」
「ふん。出涸らしと呼ばれていたお前が今や守護都市で最も権威ある男になっているんだ。それぐらいの侮辱は許してやるさ」
「それはどうも」
アールの嫌味を、スノウは気にした様子もなく仰々しい態度で受け止める。
「それでなんの用だ。忙しいと言いながら兄の晴れ姿を放って、こんなところで無為に油を売りに来たわけじゃあないだろう」
「そうだね。少し確認したいことがあってね。
セージくんを襲わせた日に、ジオのところに襲撃をかけようとしたかな」
アールは咄嗟に周囲の気配を探った。客のいない馬車の待合所だったが、周囲に誰もいないというわけではない。
パレードの喧騒を嫌がったのか、普段通りの生活をしている一般人や、守護都市から降りてきたであろう無頼漢の姿がいくらか見受けられる。
答えることに問題のある質問ではなかったが、公になっていない話が誰かに聞かれることを危惧し、そしてこんな開けた場所でそんな事を聞くスノウの考えがわからずに困惑した。
「何を言っているかわからないな」
「まあ警戒されるのはわかるんだけどね」
「……していない」
スノウの困った様子を見て、アールはスノウにしか聞こえないような小声でそう答えた。
「そう。まあ、そうだろうとは思ってたんだけどね」
「なんだそれは」
「こっちの話だよ」
煙に巻くスノウをアールが睨むが、スノウは目をそらして逃げた。その目線の先には薄暗い路地が有り、特に誰かが潜んでいるということはなかった。少なくとも、今この瞬間は。
「君はしばらく、夜道の一人歩きに気をつけたほうがいいだろうね」
「……お前は本当に何を言っている」
そう言ってアールはひとつの違和感を覚えた。
周囲にそれなりの数の人間がいるが、しかしスノウの手勢と言える者はいない。
「無用心だな、護衛もつけていないとは」
「みんな忙しくてね」
それが建前というのはすぐに分かった。
スノウが時折、護衛を連れずに動くことがあるのは知っていた。だがそういった時には何かしらの理由があるはずだった。
「……ジオの家を狙う誰かがいるのか」
「ご名答。君は違うとわかってたんだけどね。なんというか、はっきりさせておかないと気持ち悪くてね」
「ふん。まあ疑われても仕方がないからな。
……頼み事をするなら父ではないのか」
スノウは肩をすくめ、アールの言葉を否定する。
「いいや。どちらかといえば、今はマージネル家には動いて欲しくないな。特にエースはセージ君を意識しすぎているからね」
「そうか、ならなぜ俺にそれを教えた。俺が父に話をするとは思わないのか」
「思わないね。マージネル家の中はいま混乱している。僕が動いていると知って、何が起きているのかもよくわからない状況で、余計な問題に手を出すよう唆す真似はしないよ、君はね」
アールはその言葉に押し黙った。
事実、現当主であるエースと次期当主であるトムスの意見は食い違っており、エースの腹心のワルンはトムスよりの考えを持っている。そしてケイとマージネル家の関係も前進したとは言え、わだかまりが完全に解消されるには時間が必要だった。そんな状態で不確かな情報を与えれば、マージネル家の内部は更に混乱するだろう。
だがそうだとしてもブレイドホームに危機が迫っているなら、助けられた恩を返すべきだとも思った。
「まあ心配しなくても、今日明日、何かが起きるわけじゃあないよ。
……ところで、わざわざ他所の都市に行くんだね」
「……ああ。どうせ知っているんだろうが、教員免許を取りに学園都市の大学にな」
「偶然小耳に挟んだだけだよ。わざわざ遠くの大学に行かなくても、守護都市で通信教育を受ければいいのに」
「マージネル家から離れるためだ」
「ケイ君から逃げてるんじゃなくて?」
アールは口元をへの字に曲げた。セージたちとの件から大分改善されたとは言え、ケイとアールの関係もやはりギクシャクしたところがある。
それを思えば守護都市に留まる方が正しいが、しかし留まっていては、本当にマージネル家の運営から離れているのか、とクラーラあたりにマージネル家が因縁をつけ責められる要因となりうる。
法的には守護都市での生活も、期間は限られるがマージネル家に帰ることも許されているが、それに甘えるのは罠に嵌るのも同じだった。
とは言えやはりケイを避けているのではと言われれば、これまでの行いから胸に突き刺さるものがある。
「ああ、悪かったね。でも守護都市が接続するときは会えるんだろ?」
「まあ、な。ケイも忙しくなるだろうが、会えないことはないだろう」
「そう。僕の息子も学園都市に今は留学しているから、もしかしたら顔を合わせるかもね」
「おいおい、俺が行くのは教育科の大学だぞ。お前の子供は魔法科だろう」
スノウは肩をすくめた。
「まあね。でも同じ都市なんだからそういう機会はあるかもしれないでしょ」
「……顔を見たら、挨拶ぐらいはするだろうな」
騎士養成校時代からの同期であり、名家の直系同士ということでスノウとアールの縁は長い。ただ名家同士のつながりなど腹に何か隠しているのが常で、友好的とは程遠い関係だ。
特にスノウは学生時代から何を考えているのかわからない所が有り、こうしてそんな事を言われると不気味さを感じてしまう。
「本当に、他意はないんだけどね」
スノウは困ったように再び肩をすくめる。何となくその表情は寂しげだった。
「まあいいか。とりあえず忠告もしたし、舞台から降りた以上、そうそうおかしな事にもならないでしょ」
「舞台とは、思わせぶりな言葉を吐くな。どういう事だ」
「それぐらいは許して欲しいね。何しろ君は一抜けしたんだ。
……正直に言えば、君にはマージネル家の当主になって欲しかったよ」
スノウは本心からそう言った。そうなれば良かったのにと、そう口にした。
「ふん。
そういえば、お前にひとつ聞きたいことがある」
「何かな?」
「……ジオは何故、俺を殺さなかった」
スノウはきょとんとした顔でアールを見返した。
しかしそれはアールにとって大きな疑問だった。ずっと考えても答えの出ない問いだった。
「なんで、それを僕に聞くのかな?」
「お前ならわかるかと思ったからだ。あいつは身内に手を出した相手を許さない。未遂に終わり、セイジェンドに許されたといっても、あいつが手を緩める理由にはならない」
「そうだね。我が道をゆくのが彼だからね。でも、そこまで分かってるなら答えも分かりそうなものだけど……」
スノウは答えが分かっているというアールの推測を否定せず、そう言った。
「なら答えろ」
「嫌だよ。そんなのは本人に聞けばいいじゃないか。ケイ君とのこともそうだけど、他人から人の気持ちや考えを聞きたいなんて臆病すぎるよ」
「くっ」
「今日出発といっても、彼と顔を合わせる機会はあるだろうし。その時は一緒にお酒でも飲んできたら――」
そう意地の悪い笑みを浮かべたスノウは、その笑顔のまま凍りついた。噂をしてしまったせいか、視界に良くない影を見つけてしまったのだ。
「――あー、あー、そうだね。我が道を行くんだもんね。セージ君がいるからなんて甘く考えたらいけなかったなぁ……。
それじゃあアール、元気でね」
「あ、ああ。苦労をかけるな」
「まったくだよ」
スノウはそう言うと、足早にその場を去った。
そして何をそんなに急いでいるんだと言いたげな顔のジオとすれ違って、官庁の方角に消えていった。
そしてアールは、気を失ったセージを背におぶったジオと対峙する。
「やれやれだ。お前はいつになっても変わらないらしい」
「何を言っている」
「――聞くぞ。お前はなぜ私を殺さなかった」
アールは意を決した表情でそう言った。
目は真剣にジオを捉え、背には冷や汗をかいている。
意識しすぎだといえばそうだが、ジオには常識が通じない。次の瞬間には『そうだったな。殺すか』とその拳を向けてきてもおかしくない。
喉は乾いて、声がうわずっていないのが不思議なくらいだった。
「お前には一度助けられたからな。それを返しただけだ」
そして返って来た言葉は、呆気ないぐらい簡素なものだった。
「なに?」
「忘れたのか。俺がギルドを引退した後、路上に倒れた俺を抱えてホテルまで連れて行っただろう」
「……あ、ああ。気がついていたのか」
「いや、ホテルのやつから聞いた」
アールは天を仰いだ。あの時アールはホテルのスタッフに金を渡して口止めをした。だがお金を貰ったくらいでジオの質問に耐えられるはずもないのだ。
答えを知っていたであろうスノウも、きっと当たり前のようにホテルマンから聞き出していたのだろう。あいつは昔から耳が早かった。
そして答えを知ってしまえば納得できるものだった。
一度助けられた、だから一度は見逃す。そんな理由だろう、きっと。
……いや、それでは理由が足りない。
「何故、セージをマージネル家に派遣した」
「……? よくわからんな。助かっただろう」
「そうだな。だがお前が私を、私たちを助ける理由がわからん」
ジオは面倒くさそうにため息をついた。
「だからお前らは嫌なんだ。いちいち面倒くさい理由で動く」
辟易とした様子で、口を開くのが億劫という態度で、あるいはそうやって恥ずかしさを隠して、ジオは小さく答える。
「エースのためだ」
聞き間違いかと思った。
ジオとマージネル家は何度なく争ってきた関係だ。
あいつは恩を感じないと、何度恨みに思ったかはしれない。
「そう、か」
アールが思わずこぼした声に、ジオは答えなかった。
それでも満足のいく答えを受け取った。
「ふっ。これでキレイに心残りはなくなった。見送りに感謝するよ」
「む? 見送り?」
ジオはそう言って疑問符を浮かべた。見送りもなにも、ジオはただ祭りの喧騒から逃げながら守護都市に帰っている途中で、アールとはたまたま出くわしただけだった。
「ああ、お前が知っているはずもないか。教員免許を取りに――教師になりに大学に行くんだ」
「そうか。教師か。まあ働く先に困ったら来い。道場の教え手が足りんからな」
言うまでもないことだがジオの道場は公的教育機関ではないので、指導を行うのに教員免許など必要ない。
ジオは教師といえばエースのところの道場の指導員や、自分を鍛えたアシュレイを思い浮かべていた。
「――っ。本当に、今日は珍しいな。まあ、セイジェンドが許してくれるなら、それもいいかもしれないな」
そう話をしたところで、停留所に馬車がやってきた。
「それじゃあな。寝ている天使にもよろしく言っておいてくれ」
「ああ、また」
見送りに来たわけではなかったが、これも縁ということでジオはアールが場車に乗り、去っていくのを眺めた。
そしてその姿が見えなくなってから、守護都市に再び歩みを向けた。
「おい、アールがよろしくと言っていたぞ」
「聞こえたよ」
ジオは背のセージに声をかけ、セージはそれに普通に答えた。
「ふん。お前も挨拶ぐらいすればいいものを」
「空気を読んだんだよ」
「そうか」
「そうだよ」
そんなやり取りして、ジオは守護都市に昇っていく。
「パレード、出たかったか」
「……出たくはなかったかな。でも妹たちをがっかりさせたし、偉い人たちに迷惑かけて悪いなって思う」
「……ああ、そうか。そうだったな」
家族が楽しみにしていたのを裏切った。それはジオの心にも響くものだった。
「まったく、後悔するならもうちょっと考えてよね」
「お前が武器をあいつにやるとか言うのが悪い」
「親父だって私に天使とか名付けたじゃないか」
む、とジオは唸った。それは理解できないことだった。
「似合ってるだろう」
「恥ずかしいの。そう呼ばれるのが。
親父だって英雄って呼ばれたり、卿ってつけられたりするの嫌がるでしょ」
「俺はそんなに立派な人間じゃないからな」
「私だってそうだよ」
「そんな事はない。それはお前が間違っている」
何の気のない会話は、しかしだからこそ本心が現れる。セージはジオのその一言で、言葉に詰まった。
「そんな嫌だったか」
「いいや。恥ずかしいけど、そう思われてるのは誇らしいよ」
「そうか。
……前から思っていたが、お前は素直じゃないな」
「ふん。そろそろ下ろして、自分で歩くから」
「いやだ。たまにはいいだろう」
「……まったく、バカ親父。
あ、バカ親父で思い出した。親父はみんなが帰ってくるまで玄関で正座して待っててね」
「なんでだ――あ、いや、わかった」
ふんと、セージは鼻を鳴らし、ジオは口元をへの字に曲げる。
親子はそうして家路に着いた。