114話 とりあえず整理しよう
親父が馬鹿なことを言い出した。
ある意味いつものことだが、正直ちょっと今回のは正気を疑うレベルだ。
……いや、わりと普段から正気は疑っているし、洒落にならないこともされているんだけど、今回はかなり問題があると思うのだ。
どんな理由があれば息子を殺そうとした家に預けようとするのだろうか。
今回、私はマージネル家の家庭の事情に巻き込まれて殺されそうになった。
その報復をしたいとは思わないが、だからと言ってこのままマージネル家を放置するわけにはいかない。
身を守る手段に乏しい家族たちが心配であるし、中でも妹はマージネル家と関わりの深い騎士養成校に通っている。
ただそのマージネル家に対処するにしても、お家取り潰しという方向性に話を持っていくのは少しばかり私の信条から外れていた。
いや、ちょっと気が立っていたので最初はそのつもりだったのだが、憂さを晴らしてその気はなくなった。
しかしマージネル家を徹底的に潰さないなら、自然と目指すところが和解という形に定まる。
ただこれがなんとも面倒で、マージネル家のこちらへの隔意は利権に根ざすものではなく当主の長男を筆頭とした中心人物たちの、うちのバカ親父への屈折した思いが根底にあった。
合わせてマージネル家には不遇の扱いを受ける義理の姉がいる。
別にケイさんの事を姉だとは思っていないし、殺されかけた(正しくは何度も殺された)ので助けなければならないとまでは思わないが、まあ助けられるのなら助けたい。
はっきりと口に出されたわけではないが、助けて欲しそうな、あるいは親父や私と仲良くしたそうなサインは発していたから。
そんな訳で私がしばらくマージネル家預かりとなって、彼らと仲良く親交を深める事はそう悪い手では無い。
正直なところ、今のアールさんや剣士の人たちに殺されるかもしれないという不安は無い。
そもそも殺されても私は死ななそうだから……いや、この考えはちょっと危ないな。デス子の助けで死なずに済むなら、何かしらの代償が発生していそうな気もする。デス子の力に頼るのは極力避けるべきだ。
まあとにかく、私がマージネル家に行くのは良い。
それは構わない。
もっとも父親としてはそんな事を率先として行うのはどうなんだとか思うし、しかるべき対応として小遣いもお酒もストップしてやるつもりだし、嫌いな経理の書類もしっかりやらせるし、姉さんたちに告げ口して叱ってもらおうと思うし、それだけでも足りないだろうから折に触れてねちねち嫌味を言おうし、ついでに多大な精神的苦痛の代償として私の身体が成長した際には刀を強奪してやろうと思うが、それはまあいい。
問題は、親父がケイさんを預かるという事だ。
嫌な予感しかしない。
スノウさんは人質交換の意味合いもあると言ったから、普通に考えれば私の身柄がマージネル家にある以上、そうおかしな事はしないはずだ。
普通は、そのはずだ。
……バカ親父に普通という言葉を期待するのが、これほどまでに絶望的な気持ちになるとは思わなかった。
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「とりあえず、交換留学の期間を決めるべきじゃないかな」
スノウさんがそう言った。愉快そうな笑みを浮かべているが、その感情は喜びだけの簡単なものではなく、喜怒哀楽が複雑に入り乱れていて何を感じているのかまるで読み取れないし、当然のことながらその考えも理解できない。
なんでこの人はこんなタイミングで本気になってるのだろうか。
「三日で十分だと思います。いえ、マージネル家の大切なお嬢様におかしな影響を出さないためには一日でも長すぎると思います」
周囲から、特に私のそばのマージネル勢からさっきまでと言っている事が違いませんかといった雰囲気が生まれるが、今は構っていられない。
「いやいや、セージ君。それでは短すぎるよ。
……そうだね。今回は竜が早くに出過ぎたせいで、まだ魔物の活性化が完全には収まっていないんだよね。
そのせいで竜討伐の祝勝会が延期されることが決定されている。
セージくんは竜発見の功労者であり、ケイくんはその足止め役、兄とジオさんは討伐の殊勲者として大々的に報労される予定になっているんだけど、それまでの間でいいんじゃないかな」
「そうですね、スノウ様。
お二人……特にケイ様は竜との戦いによる負傷で安静が言い渡されているはずです。静養とリハビリを兼ねた良い期間になるでしょう」
クラーラさんがスノウさんの言い分に乗っかる。だが待って欲しい。魔物の活性化っていつ終わるんですか? それたぶん三日どころか一週間でも足りないですよね?
「いやいやいや、シャルマー様。うちみたいなボロっちいあばら家で大事なお嬢様を静養させるわけにはいかないっていうか、うちのバカ親父のもとでゆっくりできるわけないじゃないですか」
「クラーラで結構ですよ、セイジェンド様」
「あ、はい。いえ――」
私の反論をクラーラさんは実に楽しそうにやり込める。しかしこの人の感情は読み取れる。やり返せて楽しいって感情だ。
さらにはそれだけではなく、何かしらの打算的なものがスノウさんに共感を示しているけど、それが何なのかまでは分からない。
「ともかく、これは私たちとマージネル家の間の問題でしょう。なら具体的なところは両家で決めるべきとは思いませんか?」
「別にいいだろう。面倒くさい。決めたいやつが決めれば」
「親父は黙ってて」
シュンっと、小さくなる親父。
「アールさん――いえ、ご当主であるエースさんも私と同じ意見ですよね」
「むっ。
……ああ、いや。
スノウの言うとおり魔物の活動が落ち着くまでならば、こちらとしても問題ない」
私に賛意を示しかけたエースさんだったが、スノウさんに警戒の意識を向けてそう言った。
直ぐにスノウさんに注意を向けるが、変わったところはない。だが隣のラウドさんはやや嫌そうな顔と感情をスノウさんに向けている。
魔力感知でこの場は俯瞰して把握していたのに、何かしらのサインを送ったのを見逃したようだ。どんだけやり手なんだスノウさんは。
「それでもはっきりと期間は決めるべきでしょう。それにそもそもセージさんは七歳なんですよ。あまり長い期間、親元から離すのは道義的な問題があると思います」
「コイツがそんなたまか」
「ジオさんは黙っててください」
常識人なシエスタさんが割って入ってくれる。そして親父は本当に黙っていて欲しい。
「セージくんはもう上級の資格に手を届かせつつある。上級ともなれば荒野で数日を過ごすこともあるし、それは国防のための義務でもある。年齢を理由に免除する法令は存在しないよ」
「それは上級になってからの話でしょう、スナイクギルド理事長。今この場でその理屈を振りかざすのは適当ではないと考えますが?」
「いやいや、トート監査官。ギルドの未来を憂うものとしては、未来の英雄には大いに期待をしているところでね。
セージくんがここでマージネル家の技と心を学び、独り立ちのための予行演習をするのはとても有意義なことだと思っているんだよ」
「だとしても、長期間に渡ってジオさんの下から遠ざける理由には不足しているでしょう?」
火花を散らすスノウさんとシエスタさん。
その言いようだと親父と私を引き離したい様に聞こえる。
スノウさんの考えは分からないが、クラーラさんの感情から察するに半分ぐらいはその理由で当たっていそうだ。
……意味がわからない。
バカ親父と私が引き離されて、二人に何の得があるのだろう。それが分かれば妥協点も探れるのに。
こっちとしては私のいないブレイドホーム家でケイさんの面倒さえちゃんと見てくれるのなら、マージネル家に拘束されるのも納得できるのだ。
アールさんを焚きつけそこねた以上、彼らと親交を深めるのは意味のあることなのだから。
そんなことを考えていたら、スノウさんが意味ありげにこちらを見てきた。
「まあでも確かにケイくんは箱入りのお嬢様だ。彼女一人で見知らぬ家に寝泊まりするのは何かと不都合があるだろうから、身の回りの世話をする人が一人ぐらいはついて行ったほうがいいだろうね」
「それならば私が」
間髪入れずにそう言ったのはマリアさんだ。
確かに彼女ならバカ親父に物怖じせずものを言えるし、ケイさんの信頼も厚い。
さらには身の回りの世話をしているのだから、私の抜けたブレイドホーム家で最も不足する調理要員のフォローもしてくれるかも知れない。
それに会って話したのは短い時間だが、誠実で信用できる女性だと感じた。
「それは問題の解決になっていないでしょう。それではセージさんのフォローには――」
「あ、いえ、それはいいですよ」
「セージさん!?」
私がそう言うと、シエスタさんやクラーラさんが意外そうな顔をする。
しかし正直なところ付いてきてほしい人物はいない。
殺される心配はしていないといったが、それでもマージネル家はやっぱり敵地だ。
シエスタさんや兄さんがいれば頼りにはなるだろうが、しかしこの二人ではいざ腕力で物を言われた時が弱いし、そもそも貴重な常識人なので、家で親父の悪行に対する歯止め役をして欲しい。
姉さんや妹がいれば心の癒しにはなるが、しかしイジメに遭うとわかっているような場所に二人を連れて行きたくはない。
次兄さんはそもそも役に立たないお笑い要員だし、家でご飯を作るという大事な役目があるのでNG。
そうなると残りは親父だが、話がややこしくなるのでいらない。
それにまあ、何かあった時に家にいて欲しいのはやはり親父であるから、こちらには来て欲しくはない。
「しかしそれで魔物活性化が終わるのはいつぐらいになるんでしょうか」
「竜の大きさからしておよそ一ヶ月かな。式典の準備はそれに合わせて行われるから、よほど緊急の救援依頼でもない限りは、一ヶ月後にはこの産業都市に戻って来るよ。それまでの間でいいよね」
一ヶ月か。
……まあそれぐらいなら大丈夫だろう。
竜討伐貢献という形で報労されるなら何かしらのお手当も期待できるし、さらに親父はドラゴンスレイヤーだ。一回もらった勲章が二回もらえるかどうかは知らないし、そもそも勲章の授与式は政庁都市に接続した時だけだったはずだから今回の祝勝会では貰えない可能性も高い。
まあそれでもハイオーク防衛戦の特別報酬が入るので金銭的には余裕が有るはずだ。
……火事を起こして、夢で見た様に家が全焼するとかそんな事にはならないよね。きっと大丈夫だよね。変なフラグとか建ってないよね。
「わかりました。それで手を打ちます」
一ヶ月も家を空けるのは不安も多い。
人質交換の意味があると言われた以上、気安くブレイドホームの様子を見に行くのも問題があるように思う。
……いやまあ、見に行くんだけど。はっきりダメって言われてないんだから、言われるまでは大丈夫だろうし。
「あ、セージ君。
今回の交換留学は特殊な事情のもとで行われるわけだから、少なくともマージネル家側の了承もなく勝手に家に帰ったりしたらダメだよ」
「……わかりました」
スノウさんはエスパーだろうか。
かくして、私は一ヶ月ほどマージネル家で暮らすことになった。
後から聞いた話だが、スノウさんが話を仕切っていたのは今回の名家の失態への追求を緩くした代償みたいなものを要求したかららしい。エースさんがそう謝りながら教えてくれた。
ちなみに病院の退院手続きがあると言ってもスノウさんが勝手に済ませてしまっていたし、さらにはマージネル家のかかりつけの医師がやって来て問題なしと診断をした。
私は着替えを取りに行く許可も貰えず、マージネル家と何故かクラーラさんが用意した新品の服や歯ブラシなどの雑貨を与えられ、事実上マージネル家に軟禁されることになってしまった。
私としては妹とクライスさんが心配なんだけど……。
いや、クライスさんの心配はきっと杞憂なんだろうけどさ。
しかしまあ本気で余計なことするバカ親父である。