116話 皇剣様がやって来た
「こんにちは、改めて自己紹介をさせていただきますね。
ケイお嬢様の身の回りのお世話役として同伴させていただきましたマリア・オペレアです。
一ヶ月間、お嬢様同様一緒に生活をさせていただきます。よろしくお願いします」
ケイとマリアの目の前には仰向けに倒れ伏す嘘つき少年と、それを見て涙目ながら愛くるしい笑顔を見せる幼い少女と、その少女を守り少年に制裁を加えた騎士のような青年がいた。
ちょっとしたカオスだったが、守護都市の下町での生活経験も長いマリアはよくある子供同士の喧嘩だろうと、綺麗にスルーしてアベルに挨拶した。
「あ、はい。長男のアベル・ブレイドホームです。
すいません、実は急なことだったのでお出迎えの準備も出来ておらず――」
アベルは咄嗟にマリアにそう返した。
ただ同時にいつかの夜の記憶を思い出し、こんなちゃんとした人だったろうかと違和感を覚えた。
「ええ、当然のことだと思います。差し支えなければ私も準備の手伝いをさせていただきますが――」
マリアはそこで言葉を区切って、大きく手を振りかぶった。
ぼんやりとしていたケイはその動きに条件反射で身を固くしたが、しかしここで抵抗すればもっとひどいことが待ち受けていると調教られているため、それ以上の反応を見せなかった。
そんなケイのお尻を、マリアがしたたかに打ち付ける。
パァンっ!!
小気味良い音を立てて、ケイは軽く飛び上がる。
「――お嬢様、挨拶ぐらい自発的にしなさい」
「……はい。
ケイ・マージネルです。お世話になります。よろしくお願いします」
「あ、はい。こちらこそ。名家の皇剣様を招くには、その、似つかわしくない家ですが、自分の家だと思ってくつろいでください」
マリアはケイの行動に満足気に頷いて、ケイのお尻を叩いた手をワキワキと、ケイに見せつけるように動かす。
「それで良いのです、お嬢様。
そして良いお尻に育ってきましたね、お嬢様」
ケイは無言でマリアに殴りかかった。
しかし満足に魔力を使うこともできなくなっている今のケイではマリアを捉えることなどできるはずもなく、マリアはホホホと高らかに笑ってケイの拳を軽やかに躱し続けた。
「……あ、うん、あのメイドだった」
そんな様子を見ながら、アベルはそんな事を呟いた。
******
「あんた嘘ついたでしょ」
「嘘じゃねーし。セージは親父の跡を継げるって言ったろ。お前が勝手に勘違いしたんじゃねーか」
「あんなの勘違いするに決まってるでしょ」
「……お嬢様、気づいてなかったんですね」
「ハァ!? なんで? マリアも知ってたっていうの!?」
「まあ、セルビア様の入学審査の折にブレイドホーム家には家庭調査が入りましたから。それに新聞にもしっかり七歳と書かれていましたよ」
「私が新聞なんて読むわけないじゃない」
「……無い胸を張って言わないでください。二重の意味で憐れみを覚えてしまいます」
「セクハラはやめてっていつも言ってるでしょ!!」
「そうですね。では明日から毎日、新聞を読みましょう。その間は私も我慢しますから」
「何それひどい。絶対無理に決まってるじゃない」
「……その発言の方がよほどひどいものですよ」
「カイン、良かったね。勉強嫌いの友達ができたよ」
「俺はここまで酷くねぇ。むしろセルビアだろ」
「あたし子供だから新聞読まなくてもいいもん」
「そうですね、セルビア様。そしてお嬢様はもう大人なのに……」
「なによ。何が言いたいのよ」
そんなことを言い合いながら、五人は家の中に入っていく。
「空いてる客間はいくつかあるんですが、お二人は同室のほうがいいですか? それとも別々の部屋にしましょうか?」
「一緒の方が面倒は少ないと思いますが、どうしましょうか、お嬢様?」
マリアはそう言ってケイに伺いを立てた。
名家の令嬢と使用人が同室で過ごすというのは非常識なことだが、そもそもマリアは客分であって使用人ではない。
それに急な滞在となったのに二部屋も借りるというのは負担をかけるだろうと考えて、そう提案した。
「折角だし、一緒がいい」
ケイはマリアの考えはまるで察することなく、即答でそう答えた。
ケイからすればマリアは師であり姉のような相手だ。せっかくだから同じ部屋で一緒に寝泊まりしたいと、そう思った。
マリアはそれを見て微かに笑った。
「では、そういう事で」
「分かりました。一応、部屋の掃除はしてるんですけど、使う予定がなかったため行き届いてないと思うので、荷物は一旦リビングに置いてもらっていいですか?
あらためて掃除と、シーツの交換をやっちゃいますんで」
「ええ、分かりました。ただこれから私たちが使う部屋なわけですから、掃除はこちらでやりますよ。あまり気を使わないでください、アベル様」
マリアにそう言われて、アベルは分かりましたと笑顔で応えた。
「なあアベル、それより飯の準備じゃね? ここんとこちゃんと買い足してなかったから食材減ってきてるし、セージ帰ってこないんだから、もうこっちで勝手に買い込んじまったほうがいいだろ」
「ああ、そうだね……そうだよね、ご飯、どうしようか。カインに任せていいかな」
「……まあ、仕方ねぇだろ。やるよ。とりあえず買い出しに行ってくるから金くれよ。あと荷物持ちに親父かアベルについて来て欲しいんだけど……」
カインが尻すぼみの声でそう言った。
アベルにはこれからの事を考えて、ケイたちの応対をする必要がある。となると残りはジオだが、ただいま取り込み中でそれどころではない。
「ごめん、ちょっと難しい」
「だな、まあ当座の分だけならそんな問題ないか」
「……マリア、行ってきたら?」
二人の少し困った様子を見て、ケイがそう言った。
「お嬢様?」
「掃除くらい私一人でもできるし、そろそろ夕方だし、帰りは暗くなるでしょ。マリアがいれば安心だと思うけど」
「――そうですね、それでは私が同伴させて頂きましょう。お嬢様、アベル様の言うことをよく聞いて、人様の家なんですから、家具とか壊さないように気をつけてくださいね」
「わかった――別に家でも壊したことないでしょ!! 変なこと言わないでよね!!」
ホホホと笑うマリアを見て、カインは疲れたように口を開く。
「まあ助かるけどよ。さっさと行こうぜ、おばさ――ンっ!!」
余計なことを言ったカインの頭が、グワシと乱暴に掴まれる。みしりみしりと、淑女とは程遠い握力を発揮して、マリアはその頭を締め上げる。
「今なんて言ったの、小僧? 私の聞き間違いだったか? ん? なんて言ったのか答えてもらえるかな、小僧?」
「お、お、お姉さん。綺麗なお姉さんって言いましたすいません!!」
「ならばよし」
マリアはそう言って、カインを解放する。
「さて、それでは行きましょうか、カイン」
「……はい」
涙目のカインは、アベルからお金(書斎の金庫に家のお金を保管してある)を預かって、マリアと出かける。
心配そうにそれを見送ったアベルは、気を取り直してケイとセルビアと一緒に部屋の掃除を始めた。
窓を開けて換気をしつつ、ハタキで棚の上などから順々に綺麗にしていく。
ベッドのシーツは使っていなかったこともあり綺麗だが、念のためハタキで払い、あとは簡単な掃除を行っていく。もともと隙を見ては掃除をしていたので使っていない部屋とはいえ埃は溜まっていなかった。
「ケイ様は器用ですね」
「えっ?」
「いえ、皇剣の方はこういった雑事は全て使用人に任せていると思っていたので」
「ふ、普通だと思うけど。あと、様なんてつけなくていいよ。堅苦しいし。私も、言葉崩したいし」
将来は騎士――軍での生活を視野に入れて育てられたケイは、一人での生活に必要なスキルはおおよそ身につけている。
もっとも最低限できるというだけで、掃除の手際も特別良いわけではなく、料理などは塩を振って焼くか煮込むぐらいの簡単なものしか作れない。
ただアベルからすれば名家のお嬢様で、守護都市でもトップ級の実力を持つ天才がまがりなりにも家事をするということに驚いて褒めたのだ。
そして褒められたケイは顔を赤くして、アベルから顔を背けた。
「――それは、助かるね。でもいいのかい? マリアさんは礼儀にうるさそうだったけど」
「言葉遣いぐらいなら、そんなにうるさく言わないよ。挨拶とか、礼儀がダメだと怒るけど」
掃除を終えたあとは二人の荷物を部屋に運んでいく。
そのあとの荷解きは女性の荷物ということでアベルは遠慮して、セルビアだけが手伝いに残った。ケイは少しホッとした。
そしてアベルは未だに部屋から出てこないマギーとジオの様子を見に行くことにした。
******
マギーは部屋の中に閉じこもって、黙りこくっていた。
ジオが部屋に入ってきてもしばらくそのままで、ベッドにうつ伏せになり、枕に顔をうずめてジオを避けていた。
ジオはそれでも部屋に残って、ベッドのそばに座ってマギーが何か言うのを待った。
しばらくして、マギーはジオと目を合わせないままポツリと口を開いた。
「セージ、ギルドで仕事してたんでしょ」
「……あ、ああ」
「お父さんがやらせてたの?」
「いや、あいつが始めた。最初は止めようと思ったが、問題ないと思って続けさせた」
ベッドの中のマギーが身じろぐ。強く握り締めたシーツが皺を作っていた。
「ずっと、セージのお金で生活してたの?」
「いや、……ああ、いや。そうだ。その通りだ」
「私、あの子にいろんなワガママ言ったよ。本が欲しいって、服が欲しいって、美味しいご飯が食べたいって。
でもそれ、全部セージが命懸けで働いてきたお金だったんでしょ!!
私ずっと、もっと簡単な、子供にできる仕事をやってると思ってたのに」
「そうだな」
「なんで言ってくれなかったの。そうしたら私だって――」
――もっと我慢したのにと、続くその言葉を遮って、ジオは答える。
「それが嫌だったんだろ」
マギーは息を呑む。そうだと思った。セージは優しいから、そんな事にまで気を遣ったのだと思った。
同時に、アベルの言葉を思い出した。
あいつは頭がおかしいと。
馬鹿にするのではなく、諦めるように、あるいは哀しむようにそう言っていた。
「……ねえ、お父さんはなんで私を拾ったの」
マギーはベッドから身を起こして、ジオを見た。その顔はいつもよりしょげているように見えた。
「……さあな」
「気まぐれ?」
マギーは聞いた。自分のように親を失って途方に暮れる子供は珍しくもない。
最初に拾われたのはマギーだった。
それから何か事件に巻き込まれて、アベルとカインを保護した。
それから捨てられていたセージとセルビアを家にいれた。
それから行き倒れたダストを助けた。
全ては成り行きだった。理由なんて無いのかもしれない。
でも途方に暮れるマギーに手を差し伸べたのは、ジオだけだった。
「……そうかもしれん」
ジオはそう答えた。
それはたぶん本心だ。
理由はない。あるとすればただの気まぐれ。あるいは成り行き。そうだということは分かっていた。
はっきりとした理由はない。縋りつける理由はない。
だからいつか気まぐれに捨てられるかもしれないと、心のどこかで不安を感じていた。
だから必死に役に立とうと頑張っていた。
今ではその不安はないけれど、その代わりに新しい感情が心に生まれる。
役に立とうと必死になっていたけれど、私は幼い弟に養ってもらうような姉だったと。
ジオは再び黙りこくったマギーの頭をクシャクシャに撫でる。
マギーは撫でられるのに任せて、涙を流した。
「……嫌いなんて言って、ごめんなさい」
「ああ。気にするな」
ジオは安堵の気持ちを隠してそう言って、そのままマギーを抱きしめて慰めた。
部屋の外では、なんとなく入りづらい雰囲気を察したアベルが、扉の前から去っていった。