115話 皇剣様がやって来る
「それで、どういうことなの」
そう口にしたのはマギーだった。
言われたのはその父親であるジオである。
場所はブレイドホーム家の庭先で、マギーは仁王立ちして正座をしているジオを睨みつけていた。
「……いや、なんだ、セージがな」
「お父さんがそうしろって言ったんでしょ!?」
「いや、まあ、な」
マギーは瞳孔を開いてジオを威嚇する。
女の子にあるまじき表情になった長女の怒りに、ジオはただただ恐縮するばかりだった。
ジオはセージが目覚めるまで帰らないと言っていた。
そのジオが帰ってきて、ブレイドホームの子供たちは一様に喜んだ。セージはいなかったが、常識的に考えてまだ病院で寝ているのだろうと考えた。
退院にはみんなで迎えに行こうと長男のアベルがそう言って、一緒に帰宅していたシエスタが――心配で付いてきているが、本当はマルクやアール絡みで重要な仕事が残っている――もう退院していることを、恐る恐る伝えた。
目を覚ましたセージがケイと出会い、そのままマージネル家を訪れて交換留学を行う事になったと。
セージがケイに、ひいてはマージネル家に殺されそうになったことは教えられない。それらは都市運営に関わる機密情報に分類されることとなったためだ。
シエスタには都市法に基づいて守秘義務があったし、ジオはもうそれほどその問題に関心を持っていなかった。
結果として、シエスタは当たり障りのないことを口にするしかなく、そんなふわっとした説明でマギーたちが納得できるはずもなく、こうなった。
「シエスタがついていて何でこんなことになるの!?」
そんな訳で、マギーの怒りの矛先はシエスタにも向かう。
「ご、ごめんなさい」
「マギー。流石にそれは違う。悪いのは全部父さんと、本気で拒否しなかったセージだろ」
「はぁ!? なんでセージが悪いのよアベル!! 頭おかしいんじゃないのっ!?」
「おかしいのはセージだって。
――ああ、ごめんごめん。とにかく、今二人を責めたって仕方ないだろ。それで、家でそのケイ……様? その、父さんの子供なんだよね?」
「そう、どういう事なのそれ!?」
「あ、いや、それはな、伯父貴がな。
……むぅ」
「むぅじゃないの、このばか!! お父さんなんて大っ嫌い!!」
そう言って泣き出し、マギーは家の中へと駆け出した。
「ちょっと、マギー」
「待てアベル、俺が行く」
ジオはそう言って追いかけようとするアベルを抑え、立ち上がった。言葉自体は勇ましいものだったが、その声と足はやや震えていた。
「……ああ、うん。後で様子見に行くから、怒られてきて」
「……頼む」
ジオはそう言ってヨロヨロとマギーを追って歩き出す。その頼りない背中を見つめるアベルに、シエスタが声をかける。
「ごめん、私は仕事が残ってるから後のことお願い。ケイさんは今は病院に行っていて、以前来たメイドのマリアと一緒に来る予定だから」
「えっ? ここで僕一人にするの!?」
「ほんとごめん。私たぶん今日は帰れないから」
「ちょ、シェスっ!?」
アベルの嘆きを置き去りにして、シエスタは走り去っていった。
シエスタは監査室の室長という責任のある立場だ。
今回の事件では周囲の人間が十分に信用できなかったために、集めた関係者の調書は厳重に保管している。それを引っ張り出すにはシエスタが必要だ。
マルクの身柄を引き取り、今後アールの刑事責任を問う騎士たちに一刻も早くその重要書類を渡さなければならないし、さらに引き継ぎのための書類作成もあれば、今回の件を優先させたため承認のサイン待ちをしている別件の書類も山のように残っている。
アベルが苦しいのは重々承知しているが、シエスタだって苦しいのだった。
「ねえ、アベル。ケイが来るの? ケイはお姉ちゃんなの?」
「あ、ああ。セルビアはケイが好きだったよね。しばらく一緒に暮らすんだよ」
「嫌!!」
「っ!?」
セルビアが大声で拒絶して、咄嗟にアベルは身構える。
「ケイいらない。いらないから、アニキ返して!!」
「あ、いや、アイツもちゃんと帰ってくるんだぞ」
アベルはそう言ったが、セルビアはアニキ、アニキと言って泣き出した。
アベルはオロオロしながらもその小さい体を抱いてなんとか慰める。
そしてそんな様子を見たカインは、こっそりとその場を立ち去ろうとする。
アベルは当然それに気づいた。
なぜならセルビアを慰めながらカインに助けてサインを送っていたのだから当然だ。
それに気づかぬふりでそそくさと逃げようとする心無い実弟の行いに、アベルは怒りと悲嘆を感じる。味方がいないと。
だがしかし、アベルはカインをこのまま逃がす気はなかった。
逃がさなかったとしてなんの役に立つのかは不明だが、しかし一人だけ逃げるなど決して許して良いものではなかった。
カインもアベルの雰囲気の変化に気づき、足を止める。
このまま逃げては帰ってからが怖い。しかしこんな訳の分からない事態からは逃げ出したい。そんな葛藤に悩まされて足が止まった。
アベルとカインの間に緊迫した空気が流れる。
足を止めたとは言え、カインの気持ちは逃げ出す方向に傾いている。
アベルが何か一言でも発すれば即座に走り出すだろう。
それを察してアベルもまた動けなかった。
緊迫した空気に耐え切れなくなって、ジリジリとカインはすり足で距離をとり始める。
アベルもそれで意を決した。言葉だけでは止められない。手は届かない。セルビアを抱えながらでは追いかけても捕まえられない。
だからアベルは、手を伸ばした。
カインは不穏な空気を察して即座に走り出した。カインは勘のいい少年だった。
その背に向けて、アベルは放った。
それが出来るという確信はなかった。
それは高い魔力制御技術を要するもので、実戦経験どころかギルドに登録すらしていないアベルには出来るはずのない技だった。
だがそれでもやろうと思った。いや、それは今日この瞬間に思いついた事ではない。
この技術は(一応)尊敬する父のものであるし、なによりギルドに登録する以前から使いこなしていた弟の技でもあった。
いつか自分もという気持ちは、しっかりとアベルの中にあった。
その気持ちが、積み重ねた努力が、今アベルの手から形となって放たれた。
走って逃げるカインは、不穏な気配を察知して後ろを振り返った。
そしてちょうどそのタイミングで、武器を介さず手の平から放たれた衝弾がクリーンヒットした。
カインは顔面を痛打し、そのまま仰向けに倒れた。
カエルがひっくり返ったようなその姿に、それまで泣いていたセルビアがケタケタと笑い声を上げる。
「――勝った」
アベルはそして、満足気に呟いた。何に勝ったのかは分からないが、しかし確かにアベルは勝利したのだ。たぶん。
******
「ほらお嬢様、気をしっかり持って」
「う、うん。……でもなんでこんなことになったの?」
「さあ? ベルーガー卿の考えることはよくわかりません。いえ、何も考えていないので理解できるはずがないのですが、それはそれとしてお嬢様は少しアールたちと離れて、考える時間を持つべきでしょう」
うんと、ケイはか細い声で応えた。
ジオに気絶させられたケイが目を覚ましたのは、病院の診察室であった。
そしてそのまま簡単な説明だけされてブレイドホーム家に向かっていた。
ジオが嫌いなわけではないし、セージが育った家に興味もある。
それでもケイとしては実家から追い出されたという印象が拭えず、その気持ちは暗いものだった。
「さ、着きましたよお嬢様。いつまでもそんな顔してないで、シャンとしてください。ここにいるのはあのセイジェンド様のご兄弟なんですよ。今のままだと、鼻で笑われてしまいますよ」
「なっ、そんな顔してないし。――って、あれ?」
マージネル家ほどではないにしろ、守護都市では間違いなく破格の豪邸に類する大きな家の立派な門構え。
その開かれた門から、中の様子が見えてケイは声を上げた。
「……あいつ」
ケイが捉えたのは後ろを気にしながら走ってこちらに向かってくる、少年の姿だった。
その顔は覚えていた。
いや、正確には顔を見たことで思い出した。
あいつが私を騙したから、セイジェンドを襲ってしまったんだとケイは思った。
別にカインはケイを騙したわけではないし、よしんば騙されなかったとしてもケイはセージの顔を知らないわけだから戦闘は行われていたが、ケイの中でははっきりとカインは悪だと定まった。
そしてその悪は後ろを振り向くと同時に、一発の衝弾で倒れる事となった。
悪を倒したのは、か弱い少女を守るように抱きかかえる優しそうな青年だった。
ドクンと、ケイの心臓は大きく高鳴った。