128話 驚いた。いや本当に
妹が泣き出した。
いきなり、という訳ではない。
魔力感知で発見した時から情緒不安定になっているのは察していた。
ただ顔を見た瞬間に泣き出されるとは思ってなかった。
妹が感じているものを言葉で表すならば、戸惑いと喪失感、混乱と恐怖。
でも私を怖がっているようには感じなかったので、直ぐに駆け寄って抱きしめて頭を撫でると、妹は次第に落ち着きを取り戻した。
「お兄ちゃん、あたしのことキライになった?」
「なってないよ。なんでそんなこと言うの?」
「だって……いなくなったから」
「ああ、それは親父が悪い」
いや、本当に。
「えへ、そっか」
「そうだよ」
妹がもっと撫でろと頭をグリグリ押し付けてきて、しばらくそのまま妹の頭を撫で続ける。
なんというか、妹の甘え方は猫の仕草に似ている。こんど猫耳フードのついたパジャマでも買ってあげようかな。きっと似合うから。
教師の計いで応接室で一緒に昼食をとることができたので、それからしばらく昼休みを使って、二人でとりとめなく話をした。
私がいなくなって、次兄さんがキッチンで偉そうにしているとか。ケイさんは優しいから好きだとか。マリアさんは変な事を言ってシエスタさんに怒られているとか。兄さんと姉さんが怒りっぽくなったとか。親父が馬鹿だとか。いや、最後のは言ってないんだけど。
まあそんな感じで、みんなドタバタしながらも仲良く楽しくやれているようだった。
そんな風に話を続けていると――
「セイジェンド様、そろそろお昼休みが終わりますが、いかがいたしますか。よろしければセルビアくんは早退という扱いにして、午後の授業を休ませますが」
――そう、教師に言われた。
それも良いかもしれないと思ったが、あんまり甘やかしすぎるのも良くない。
「いえ、これ以上の特別扱いは教育に悪いと思いますので。わざわざありがとうございました。
妹、僕はもう行くから。学校、頑張ってね」
「あ、うん……。わかった。アニキも、早く帰ってきてね」
「うん。残りはあと数日だから。もう少しで帰るよ。それまでみんな仲良くね」
私がそう言うと、妹はズキリと胸を痛めたようだった。
「あの、あたし、ね。友だちに、けがさせたの。なぐった、の」
「うん。知ってるよ」
「えっ」
妹は驚いた様子だった。
「色んな人に怒られたんでしょ」
「う、うん」
「悪い事をしたって思ってる」
「うん」
「ちゃんと謝る?」
「もちろんだよっ!!」
「じゃあ、大丈夫。きっと許してもらえるよ」
「そ、そうかな」
「ああ」
私が頷くと妹は満面の笑みを浮かべて、ありがとうと、そう言った。
そして駆け足で部屋を出て、そのまま自分のではない教室に走っていった。
私は妹と、そして妹が向かった先にいた人達の気持ちを魔力感知でしばらく眺めて過ごした。
彼女たちが何を話しているかはわからないけど、それでも青春しているんだろうなと思いながら。
******
向こうが落ち着いたところで、少々趣味の悪い観察を終える。
ただ妹とデボラは授業に戻るようだったが、それ以外の二人はそのまま帰るようだった。付け加えると、グライさんが二人をエスコートして早く帰るように促しているようだった。
出口あたりで出くわしても良くないので、私は二人が帰るまでそのまま待つことにした。
いつまでも応接室に陣取る私を監視役の教師がやや不審な目で見ていたが、気にしないことにする。
しかし私は教師の視線とは別の理由で席を立つことになった。
「――どうしました?」
「いえ、折角ですから校内を見学して回りたいのですが、宜しいでしょうか」
「え? ええ。それは教頭先生から仰せつかっていますから、問題はありません。ただ授業の邪魔にならないよういくらかの制限はあります。問題があるようならお声をかけさせて頂きますので、その際はご協力をお願いします」
それは当然のことなので、頷いて答える。正直な所ここから離れる事が出来れば、それで良い。
私は教師とさしあたって階段を上がって適当な実習室らしき区画に入った。
「ここは魔法の実習室ですね。部屋ごとに特性があり、そこの部屋では高度な魔力障害を起こしてありますので、その中での魔法の発動や探査魔法の利用を勉強します。ただ、初等課の生徒は使いませんね」
「なるほど」
私は教師の解説に相槌を打ちながら、内心で焦りを感じる。
二人のうちの一人が、どうやら私に気づいたらしく早足でこちらに向かってきているのだ。
別に出会わないようにするのは絶対に守らなければならない条件ではないし、加えて向かってきているのは話が通じる人間だ。
しかしその話の通じるはずの人間の感情には警戒心と敵意が燻っている。
なるべく会いたくないのだが、しかし向こうはまっすぐにこちらを目指している。教師を振り切るつもりで走れば逃げられるかもしれないが、そうなると後々の面倒が避けられない。
私は覚悟を決めることにした。
「すいません、先生。少し後ろに下がっていてください」
「えっ。いきなり何を」
「まあ杞憂だとは思うんですけどね。一応、備えておくべきでしょう」
教師は何が何だかという顔で、それでも私の要請に従って私の背に隠れた。先生は成人男性だから視覚的には隠れてはいないので、あくまで比喩的な意味でしかないけど。
……女性でも隠せないとか、そんな事は頭をよぎっていない。私は決してチビではない。
そして私が待ち構える視線の先で、階段を上がってメイド服の女性が姿を現した。
「なるほど、グライのあの態度はそういうことでしたか」
「何やら心配をおかけしたようですね」
「いえ、少し過敏になっていたようです。失礼しました」
マリアさんはそう言って謝罪した。その感情から敵意や警戒心は、消えていた。
「しかし、よくわかりましたね。魔力は完全に消しているつもりでしたが」
「完全に消えていたからこそ、違和感が生まれるのです。
魔力の空白地帯が生まれるとでも言えばいいでしょうか。はっきりとそう分かるわけではありませんが、普通ではない相手が近くに潜んでいるということぐらいは感じ取れるのですよ」
マリアさんの言葉に、少し考える。
魔力というのは大気中にも存在するので、魔力が完全に消えている人型がいるとそこだけ何の魔力もない空間のように感じられるのだろうか。
いや、私の場合は魔力感知が仮神印なため体の中に隠してある魔力も見えるため、普通の魔力感知の働き方がよくわからないのだ。
そう言えば私の魔力感知を欺いたカナンさんは、魔力そのものは完全には消していなかった。
「なるほど。それでよからぬ人間が潜んでいるかもと様子を見に来たんですね」
「ええ、まあそういう事になります。
……しかし、セイジェンド様の魔力制御技術は素晴らしいですね。普通はその年齢では魔力を無駄に漏らさないようにすることも難しいのですが」
感心するようにマリアさんはそう褒めてくれた。
でもそんな事より直接関係のない学校の治安を守るために労を惜しまないのだから、マリアさんはやはり出来た人だ。
「ありがとうございます。
それに、デボラのフォローもしてくれて。
今回は妹がご迷惑をおかけしました」
「おや、お見通しでしたか。しかしお礼はお嬢様に言ってあげて下さい。何かしたいと言いだしたのはお嬢様ですから。
それにセイジェンド様には罪の意識を感じているようで、声をかけて頂ければきっと救われることでしょう」
「わかりました。顔を合わせた際には必ず」
そう答えると、マリアさんは嬉しそうに笑った。
「ああ、それと。僕のことはセージと。仰々しく呼ばれるのはむず痒いので」
「おや、宜しいのですか?」
殺したいぐらいに嫌いなのではと、少しからかうような口調でマリアさんが言ったので、私もそれに乗ることにする。
「ええ。もしかしたら義理の母親になるかもしれない人に様付けされて呼ばれるのは、とても居心地が悪いので」
「ふぁっ!? ちょ、なんだそれは!? 余計なことを言ったのはラウドか!! あのクソホモっ!! こじらせている癖に口の軽いっ!!」
顔が真っ赤になったマリアさんが爆発した。いや、爆発しそうな勢いで羞恥心が昂ぶっていた。
「お、落ち着いてください、マリアさん。軽口です。軽い冗談です。マリアさんのように出来た人に親父を支えて欲しいと思っただけで、それ以上の意味はありません。ラウドさんからも何も聞いてません」
「ほ、本当か――っ、ゴホンっ!! 本当ですか?」
「ええ、本当です」
聞いていないのは本当だ。私は力強く頷いた。
いや、私にはスーパー魔力感知があるので、マリアさんが親父に向ける感情は察しているんだけど。気安く突いてはいけなかったようだ。
……まあ、よくよく考えるまでもなく私は七歳児なのだから、大人からすれば恋愛事をからかわれるのは面白くないだろう。
うん。きっとそうに違いない。
顔を赤らめたマリアさんは誤解をしないようにと言って去っていき、ケイさんと合流して帰っていった。
何をどう誤解しなければいいのですかとかも、突っ込んではいけないんだろうなと思った。
……いずれ親父からマリアさんとの関係を聞き出そうかな。いや、地雷臭いな。関わらないほうがいいかも。
まあそれはさて置き、私も帰ってアールさんとOHANASHIしないといけないな。
作中補足~~隠れているセージをリオウたちが見つけられず、マリアが見つけられた理由~~
魔力の空白地帯に違和感を覚えることはマリアはもとよりリオウたちもできます。
ただマージネル家の敷地内には数は少ないながらも上級やそれを目指す実力者がいて、そういった人間は魔力制御の訓練の一環で魔力を内側に抑えていることが多く、早い話よくあることなので気に留めませんでした。
また空白地帯があるということは分かっても、それがどこなのかはっきりとは分かりませんので、話を盗み聞きされていたことにも気づきませんでした。
一方のマリアは現役から半引退しているため感覚はやや鈍っているものの、人質交換中にセルビアがやらかした後ということで、これを期に何かよからぬことを企んでいるものが潜んでいるかもと神経を尖らせていました。
騎士養成校には未熟な学生や、実戦から遠ざかって久しい教師や、そもそも戦闘技能を持たない一般採用の教師ばかりなので、セージの常時魔力消しには警戒心を刺激されました。
真っ直ぐにセージのところに向かってきたのは半分ぐらい運です。
補足の補足として、セージはケイ勧誘で危険視されているため、マージネル家の心象を考えてケイとケイに近しいマリアとの接触を避けようとしてました。