135話 代表が怖い
「本当にすいません。父は、伝言とか、出来ないんです」
そう言われて、クラーラは一瞬頭が真っ白になった。
馬鹿にしている。ふざけている。誤魔化すにしてもひどい言い訳。名家に対するひどい侮辱。
怒りを見せ、抗議しなければメンツが潰されるひどい侮辱。
クラーラは笑みを浮かつつも腹の奥では怒りと理性が渦を巻いて混ざり合っており、それが今すぐにでも吐き出せと訴える。
しかし彼女は同時に、こうも思う。
ありえない言い訳だが、事実の可能性も捨てきれないと。
魔人ジオレインといえば守護都市において非常識の代名詞であり、ありえないという言葉こそが彼の行いにはありえない。
合わせて、目の前のマギーの様子だ。
表情は申し訳なさと恥ずかしさで悲痛なものとなっている。
それがこの場を誤魔化すための演技でないと読み取るのは、クラーラにとってそう難しいものではなかった。
そうであれば、だ。
ここで名家当主としての威厳のために怒ってみせるよりも、冷静に、寛容に振舞って見せる方が好印象を与えられるだろう。
加えて、約束を反故にしたという負い目をマギーに、引いてはブレイドホーム家に与えられれば言う事はない。
「いいのです。マーガレット様でしたね」
「は、はい。マギーです」
「そう、マギー様」
マギーはたじろいだ。
マギーはあまり新聞も読まず、基本的に家で子供の相手をすることが常で、外の世界というものに疎い。
食材などの相場や旬の季節、特産地の都市は知っていても、自分の住む都市の名家の主――行政の責任者の一人――の事など知らなかった。そもそも初めに挨拶されたが、マギーはシャルマー家という家名の意味もよくわかっていなかった。
名家が偉いと言うことぐらいは知っていても、名家の家名までは知らなかったのだ。
ただそれでも、立派な騎士と身なりのいい老人を従えているクラーラがとても偉いお姫様だというのは感じ取れる。
普段は小さな子供たちからも呼び捨てにされ、敬語なんてろくに使われないマギーはそんな偉い人から様付けされて、大いにたじろいだ。
「セイジェンド様はいつお帰りになりますか? 日程的にはそう余裕があるわけではないので、もしも直ぐに帰ってくるようなら待たせていただきたいのですが?」
「え? あ、あの。わかりません。仕事だって言ってたから。いつもなら三時過ぎには帰ってきますけど、遅い時はもっと遅くて……」
「お仕事? ギルドでは何もできないはず……」
竜討伐の祝勝会が終わるまでは危険性のある仕事は引き受けられないが、逆に言えばギルドが仲介する街中での単純労働やイベント出席などはできるし、そもそも仕事といってもギルドに限定される理由もない。
セイジェンドには懇意にしている商会がある。またシエスタの監査の仕事も順調だが、順調であるがゆえに彼女には敵も増えつつある。
その関係でなにかしら動いている可能性も否定できない。
「ああ、つまりはいつ帰るかわからないと。困りましたね。私もあまり暇ではないのですけど」
「す、すいません。父にはきつく言っておきます。あの、私や父が、代わりにはなりませんか」
「ごめんなさい。セイジェンド様ご本人に用向きがあるの。ああ、ジオレイン様にもあるのだけれど、セイジェンド様の代わりはできないわね」
「あ、はい。そう……ですよね」
私なんかが、とマギーが顔を俯けてかろうじて聞こえる程度の小さな声で呟く。
あのセイジェンドの姉ならば劣等感の一つも持っているのだろう。クラーラはその呟きを聞き逃さず、そう思った。
「勘違いしないで。セイジェンド様とジオレイン様にはマルク・べルールが大きな迷惑をかけたから、そのお詫びをしたいのよ。だから貴方が悪いわけじゃあないわ」
「あ、はい。すいません」
「だから、謝らなくていいのよ」
安心させるようクラーラが手を取って微笑みかけると、マギーは頬を赤く染めて笑顔を見せた。
「しかしそれで、どうしましょうか?」
「あ、あの、セージには帰ってきたらすぐにクラーラ様の所に行くように伝えて、それではダメですか?」
「まあ、そうなるかしら。でも謝罪に来ておいて呼びつけるような真似をするのは、ねぇ……」
「そんな事、全然大丈夫です。そもそもクラーラ様が謝るようなことは――」
「いやいや、謝罪というのは、しっかりとやってもらうべきだぞ。マギー嬢」
マギーが必死になってまくし立てていると、不意に、男らしい女性の声が遮った。
◆◆◆◆◆◆
「それで、ブランド化か」
「ええ。手をつけるなら、やはりそこかと」
「お前はむしろ安くて質のいいもんを出回らせる主義だと思ってたんだがな」
「そりゃあ基本路線はそれで行って欲しいですよ。でも代表の商会で足りてない物って言うと、その路線かなぁと。
安くてそこそこ質が安定してるから庶民の味方で、安心して買いに来れるっていうブランド力はあります。でもそれに加えてちょっと奮発したい時とか、なにかの記念とか、そういうメモリアルな感じで使う場があればいいかなって思っただけですよ」
「そうだなぁ。どうも育ちが悪いもんで、その系統は外見にばかり金をかけたボッタクリのイメージが強くてな」
「育ちなら守護都市の人間はだいたい悪いですよ……っと、代表は商業都市の生まれでしたっけ」
「おう。あの都市はひどくてな。金を巻き上げるためなら何でもするってやつが多すぎる。おかげでガキの頃から目利きを鍛える機会には事欠かなかったな」
「うわぁ。長期的に見ると信用って何よりお金を産むと思うんですけど、そういう商売をする人っていなかったんですかね」
「いるにはいるが、名家の連中が潰してまわってたな。ひどいもんさ、本当にな。それでいて名家の連中は精霊様からの権威にあぐらかいて、ついでに名家のブランド力とやらで荒稼ぎしていたな」
「……将来どこかの都市に移り住むにしても、商業都市だけは避けたいですね」
「名家が幅をきかせてるって意味じゃあ、どこも同じだけどな。お前の大好きな農業都市だって、名家が豊かな土地のほとんどを独占して、奴隷みたいに農作業させられてる子供が多いって聞くぜ」
「うわぁ。夢のないこと言わないでくださいよー」
「ははっ。しかしブランド化か。気乗りしなかったが、お前の言うように奮発して高級品ってのもありだし、憧れのブランドってやつを作り上げるのも面白いか」
「……意見出しておいてなんですけど、そっち路線を重視しすぎないで下さいよ?」
「わかってるさ。スポンサー様の言うことには逆らわんよ」
「うげ、やめてくださいよ代表」
「わかったわかった。そら、そろそろ見えてきたぞ――ん?」
ミルク代表と、話をしながら家路をたどる。
夕飯の食材を買うついでに、代表にお金が余るから何か使い道ありますかって声かけて、まあそこで『気軽に融資の話持ってくるな』とか『もうちょっと自分のために使え』とか、そんなやりとりを交わしました。
とはいえ商会の方でも街の不良たちが一人前になり始め人手が潤ってきたので、ミルク代表としても事業拡大のちょうどいいチャンスとなっており、お金は受け取ってもらえることになりました。
まあもっとも特別報酬は個人の稼ぎとしては破格の金額だったけど、商売をやる上での資金としてはそこまででもないので、私のお金はあくまでミルク代表が貯めていた資金の足しという程度だ。
それでも出資者は出資者ということで、今後の商会の経営方針について相談を受けたというか、利用者目線で今の商会に何が足りていないかを話し合った。
ちなみにミルク代表と一緒に帰る理由は夕飯に招待したから。
今後の経営その他の相談でシエスタさんも交えて一緒に話をしようと言われて、それならアリスさんも来るので夕飯もどうですかと誘ったら『あいつはちょっと教育に悪いからな……』なんて事を呟いて、いっしょに食卓を囲むことになりました。
ちなみに夕食後は陽も暮れて遅くなるので、空いている客室で泊まっていく予定。
たぶん流れでアリスさんも泊まっていくと言い出すだろうから、使い捨ての歯ブラシとか安い下着とか買っておいた。
安物を買うのはケチってるわけじゃなくて、下着を返せとか言いたくないのでそのまま譲渡するつもりなんだけど、立派なのを渡すと相手方が気に病みそうだからというやや遠まわしな気遣いです。
でも肌に身に付けるものだからちゃんとしたものの方が良かったかな。
マリアさんも泊まっていく機会とかあるかもしれないし、やっぱり突発なお客さん用の買い置き肌着は普通か、ちょっと立派なものにしておこうか。
話がずれたが、ともかくそんな理由でミルク代表と家に帰ったら、何故かクラーラさんたちが来ていた。
カナンさんはすぐにこちらに気づいたけど、クラーラさんと騎士様は気づいておらず、姉さんと普通に会話をしている。
いや、姉さんの様子はちょっと普通ではない。まるで憧れの先輩や尊敬する芸能人と話している女学生みたいな、浮ついた雰囲気がある。
そんな会話を見たミルク代表が、早足で姉さん達のもとへ向かっていった。
……何というか、厄介事の匂いがする。
◆◆◆◆◆◆
「いやいや、謝罪というのは、しっかりとやってもらうべきだぞ。マギー嬢」
「え?」
「これはこれは。ミルク・タイガ様。お初にお目にかかります。クラーラ・シャルマーです」
「ああ。初めまして、陰険姫。この間は随分なちょっかいをかけてくれたな」
「おや? 何の話でしょう?」
「……ふん。まあ証拠はないが、その態度は気持ちの悪い事だな」
「まあ、随分なおっしゃり様ですね。いわれなき暴言で私の心はとても傷つきました」
「ほう? それでどうする。名誉毀損で訴えるのかな、陰険姫」
「いえいえ、そのような大事には。ですが、謝罪のひとつぐらいは欲しいところですね」
「はっ、糞くらえだ」
ミルク代表が吐き捨てたその瞬間、護衛の騎士の手が腰元の剣に手を伸ばす。
もっとも剣は抜き放たれることなく、その手を別の小さな手が抑えていた。
「――ほぅ」
感心したように、カナンが吐息を漏らす。
「くっ、貴様いつの間に。放せ!!」
「いや、あの、すいません。でもこんなところで刃傷沙汰はやめてください。小さい子供もいるんですから。代表の無礼は謝ります。謝りますから」
「ふざける――」
「やめいっ!!」
カナンの一喝に、騎士とセージが動きを止める。二人だけではなく一触即発だったミルク代表とクラーラ、それを見て狼狽していたマギーも、呆気にとられて動きを止めた。
「小僧の言うとおりじゃ、収めい」
少し恥ずかしそうに咳払いしたカナンがそう言って、騎士は渋々と剣から手を離す。
セージもそれを察して騎士から手を離した。
「ふむ。しかし一度見ただけでうまいもんじゃな。その気になれば手を押さえるでなく、気づかれることなく意識を刈り取ることもできたろう」
「まあ綺麗なお手本を見せてもらえましたし、ヒントも貰えたので。あと父じゃないんですから、いきなりそんな物騒なことはしませんよ」
ギョッとする騎士を尻目に、カナンはそうセージを褒めた。しかしセージはカナンに気づかれていたことを察していたので、そう得意気になる事もなく、というか内心に悔しさを隠して、そう応えた。
「ふむ、技真似の上手さは父親譲りに見えるがのぅ。そちらの女傑殿も、あまりうちの嬢をいじめんでくれるかの」
カナンに言われ、そしてセージから責めるような目で見られ、ミルク代表はさすがに形勢の悪さを悟る。
「まあ、失礼した。シャルマー家ご当主殿」
「いいえ。誤解というのはどこにでもありますから、お気になさらずに」
両者の目は一瞬だけ細くなり、火花を散らす。
セージはこっそりと、ため息をついた
セージ(代表も面倒事を起こす側でしたか)
ミルク(待て、心外だ。理由はちゃんとある)
マギー「……なんで見つめ合ってるの?」