134話 地味にランクアップ
「もう、気をつけてよね。女の子は大事にしなきゃいけないんだよ」
そんなことを口にする四十代女性に、しかしこれ以上のお説教は勘弁して欲しいので素直に頭を下げることにする。
「ハイ、スイマセンデシタ」
「うん。分かればよろしい。
……ちゃんとわかってるよね?」
「ハイ。カンゼンニカンペキニリカイイタシマシタデアリマス」
「……む~。なんか納得いかない。
あ、ギルドカードきたよ。預金額は――すごっ!!」
え、なに。ちょっとそういうこと言うのやめてくださいよ。ただでさえアリスさんの唐突な奇行に周囲の注目が集まってるんですから。
「ほら、セージくんも見てよ」
「いや、あの、ちょっと下品ですよアリスさん――って、すげぇ!!」
カグツチさんの武器を買う目処が立つくらいの額が入ってれば御の字だと思ったのに、払っても十分すぎる額のお釣りが残るほど入金されている。
「いやぁ、防衛戦二回分を少人数でやってるからすごい金額になるとは思ってたけど、ここまでとは思ってなかったなぁ。竜退治だもんねぇ……」
「本当ですね。戦ったの二回だけなんですけど。いいんですかね、こんなに貰っちゃって。いや、返せって言われても返したくないんですけど」
「うん、わかる。
……あ、思い出した。そういえばそれ、セージ君が盗られてたお金も入ってるって言ってたよ」
アリスさんが思い出したようにそう言った。
盗られてというのは、ギルドの内勤のスタッフやテロリスト冤罪事件のマルク氏が私の給金の一部をくすねていた事だ。
「あ、そうなんですか? 別に返してもらわなくても良かったんですが、まあそういう訳にもいかないんでしょうね」
「うん。信用問題だからね」
マージネル家のごたごたは公にはなっていないが、しかしマルク氏の方は詳細こそいくらか手が加えられているものの、おおむね事件通りのことが新聞報道もされている。
着服を行っていたギルドの職員も懲戒解雇になっているし、刑事罰も課せられるようだ。
私にお金を返すのもギルドはクリーンな組織を目指していますというアピールの一環だろう。
まあここは世紀末な守護都市なので日本ほど組織の清潔さは求められてはいないが、それでもこういった対応をしたほうが利用している人間の気分は良いだろう。
「……こんな大金、何に使おう」
「ねえセージくん。私今晩空いてるんだけど、いっしょに食事とかどう」
「別にいいですよ。夕飯は一人分多く作りますので、食べに来てください」
「え? いや、そういう意味じゃ……、まあいっか。うん。ご馳走になるね」
アリスさんには頷いて答えておく。
しかし本当に何に使おう。いや、カグツチさんへの支払いで大半が吹っ飛ぶのだけど、残りの数割でも十分大金なのだ。
まあ親父がまた何かやらかすだろうから貯金はしておくとしても、全部貯め込むのも不健全だろう。半分ぐらいはまたミルク代表に預けて有効活用してもらって、残りはなんだろう。
託児所の設備投資ももう終わってるし、使い道が思いつかない。やっぱり貯金かなぁ。まあ勉強や娯楽用に本をもう少し買って、食事を良くしようか。今日はアリスさんも来ることだし。
「……ん?」
「どうしたの?」
お金の使い道を考えながら漫然とギルドカードを見たら、おかしなことに気がついた。
「ランクアップしてますね」
「うん。正式な勲章は三年後だけど、もう授与が決定してるからその関係でランクアップしたんだけど。……やっぱり、手紙は見てないんだね」
「ああ、手紙で通知が来てたんですね。うん。帰ったら探してみます」
そしてついでに親父をしばいておきます。
しかしこれで私も中級中位か。
中級下位が守護都市のギルドメンバーとしてようやく一人前として認められるランクなので、中級中位は立派な一人前として認められるランクだ。ちなみに中級上位だとベテラン枠に入ってくる。
あと一つでクライスさんたちとランクの上では同じになれるんだと思うと感慨もある。
感慨もあるが、しかし私はなぜ自分の意志とは関係のないところでランクアップしているのだろう。
悪いとは言わないのだけど、このまま調子に乗って中級上位に上がると、何かの拍子(たぶん親父の悪行)で上級にランクアップして、スノウさんに上級になると多くの権利がもらえるんだから、相応の責任を果たしてよね、と無理難題を吹っかけられそうな気がする。
いや、あくまで気がするってだけなんだけど。
「まあとりあえず用件は終わりですね。ああ、そうだ。カグツチさんの支払いで小切手欲しいんですけど」
「ああ、それは窓口があっち。私は無理ー」
大金を持って歩くなんてできないのでそう言うと、アリスさんはそう答えた。
受付事務の人としては不真面目な態度だけど、見た目の愛くるしいアリスさんがやると自然と許されるので、美人はお得である。
「わかりました。それじゃあまた夜に。ありがとうございました」
「うん。またね、天使」
語尾にハートマークでも付きそうな口調でそう言ったアリスさんと別れて、銀行業務専門の窓口に向かう。
ちょっと小児愛に偏向気味のアリスさんはありていに言うと美人だけど変人なので、変な事を言っても不思議ではない。
不思議ではないが、あまり変な呼び方をして欲しくはないものである。
まあエンジェルなんて恥ずかしい呼び方、他の誰もしないだろうから別にいいんだけど。
◆◆◆◆◆◆
angel,say the end.
その通り名を聞いたとき、まさにそれだと思った。
無慈悲な冷酷さを併せ持つとは言え、その行動は善性の体現者と言って差し支えがない。
幼い時分から街の清掃などをし、彼が関わった地区は景観の美化と共に治安改善が進んでいった。
守護都市はその性質上、利用できる土地が限られる。
だがそうは言っても人が暮らしていけばそれぞれに領分というものができてくる。
たとえばそれはクラーラが暮らす高級住宅街であったり、ハンターから上がってきたばかりの者たちが使う安アパートとその周辺で暮らす浮浪者たちのいわゆる貧民街であったり。
その天使が住まうのはギルドで一定の成功を収めた者たちの住まう区画で、前者とも後者とも色合いが違う。
一軒家もアパートもマンションも高級住宅もある雑多な地区で、荒くれ者や奇抜なものたちが多くて喧嘩は日常茶飯事、さらには浮浪者や孤児も多く紛れ込んでいて治安はある意味で貧民街以上に悪い。
そして正しくは、悪かった。
魔人ジオレインのお膝元で騒動を起こすものは多かった。なにしろその魔人が生きる騒動の塊なのだ。
そして魔人は自身に累が及ばない限り、そうそう口や手を出してくることはない。
かつてはそれを利用して魔人の名を騙った犯罪が頻発する時期もあった。
もっともそれは調子に乗った犯罪者たちが魔人と明確に対立したことがきっかけで激減した。
しかし悪質な犯罪者は減っても魔人を怖れ、そして敬う戦士たちは、むしろ騒動を起こすことこそがギルドメンバーとして正しいのだと言わんばかりに日々喧嘩に明け暮れ、浴びるように酒を飲み、金で女を買って、騎士と揉め事を起こした。
そんな荒んだ地区の日常が、天使が生まれ、街に出るようになってから少しづつ変わってきた。
最初は街の一区画の、ごく一部が綺麗になって、それを嫌がった浮浪者が他所に逃げるくらいだった。
ただ当時を知る者たちから聞き取りを行えば、街の雰囲気が明るくなり隣人同士の挨拶も増えてきたと、そう語った。
そうして緩やかな改善が続き、天使がギルドに登録してからもそれは続いた。
その変化が大きく加速するのが政庁都市に接続した一年前からであり、天使のもとにシエスタ・トートが住み着いてからだった。
たった一年でギルド在住者の区画から多くの浮浪者が消えた。正確には孤児たちが次々と保護され、職に就くようになった。
盗みや殺しを行って生計を立てていた彼らが、健全な労働者となったことの恩恵はとても大きい。
浮浪者の中にはギルドから落ちぶれた者たちもいたが、彼らはそんな明るい空気の変化を嫌ったのか、貧民街に移っていった。
きっと天使の影響はこれからもっと大きくなるだろう。
彼の才能と気質と影響力。
それを見い出し正しく導いているシエスタお姉様には、やはり尊敬の念を覚えてしまうと、手元にいないことへの悔しさとともにクラーラ・シャルマーは思った。
「クラーラ様。やはり自らお出向きになられることはないのでは?」
「何回同じ事を言うの? 私はもう聞き飽きたのだけれど」
クラーラがそう返すと、騎士の女性はたじろんで言葉を詰まらせた。
「よいではないか、嬢がこう言っておるのだから」
「カナン様」
「当主は嬢じゃ。忠言も大事じゃが、意をくみ取るのも臣下の務めじゃて」
カナンにそう言われて騎士はようやく納得したようで口を閉ざし、本来の務めである護衛の仕事に徹する。
クラーラは心の中でため息を吐く。護衛の騎士は母の代から仕えている信頼できる人物で、けっして無能な人間では無い。
それでもこうしてカナンの言葉が無ければ納得してもらえないのは、早い話クラーラが当主としての信頼を得ていないからだ。
クラーラは年齢は二十三と名家の当主としては異例なほどに若い。
当主の座を継ぐのは四十代前半が普通で、やり手とされるスノウにしても、分類としては若手とされる。もちろん若いからと言ってスノウを軽く見るような愚か者はそんなにはいない。
だがクラーラはスノウと比べても若くして当主の座に就いた。そして未だ、十分な実績は出せていない。
早い話、クラーラは騎士に未熟な子供として心配されているのだ。
仕方のない事ではあるが、しかし面白い話では無かった。
「セイジェンド様とは一定の距離感こそ必要ですが、親しくしておく必要があります。合わせて、派閥のマルクが迷惑をかけた以上、謝罪したことを何かしらの形にして内外に示す必要もあります。
スノウ様が気にかけ、エース様が心酔している以上、シャルマー家としても代理で済ませるには相手の格が上がりすぎています」
「……はっ」
騎士はセイジェンド、ひいては魔人ジオレインの家を同格とまではいかないものの、敬意を示す家と認めるのには抵抗があるようだった。
マージネル家に並び、多くの被害を被ってきたシャルマー家の古参としては当然の反応かもしれない。
ただだからと言って甘い顔をして看過するつもりはない。
「もしその様な顔を続けるようならここで帰りなさい。護衛はカナン爺で事足ります。私たちは親交を深めるためにいくのですよ」
「はっ。失礼しました」
騎士はそう答えて、居ずまいを正す。表情もにこやかとは言えないが、不機嫌さを消した職務に忠実な真面目な顔に変わった。
「よろしい。それでは行きましょうか」
クラーラはそうしてブレイドホーム家を訪れ、
「え、セージですか? 出かけてますけど?」
現れた少女から門前払いに近い返事をもらった。
クラーラはにこやかな表情を保ちつつも、一言物申さずにはいられなかった。
「……あの、手紙と伝言を渡してあったはずなんですが」
もしも予定があるのならば、それを伝えて訪問日の変更を求めるのが常識である。少なくとも繁忙であることが常の名家当主に無駄足を踏ませるなんて普通では無い。
やはり天使と言っても魔人の子かと、クラーラは心中で毒づいた。
「……すいません。その手紙を渡した相手、もしかして父ではないでしょうか?」
「ええ。セイジェンド様が不在でしたので、家長に取り次ぎをお願いして、直接手紙をお渡しさせていただいたと聞いています」
クラーラがそう答えると、マギーは天を仰いだ。
「本当にすいません。父は、伝言とか、出来ないんです」
謝罪する少女の声は、とても物悲しい物だった。