118話 皇剣様疑われる
驚くべきことに、ケイとマリアがブレイドホーム家に来たことに起因する明確な騒動は起きなかった。
細々としたことはもちろん起きた。
新聞等を見た親たちがセージ君そんなに強いのうちの子も鍛えて稼げるようにしてと子供を預けようとしたり、ケイまで預かってるのすごいカッコイイうちの子も同じ道場に入れてと押し寄せたり、竜殺しのジオレインが古いなんて嘘だやっぱり英雄はジオレインだと血の気の多いギルドメンバーが道場に列をなしたりした。
セージという優秀な事務処理能力と対応力を失ったブレイドホーム家はこの事態に混乱したが、しかしそこはミルク代表が現れて、
「道場だの託児だのの申請受付は、うちの商会で管理することになってる。今は空き待ちだ。申請書出したら帰れ」
そう話をまとめた。
セージから頼まれたと聞けばブレイドホーム家の面々に否もない。そしてそうすれば良いんだと分かれば、あとはアベルが上手く来客に話を通してミルク代表の商会に押し寄せて来る人たちを誘導して事なきを得た。
心配されていた料理面の方もカインがバイトの休みを取り、マリアとセルビア、そしてケイとマギーが手伝うことで何とかなった。
当初マギーはキッチンでケイと比べられることを避けようとしていたが、ケイの作った料理(塩味)を見て、参加を決意した。ちなみに作る料理は(マヨ)である。
二人はいないよりはマシの扱いをカインから受けていたが、決してキッチンから撤退しなかった。
ケイとしては別にマギーと張り合う理由はないのだが、基本的に負けず嫌いなのである。
ちなみにシエスタはまだ忙しく、早く帰ってきた時もほそぼそとしたブレイドホーム家の事務処理――経費計上や各種請求書や領収書の作成に託児所でのイベントなどの保護者へのお知らせ、さらには道場で預かっている不良たちの手当その他のための細かな書類作成――を手伝って料理までは参加できなかった。
こちらは主にアベルが担当していたが、手伝える人間がシエスタしかいなかったのである。
ちなみにまるでダメな誰かさんはどちらも手伝えず、家の掃除などをして居心地の悪さをごまかしていた。
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「そんじゃまあ、買い物行ってくるわ。マリア、来てくれよ」
「わかりました。
……別にいいんですが、さんぐらい付けませんか?」
「いいんなら、いいじゃねえか。
あんま細かいこと気にしてるとシワが増えぇぇええええええええっ!!」
カインの頭をマリアの手が鷲掴みにし、その指が食い込んでいく。カインの悲鳴を十分楽しんでから、マリアはその手を離した。
「……まったく」
「くっそ、いってえ。なんだよ怒るような――すいませんでした!!」
いつものといっても差し障りがないようになった光景を見ながら、ケイはしみじみと呟く。
「カインも懲りないねぇ」
ケイの心情としては仲間を見るような気持ちだったりする。昔はよくああして叱られたものだった。
「あいつはセージにも似たような事して怒られてたよ」
となりで同じ光景を見つめるアベルはすっかり呆れていた。
「ああ、口うるさいんだってね、セイジェンド」
ケイの言葉に、アベルが苦笑して頷く。
ケイにとって、ブレイドホーム家での生活はとても新鮮なものだった。
その中でも気持ちが惹かれるのはやはりジオの事と、セージの事だった。
ジオはケイがびっくりするぐらいひどい扱いを受けていた。
ケイの想像だとすごく立派な父親として、アールのように家族からとても尊敬されているイメージだった。しかしブレイドホームの家族たちはジオを小間使いみたいに扱っていた。それでいて、アールと違って良く|家族から話しかけられていた。
話の中身は大したことはない。
アベルはまた計算間違えてたよなんて、小言の様な、からかう様な事を言っていた。
マギーは預かっている子にスカートをめくられたと怒っていた。
カインは夜ご飯は何がいいかと聞いていた。
セルビアは学校で誰に勝ったと自慢していた。
どれも他愛のない話で、どれもケイがアールに話しかけたことのない話題で、何時も側にいるマリアには口にしたことがあるような内容だった。
セージは変な子供だった。
皆が皆、セージへの愚痴をこぼした。
頭がおかしいと、心配ばかりかけていると、口うるさいと、好き勝手やっていると、愚痴をこぼした。
でもその愚痴に頷くと決まって皆、セージのことを良く言った。
アベルはあいつがいるから今のこの家があるんだと言った。
マギーは優しくて強い子だと言った。
カインは凄い奴なんだと言った。
セルビアは一緒にいなきゃいけないんだと言った。
みんなどこか寂しそうに言った。
ケイは自分が今、マージネル家でどう言われているか気になって、きっと誰も何も言ってないと思って、悲しくなった。
エースやアールに会いたいと、そう思った。
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ケイたちがブレイドホームに来たことによる大きな問題は起きなかったが、四人もの子どもを抱えるブレイドホーム家で問題というのは日常的に起こるものでもある。
それはある意味でセージがいないことによる問題解決力の低下が引き起こすトラブルであった。
その日、ブレイドホーム家に来客が訪れた。
過去にも来たことのあるメガネの似合う壮年の紳士で、グライ教頭だった。
「げ、教頭」
「ご挨拶ですね、ケイくん――いえ、皇剣となったお嬢様をこう呼ぶのも失礼ですね。
……さて、皇剣ケイ様。御身はそのいと尊いお立場もさる事ながら、栄えある騎士養成校の飛び級卒業者でもあります。
なればこそ襟を正し、身を律し、騎士の規範をその振る舞いで示すべきでしょう。違いますか?」
たまたま手の離せなかったマギーたちに代わって来客を出迎えたケイは、グライ教頭の顔を見るなり呻き、軽い叱責を受けることとなった。
「は、はい。すいません教頭先生」
「ふむ。素直に謝るようになっただけ成長していますね。
結構。これもマリア殿の涙ぐましい教育の成果ですね」
褒められたのか貶されているのかわからなくて、ケイは恐縮してグライ教頭の顔色を伺う。
グライ教頭はケイにとってマリアの次に頭の上がらない相手だった。
騎士養成校時代のケイはとても才能が有り、家柄もよく、そしてちょっと頭が筋肉質で、そして強くなることに固執した手の付けられない暴れん坊少女だった。
騎士養成校はケイの実家であるマージネル家がその経営権を大きく支配する組織である。
そのためケイをまともに注意指導できる教師は少なく、グライ教頭はその数少ない教師の筆頭であった。言い方を変えれば誠実な苦労性の教師である。
そんなグライ教頭にケイはさんざん叱られて学生時代を過ごしたし、そこで刷り込まれた苦手意識は皇剣になっても消えていない。
実家で顔を見かけたら即座に回れ右して逃げ出す程である。
ケイにとって怖いグライ教頭だが、その顔色はとても不機嫌で、ケイは嫌な汗が背中を伝うのが抑えられなかった。
「それで私は魔人に、ジオレイン殿に用があるのですが、取り次いでいただけますか、ケイ様」
「は、はい。
……あの、様って呼ぶのはやめてもらえませんか、教頭先生」
グライ教頭にそう呼ばれると、とても背中が痒くなるケイだった。
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ケイは道場で生徒たちの様子を見ているジオに声をかけると、わかったという返事をもらったので、応接室にグライ教頭を通した。
もう少ししたらジオは来るから待っていて下さいとソファーを勧め、これで役目は終わりだと安堵してケイは部屋を出ようとするが、
「君にも用があります。ここに残っていなさい」
「……はい」
グライ教頭に引き留められ、渋々と従った。
しばらく二人の間に気まずい沈黙が流れる。そう、気まずいのはグライ教頭も同じだった。
グライ教頭が座りなさいと促して、ケイはグライ教頭の対面のソファーに座った。
「あー……、この家での暮らしはどうですか」
「えと、忙しいです。でもお医者様の言うとおり、激しい運動はしていないです」
「忙しいというと、子供の面倒を見ているんですか?」
「え、ええ。あとは家事を少し」
名家の令嬢がそういった雑事に振り回されていると聞けば、あるいは不遇の扱いを受けていると抗議するべきかも知れない。
ただグライ教頭はそう答えるケイの顔色から、明るいものを読み取っていた。
「……楽しいですか?」
「はい」
「なるほど、ここは良い家のようだ」
どこかホッとしたようなグライ教頭の言葉に、ケイの胸が締め付けられる。
「……どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないです」
何でもないというふうには見えなかったが、グライ教頭はひとまずその問題を脇に置いた。
「……そうですか。ところで、子供たちの面倒を見ているということは、セルビアくんとも仲が良いのですか」
「えっ、あ、はい。なんだか去年の試合見てくれてたみたいで。
それに強くなりたいみたいで。私も身体が治ったら相手するって約束してるんですよ。ちょっと見ただけなんですけど、セイジェンドの妹だからやっぱり才能あって。学校でも人気者なんですよね?」
ここ二週間、ケイがブレイドホーム家で仲良くなったのは主にセルビアとカインだった。
マギーともよく話はするがついつい張り合ってしまうし、アベルといるとなんだか気持ちが浮ついてしまって、一緒にいるのが嫌というわけではないのだが、少し居心地が悪かった。
そしてジオに関してはどう接していいかまるでわからなかった。
マリアもあれこれ世話は焼いてくれるのだが、こればかりはどうしても難しかった。
彼らに比べてカインは言いたいことをズケズケ言ってくるから、ケイとしても遠慮なく物が言えたし、セルビアは最初こそおどおどしていたが、すぐにじゃれついてくるようになってとても可愛かった。
「まあ、そうですね……。
ところでケイくん。何かセルビアくんに、その、余計なというか、アドバイスはしただろうか?」
「え?」
グライ教頭が言いにくそうに口を開いたところで、応接室のドアが外から開かれた。
「お茶請けぐらい常備していないんですか」
「してたが、昨日の夜にでも誰か食ったんだろう。俺は知らん」
「相変わらず無責任な家長ですね」
入ってきたのはジオとマリアだった。手にはコーヒの入ったマグカップが握られていた。
「む。ほら、コーヒーだ」
「……どうも。もう少し渡し方があるんじゃないですかね」
マグカップを受け取りつつ、対面に座ったジオにグライ教頭はそうこぼした。
「野獣に何を期待しているんですか、クライブ。マージネル家の人間だろうとは思ってましたが、客があなただとは思いませんでしたね。
お嬢様、来客を告げる際は相手の名前と簡単でいいから訪問の理由ぐらい聞いておきましょうね」
「……はい」
教頭先生の前で注意されて、ケイは少し不服そうに頷いた。ケイの前にもマリアが持ってきたコーヒーが置かれる。グライ教頭は仲の良い姉妹を見る目でそれを眺めた。
「それでクライブ、手土産ぐらいは用意しているんでしょう。早く出しなさい」
「まあ確かに、渡すつもりではあるんですが……。
礼儀について言及したあとにその態度は、教育に良くないと思いますが?」
グライ教頭は言いながら、持ってきた菓子折りを手渡す。ここが託児施設であることも考慮して二十四個入りの饅頭が四箱だった。
マリアは遠慮なく箱の一つを開け、饅頭を一つづつ小皿に載せ、それぞれの前に並べた。
「東の農業都市の名物土産ですね。随分と奮発したようですが、そんなに後暗い理由で来ているんですか?」
「大切なお嬢様をお預けしているのですから、これぐらいの土産はむしろ安いぐらいでしょう」
探るようなマリアの問い掛けに、グライ教頭はしれっと答えてコーヒーを口に含み、
「……失礼、どうも少し気持ちがささくれているようですね。
確かに、謝罪の気持ちは入っていますね」
一息ついてから、そう謝った。
先の一件以降、シャルマー家がマージネル家の勢力を率先して切り崩しにかかっていた。
グライ教頭の所属する騎士養成校も例外ではなく、迂闊な言質を取られないように神経の張り詰める毎日が続いていたが、それは今回の訪問とは全く関係のないことだった。
「……それで、その謝罪っていうのは一体なんでしょうか?」
なんと答えるべきか。
グライ教頭はしばらく悩み、そして意を決して答えた。
「セルビアくんが、学校で暴れています」
ケイを見ながら、そう答えた。
作中蛇足・ある日の食卓の様子
マギー 「(塩味には勝った)」
ケイ 「(マギーの料理マヨネーズ多くない? 胸焼けしそう)」
カイン 「ふたり揃ってひどいな」
M&K 「「カインひどい」」
マリア 「しかしマギーちゃんはマヨネーズが好きなんですね」
マギー 「え? あ、はい」
マリア 「なるほど。だからそんなに育っているんですね」
マギー 「ど、どこ見て言ってるんですか!!」
K&S 「……(食卓のマヨネーズに同時に手を伸ばし、見つめ合う)」