138話 スノウ・スナイクの忙しい日々
「それで、報告は以上かな」
「はい、一応」
スナイク家の当主であるスノウが執務室で報告を受けていると、
「帰ったぞ」
兄であり皇剣であるラウドが、ノックもなしに入ってきた。
「おかえり。聞いてるよ。東の方はそれなりに忙しかったようだね」
「ああ。ハーピーが出て、空からの侵入を許したな。ちょうどオーガの襲撃と重なったのがまずかった。ギルドと騎士からは死人がでたが、市街地や畑は無事だ」
「不幸中の幸いだったね。ところで僕は仕事中だったんだけど、気づいているかな」
ラウドは言われて、スノウと報告に来ていた男――線の細い立ち姿は戦う者ではなく、研究者や学者と呼ばれるにふさわしい姿――を改めて見る。
「ふむ。そのようだな。出直したほうが良かったか」
「……いや、いいんだけどね。ノックぐらいはしてね。
ああ。せっかくだし、兄さんの意見も聞きたいね。
とりあえず簡単に説明すると、ジオが竜と間違われて管制の機器が壊れた事件は覚えているかな」
ラウドは頷いて答えた。
「うん。その時にジオが地面を大きく裂いたんだけどね。
どうもそれが危険なものじゃないかって話があって調査をしてたんだけど、ひと月ほど前に勝手に塞がったんだよね」
「……お前は何を言ってるんだ?」
「変なことを言ってるのは分かってるんだけどね。
ジオの作った裂け目は底が見えなくて、探査魔法では何もわからなくて、何人かが亀裂の中に入っていって、帰ってこなかった。
実際に入った上級のギルドメンバーが言うには、最初は普通の穴だったけど、進んでいくと絶対に近寄りたくない予感に襲われる。
その予感を無視して怖いもの見たさに進んだやつが、吸い込まれるように闇の中に消えたって。
モンスターを生け捕りにして縄をつけて放り込んだら、やっぱり吸い込まれて縄もちぎれたって」
「なんだ、それは……?」
困惑するラウドに、スノウは首を横に振ってみせた。
「わからないよ。長期にわたって発動し続ける魔法や闘魔術かもしれないし、荒野の地下深くに僕たちの知らない特殊な魔物が潜んでいたのかも。
その調査をさせていたんだけど、いつの間にかそのおかしな闇は無くなって、亀裂の底にたどり着いても普通に地面と地下水があるだけだった」
それがスノウの受けた報告だ。
正確にはおおよそひと月前、セージが目を覚ました数日後に一報はもたらされていた。しかし場所が荒野にあるため現地の調査メンバーは速報として三名を出し、残りはその場での監視を続けていた。
それから事態を知ったスノウの指示が届いて調査メンバーは全員撤収することになり、学者の男は残っていた期間に調べたことを纏めて、正式な報告を行っていた。
ちなみに正式な報告でも、何も分からなかったということしか分からなかった。
「……わからんな。竜との戦いであいつは力をセーブしていた。本気になった時の切り札にそういう力があったか、あるいはそれに引き寄せられた魔物がいたか」
「まあ、そうなんだよね。残留していた魔力は荒野の魔力障害でまともに調べられなかったし、魔物である可能性を考えると不用意に亀裂の中に入っていくのも危険だったしね」
ところでと、スノウは学者の男に話を向ける。
「一応って、言ってたけど、何か続きがあるのかな」
「ええ、その、報告としてあげるには怪しげな話になるのですが、スノウ様なら全て話せとおっしゃると思いまして」
「そうだね。おっしゃるね」
スノウは少しおどけて話を促す。
「その、ちょうどその闇が消えた前後で、調査、警護、休憩に入っていた全てのものが居眠りをしました」
「……職務放棄を律儀に報告してるわけではないようだね」
「はい。いえ、そのことに気づいたのは偶然なんです。いいえ、もしかしたら気付いた者の勘違いかもしれません。
時刻は夜間帯で、休憩に入っているものは就寝していたのですが、研究者である彼は荒野での仕事が初めてで緊張から眠れなかったんです。
彼はひどい不眠症で、ですがその時は休憩に入るやいなや眠りにつくことができたと。三時間も眠ったのは久しぶりだと。
彼は少し浮かれたようで、テントから出て警護を担当していた友人にその事を語って、こう言われたのです。
お前がテントに入って、五分と経ってないぞ、と。しかし時計を見れば確かに三時間たっていました。
そして眠っていたものを除き調査メンバー全員が、その時に限って交代の時間が早いと感じたと、その日の報告を上げています。時間は体感によるものなので不確かですが、しかし平均して三時間ほど」
学者は真面目な顔でそう言った。そうしなければ質の悪い冗談を言っていると捉えられるだろうと思っていた。
だがスノウはむしろ真剣にその話を聞いていた。
「……それが事実だと仮定すると、裂け目の中にいた闇が、上級のギルドメンバーすらも一瞬で意識を奪い、その事を気づかせもせず、さらになんの危害も加えずにその場を去ったと考えるのが妥当かな」
「そんな魔物がいるのか?」
「帝国や共和国の方では人を襲わない魔物もいると聞くしね。強い力を持つけど、害意を持たない魔物がいてもおかしくはないよ。もっともあくまで仮定の話だけどね」
スノウはそう言った。仮定の上の仮定である以上、その憶測にさしたる価値はない。そもそもそんな魔物がいると本気で思っているわけでもない。
もし詳しく調べるならジオの協力が不可欠だが、アシュレイ殺しに関わった疑いが強く、ライバルのラウドがいるスナイク家はジオにとって敵に分類される立場だ。
それでなくともその技を使った日のジオは、はっきりと消耗していたとの報告が上がっている。そんな技を気軽に見せてはもらえないだろう。
「とにかく報告ご苦労様。報酬とは別にちょっと心付けを加えておくから、みんなと一緒に打ち上げでもして来るといい」
「はい。お心遣いに感謝します。それでは、私はこれで」
学者の男が退室すると、ラウドはスノウに向かってからかうような笑みを向ける。
「随分と気前がいいじゃないか。俺の時とは態度が違うんじゃないか」
「兄さんには厳しく言っておかないと、好き勝手に使うからね」
ラウドは皇剣という立場上、国から活動資金を渡されてはいる。
ただあまり公には知られていないことだが、その金額は決して高いものではなく、セージの年収の十分の一以下だった。
もっともそれはあくまで皇剣に支払われる基本給であり、ラウドはギルドを通した活動によってセージの十倍を遥かに超える報酬を得ている。
しかしラウドの主武器は剣型の使い捨て呪錬兵装である。
硬化や飛翔に遠隔制御、さらには破裂、刃先の鋭利化に回復阻害の呪いなど多様な呪錬がなされている。
当然そんなことができる技師も呪錬に耐えられる素材も限られていて、結果として使い捨ての道具でありながら目を見張る金額の代物となってしまっている。
セージ流に例えると、日本円換算で高級車が買える値段といったところだ。
ちなみに竜相手では負傷させるにとどまった飛翔剣だが、普段は相手が上級の魔物であろうと一本突き刺して剣を破裂させれば殺しうる。
しかし竜という国難をもたらす災害を相手取れば六本消費しても報酬が勝るが、上級の魔物一匹が相手では費用対効果は到底割に合わないものとなってしまう。
強力な破壊力をもちラウドの代名詞とも言える武器の飛翔剣だが、困ったことに使い捨ての飛翔剣は相手に突き刺さったあと、魔力によって間接的に抜くことができない。
弱い魔物ならば勢いで突き抜けることができるが、中途半端に強い魔物が相手だと途中で止まってしまう。そうなると魔物の体内魔力が干渉するせいで自由に動かすことができない。
魔物が自分で抜いてくれればそれでいいのだが、体力のある大きな魔物――今回で言えばオーガ――だと剣が突き刺さったまま闘いを続けるものもいる。
別に飛翔剣が使えなくともラウドは強いのだが、飛翔剣は行使している間常に魔力を消費する。それは魔物の体に突き刺さったまま動かさなくても変わらない。
魔力に関しては精霊からの供給があるものの、しかし自分の中から失われていく感覚は有り、さらに言えば飛翔剣を操っているときは空間把握に機動操作にかなりの神経を使う。
ならば飛翔剣への魔力供給を止めればいいのだが、もともと色んな呪錬を施し、破裂などという物騒な魔法を内蔵している剣である。
魔力供給が途切れれば硬化の力も落ち、ふとしたタイミングでポッキリと折れる。主な理由としては魔物が体を動かした際の筋肉の動きでだ。
折れるだけならまだ良いのだが、その際は破裂の魔法が作動する。周囲に魔物がいればそれを巻き込む形になるが、味方がいれば彼らを巻き込んでしまう形になる。
以上の理由から、飛翔剣が突き刺さってしまったらさっさと破裂させてしまう悪癖がラウドにはあった。
皇剣が実戦に出なければならない状況はそうそうないが、かといってあまり大事にされ実戦から遠ざかりすぎても勘が鈍ってしまう。
そして戦闘に出れば喜々としてラウドは飛翔剣を使い、結果として得られる収入が軽く吹き飛ぶような経費をかけていた。
そんなことを繰り返しておいて資金繰りに困らないはずもなく、ぶっちゃけラウドはスノウに少なくない額の借金をしていた。
もっともラウド本人としては返す気はなく、スノウも返ってこないとわかった上で借用書を書いているだけだったが。
付け加えて言えば、スナイク家の道場では最強の皇剣に憧れて入門するものが多く、飛翔剣習得を望むものも当然多い。
そして飛翔剣は高度な空間把握能力と緻密でかつ複数の同時魔力操作技術を要するため、適性のあったごくわずかな人間と夢見がちな新人しか手を伸ばさない。
そして前者はともかく、後者は収入的に高価な使い捨ての呪錬兵装に手を出すだけの経済的余裕はない。
ギルドで頑張り、そしてゆくゆくはスナイク家の子飼いにするための先行投資として、新人たちには助成金を出していた。
それら二つの事情はスナイク家の懐事情を大いに圧迫していたので、ラウドがスノウに金銭に関して厳しいことを言われるのは仕方の無いことだった。
もっとも言われるラウドは、まるで気にもしていなかった。
いつも通りまるで堪えていないラウドにスノウが重ねて苦言を呈そうとすると、コンコンコンと、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
入ってきたのは秘書の女性だった。
「失礼します。ヴァイン情報管制室室長殿が面会を希望しています。ブレイドホーム氏の件で紹介と相談をお願いしたいと」
「わかった。ここじゃあなんだから応接室の方に行くよ。そちらに待たせてるんだろう」
秘書のはい、という返事に頷いて応えて、スノウはラウドに向く。
「それじゃあ僕は仕事があるから、兄さんもゆっくり休むといい」
「む、ああ、わかった」
ラウドはそういってスノウを見送り、
「金を貰いに来たんだが、タイミングを逃したな」
ポツリと、そんな事を零した。
作中補足~~ジオとラウドの懐事情~~
ジオは恩給と道場の指導料に託児の代金と安定した収入が有り、さらにハイオーク防衛戦と竜殺しの報酬で膨大な貯金を持っています。ただし財布の紐を天使に握られていて自由になるお金があんまりありません。
ラウドは竜殺しやハイオーク・ロード討伐の報酬こそ莫大なものでしたが、普段の支出が大きすぎるためスノウからの借金が勝っています。本人もそこに関しては自覚が有るため、報酬は全てスノウ(正確にはスナイク家)に渡し、必要になったらスノウから貰っています。
先の通り渡す額より引き出す額が多いラウドですが、スノウが頑張って金策して兄を甘やかしているので、あんまりお金には困っていません。亭主関白なラウドです。