121話 皇剣様やる気を出す
「学校に行きたい」
「……いきなりなんですか、お嬢様。制服が着たくなったんですか? コスプレですか?」
「違う。マリアと一緒にしないで」
セルビアが暴力事件を起こした翌日。
朝食を終え、掃除をしてから子供たちを預かり、最初の忙しさがひと段落した時間帯。
いつもならば道場で道場生の世話を焼いたり、指導するジオの動きを観察したり、軽く体を動かして調子を整えるケイだったが、そう提案をしてマリアに訝しがられることになった。
「セルビアと、デボラの様子を見に行く」
「……見に行ってどうするんですか」
「決めてない」
真顔で答えるケイに、マリアは大きなため息をついた。
「どうしたんですか、一体。学校の問題は教師とセルビアちゃん自身に任せてよいでしょう。あれでしっかりした子だと思いますよ」
「そうかもしれない。でも私は行きたいんだ」
「……まるでジオのようですね。ちゃんと言ってくれないと、私はわからないですよ」
むと、ケイは口元をへの字に曲げる。
そう言われてもケイとしては、いてもたってもいられないからそう口にしただけで、説明出来るだけのこれという明確な理由はない。
だがマリアにそう言われたからには、少なくともちゃんと考えなければならない。
「心配だから? いや、違うかな。何かしたいんだ。私はこの家に来てから色んなことを教えてもらった。ここにはいないセイジェンドにも。
だから、なにかしたいんだ」
「……そうですか。まあ、いいでしょう。アベルに相談してきますからちょっと待っててください」
「わかった」
程なくして、マリアはアベルを連れて戻ってきた。
「まさかケイから言ってくるとは思わなかったよ」
「……ん?」
「ああ、いや。僕も様子を見に行くつもりだったんだけどね。たぶんセージもそうしただろうから。……やっぱり姉弟なのかな」
アベルの呟きは誰に聞かせるわけでもなく、尻すぼみに消える。
「じゃあ一緒に行くの?」
「……いや、折角だから任せるよ」
「わかった」
任されたケイは力強く頷いた。それを見て口を挟んだのはマリアだ。
「……お嬢様一人では流石に心配ですので、私も同行しようと思うのですが、宜しいですか?」
「ええ、お願いします」
マリアがお願いという形をとっているのをケイは不思議に感じるが、まあどうでもいいかとすぐに思考の外に追いやった。そしてケイはマリアとともに、騎士養成校へと向かった。
******
騎士養成校にたどり着いた二人はそのまま自然な足取りで校門をまたいだ。
飛び級で卒業したケイは学校内を懐かしそうな顔で見渡しながら、踏み入っていく。マリアはその後ろに付き従いながら、軽い疑問を覚える。
「お嬢様、事務室に寄らなくて良いのですか?」
「え? なんで?」
「いえ、学校というものはよく知りませんが、会社などを訪れた際はまず事務室に挨拶をするものですから」
「……学校だからいらないんじゃない? もうすぐ昼休みだから、デボラとセルビア見つけて声をかけるだけだし」
「はぁ。そういうものですか」
マリアは一定の教育こそ受けているものの、学校という機関に通ったことはない。ただ通常の企業や団体とは違うという漠然としたイメージを抱いていたので、卒業生であるケイにそう言われればそういうものかと納得してしまう次第だった。
そしてそれが間違いだということには、すぐに気づくことになる。
ケイ・マージネルは最年少の皇剣であり、そしてつい先日は皇剣の責務であり晴れ舞台でもある竜殺しにも大きく貢献した。
そんなケイの人気は大きく高まっているし、中でも武の道を志す……と言っては大仰だが、戦い方を学び始めた騎士養成校の子供たちからの人気は絶大だ。
そしてケイが言ったように時間帯としては昼休みが近く、騎士養成校では高等課からは選択履修も取り入れられており、昼休み前に授業のない生徒もいる。
つまりは何が言いたいのかといえば、
「ケイ」「ケイ様だ」「ほんもの?」「本物だよ私見たことあるもん」「え、なんで今日なにか特別な授業ってあったっけ」「知らないけどあるんじゃない、だってケイだぜ」「ねえねえ握手してもらいに行こうよ」「だめだって迷惑になるから」
二人は多くの学生たちに囲まれることとなった。
「ちょ、え、これどうすればいいの?」
「私に聞かないでください。何なんですかこの暇人たちは」
狼狽するケイに、マリアが呆れながら返す。
ケイが有名人とは言え守護都市の街中では人だかりに囲まれることはないし、他所の都市ではそれほど顔は知られておらず、イベントなどで訪問した際は周囲を護衛が付き従ってこういった事態にはならないよう取り計らわれていた。
学生の熱気――ブレイドホーム家に預けられている子供たちからのものを数倍濃くしたもの――に、ケイはたじろいでしまう。
マリアとしては一喝して黙らせ、人垣をかき分けても良いと思う。ただそうすればケイの評判は悪くなるだろう。
「ど、ど、どうすればいいの?」
「……手を振ってあげればよろしいのでは?」
「そ、そうか」
何も考えず、ケイは作り笑顔を浮かべて学生たちに手を振った。
黄色い歓声が大きく上がった。
ケイは作り笑顔のまま震えた。
好意というものも、受け止め切れる適切な分量を大きく超えて向けられれば、恐怖を催すものである。
今のところ学生とケイたちの間には数メートルの間隔がある。だがそれは少しずつ少しずつ狭まってきていた。
ケイはそんな学生たちを警戒するが、相手が戦う力の乏しい魔力量の少ない学生ということで、本気には成れていない。
さながら毛を逆立てる猫のようで、見る者によってはむしろ可愛いなどと感想を抱く雰囲気だった。
包囲は、さらに狭まることになった。
マリアは仕方がないと心の中でため息を吐き一喝しようとしたところで――
「静まりなさいっ!!」
――他の誰かにその役目を奪われた。
「なんですかこの騒ぎは。騎士を目指す者たちが無節操に。ほら、昼休みです。各自食事をとり、午後の授業に備えなさい」
「……はーい」「わかりました」「んだよ」「いこうぜ」「くちうるせぇの」「ハゲ教頭」
割って入ったグライ教頭(禿げてはいない。念のため)は、額に青筋を立てながら集まっていた生徒たちを散らしていった。
そして残ったケイとマリアに歩み寄る。ケイはビクリと反射的に背筋を伸ばした。
「まったく。あなたがついていながら常識のないことを」
「……今回は素直に謝りましょう。監督不行き届きでした」
「ちょっと、教頭先生。マリアは悪くないでしょ。あんなふうに集まってくるなんて思わなかったんだから」
グライ教頭は大きくため息をついた。
「ケイくん、自分のお立場を考えなさい。それと、勝手に校内を彷徨くのは止めなさい。
卒業生とは言え今は部外者なのですから、まず事務室に届出をして許可を得なさい」
「うぅ……」
「お叱りはそのくらいで。
それでクライブ。せっかくですから案内なさい。ここに来た要件は想像が付いているのでしょう」
マリアがそう言うと、グライ教頭は表情に苦いものを浮かべる。
「……帰れと、追い返すのも間違っていますか。良いでしょう。デボラくんを連れてきますから、一緒に昼食をとるとよいでしょう」
「デボラ? 私はセルビアに会いに来たんだけど……」
「いえ、お嬢様。デボラ様とお話することも重要かと」
「ええ。残念なことに、あの子はケイくんに憧れていますから。あなたの言うことなら素直に聞くでしょう。どうか二人の仲を取り持ってください」
マリアの言葉に、グライ教頭は即座に追従した。
ケイとしても役に立てればそれで良く、セルビアとデボラのどちらに声をかけるかは拘っていなかったので素直に従うことにする。
グライ教頭はこっそりと、安堵のため息を付いた。
******
騎士養成校には大きな食堂がいくつかあるが、どこを使ってもケイが注目を浴びてしまうのは避けられない。
そんな訳でグライ教頭は課外授業などで使われる茶室に二人とデボラを呼び、一緒に食事をとらせることにした。
グライ教頭の役目はそれで終わりなのだが、念のためにその茶室の外に控えることにした。グライ教頭は生真面目な苦労人なのである。
「ケイ様、それに先生の……」
「マリアですよ、デボラ様。怪我の具合はどうですか」
「あ、はい。大丈夫です」
呼び出されたデボラは待っていた二人を見て、そう声を上げた。
「そう。それでセルビアと喧嘩したって聞いたけど」
「けんかではありません。あの子がいきなりなぐりかかってきたのです」
「そ、そうだったね。それで、何でそんな事に」
「わかりません。話をしてたら急に……」
デボラは困ったようにそう言った。
「まあお二人共、少し落ち着いてください。せっかくですから食事をしましょう」
「は、はい」
「わかった」
マリアは固くなっているデボラを気遣ってそう言い、さしあたっては食事をとりながら何気ない言葉をかけた。
学校は楽しいか。どんな授業が好きか。嫌いな先生はいるか。
そうして少しづつデボラの緊張をとり、ついでに卒業生であるケイも加わって、おしゃべりは次第に和気藹々としたものに変わっていった。
「教頭先生はやっぱり口うるさいですよ」
「ほんとにね。私はいつも怒られてた」
「ケイ様が? 教頭先生は皇剣のお姉様をなんだと思ってるんですか」
その頃は違うしお嬢様は喧嘩ばっかりしていたので叱られて当然ですよと、マリアは反論の言葉を心の内で語る。せっかく仲良くやっているので、無粋な突っ込みは心の中でしかしないのだ。
ちなみにそのグライ教頭は昼食もとれず、茶室の外で待機したままである。
そして会話はそのまま盛り上がり、話題も変わっていく。
「ケイ様とこうしてお話できるなんて、夢みたいです」
「……そう? 私は嫌われてると思ってたんだけど」
「そんなことないです。いとこたちだって、みんな声をかけたがっているけど、ケイ様はいそがしいだろうからって」
「そう、なんだ」
安心したように呟くケイを、マリアが優しく見守る。
「それに今はセージ君がいて。セージ君が竜を見つけて、ケイ様がセージ君を守ったんでしょう」
その時のお話を聞かせてと、デボラは目をキラキラと輝かせてケイに迫る。
「いや、あいつには私が助けてもらった」
「えっ?」
「助けてもらったんだ。あいつに」
言われた言葉が理解できず呆けるデボラに、ケイは繰り返してそう言った。
「でも……、それは」
「うん。あいつより私の方が強い。でも、あいつの方が凄い奴なんだ」
「……そ、そうなんですか」
デボラはその言葉の意味がわからなくて戸惑うが、力強く頷くケイの態度に触発されてセージのことを思い、セージからセルビアと仲良くしてと言われたことを思い出し、そのセルビアに殴られたことを振り返る。
「……私がセージ君となかよくしてるって言ったら、セルビア、うるさいって。それで、なぐられたんです」
「そっか」
「私、セルビアに嫌われたんです……」
デボラの言葉に、ケイとマリアが顔を見合わせる。
そして揃ってそんな事はないと口を開こうとしたタイミングで――
「デボラ!!」
――当のセルビアが、扉を開いて茶室に入ってきた。