117話 皇剣様は大人気
初日はそのまま皆で夕食を囲い、お風呂に入って一日を終えた。
そして日付が変わり、朝からアベルは二人をエスコートする。
ただしそうは言っても特に案内することはない。
道場生の交換留学という話を聞いているが、同時にケイが竜との戦いで負った傷(主にセージとジオにやられた傷)の影響で安静にしなければならず、訓練等は受けられない。
なら何をしに来たのかと思わないでもないのだが、親睦を深めるのが目的なので、家の――つまりは託児の仕事を手伝わせて欲しいと、マリアに言われた。
朝にやらなければならないのは主に食事の準備だ。
合わせて道場の掃除などもやるが、こちらは道場生たちがやる。
彼らは一年前から道場に通うようになった――正しくは攫ってきた――街の不良たちだ。
一期生はもう卒業して他所の都市に降りたり、守護都市でまともな仕事を始めていて来ないが、卒業した彼らに紹介された元不良たちが現在も通っている。
朝早くから彼らの一部がやってきて、道場や家の周りを掃除していく。報酬は朝食だ。
彼らの中には住処に家族を待たせているものもいるので、サンドイッチなどの持って帰れるようなものを多めに作って渡している。
そんな訳で、台所は朝から忙しい。
セージがいれば任せっきりで大丈夫なのだが、今はカインと、そのサポートにセルビアと、人手が足りないのでマギーが加わって作っているが、どうにもドタバタして上手く作業が進まない。
「マギー、玉ねぎ切ったら水にさらしてって言ったじゃん」
「ええ!? 聞いてないよ。野菜なんだからそのままでいいじゃない」
「それはお前だけ食え。いいからボールに水入れて、切った玉ねぎ入れて。って、セルビア手、手!!」
「あ、切った」
「ちょ、血が出てんじゃねえか。食いもんにつく前に治してこい」
「ぅぅ~。カイン優しくない」
「うるせえよ、早くしろ。アベルも見てないでパン焼くの手伝えよ。あんたら、そこ立ってると邪魔。手伝わないんならテーブルきれいにしといて」
「わ、わかった」
「……作るのはハンバーガーですか? まあそれぐらいなら手伝えますから、貸してください。私はパテを焼いてます。枚数はどれほどですか?」
「あーっと、薄くして作れるだけ。足りなかったらまた別のもん作る。んじゃ、俺はスープとソース作ってるから」
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朝食の支度が終わって、道場生たちに作ったハンバーガーを渡し、水筒や鍋などの容器を持ってきたものたちにはスープも渡す。
お礼を言って住処に帰っていく道場生たちを見送りながら、マリアはジオに尋ねる。
「彼らをここで住まわせることはしないんですか?」
「……む。何故だ?」
「いえ。世話をしているなら、いっそ迎えても良いのではないかと」
「……そう言えばそうだな。まあ理由は知らん。セージが決めた」
「子供に投げっぱなしですか、さすがですねベルーガー卿」
さすがのジオもその皮肉は堪えて、むぅと唸り声を上げた。それを見かねたわけではないが、アベルが口を挟む。
「あの人たちには弟や妹がいるし、家が大きいって言っても彼ら全員は生活できませんからね。どうにかしてなるべく多くの面倒を見れるようにって、セージが工夫したんですよ。
こうしてれば少なくともあいつらが食べ物に困ることはないし、一年もあればまともな仕事に就けるよう支援できる。で、そうしてあいつらが仕事を見つけて出ていけば今度は新しい人たちを迎え入れられるし、しばらくすればあいつらの弟たちも来るでしょう」
「……。ブレイドホーム家の戦力として育てているのではないのですか?」
「え? なんでそんな事を?」
本気で呆気にとられているアベルを見て、マリアは考え違いに気づく。
マージネル家をはじめとして、名家は大なり小なり似たような慈善事業を行っており、それらは家の名誉と格式を高め、また育てた若者をギルドや騎士団に所属させて自らの家の武力とするのが目的だった。
だがこの家ではそうではなく、純粋に慈善事業としてストリートチルドレンたちの面倒を見ているのだろうと、マリアは考えを改めた。
自分は少し名家の考えに毒されたのかもしれないと。
もっともブレイドホーム家を卒業したものはこぞってミルク代表傘下の商店で働き、他所の都市に降りた者たちとも良好な関係が続いている。
なので名家が懸念するように、ブレイドホーム家の戦力と発言力の拡充は意図せぬ内にしっかりと進んでいた。
「なんでもありません。それで、次は何を?」
「ええと、掃除と洗濯ですね。子供たちを預かるのがリビングと庭なのでそこを優先して。父さんはセルビアを送って行って。今日から学校行かせないと。忘れ物ないかちゃんと確認してね。セージいないんだからね」
「ああ、わかった」
「……本当に子供の尻に敷かれてますね」
「気にするな」
******
程なくしてブレイドホーム家に保母さん達がやってきて、子供たちがやって来る。
マリアやマギーと一緒に、ケイはドキドキしながら子供たちを出迎える。
マージネル家ではケイは小さな子達からキラキラとした目で遠巻きに見られることが多かった。
しかし向こうから話しかけてくることは決してなく、ケイから話しかけようとすればその子の親たちが慌ててやって来て、ウチの子が失礼しましたと引き離した。
ケイにとって小さな子供たちとは、決して触れることのできない愛くるしいものなのだった。
「あの、ケイさんは休んでてもいいですよ。子供たちの相手って大変ですから」
「――っ!!」
マギーはむしろ気を使ってそう言ったのだが、ケイはここでもかと大きなショックを受けた。
「それではお嬢様のためになりません。お嬢様はもういい大人なのですから、働きもせずに惰眠を貪るなど許されてはいけないのです」
「でも、安静にしておかないといけないって」
「大丈夫。本気で体を動かしたり、戦うのがダメなだけだから」
鼻息荒くそう言ったケイに、やる気があるならいいかなと、マギーはそう思った。
そして改めて、ケイを見る。
……この人が、私たちのお姉ちゃん。お父さんの本当の子供。
そう考えると、どうしても気持ちに黒いものが生まれてしまう。
じくじくと心臓が締め付けられるような痛みに、口元がどうしても歪みそうになる。
マギーは昨日のことを思い出す。自分が馬鹿なのはもう思い知った。シエスタは詳しいことは教えてくれなかったけど、ケイは大切なお客様だと言った。
だからこんな気持ちを向けてはいけないと、そう思った。
マギーは笑顔を作って、子供たちを出迎えた。
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「ケイ!!」「ケイだ!!」「おうけんだ!!」「すげー」「ほんもの? ほんもの?」「かっこいいー」「ねーねー、ジオとどっちが強いの?」「セージよりも強いんだよね」「そっちのおばさんだれ?」「おうけんっぽいことしてー」
ケイは最も新しい皇剣ということで、子供たちに大人気だった。ちなみに子供の一人がメイド服のお姉さんに泣かされて、保母さんにお姉さんが叱られたりもしたし、親御さんたちは別の保母さんを捕まえて『ケイ? え、なんでいるの』などと詰め寄って説明を求められたりしたが、とにかくケイは大人気だった。
「えっとね、本物だよ」
どうすればいいのか分からず困りながらも、こんなに沢山の無邪気な好意に囲まれるのは初めての事で、ケイはとっても興奮した。
ただやっぱりどうしていいのかはわからなくて、赤面しながらオロオロとするケイに、助けの手が入る。
「はいはい、ケイお姉ちゃんは逃げないから、まずお家に入りましょうね」
「「「「「「「「「「はーい」」」」」」」」」」
マギーの言葉に子供たちは素直に従って、家の中に入っていく。
「それじゃあケイさん、まずは絵本の読み聞かせをするんですけど、お願いしてもいいですか? 子供たちも期待してると思うので」
「……あ、うん。その、ケイさんじゃなくね、さっきみたいにお姉ちゃんって呼んでくれてもいいんだよ」
「いえ、お断りします」
マギーは脊髄反射で断りの言葉を返した。
「あ、そ、そうだよね。ごめんね変なこと言って。でも、さんは付けなくていいからね」
ケイはワタワタと手を振って誤魔化すようにそう言った。実のところかなりの勇気を振り絞った提案だったのだ。
「……お嬢様」
そんなケイの様子を見ながら、マリアはホロリと涙を流した。それは友達ができないぼっちな娘を心配する母親のような眼差しだった。
******
アベルは子供たちを迎え入れて一段落したら、お世話になっている商会の代表のもとを訪れた。
ミルク代表は現場には出ておらず、商会本部にある専用の執務室にいた。
そこで大きな執務机を挟んで事情を説明し、一ヶ月ほど休みが欲しいとお願いをした。
「セージがいないんなら、まあ仕方がないか。
……しかしそんな形に落ち着かせるとはな、いや、決着はこれからか?」
ミルク代表はアベルの申請を許し、そんな事を呟いた。
「セージとケイの交換留学について、シェスは真実を語っていませんでした。代表は何か知っているんですか?」
アベルはそう言ってミルク代表の一挙手一投足に注目する。正直な答えが返ってくるとは思っていない。
だが何かしらのヒントは得られるはずだと、そう考えてその質問をぶつけた。
「……いや。期待されているところ悪いが、俺もシエスタから何も聞いてない。あいつとは協力関係だが、頭が固いからな。箝口令は律儀に守るのさ」
「つまりは口をつぐまなければならない問題が発生したんですね」
「名家が絡めば珍しいことじゃないさ。
……情報管制室の室長が、政治犯で豚箱送りになったな。
こいつは黒い噂の多い奴でな。スノウ・スナイクやクラーラ・シャルマーが放置していたのが不思議なくらいだったんだが、この前のハイオーク防衛戦で馬脚を現して、その後も何やらやらかしたらしい」
ミルク代表はそう言って、アベルにからかうように声をかける。
「そのやらかした事にセージとマージネル家が絡んでゴタゴタして、そのまま竜討伐につながったって訳だ。
そしてそのゴタゴタを昨日目覚めたばかりのセージとジオ殿が片付けて、その結果が今の状況だろう。
お前はスナイク家のラウドを支えるスノウの立ち位置を目指してるみたいだがな、セージはラウドと違って政治や交渉もできるぞ」
「……まあ、わかってます」
「そうか。
あいつは恩返しなんて期待してないと思うがな」
ミルク代表の声音は変わらずからかうようなものだったが、その視線には真剣なものが混じっていた。
「そうでしょうね。あいつはそういう馬鹿だから。
でもだからって、僕がどう思うかは、どうするかは、僕の勝手でしょう」
「はっ、そうだな。その通りだ。
くくっ。親子兄弟揃って、我が道を進むもんだ。
まあ、ケイは大事に扱え。それがセージのためになる」
「わかりました。ありがとうございます」
アベルはそう言って頭を下げ、部屋から出ていった。
「おう、帰ったぞ」
「みたいですね。急に来るからびっくりしました」
セージがミルク代表の執務机の下から出てきて、そう答えた。
「いきなりこんな所に入られた俺も驚いたがな。そもそも隠れる必要はなかったんじゃないか?」
念の為に明記しておくとミルク代表は女性であるが、男っぽい言動や服装を好むためパンツスタイルのスーツを着ていたので、机の下に潜り込んでいたセージはミルク代表の下着などは見ていない。そもそもスカートを履いていればミルク代表も机の下には隠れさせなかったが。
「いや、そうなんですけど、今回の件は説明が難しくて……」
「相変わらず過保護だな」
ミルク代表は口の堅いシエスタから説明は受けていないが、柔軟な考えのセージからは事のあらましを聞いていた。
ミルク代表としては名家の行いにも憤る部分はあったが、それ以上に自分が殺されかけておきながら何の恨みも抱かず親交を深めようとするセージの異常さに内心で身震いもした。
ただそれなりに長い付き合いになって、こう言う奴だと割り切って考えもしたが。
だいたいにおいて、あの英雄ジオレインに最も近しい子供が、まともなはずもないのだから。
「まあ良いじゃないですか。それじゃあ僕はしばらくマージネル家でおとなしくしてるので、何かあったら助けてあげてくださいね」
「ああ、いいだろう。お前の家とはもう浅からぬ縁だからな。請求は必要経費にとどめておいてやる」
お金とるんですかと嘆くセージに、ミルク代表は真面目な顔を取り繕って当たり前だと返した。そして同時に笑いあった。
単独で中級パーティー並みの戦果を挙げるセージの収入は、下手をすれば商会の主であるミルク代表に匹敵する。そんなセージは使い切れないお金の一部を、ミルク代表に寄進していた。
これは商会への援助というよりは、ブレイドホーム家で拾った不良たちを働かせている事への援助だった。短期間の教育を受けただけの|社会不適格者チンピララ》たちは、やはり多くの問題を起こしていたし、それは商会の運営に対して小さくない打撃となっていた。
問題ばかり起こす使えない新人など辞めさせてしまえ、そんな現場責任者たちの声は決して小さくなかった。それにもかかわらず、ミルク代表は彼らを決して見放さず、直接声をかけ、指導までして育てていった。
もちろんセージも暇を見ては世話を焼きに行っていたし、アベルやカインも手助けをしていた。
それでもミルク代表が精力的に彼らを支援しなければ、不良たちがまともに社会進出することはかなわなかっただろう。
それは元不良たちがミルク代表を〈お袋〉だなんて親しみを込めて呼ぶところにも表れていた。
その事への感謝と敬意を込めて、セージは多額の寄進をしていたし、ミルク代表はそれを拒むことなく受け取り商会の発展と従業員の福利に惜しみなく当てていた。
そんな関係の二人がお金の事で言いあうのはつまるところ、昔の貧乏な勤労少年とその雇用者の関係を懐かしむ冗談でしかなかった。