130話 安定のバカ親父
「それが謝る態度かと言っているっ!!」
マージネル家次期当主筆頭候補のトムスは、そう声を荒げた。
荒げたが、しかし内心が怒りで満たされているかといえば、そうでもない。
来客の態度には確かに腹が立っている。
娘を傷つけられたことには確かに腹が立っている。
だがそれ以上に目の前の偉丈夫は恐ろしい相手だった。
だがトムスは次期当主である。
謝罪に来た相手に怯えて、言うべきことも言えないなどと軟弱な姿勢は見せられないと己の心を奮い立たせていた。
「む、すまん。とりあえず手土産だ。受け取れ」
「その態度をどうにかしろと言っている。謝罪というなら地に膝と額を擦りつけるぐらいの事をしたらどうだ!!」
怒りと勢いに任せてトムスは叫んだ。そして周囲のマージネル家のものたちは青ざめることになった。
若い騎士たちからすれば偉丈夫の武勇伝は面白半分の逸話だが、歳を経た騎士たちからすれば笑い話でもなんでもなく過去に実際に起きた惨劇である。
そして偉丈夫の力が健在なのは竜殺しの実績で明らかであり、子育てで丸くなったとされる今でも話が通じないことは、いつぞやの病院での乱闘騒ぎで証明済みである。
トムス様止めて、というのが周囲の嘘偽らざる本音である。
そして言いすぎた、というのがトムスの嘘偽らざる本音である。
「おい、誰に向かってモノを言っている」
そして話の通じない魔人は当然、その言葉に不快感をあらわにする。
その矢面に立つトムスは一歩後ずさった。
周囲にいるマージネル家のものたちはトムスの側仕えの騎士が主だったが、人の集まりに気を惹かれた下女や学校に通う前の幼い年頃の子供もいた。
女たちは子供たちを自分の背にかばい、騎士たちはそんな女たちを背にして立っていた。
緊張が高まっていく。
それはいつ爆発してもおかしくない。
そのきっかけは――
「お前だこのバカ親父っ!!」
――乱入した少年の罵声と一撃で引き起こされる。
偉丈夫ことジオレインはその少年に後頭部を強かに蹴り飛ばされ、地面に倒れた。
「む」
初撃は躱されるだろうと踏んでいたセージは、余りにもあっけない結果に訝しむ。
何か変なものでも食べて調子を崩していたのかと、心配して魔力感知を内部に向けても異常はない。むしろ不敵に笑っている感情すら読み取れた。読み取れたが、しかしジオは相変わらず倒れたままだ。
セージが何なんだろうこのバカ親父はと頭を捻っている傍で、小さく吹き出す音がする。
そしてそれはすぐに笑い声に変わった。
下女に庇われている子供たちの笑い声だった。
騎士たちはすぐにそれを黙らせようとするが、
「ふっ、受けたな」
「なんで勝ち誇ってるんだバカ親父」
ゆっくりと起き上がったジオの脛を、セージが蹴っ飛ばす。
その様子を見て、騎士たちも事態が飲み込めてかすれた笑いを漏らした。
「ふん。理解したぞ。人に許してもらうときは、笑わせればいいと」
「中学生か」
むと、ジオは呻く。違うのかと、目線だけでセージに問いかける。
セージは知らんがなと思ったが、一拍置いて親父も学習してるし悪いことじゃないんだから責めちゃダメだと思い直す。
「喧嘩するよりはいいけど、場合によりけりだよ。謝りに来たんでしょ。ふざけてると思われないようにしないと」
「……別にふざけたわけじゃあないが、しかしお前がいるなら話は早い。エースはどこだ」
「あー……、いま取り込み中。出直してきてよ」
セージはにべもなくそう言った。
「おい、勝手に決めるな。侘びに来ているのだろう。当主である父に会わせるのは当然のことだ」
「あ、いえ。出過ぎたことを言ったのは承知していますが、今は止めて下さい」
「何だと――そう言えば、また父に会っていたな。何かおかしな事を吹き込んだんじゃないだろうな」
トムスに問い詰められ、セージは困ったように笑う。
「会っていいなら、会いに行こう。お前も気を回しすぎるな」
「おい、待てジオ。まずは私から父に話を通す。ここで待って――ヘブシっ!!」
トムスは殴り飛ばされて転がった。殴ったのは当然ジオである。
「うるさい、黙っていろ」
「何やってんのバカ親父!!」
「話が進まんからな。気にするな。エースのおっさんなら笑って、良く殴ったくらいにしか思わん」
そう言ってジオは歩き出す。
セージは気を失ったトムスの介抱を始める騎士や下女たちを心配そうに見て、しかしそれ以上に心配な相手の後を付いていく。
「待った親父。今は本当に立て込んでるからおかしな事しないで」
「別にいいだろう。よくよく考えれば、前の時もおっさんとは顔を合わせただけで終わったからな」
ジオとエースは旧知の仲であり、アシュレイほどではないが良く面倒を見てもらった恩のある相手である。
その恩は概ね仇で返したが、そんな事をいちいち覚えていて気後れするジオでもない。
久しぶりに挨拶でもするかと、勝手知ったる様子でマージネル家の敷地を突き進んでいく。
「……ああ、このバカ親父は」
セージの嘆きもどこ吹く風で、ジオの足取りは軽い。
そして内心の魔力も、珍しく懐かしむような楽しむようなものを、はっきりと感じ取れるほどに浮かべていた。
セージはため息をついて、大人しく後ろをついていく。
ただセージがジオを止めるのを諦めたからといって、マージネル家が諦める道理はない。
「ジオレイン様、お止まりください」
悲壮な覚悟を浮かべ、その前にリオウが立ちふさがった。
とりあえず拳を握りこんだジオを、今度は機先を制してセージが止める。具体的には後ろから蹴っ飛ばした。
「いきなり殴ろうとするなバカ親父」
「む」
そんな寸劇に、リオウは軽い冷や汗を浮かべる。
リオウはジオが殴ろうとした兆候など感じ取れなかった。セージが止めなければ反応することもできずに殴り飛ばされていただろう。
こうして向かい合い身を呈して止めようと本気で挑んで、改めて実力の違いを感じ取った。
その差を感じ取れるぐらいには、リオウは卓越した戦士だった。
「お、奥方様が話があると。まずはそちらへ行ってもらえませんか」
「……む。わかった」
リオウは緊張からうわずった声でそう言い、あっさりとした返答をもらって安堵する。
セージはジオの後ろで申し訳なさそうに頭を下げていた。
◆◆◆◆◆◆
「よく来ましたね、ジオ」
「ああ」
「久しぶりね。本当に。一度くらい顔を出せばいいのに」
「用がなかったからな」
「ひどい返事ね。アシュレイがいたときはそんなこと気にしなかったでしょう」
「あの時は伯父貴が用があった」
「そんな事ないわ。だって来たって、ちゃんばら遊びと喧嘩をするだけだったでしょう」
「む。……そう言えば、そうか」
「そうよ。用なんてなくて良いから、顔を見せてくれればよかったのに」
「……だが、迷惑だろう」
「そうね。でも迷惑をかけて欲しかったのよ」
「……そうか」
「そうよ」
親父とエースさんの奥さんが親しげに話をしている。
いや、客観的に見ると親しげというには少し難があるが、コミュ障の親父と問題なく会話をしている。
「それにいつの間にかこんな大きな子を作って。見せに来ても良かったんじゃないかしら」
「……まあ、そうかもしれんな」
「そうよ。
――ふふふ。変わってないわね、あなたは。大きな子供ね。うちの人もそうだけど、男の人はいつまでも変わらないのね。
セージくんも、あなたによく似てるわ」
親父と私が揃って首をひねる。
奥さんは面白がって笑ったが、理知的な私と世紀末な親父との共通点なんてむしろ探すほうが難しいと思う。
「よく似てるわ。セージくんは要領がいいけれどね。あの人もアールも、泣かされちゃったしね」
「あ、えー、それは、その、出過ぎたことを言いました」
「いいのよ。二人共甘えん坊だから、時にはガツンと言ってあげるくらいじゃないと」
奥さんはそう言うと機嫌よく笑った。
「ふふっ。それじゃあ、引き止めてごめんなさいね。
二人に用があるんでしょ。トムスには私から言っておくから、行きなさい」
「ああ」
「はい。お邪魔しました」
奥さんに挨拶して、リオウさんに先導され親父とともに退室する。
「二人のこと、よろしくね」
「ああ」
「はい」
最後に奥さんから、そう頼まれた。
******
それからリオウさんに先導されるまま、アールさんの私室にたどり着く。
「ジオレイン様とセイジェンド様がお見えになりました」
リオウさんはノックをして、中にいる二人に伺いを立てる。
ほどなくして、入れと張りのある返事がきた。エースさんではなく、アールさんの声だった。
「失礼します」
「失礼します」
「……」
親父が無言だったので脛を蹴っ飛ばした。
「……入るぞ」
中に入ると、当然のことながらエースさんとアールさんがいた。
エースさんは少し疲れた様子で、アールさんは逆に目もとこそ赤いものの生気に満ちた雰囲気をまとっていた。
「よく来たな」
「ああ」
「……トムスの娘の件か」
「いや、それなら謝ってきた。土産も渡した」
……私の記憶違いでなければ、親父はちゃんと謝ってないし、殴り飛ばしてきた気がする。そして謝罪の粗品も奥さんに渡して、トムスさんには渡していない。
いやまあ、たぶん奥さんが上手くとりなしてくれるだろうけど。
「それでは何か用か。交換留学の約定からして、今はあまり接点を持つべきではないと思うが」
「気にするな。しかし、思ったよりマシな面構えだな」
親父はそう言ってアールさんを見た。
「だらしがないと、君の息子に叱られたからな」
「ふっ。貸して良かっただろう」
「ああ、感謝している」
アールさんは憑き物が取れたような清々しい表情でそう言った。
「感謝ついでに、一つ頼みたい」
「言え」
「私と仕合ってくれ」
アールさんの頼みに、親父は間髪入れずに応えた。
「ああ、わかった」
******
場所は変わって道場の中。
日中ということで多くの道場生が汗を流していたが、エースさんが当主権限で追い出した。
観客はエースさんと私と、アールさんの側近だったリオウさんのパーティーだけだ。
道場の真ん中で、親父とアールさんが向かい合う。審判役にはリオウさんが手を挙げたが、エースさんが自分がやると言って譲らなかった。
「こうして仕合をするのは二度目だな」
「そうだな」
「覚えているか」
「……いや」
「ふっ。だろうな。私はずっと、お前の目に止まらなかった。それが私の実力だったが、それを認めるのに時間をかけすぎてしまった」
アールさんが木剣を手に構える。親父は木剣を手にしているが、構えない。ぶらりと手に下げ自然体で佇んでいる。
「では、行くぞ」
「来い」
エースさんは開始の合図をしない。そんなものは必要ない。
二人の実力差は歴然だ。仕合の意義は勝敗にはない。
アールさんは構えない親父に躊躇なく踏み込み、一撃を振り下ろす。
かつてはきっと上級の実力者だったのだろうと思わせる一撃は、決して遅いものではない。軽いものではない。
だがその一撃にはやはり、一線を退いて長いのだろうと見て取れる鈍りがあった。
おそらくその一撃は、私でも受け止められるし、躱すことも出来るだろう。
そんな一撃が親父に届くはずはない。
勝敗は分かりきっていた通りの結果。
決着の訪れはたったの一瞬。
アールさんの親父の脳天を狙った一撃は呆気なく空を切り、そして躱しざまに無造作に振るった親父の一撃はアールさんの胴を容易く薙いだ。
アールさんはその一撃で膝をついた。
エースさんは決着を宣言しなかった。
「俺の勝ちだ」
「ああ、私の負けだ」
代わりに、二人がその終わりを宣言した。
そしてアールさんは、満足そうに笑った。
気付けば陽は傾き、夕暮れを迎えていた。