129話 さあOHANASHIだ
それでは心配事も片付いたので、改めてアールさんと話し合いをしようと思う。
そんな訳でマージネル家に戻った私は早速グライさんとともにエースさんと会い、とりあえずふたりは仲直りしたよって報告して、それからエースさんと一緒にアールさんのもとへ行く。
グライさんは仕事があるので、ここで別れた。
「……来ると聞いていたが、随分と遅かったな」
私とエースさんが訪れたのはアールさんの私室だ。
私室とは言ってもアールさんは名家の長男な訳で、まるで豪華なホテルのスイートなお部屋のように、寝室だけでなくリビングやダイニングに簡単なキッチンスペースや浴室まである。
部屋の家具や調度はどれも立派だが、アールさんの個性を感じるようなものは見受けられず、さらには綺麗に片付けられすぎているせいか無機質な印象があり、その意味でもホテルのお部屋といった印象を受けた。
おそらくこの部屋にはもう、アールさんの私物はないのだろう。
私はそのリビングで、エースさんと一緒にアールさんと向かい合った。
「急用ができましたので」
「……騒動があったようだな」
「ご存知でしたか」
いや、とアールさんは否定の言葉を口にした。
「なんとなく、慌ただしい空気を感じただけだ」
そう言って黙りこくる。
何というか、アールさんの醸し出す空気があれだ。人生の目的を失って枯れ果てたおじいちゃんみたいになっている。
雰囲気だけで言えば、エースさんよりも老けて見える。
「元気ないですね。親父に食ってかかった時とは大違いです」
「ああ、その節は迷惑をかけた。私がしっかりしていれば、君をこんな家にひと月も拘束せずに済んだだろうに」
「ちなみに、しっかりしていればどう対応したんですか」
ああと、気の抜けた声をアールさんは漏らす。
「ケイにジオの下へ行けと、はっきり口に出来ただろうな」
「……やっぱりそっちですか」
私はため息をついた。
「なんでそんな事を思うんですか」
「……それは」
アールさんは言いよどむ。その感情は当然、お見通しだ。
「恥云々ってことは考えないでくださいね。もう随分と恥ずかしいところは見せているんですから。
もういいから話して楽になっちゃいましょうよ。そのためにエースさんにも来てもらったんですから」
私がそう言うと、エースさんは怪訝そうな顔を向けてくる。
「あなたはこれまで息子と腹を割って話したことないでしょう。せめて何を考えているかくらいはちゃんと聞いておきなさいよ」
「いや、流石にそんな事は……」
「本当にそうですか? 当主としての立場とか、アールさんはこれからお家を背負っていく立場だからとか、そういう考え抜きで接したことがありましたか?」
エースさんが小さく呻く。
名家当主の責任なんて、私には想像することも出来ないたぐいのものだ。だからきっとエースさんがそうしてしまうのは悪い事ではないのだろう。
ただエースさんは名家当主としては厳しく振る舞えても、父親としては甘々にしか振る舞えないようでもあった。
いやね。トムスさんとかエースさんに厳しいこと言われるたびに、すっごい不服そうな感情になってたのですよ。
あくまで想像だけど、トムスさんが急に次期当主になったから厳しくしてるんだろうけど、反応から察するにエースさんに厳しくされた経験が少なそうなのだ。
ケイさんの記憶でもエースさんは基本的に孫に激甘なおじいちゃんだったし。
そしてアールさんは生まれた時から長男で、次期当主候補でした。
当然のことながら当主としてのエースさんと接する機会が多く、次期当主になる訳だから厳しくもされてきたのだろう。弟や妹が甘やかされるのを見ながら。
それだけでも不憫な幼少時代だが、そんな父親から唯一もらえる期待も、どこかのマダオが奪っていった。
いや次期当主としての期待までは奪っていかなかっただろうけど、戦士としての期待はすっかりごっそり奪っていったに違いない。
ちょうどその頃のアールさんは思春期の真っ盛りなわけだから、そりゃあヒネクレもするよね。
それでも歳を取ってから一緒にお酒でも飲んでいれば、わだかまりもいくらか解消できただろう。でも何て言うかそんな経験をした雰囲気はかけらも感じない。
きっとアールさんがエースさんを遠ざけて、エースさんはアールさんが望むならと生産性のない方向で甘々を発揮したのだろう。
だからエースさんには無理矢理にでも子供の言葉を聞かせておこうと思う。
……しかしまあ、なんで私はよその家族の問題にこんなにも首を突っ込んでいるのだろうか。
******
ぽつりぽつりと、アールさんは語り始めた。
その言葉には纏まりがなく、それでも一貫して自分が悪かったということを繰り返していた。
ケイを引き取った。それが間違いだった。ちゃんとした夫婦に引き取らせるべきだった。
ケイを避けた。それが間違いだった。後ろめたく感じてもそれはケイのせいでは無い。寂しい思いをさせてしまった。
ジオに敵意を持った。それが間違いだった。ジオにこだわるあまり多くの誇りを地に捨てた。
私を殺そうとした。悪党の甘言に乗ってまで。
とりとめのない話から要点を抜き出せばそんな所だ。
まあ、正しい自己分析ではある。
「まあ確かに、色々と情けないことはしていますよね」
「ああ、その通りだ」
軽い煽りを放ってみるも、ノーガードで受け止められる。
アールさんはボクサーなら審判がテクニカルノックアウトを宣言するくらいには打ちのめされている。
この方向性ではアールさんが発奮することはなさそうだ。
「でもそれとケイさんを突き放すのを絡めるのは、間違っていませんか」
「なに?」
「あなたは確かに父親として酷いものですけど、それでもケイさんにとっての父親は、あなたであるように感じました。うちのダメ親父ではなくね」
ぴくりと、アールさんの感情が動く。
「なにか誤解していますけど親父も立派な父親からは程遠いですよ。今回私を預けたのだって、普通の親なら心配で出来ないことですよ。
普通ではないから凄いだなんて思うのかもしれませんが、普通より上か下かで言えば下の方向で凄い行いですからね。非常識極まってますからね」
「だがそれは君を信頼してのことだろう。事実、君はうまく立ち回っているようだ。
ジオはそんな君を育てたのだ。父親を悪く言うものじゃあない」
諭すようなアールさんに対して、私は意を決して口を開く。
「……子供を一人、死なせているとしても?」
アールさんとエースさんが驚きの反応を見せる。そうか。調べたといっても、ダストの事は知らないのか。
これはあまり口にしたい話ではない。親父の名誉を貶めることになるし、私にとってあの子を助けられなかったことは酷い後悔になっている。
そしてだからこそ、この話をして憐れみを受けたくない。
もしも受けるならば罵倒の方がきっと正しい。
幼い弟を守れなかったと、責められなければ間違っている。
でもきっと、君は幼かったから、もう終わったことだからと、私が責められることはないだろう。
だからこそこの話を気安く口にしたくはない。
ああ、そうか。
アールさんも同じ様な気持ちだったのか。
ならまあ、私が気持ちの問題で躊躇するのも間違いか。
「私にはひとつ下の弟がいました。残念ながら二年前に病気で亡くなりましたが。
ただ当時の私たちは今と違って貧困の生活を送っていて、もしも今と同じくらいの生活水準だったとしたら、死ぬことはなかったんじゃないかなって思うんですよね」
「それは……だが、ジオのせいではないだろう」
「ええ、そうかもしれません。ですが当時の父は恩給の申請をしていませんでした。
もちろん病気ですから、お金があっても助からなかったかもしれません。
でも助かったかもしれないんです。出来ることを十分にやれていたわけではありません」
私が真っ直ぐにアールさんを見据えると、アールさんはたじろいだ。だがその感情は誤解をしている。
「勘違いしないでください。
もう終わったことですから。親父を責めても恨んでもいないですよ」
その当時、親父が馬鹿なのにはもう薄々と気づいていた。なら大人の精神を持って偉そうなことを考えている私こそが、その親父をフォローしなければならなかった。
「ただ貴方は親父を完璧な人間と幻想を抱いているようでしたから。
それと、悲しい事ってのはありふれているという話を」
「……」
「家族を失う辛さは、結局のところその家族にしか分からないと思います。
ただそれでも、失った家族よりは今ある家族を大事にしていくべきでしょう。それこそが弔いになると、そうは思いませんか」
親父はダストの一周忌で、バーベキューをしてにぎやかに過ごすことを決めた。
きっと家族が悲しみに耽るよりも、友人も含めて楽しく過ごす事こそが、なによりダストへの弔いになるとわかっていたのだろう。
アールさんは俯いて何も答えない。エースさんも、口を挟もうとはしない。
「……心の壊れたカレンさんは、けれどケイさんを産み落とすまでその命を繋いだ。
勝手な想像なんですけどね、カレンさんは早くダックスさんの下に逝って謝りたかったんじゃないですかね」
「ああ、そうかもしれないな」
「でも、それでもケイさんを産み落とした。
一緒に逝くんじゃなくて、ケイさんを残して逝った。
私も母親を捨てた子供ですから、その気持ちははっきりと分かりません。
でもやっぱり、彼女は子供には幸せになって欲しいと、生きて欲しいと、そう思ったんじゃないでしょうか」
アールさんが震える。膝の上で手をきつく握り締めていた。
「エースさんにも言ったんですけどね。
あなたはそもそもどうしたいんですか。
私にはケイさんを手放すという言葉が、親父への劣等感と罪の意識によるもので、あなた自身の意思とは解離しているように思える」
アールさんの握り締めたその手の甲に、ぽとりと雫が落ちて弾けた。
涙だった。
「セイジェンド。そのくらいにしてくれ」
「……そう、ですね」
「ああ、ありがとう。あとは任せてくれ」
エースさんはそう言ってアールさんの隣に座り、その頭を乱暴に撫でた。
私は静かに、部屋を出た。
******
やってしまった感がある。
調子に乗ったというわけではないが、少し言いすぎたかもしれない。
……アールさん、自殺とかしないよね。大丈夫だよね。
しばらくは魔力感知でその動向に注意しておこう。
そんな事を思って黄昏ていたら、怒鳴り声が聞こえてきた。
アールさんやエースさんではない。距離が遠いせいか声の内容も聞こえない。方角はマージネル家の敷地の入口方面からだ。
ちょっと気になって魔力感知を伸ばす。声は聞こえないけど、誰が騒いでいるのかはそれでわかる。
そして伸ばすんじゃなかったと後悔した。
何やってんの、あのバカ親父。
作中補足~~マージネル家がダストのことを知らない理由~~
一年前、政庁都市に接続し税金対応に追われたセージですが、とある事実に行き当たります。
ジオはマギーを始め、子供たちとの養子縁組の届出をしていませんでした。セージとセルビアに至っては出生の届けでも出されておらず、書類上はいないはずの子供となっています。
これ知ったらマギーを始め子供たちが泣くだろうという情操面への配慮、子育てによる税金控除、今後受けられる公的サービスなどの理由から、役場で面倒な手続きをして養子縁組を致しました。
ただ既に亡くなっているダストとの養子縁組に関しては、一緒に暮らしていたと証明ができなかったためできませんでした。
なのでセージに弟が居るという事実は書類上では存在していません。
さらにブレイドホーム家を古くから知るお母さんたちもセージたちのショックの受けようをよく覚えているため、その話題はあまり口にできませんでした。