125話 何かおかしな事になっていませんか
「――ですからっ、あの少年は早めに隔離するべきです」
マージネル家当主執務室に、大きな男の声が響き渡った。
声の主はトムス・マージネル。当主エースの次男であり、アールが当主候補から退いたことで筆頭候補に繰り上がった男だった。
「トムス。それはダメだと何度言えばわかる」
「何故ですかお父様。こうしている間にもあの少年は周囲に取り入り、マージネル家の結束を切り崩しています」
「あの子はそんなことを目論んでいるわけではないだろう。七歳の子供だぞ。ただ新しい土地で、友人を作ろうとしているだけではないか」
エースが諌めても、トムスは納得した様子は見せなかった。
「あれがそんな可愛いものですか。卓越した戦闘技術と生存技術を持ち、政治的な判断もできる人間ですよ。子供ではなく対等な大人として、危険視するべき相手です」
「そうかもしれんが、わしらはその子に救われたのだ。お前の言っていることは恩を仇で返すことに他ならん」
「仇を返すのではありません。ただ道場の、マージネル家の次代の子達からは切り離し、そう、たとえば炊事の仕事を手伝わせれば良いではないですか」
大所帯のマージネル家にとって、食事の支度は大仕事だ。子供とて食材を切り分けるぐらいの単純作業は出来るだろうし、それだけでも厨房の連中は助かるだろう。
実際マージネル家の新人たちには交代制で週に二度手伝いに行かせている。一応は新人の少年はエースの指示で免除させていたが、これからはむしろそこに貼り付けるぐらいでいいとトムスは考えた。
「あれだけの才能を、家事などで浪費しろというのか、お前は」
しかしエースは怒気すら込めた言葉でトムスの提案を一蹴した。
ちなみに少年ことセージについてマージネル家は色々と調査をしたのだが、信憑性のない噂話――セージがブレイドホーム家で家事を取り仕切っており、さらに託児と道場の経営を事務仕事レベルから管理している――などは検証の段階ではじかれており、当主のエースを始めマージネル家の主立ったものたちは目を通すことがなかったのだ。例外は検証作業の監督役であるアールぐらいである。
そんな訳で、幸か不幸かセージがブレイドホームで家事全般を切り盛りしていることは知られていなかった。
「――っ!! では、養成校に通わせましょう。少年の妹も通っています。さらに一度は課外授業に特別参加をしているのですから、おかしなことではないでしょう」
トムスはエースの怒りに狼狽えながらも、しかし意見は変えず食い下がった。
こうまでトムスが危惧を抱く理由は当然ある。
父エースと兄アールが仲違いをした理由は、ジオにある。
ジオの大きすぎる才能はエースの心を惹きつけ、その結果アールの道を歪ませてしまった。トムスはそれを間近で見て育った。
当時はジオのことを凄い男だとしか思わなかったが、先の話し合いの顛末を聞いた今になって思えば、それに張り合っていた兄の気持ちを思えば、どれほどに絶望的で苦しい挑戦だったかと胸が痛くなる。
あんな男に勝てるわけがない。勝とうとするなら、せめて皇剣となって精霊様からの支援を受けなければ到底無理だ。
だが、皇剣になるにはあの男を倒さねばならない。
ひどい無理難題だ。そんなものへ挑戦し続ければ、心がねじ曲がっても仕方がない。
そしてトムスには同じ事が起きると、確信にも近い予感があるのだ。
たった七歳の子供が積み上げたこれまでの実績を考えれば、セージの才能はジオすらも超えている。そして間違いなくケイを超えているだろう。
何より強さを重んじる守護都市で、その才能に心惹かれるものは多い。
今はまだ上級にも入りきっていないが、直ぐにその壁を越え、そしてそのまま人の域を超えた――本来ならば精霊様のお力を借りなければ踏み入れない――特級の域にまで突き進むという未来が見える。
自分たちでは踏み入れない道を突き進むその姿、その背中に憧れるものは間違いなく多い。
だがその強すぎる輝きは同時に大きな影を生む。
きっと生むと、確信していた。
そしてそれは今回よりももっと大きな事件に発展するだろうと、トムスは危惧していた。
「あの子は養成校に入らんと答えた。その意思は尊重する。
……トムス、お前の心配は理解している。そして私は大きな間違いを犯した身だ。こんな事を言う資格はないかもしれんが、それはあの子の道を邪魔する理由にはならん。
だからお前が助けてやれ。
そしてマージネル家で道を間違うものがあれば、しっかりと叱って正してやれ。
私にはできなかったが、間違いを知ったお前ならばそれができるだろう。
だからこそあの子とは仲良くしてやれ。
ケイの弟なのだ。そして、優しく立派な子だ」
エースはそう言ってトムスを諭す。
「……わかりました」
不承不承、仕方なくという気持ちを隠さずにトムスは頷き、そして頭を下げて執務室から去っていった。
******
「……やれやれ、実直すぎるのも困りものだな」
トムスが去り、閉じられた扉を見つめてエースはそう言った。アールならばはっきりと対立する意志も無く感情的な不満を見せる事も、その上で言葉だけは従うようなこともしなかっただろう。
トムスのあれは親への甘えの表れだ。
当主に意見具申に来て親としての対応を求めるのは、次期当主として将来スノウやクラーラと渡り合うのには不安材料だった。
だが次期当主としての経験を積み、能力を開花させたアールは自らその座を降りていった。
今はトムスを育てねばならない。
「……身から出た錆、か」
エースはそう言って嘆息した。
思い出すのはジオの息子と対峙した時のこと。
アールの意思を問われ、エースは逆恨みの復讐と答えた。
そしてそんな間違った見方しかできない、見る目のない父親だという事実を突きつけられた。
アールの苦悩を、理解しているつもりだった。
ジオへの隔意にしても、時間をかけ自力で乗り越えるべきだと思っていた。確かに力では及ばないかもしれない。だが名家の長とは、マージネル家の長とは元より戦うものではなく、戦う者達を束ねる者である。
名家当主としての教育を受けていたラウドも、皇剣の座を手にして戦う者たちの頂点に立った時に名家を背負う当主の道からは身を退いた。
エースは決してアールに期待を寄せていなかった訳ではない。
むしろ戦うものとしてジオに劣っていることを受け入れることで、より良い名家の当主として成長することすら望んでいた。
だがエースの曇った目はアールの苦悩の深さを理解していなかった。
それはケイの両親を失った時と同じ過ちだ。
今でも後悔とともに思い返す。
娘の愚痴に、馬鹿な言葉を返すんじゃあなかったと。
それを頼まれたときは断固として意思で断り、そして夫を持つ女性としてのあり方を厳しく躾けるべきだったと。
それが家長として、父親としてのエースの義務だった。
「……まさか、ジオの小僧に父親として負けていると思う日がくるとはな」
セイジェンド・ブレイドホーム。
その経歴を聞いたときは心底驚いた。
たった五歳でギルドに登録。
通常、教育係がつく習熟期間では安全に気を配り、多種多様な経験を積ませるため魔物の討伐数は年間で五十を超えることがなく、パーティー単位でようやく百を越えるかどうかとなる。
だがセージが一年間の習熟期間に殺した魔物の数は百を容易く超え、五百近い数を狩っていた。
そしてさらにはハイオーク・ロードという格上との単独戦闘まで経験したという。
それはどう考えても習熟期間中に学ぶ内容を逸脱していた。
そして習熟期間を過ぎればゴブリン・ロードを狩り、共生派のテロを未然に防いだ。
この事件はその場に居合わせた教導騎士が手を回して表沙汰にはならず、世間を騒がすことはなかった――クライスはセージがテロの標的になることや名家から強引な勧誘を受ける事を危惧して気を回した――が、それでも来期の勲章は既に確約されている。
その後も単独で狩りを続け、あるいは周囲の未熟なハンター上がりたちをフォローする余裕すら見せて、習熟期間中の成果が決して教育係たちに頼り切ったものでないと証明するかのように、多くの魔物を狩っていった。
それは在りし日の幼いジオを彷彿とさせる――年齢を考えればジオすらも容易く凌ぐ――実績だ。
だからこそ同時に、このセイジェンドは、どれほど手の付けられない子供かと思った。
ジオも習熟期間中はアシュレイの言葉を守らず危地に飛び込んで『殺れると思った。だから行った』と、悪びれもせずこちらの心配も知らず好き勝手に暴れまわった。
おそらく同じような事をしているのだろうと思い、教育係たちの苦労に思いを馳せた。
エースは騎士であるため表立ってアシュレイの手伝いはできなかったが、それでも非番の日に訓練がてら同行して、ジオの暴走に手を焼かされた事があった。
知らず、エースの口元に笑みが浮かび、同時にアールを、子供たちを連れて荒野に行ったことがどれほどあっただろうかと思った。
エースは老婆心からそのセイジェンドを取り返しのつく幼いうちに養成校に入れて社交性を学ばせようと画策したが、しかし蓋を開けてみればセイジェンドの性根は父親とは似ても似つかず、理知的なものであった。
いや、きっちりとした服装に身を包んだジオも黙っていれば理知的に見えないこともないのかもしれなかったが、いかんせん子供時代を知っているのでそうは感じられなかったのだ。
ただしアシュレイの死後、初めて見る半裸でも無ければ服を着崩してもいないジオのまともな姿――セージが買ったワイシャツとスラックス。スーツでも礼服でもなく、本当に普通の普段着――を見るに、子供を拾ってからはまともになったのだろうと想像は付いた。
そうでなければ、あれだけ立派な少年を育てることはできないだろうから。
セイジェンドはアールを責め、ケイを自らの陣営に誘った。
だが聞くものが聞けばわかるように、それはむしろケイとアールの間違った関係を思っての言葉だった。
アールは踏み出せなかったが、たった一言が出せれば二人の関係はより良いものになっただろう。それだけのことをセイジェンドはしてくれた。
アールが踏み出せなかったのは我が子ながら情けない限りだったが、しかし自身の接しようを考えれば責めることもできなかった。
もしも同じ状況に陥ったとき、エースは子供たちにその言葉を口にできるか自信がなかったのだ。
殺そうとした相手を許し、それどころかそうなった経緯を思いやる度量の大きさ。
さらにマージネル家での生活を見ると、礼儀正しさも伺えた。
食事などの世話をする下女たちに感謝の心を持ち、それは同じコモンクラスに所属するものたちにも波及しているという。ここ最近、下女たちはとても生き生きとした様子で仕事をしているようだった。
聞けば、妹も騎士養成校で同じような影響を周囲に与えていたという。
腕力で問題を解決することしか出来なかった、あのジオの子供たちがと思ってしまう所はあるが、それでも現状を見れば認めるのは吝かではない。
あのジオの子は強く、優しく、立派な子どもに育っている。
そして悪行に手を染め、落ちぶれていくはずのマージネル家はそれに救われたのだと。
「……さて」
アールが抜けてしまう事で、マージネル家では事務的にも心情的にも大きな混乱が起きた。
それらをなるべく円満に治めるために、エースは時間と労力を費やすこととなった。
そしてそれはエースにとって、セイジェンドとの対話を先延ばしにする言い訳でもあった。
あの少年が立派な人格を持っているとは疑いようがない。だがトムスに言われるまでもなく、得体のしれない人物であると恐れも抱いていた。
セイジェンドは知らぬはずの知識を持ち、人の心を見透かすような眼差しをして、子供とは思えぬ風格を漂わせていた。
魔人の子に常識が通じないと割り切れれば楽だが、しかしそうも言っていられない。
かつてのエースの失態は白日のもとにさらされケイの血筋は明らかなものとなり、マージネル家を献身的に支えてきたアールは退き、次代は未熟なトムスに任せねばならない。
マージネル家はこれから大きな苦境を迎えるだろう。
セイジェンドとの対話でエース自身が嫌われることは良い。
だがマージネル家が、次代を担っていくトムスたちが嫌悪され、セイジェンドやジオと対立するようではいけない。
それは救われたことの価値を、かつてのエースとジオの関係を取り戻すチャンスを手放すことだ。そんな失態は許容できない。
もうあの事件から三週間が経とうとしている。
忙しいことには変わりはない。
それでもいい加減、怯懦の気持ちと向き合わねばならないと、エースは覚悟を決めた。
アールの望みとケイの未来のために、セイジェンドと話し合おうと。
作中補足~~マージネル家のネーミングについて~~
エース(A)、アール(R)、ケイ(K)のようなアルファベット一文字の名前は、当主直系の長子に与えられます。他の子は普通です。
これは長子が次期当主になることを期待して付けられるのですが、次の当主はトムスでその次がケイになる可能性も低いので、あくまで期待しているよという意味を込めただけの慣習です。
ちなみにケイは戦闘面の才能が突出して高かったので、エースが当主としての教育よりも戦闘関連の教育を優先させました。その結果としてケイは有力な当主候補としての名前は与えられたけれど、そのための教育は従兄弟達だけが受けるというある意味ハブられた環境に置かれることになりました。
エースに悪気は無かったのですが、周囲にちゃんと説明していないのでケイが脳筋だからとかそれ以外にも理由があるんじゃないかとか邪推され、孫たちの人間関係に大きく悪影響を与えています。