126話 ロリコンではありません。紳士です
「セージ君!!」
唐突ですが、名前を呼ばれました。
「あ、どうも」
相手は小さな女の子だ。とは言っても、私と同じくらいという意味だけど。
「いまはここに泊まってるんだってね。言ってくれればよかったのに」
えへへと、愛くるしい笑顔を向けてくるお嬢様。
困ったことに、どこかで会った覚えはあるのだけど、どこで会ったのか思い出せない。
妹の友達だったかなぁと頭を捻って、ああそう言えばと思い出す。妹の学校の友達だ。いや、友達かどうかは知らないけど、課外授業の時の班の女の子だ。
「えーと、どうしたの? もしかして私のことわすれちゃった?」
「いえ、ちょっと突然だったからびっくりしただけだよ。班長さんはマージネル家の人だったんですね」
「うん。……もう班長じゃないんだから、ふつうに名前でよんでいいんだよ?」
悲しそうな顔をして、私が返事をすると直ぐに笑って、そして不思議そうな顔に変わる。
そんなコロコロと素直に変わる表情に、ついつい妹を思い出してしまう。
喧嘩別れという訳ではないけど、ちょっと気まずい別れ方をしてからそのままだから、いざ久しぶりに顔を合わせた時の反応がとても気になるというか、怖いんだよね。
泣かれないよね。来るなとか言われないよね。もし言われたら私はこのままマージネル家の子になってしまおうか。
「セージ君?」
「あ、すいません。妹のことを思い出していて」
「セルビア? さいきんがんばってるよ。先生がすごいってほめてて、先ぱいたちといっしょにくんれんしてるんだよ」
へえ、私がいなくてもちゃんと頑張ってるのか。いや、別に私の居る居ないは関係ないか。
「そうなんだ。教えてくれてありがとう。妹と仲良くしてね」
「う、うん。それで、セージ君は何してるの」
「うん? 訓練がお休みだから、日向ぼっこかな」
私は許可がないと外に出る事が出来ず、許可を得ても見張りの騎士様が付いてくるので息が詰まる。
正確には騎士様は見張りでは無く、万が一にも私が外でトラブルに巻き込まれないようにするための護衛のようなものなのだけど。
私たちの交換留学は人質交換でもあるから、私の身に何かあると家で預かっているケイさんになにかされるという危惧が、マージネル家にはあるのだ。
とにかくまあそんな訳で用もなく外に出るのは気が咎め、さりとて何かやる事があるわけでもないので、ぼんやりと過ごしているのだ。
家にいれば子供の世話なり料理や掃除のような家事など、何かしらやる事があるし、無ければないで読書をして有意義に退屈を楽しめるのだが、生憎とここではやらなければならない事はなく、暇つぶしの種もない。
仲良くなった人達もいるが、騎士なりギルドなりの仕事や訓練があるので、私の遊び相手にはなってくれない。
そんな訳で、最近訓練が厳しくなったりもしたので、ゆったりまったり日向ぼっこをしていた。
……ベックさんにボコボコにやられて以降、道場の先生が厳しいんだよ。
いや、腫れ物扱いよりはいいんだけど、もうちょっと子供に優しくしてくれてもいいよねってレベルで昭和の体育会的なシゴキを受けています。
そして同じ道場生に試合で負けるようになって(シゴかれて魔力なくなると勝負になりませんよ)なんだか前より仲良くなりました。
まあ勝ったり負けたりする方が健全な関係だと思うけど、やっぱりもう少し子供に優しくして欲しいよね。
まあとにかくそんな訳で訓練が厳しくなったぶん、お休みの日はまったりゆっくり体を休めたかったりもするのです。
これはこれで退屈だけど、しかし何と言うか得がたい時間でもあった。
私はこの世界に生まれてからちょっと生き急ぎすぎている気がするのですよ。のんびりスローライフに憧れるのですよ。
「あはは、おじいちゃんみたい。じゃあね、いっしょに遊ぼうよ」
「ん~、そうだね。それもいいかな」
女の子の提案に、私は頷いて答えた。まあ子供の遊びに付き合うのも良い退屈しのぎになる。それにこの子といると妹を思い出してほっこりするし。
「えへへ。それじゃあなにしよっか。えーとね……」
「――デボラっ!!」
女の子の声を大きな声で遮って、男の人が入ってきた。この人は知っている。アールさんの弟で、次期当主筆頭候補になったトムスさんだ。
「何をやっている。いや、答えなくていい。すぐに部屋に戻りなさい」
「で、でもお父さん。私セージ君と遊ぶ約束――」
「馬鹿者!! 私は戻れと言ったんだぞ!! 聞こえなかったのか!!」
女の子ことデボラは泣きそうな顔で父親の言葉に頷き、私の顔を後ろめたそうな感情で伺った。約束したのにごめんねって顔だった。
「あの、お父さん」
「誰がお父さんか!! 娘はやらんぞ!!」
「……トムスさん、落ち着いてください。そういった意図はありません。娘さんもとても怖がっているので、本当に少し落ち着いてください」
お父さん呼びしたのはいきなり名前で呼ぶのは不自然かと思ったからであって、危惧されたような理由ではない。というか、七歳児相手に何を心配しているのか。
これはあれか。親父のせいだろうか。親父が若い頃にカレンさんを拐かしたから、私も警戒されているのだろうか。
ひどい風評被害だ。親父はロリコンかもしれないが、私は立派な紳士だというのに。
「くっ……」
そして宥めたことで何故か悔しそうにするトムスさん。
「デボラ、君のお父さんと少し話があるから、悪いけど一緒に遊ぶのはまた今度ね」
私が安心させようと微笑んでそう言うと、デボラは顔を赤らめて頷いて、てってと可愛らしく駆け出して、途中でこちらを振り返ったので手を振ったら、慌てて前を向いて再度走り出した。
子供って可愛い。
「……娘はやらんからな」
「何なんですか本当に。いえ、それより私に何か用があるのではありませんか? ずいぶんと殺気立っていますが」
ケイさんとクライスさんの夢から、ざっくりとマージネル家の主要な人間関係は把握している。
トムスさんはアールさんの実弟で、エースさんの次男に当たる。アールさんとは当主候補の座を争っていた関係だが、しかし仲違いしている様子はなく、どちらかといえば精力的にアールさんを支える立場にあった。
現在は失脚したアールさんに変わり、筆頭当主候補として仕事の引継ぎなどに走り回っているとベックさんから教えてもらった。
ベックさんついでに余談だが、クライスさんに手紙は出したが、返事はまだ来ていない。
守護都市から出した手紙は普通に届くが、守護都市に宛てた手紙はなかなか届かないのが当たり前だったりする。
郵便屋さんがサボっているのではなく、守護都市がフラフラ飛び回っているのが理由だ。
「……ふん。そうしていると戦士の顔だな。お前のような子供が居るなど、気持ちの悪い」
トムスさんはそう言って隠そうともせず敵意を向けてくる。
やはりアールさんを失脚に追い込んだこと、そしてケイさんを勧誘したことなどからマージネル家の中心人物には警戒されているようだ。
「はっきり言いますね。こちらとしてはなるべく友好的な関係を構築したいものですが」
「父と同じ事を言っているが、お前のそれは打算的で狡猾だ。ケイを奪い、この上マージネル家に取り込んで何を奪っていくつもりだ」
「……? 何も奪う気はありませんよ。ただ何も奪われたくないだけで。それよりケイさんを奪ったとは人聞きが悪いですね」
結論はまだ出ていないし、むしろマージネル家としてはそうならないように力を尽くす時期だろう。
そうしているはずだ。
皇剣を失えないという名家の立場としても、娘や孫娘を大事に思うアールさんとエースさんの心情からしても。
……そのはず、だよね。だから私は友好関係の足場作りに勤しんでいたわけだし。
「ふん。今はまだとでも言う気か。言葉の詐術も得意だったな。もはや兄も父もそうなることを諦めている」
「はぁっ!?」
「な、なんだ急に」
馬鹿じゃないの。いやもう親父よりも馬鹿じゃないの。
いやもうアールさんは確かにヘタレだったけど、エースさんはこっちの思惑に気づいてただろ。なんでケイさんを手放すなんて答えに行き着くんだよ。
マジで親父よりも馬鹿じゃないの。
「ああ、セージ君。ここにいたんだね」
呆気に取られていたら、声が割って入ってきた。リオウさんだった。
「お話中にすいません、お二人共。当主エース様からセージ君を呼んでくるよう仰せつかりまして。セージ君、少し時間を取っていいだろうか」
「ええ、こちらとしてもちょうど話したい事が出来たところです」
「えっ?」
******
「来たか。入りなさい」
リオウさんがノックをして、返事をもらってからその部屋に入る。
いわゆる応接室というやつで、とりあえず広くて、立派な調度品が飾られている。絵画とか壺とか甲冑とか、そんな感じで。まあそんな事はどうでも良い。
「どうも」
勧められる前に、エースさんの前にあるソファーに飛び乗って座る。その無作法にリオウさんと、ついてきたトムスさんが目を見開く。
「おい、セイジェンド」
「良い、トムス。子供のやることだろう」
「……はぁ」
これみよがしにため息をつくと、トムスさんの額に青筋が浮かび、リオウさんがどうして良いか分からずオロオロとする。
「どうやら機嫌の悪い時に呼び出してしまったようだな」
「そういう訳ではありませんよ。ただ、あなたが元凶だといった言葉は、正しく伝わらなかったようだと思っただけです」
「……わかっているさ。だからこうして話し合おうと思ってな。ああ、確か君は東の料理が好物なのだろう。菓子を取り寄せた。食べてくれ」
エースさんがそう言うと、給仕の女性が現れて緑茶とおはぎを運んできた。ただ給仕の女性はトムスさんがいるとは知らなかった様子で、運ばれてきたものは二人分しかない。
「トムスはよい。ただの野次馬だ」
「父様!!」
「口を挟むようなら下がれ。リオウ同様、聞くに徹するなら同席を許す」
給仕の女性はエースさんの命令に従って私とエースさんにお茶とお茶請けを運び、退室する。トムスさんは渋々とだがリオウさんと共に壁際に立った。
「……頂きます」
「ああ、どうぞ。それで話だが、どうやらそこの口の軽い息子から聞き及んでいるようだな」
「ええ、ケイさんをこちらに引き渡すつもりのようですね」
そう言って、フォークでおはぎを切り分けて口に運ぶ。
滑らかな餡子は甘さ控えめで、中のもち米は程よい弾力だった。
文句なしに美味しいのだが、緑茶に口をつけると口の中にさらなる甘みが広がって、顔をしかめる羽目になった。
「どうした、口に合わなかったかね」
「この緑茶、砂糖入ってますよ」
「うん? いや、そんな事はないが。……ああ、気を効かせたのだろうが、かえって良くなかったようだな。おい、トムス。新しいお茶を入れて来い」
「いえ、少し驚いただけですから、お構いなく」
正直なところ緑茶に対する冒涜もいいところだが、まあ子供は紅茶に砂糖を入れるものという常識が守護都市にはあるし、仕方がないのかもしれない。
ただお茶請けもお茶も甘いのはやはり間違っていると思う。
「そうか。次は気をつけさせよう。
しかしそこに憤るということは、やはり君はそれを望んでいないようだな」
「ええ、あなたは気づいていたでしょう。それに時間を置けばアールさんも気づいたはずです。
立場的にも心情的にも、あなたたちがケイさんを手放す理由はないと思いますが?」
「ああ、そうだな。合理的に考えればそうだろう」
そう言って、エースさんは苦笑した。
どうも真面目に考えた上でその結論に至ったようだ。私も居住まいを正して、エースさんと正面から向き合う。
「それでは合理的でない理由を教えてもらいましょうか」
「それがケイのためになると、そう思ったからだ」
「は?」
ついつい怒気を孕んだ声が漏れ、その無作法に壁際のトムスさんが苛立ちを示す。
「今のマージネル家にあの子の居場所はない。それにあの子も成人を迎えた。新天地で生活するのも良いことだろう」
「本気で言っているようですから性質が悪いですね。その居場所を作ってあげようとは思わないのですか」
「だがあの子の父親は、アールはこの家を出ていかなければならない。そうなった時、あの子を責める視線はどうしても生まれるだろう」
馬鹿げた意見だ。
「だから見られないところに逃すと。それを無責任な対応というんですよ。貴方がそうしろと言ったとしても、逃げるのはケイさんだ。
アールさんが抜けて苦労することになるマージネル家から離れ新天地で幸せを謳歌していると、陰口を叩かれることはないんですか?
貴方のやろうとしている事はケイさんから故郷を奪う事に他ならない」
エースさんがうっと息を呑む。
「それにアールさんがこの家を離れるといっても、出入りが完全に禁止されるわけでもないでしょう。情状酌量の余地もある以上、刑事罰についても執行猶予もつくはずだ。父親がいなくなるわけじゃあない。
貴方は、目の前にある険しい道から逃げようとしているんじゃないですか?」
壁際でトムスさんが動きかけ、それをリオウさんが押しとどめた。
「そう、かもしれん。だがワシ以上に今のアールはケイと向き合うことができないだろう」
「今度は息子のせいにするんですか。それは決断をするという責任の放棄ですよ」
娘にいい顔をしよう。息子にいい顔をしよう。孫にいい顔をしよう。
それが悪いわけではないし、実際問題を引き起こしたのはエースさんではない。
それでも止めなければいけないものを止めないのは、やはり保護者としての責任の放棄だろう。まあアールさんはいい大人なんだけど。
「貴方がそんなんだから、アールさんが思春期をこじらせたんでしょ。もっと自分に構ってよって。でかい子供に振り回されているのには同情しますが、その結果として幼い孫娘を悲しませるのが本意ですか?」
「……だが」
「隣の芝生は青いと言うでしょう。家にだって問題がないわけじゃあないですよ。でもその問題を一緒に解決していくから、家族って言うんじゃないんですかね」
自分で言っていて、腑に落ちるものがある。
私の前世の家庭環境はひどいものだった。家族は仲良くあるべきだという常識だけが共有されていて、それ以外はてんでばらばらで自分の欲に振り回される有様だった。
私自身、自分の殻に閉じこもって心を打ち明けることはなく、家族としては失格だっただろう。
まあ打ち明けたところで彼らと仲良く出来たとは思えないし、そもそも仲良くしたいとも思わない。
しかしそれでも今の家族を思えば、やはり私にも間違っていた部分はあったと反省できる。
「それにそもそも、あなたは最初の問題を間違えている」
「――何?」
「貴方は、どうしたいんですか?」
そう。エースさんはアールさんの心情とケイさんの今後を慮ったような事を言っていたが、肝心の自分の気持ちを言っていない。
「それは、関係がないだろう」
「ありますよ。馬鹿ですか。まずは自分の気持ちでしょう。相手に遠慮する前に、まず自分の気持ちをはっきりさせないと何も定まらないでしょう」
「だがあの子らは……」
エースさんの発した声は尻すぼみになって意味を成さない。
「ケイさんの気持ちはまだ確認していませんし、アールさんにしたってどうせ何も伝えずに勝手に決めつけたんでしょう?」
「……」
「それじゃあ、これからアールさんのところに行きましょうか」
残ったおはぎを口にいれ、甘ったるい緑茶で流し込む。
しかしなんで私は他所の家庭の事情に首を突っ込んでいるのだろうか。
いや、中途半端に辞めるつもりはないから、まあいいんだけど。