140話 その言葉は許せない
「そう言えば、ラウドさんにはお世話になってますよね。お礼に、家にある武器とかいりませんか?」
「は? おい、ちょっと待て」
「――くっ。良いのか?」
慌てる親父と、それを見て笑うラウドさん。うんうん。狙い通りだ。
「ええ。どうせ家に置いてあっても使う機会がありませんから。何でもとは言いませんが、ラウドさんの役に立つものがあったら遠慮なく持って行ってください」
「おいふざけるなセージ、あれは俺のだぞ。子供たちが使うならともかく、なんでこんなバカスカ武器を壊すやつに」
「黙っていろ、ジオ。家の物はセイジェンドが管理しているのだろう。ああ、折角だ。その武器で俺の技を実演してやろう。弟子の育たん面倒な技だが、お前なら使いこなせるかもしれん」
お、マジか。やったぜ。ラウドさんの技ならきっと親父にも通用するよね。頑張って覚えよう。
「勝手に話を進めるな。俺は認めんぞ」
「今までいつも勝手に話決めてきたでしょ。親父だってラウドさんに助けられてるし、そもそもあの武器カグツチさんにお金払ってないから、親父のものですらない盗品じゃないか」
「盗んでない。あのジジイと賭けをしてなんでも持って行っていいと話がついている」
「一個や二個ならともかく、置いてある物全部カグツチさんのところから持ってきたんでしょ。限度があるよ」
以前は離れに置かれていて、今は地下室に眠っているかつての親父の武器は四十以上の数がある。オーダーメイドの武器の価格を知った今となっては、そんな数の武具をタダで貰い続けた(あるいは強引に借りパクしてきた)親父の神経は尋常ではないと思ってしまう。
いや、前から思ってはいたけど。
そしてその武器たちはどれもサイズ的に私が使うには大きすぎ、親父にしても刀という立派な武器を持っている。
将来兄さんや次兄さんが使うかもしれないから全部あげるのは問題だとしても、いくつかはラウドさんのもとで有効活用されるべきだろう。高いんだし。
……あれ? よく考えたら親父の武器って売ったらかなりの財産になるんじゃないだろうか。
いや、さすがにこの考えはひどいか。
親父にとってはお金には代えられないものだろうし、カグツチさんへの誠意の問題もある。
そもそも今は稼ぎに困ってないし。
さらに言えば親父のギルドカードにはアホみたいな額の報奨金が振り込まれているし。
ただしかし、親父はなんで貧乏してたんだろうか。
いやまあ馬鹿だから仕方ないんだけど、こう折に触れて色々と知ってしまうと、湧き上がってしまう感情というのが出てきてしまうね。
親父がしっかりしていれば、私の苦労はもうちょっと少なくて済んだはずだと。
そんな事を思っていたら、親父が信じられない暴言を吐きやがった。
「いちいち小さいことを言うな。だからお前は背が小さいんだ」
「――は?」
今なんて言ったこのバカ親父。
「人間が小さいバカ親父に言われたくない」
あと私は小さくない。
「なんだと。お前が言ってるのは嫌がらせだろう。そんな理由で武器を手放せるか」
「使う予定のない武器だろ。地下室も狭いんだから片付けるいい機会だ」
「そんな理由が聞けるか、ぶっ飛ばすぞ」
「うるさい、バカ親父。いつもいつも腕力で物事が解決すると思うな。ぶっ飛ばすぞ」
◆◆◆◆◆◆
言葉の戦いは睨み合いという視線の戦いに変わり、そして拳の戦いに変わるまでそう長い時間は必要としなかった。
最初に踏み込んだのは、セージ。
だが先に拳を振るったのは、ジオだった。
待合室の中ということで、示し合わせたように互いに闘魔術や魔法は使わない。ただ身体活性で高めた肉体だけをぶつけ合う。
セージはフットワークを駆使してなんとか間合いに入ろうとするが、一撃で意識を刈り取りに来る拳を前に、どうしても阻まれてしまっていた。
「……と、止めなくていいんですか」
突然のことに戸惑うヴァインに、ラウドは肩をすくめてみせた。
「親子ゲンカだ、放っておけ。守護都市なら日常茶飯事……いや、子供と本気で喧嘩をするのはこのバカくらいか。
とは言えこのレベルはそうそう見れんぞ」
ジオとセージの実力差は言うまでもなく大きな開きがある。
ケイ戦を通じて大きくその技量を高めたセージだったが、基礎能力の要である魔力量そのものは変わっていないし、さらに毎日の立ち合いの訓練でその成長度合いもジオに把握されている。
だがこの場、この状況下の戦いにおいて、大きくセージの味方をする要因があった。
ここは道場ではないため、お互いに飛び技を禁止している。さらに成長したセージを相手取るにはジオにしても魔力の活性化が必要である(もっとも平時に出せる限界の八割までは活性化させていない。あくまで立ち合いの訓練と同程度の身体活性にとどめている)。
そしてジオは呪いのせいで、右足を強化することができない。この状態では右足にかけられる負荷に限りが有り、蹴り技は一切使えない。
これは強化していない足で蹴ってもセージの防護層に弾かれて痛めてしまい、強化した足で蹴ろうにも負荷に耐えられない右足を軸足には出来ないからだ。
必然的にジオは拳だけでセージを相手取ることになるのだが、右足を強化できないことは拳を振るう上でも重心の移動に制限が掛かってくる。
さらにはセージとジオの身長差は八十センチを超えている。
振り下ろされる拳はセージにとって大きな驚異だが、しかし振り下ろす距離はセージにとって大きな助けになっている。
つまりは威力が上がって命中率が落ちている形だが、そもそも手打ちの一撃だろうとセージは紙装甲なので勝負を決める一撃になる。
殴られたらとんでもなく痛いという点に目を瞑れば、普段の木刀を使った試合よりもよほどやりやすくなっている。
セージは身をかがめ、ジオの右足を狙って動き回る。
それはよりいっそう殴られにくくするためであり、身をかがめているからジオが殴りにくいんだ。私は小さくない、とアピールする意図は欠片もない。
あくまで実利を優先させた形なのだ。
セージの速度は同格の相手からすれば極めて驚異と言えるものだが、しかしジオからすればそれほどでもない。
だが執拗に嫌らしい角度から踏み込もうとするセージに、やりにくさは感じてしまう。
このままでは負けるかも知れないと、ジオの心中にわずかに不安は生まれる。
気合いが乗っている時のセージはジオをしても手こずらせる勝負強さを持っているし、セージは奇策の使い方が上手い。虚を突かれれば一撃を貰う可能性は充分あった。
だがジオはこれ以上の身体活性を使う気はなかった。
負けるのは嫌いだ。
数々の死闘とカグツチとの思い出が詰まった武器は手放したくない。
しかもあのラウドが大事な武器を勝ち誇った顔で奪っていくのを想像すると全身の血が沸騰しそうになる。
それでも身体活性をこれ以上高める気はなかった。
そもそもこれは道場での訓練ではない。普通の喧嘩だ。
ならばセージがジオに一撃を入れたところで、それに合わせて殴り飛ばせばいい。
紙装甲のセージと違い、ジオの恒常的な防護層は要塞である守護都市の防壁にも匹敵する。今のセージが殴れば痛みぐらいは感じるが、それだけのことだ。
それこそ本格的に格闘技をやっている大人が、七歳の子供に身構えたところを殴られても大したことにならないのと同じなのだ。
だがジオは道場と同じく、一撃を入れられれば負けと決めていた。
理由はあるといえばある。
幼いセージは小柄で持久戦に向かない。そのため少ない手数で相手の戦力を削り、尚且つ自身は被弾しないスタイルでなければならなかった。
ジオの幼い時分もそうであった。だからそれを言葉で教えるのではなく、自身の発想と毎日の反復でそのスタイルが身に付くように、道場でのルールを決めたような気がする。
セージの魔力量がある程度は増えてきたとは言え、被弾が命取りなのは変わっていない。殴られてもそれ以上の力で殴り返すというスタイルで戦えるのは、もっと成長してからだろう。
ならば俺がそれをやるわけにはいかないと、そう思っていた。
そしてこれが何より重要なのだが、実戦から遠ざかったジオにとってセージとの立ち合いは数少ない楽しみである。
魔力量で簡単に勝ってしまっては、楽しくないのであった。
竜討伐の功労者が利用する待合所は当然のことながら立派なものであり、十分な広さがある。
ただそれはあくまでのんびりとくつろげるという意味であって、思う存分喧嘩ができるという意味の広さではない。
そんな部屋の中で、冷静さを完全には失ってはいないセージは調度を傷つけないよう立ち回っていたし、それを見て取ったジオは同じような枷を己に課していた。
多くの家具が配置されている待合所の中を、セージは縦横無尽に走り回り、何とかしてジオの虚をつこうと揺さぶる。
ソファーなどを遮蔽物として利用し、魔力を隠蔽し、物理的な力を持たない魔力波を放つ。
だがジオはやはり歴戦の英雄であり、その経歴から暗殺者の襲撃にも慣れている。死角を突き陽動を多用するセージの揺さぶりはことごとく不発に終わる。
多くの条件がセージに味方をして、しかしなおジオの壁は厚かった。
セージはジオの正面に出て、地を這うような低姿勢からの突撃をしかける。それは姿勢こそ違うが竜に向かうケイを模したもの。
ここに来てセージは小細工に頼らず、正面突破に活路を見出した。
それは思いつく奇襲が全て潰されたので、やぶれかぶれの特攻を決めたとも言う。
しかし先制攻撃重視のスタイルはこれまでのセージの回避重視のスタイルからは遠い所にある。
万能型のセージは鍛えればそのスタイルも獲得しただろうが、生憎と初めて使う技を綺麗に使いこなせるほど破格の才能には恵まれていない。
そしてジオはセージが持たないその破格の才能に恵まれ、さらには多くの実戦で鍛え抜いた英雄。
やぶれかぶれの特攻は、当然の事ながら失敗に終わるはずだった。
邪魔が入らなければ、そうなるはずだった。
「おっと、手が滑った」
棒読みのセリフは最強の皇剣のものだった。
そしてそんな言葉よりも速く、小さな〈ナニカ〉がジオの顔面に飛来する。
斜め方向から飛んできたそれを、ジオの常識はずれな直感と動体視力なら見切る事が可能だ。だが目の前にはセージが迫っている。躱すにしても眼力で迎撃するにしても間が悪い。完全に虚を突かれた。
ジオは意を決して拳を振るう。
〈ナニカ〉は待合所に置かれていたサッカーボールよりも小型の置き時計だった。
高速のそれがセージを追い越し、ジオに迫る。ラウドの魔力が申し訳程度にまとわれていたが、高価な調度品に見合うよう繊細な装飾の施された時計は当然、ジオに当たれば粉々に砕けるだろう。
そして視界を潰されれば隙ができる。それを見逃すほどセージは甘くない。
だがそれでもジオは拳を振るった。
直感だけでセージを捉えるのは難しい。お互いに動きのクセは熟知しているのだ。
それでも後ろに下がるのを良しとせずにジオは迎撃を選んだ。勝算云々というよりも、ラウドに邪魔をされ仕切り直すなど糞喰らえという意地が出た形だ。
だがセージもこの瞬間、前に出た。
いや、前には出ていたのだからこの表現は正確ではない。セージはこの時、あえて踏み込みを強めて、それこそ限界近くまで加速した。
これは明確な失着だ。正着はむしろ速度を緩め、この機械文明の発達していない国ではとても高価な時計がジオに当たって粉砕するのにタイミングを合わせるのが正しい(ちなみに失着は失敗の着手、正着は正しい着手という意味の囲碁用語です。あしからず)。
だがそれでもセージは前へと急いだ。間に合えと手を伸ばした。ジオに譲れぬ意地があるように、セージにも捨てられぬものがあった。
例え金銭的な不自由がなくなった今でも、それは見過ごせなかったのだ。
金額にして幾らになるのか想像したくもない高額の品が目の前で壊れるのを。
それが負債となって己に襲いかかってくるのを。
冷静に考えればそれはありえない。
喧嘩をしていたのはセージとジオだが、部屋や調度を壊さないよう気は遣っていた。
戦士としてはほとんど門外漢なヴァインにはそんなことは分からなかったが、ラウドにはわかった。 そしてそんな二人の喧嘩に横槍を入れる形で時計を投げつけたのもラウドだ。
気前のいいラウドは当然、帰ってからスノウに怒られることも気にせずに弁償してくれる(正確には弁償を約束し、スナイク家に請求書を送らせる)。
だが咄嗟にそんな事まで考えが及ぶはずもなく、セージは手を伸ばした。
ただ掴むだけではダメだ。それでこの速度を止めては握りつぶしてしまう。だから間に合うほどの速度を出しつつ、それでいて投げられた卵を掴むように、繊細に優しく止めなければならない。
そんな事は到底、不可能だ。不可能だが、しかしこの世界には魔法があり、魔力がある。
そしてセージは封じられてこそいるものの仮神の瞳という破格の魔力感知を持って、その制御技能を高めてきた。
秀才の延長にいるセージには、たった一度のトライで不可能とも思える奇跡を起こすことは難しい。
だがセージは天才に匹敵しうる秀才だ。
奇跡を起こすための準備が整っているのならば、その限りではない。
だからセージはこの時、奇跡を起こした。
刹那の一瞬でも遅ければ間に合わなかっただろう。それだけの速度を出していた。
僅かにでも力が足りなければ止めきれなかっただろう。僅かにでも力を込めすぎれば壊していただろう。
それでもセージは伸ばした手と魔力で、包み込むように高速で飛んでくる時計を受け止め切った。
それはラウドをしても目を見張るだけの技量の発露であった。
「ヘブシっ!!」
そして奇跡を成したセージは、ジオに殴り飛ばされた。
「……」
「……」
ラウドとヴァインは空いた口がふさがらないという様子でそれを見た。
もしかしたらラウドはセージがよそに気を取られているのに拳を止めようともしなかったジオにこそ、目を見開いたのかもしれなかった。
「……なんだか釈然とせんが、俺の勝ちだな」
ほぼ無防備に殴り飛ばされて気を失った(胸に抱えている時計は無事)セージを見下ろし、微妙な顔でジオはそう言った。
「ちっ。かえって邪魔をしたか。
……おい、どこに行くジオ」
気絶中のセージを抱えて待合所の出口へと向かうジオを、ラウドが呼び止める。
「形はどうあれ俺の勝ちだからな。帰る」
意訳すると、勝ったから面倒くさい式典には出席しないという意味です。
「そんな約束はしてなかっただろう」
「邪魔をしておいて、文句をつける気か」
「ふん」
ツッコミは入れたものの、よくよく考えれば引き止める理由がないとラウドは思い、肩をすくめた。
ちなみにラウドはパレードの主賓であると同時に、パレードを運営する名家スナイク家の人間なので、よくよく考えなくても主賓の片割れであるジオを引き止める理由はしっかりある。しっかりあるが、ラウドは無いと思った。
そんなやりとりを見てジオの言葉の意味を理解したヴァインが、慌てて声をかける。
「ベルーガー卿。国を挙げての祭事ですよ、そんな勝手な!!」
しかしジオは聞く耳持たずに待合所から出て行った。その出口で産業都市のゲイツ一等騎士とその上司にすれ違って、
「あの、謝罪に……え、あ、あれ? ベルーガ様? その、セイジェンド様はお加減が?」
「む? ああ、そこをどけ」
「は、はい!!」
適当な返事をして、本当に帰っていった。
「あ、あの、良かったんでしょうか」
「さあな。スノウが適当にうまくまとめるだろう」