113話 こんな決着は認めない
「アールは親父に殺して欲しかった。そうでしょう」
セージの言葉に、場がざわめく。
動揺が最も大きかったのはマージネル家サイドだった。特にエースやリオウのようなアールに近しい人物はセージの言葉が信じられずその顔を窺い、真実だと悟って二度驚いた。
逆に最も動揺の少なかったのはスナイク家サイドだ。スノウもラウドもさしたる驚きを見せなかった。
アールと面識の深いスノウは多くを察していたし、ラウドは武人としてアールのジオへの感情を理解していた。
そしてセージの隣に座るジオは、何だ、殺せば良いのかと、わずかに殺意をのぞかせた。そしてその足をセージに抓られて、大人しくしていた。
ちなみにシエスタは隣で行われている寸劇には気づかず、ただただ驚くばかりだった。
「……そうだな。ああ、そうだ」
「ならば、ケイさんをこちらが引き取っても文句はないでしょう。あなたは自己陶酔に溺れるただの罪人だ。
父親としての役目も果たさず、愛情も示さず、娘をただ鎖に繋ぎ続ける事は間違っているとは思いませんか」
虚勢を張る力も失ったアールは、セージの言葉に力なくうなだれた。
「ああ、ああ。……その通りだ」
「――ちっ。さて、ではケイさん。改めてどうですか?」
セージはニッコリと、胡散臭い笑顔を浮かべてケイに向き直る。
「私たちはあなたに寂しい思いはさせませんよ。
怖い夢を見て独り寝るのが恐ろしい夜には朝まで付き添いましょう。
嫌いなピーマンは美味しく食べられるように調理します。
友達と隠れんぼがしたい時にはこちらから声をかけます」
つらつらとセージが語るたびに、泣きそうだったケイの顔は真顔になり、さらにそこから恥ずかしさで赤く染まっていく。
「太ももやお尻ばかり見ている礼儀作法の先生は遠くに行ってもらいます。
嫌な事を言う友達にはこっちでちゃんと叱ります。
あなたを化物の子なんて、そんな風に言わせません。
そして親父はいつも家にいて、話をしたい時にはちゃんと相手をします。
あなたが寂しくて一人で泣くなんてことはさせませんよ」
「――そ、それ子供の時だから!!」
自分よりも小さな子供が、まるで子供っぽかった昔の自分を見てきたように語るのに耐え切れなくなって、ケイは叫んだ。
そしてお前が教えたのかとやや潤んだ瞳でマリアを睨んだ。
マリアは心底誤解だと首を振った。実際、その記憶はマリアがマージネル家で働き始めるより以前のものだった。
「そうですね。子供なら誰でも経験するような寂しさを、あなたは独りで乗り切った」
ジオがセージを見つめて、お前にそんな経験あったかと、空気を読まず視線で訴えかけた。セージはそれを無視してもう一度足を抓った。
ジオは大人しくセージから視線を外した。
「誰もあなたの支えにならなかった。そこにいるマリアさんを除いてね。なら、家を捨てても良いでしょう?
あなたが後ろめたく思う必要はない。貴方が望むのなら私たちは全力で手伝いますよ。
育った家は違っても、貴方は親父の娘で、私の姉なのだから」
「……あ」
ケイはセージを見て、ジオを見て、マリアを見て、そしてエースとアールを見た。彼らの中で、アールだけがケイと目を合わせなかった。
ケイは決断が下せず、俯いた。
ジオへの憧れも、セージへの好意もある。彼らと一緒に暮らせるのは幸せな未来かも知れないと、誘惑される気持ちは確かにある。
マージネル家の中で冷たく扱われていたというのも事実だ。
だがそれでも生まれて十五年を過ごしたのはマージネル家であり、けっして愛情の一切を注がれてこなかったわけではなかった。
その様子を見て、セージは苛立ちを感じてしまう。
心の奥を見抜くセージは、ケイの本心に気づいている。ただそれを表に表すためには他ならぬマージネル側からの、父親であるアールからのアプローチが必要なのだ。
だがそのアールは完全に心が折れて――もともと追い詰められていたが、それをポッキリと完全に折ったのはセージである――いて、必要なたった一言が出せないでいる。
もちろんケイがブレイドホーム家に来たいと願えば全力でサポートするし、それは心からの本心だった。
だが同時にそれを選べばケイの心には大きな負い目ができると確信していた。その負い目は決して癒えることはなく、折に触れては思い出し心が苛まれるのだと、確信していた。
だからここでケイがマージネル家に残りたいと、アールがマージネル家がケイに残って欲しいとはっきり口に出すのが最善だというのに、ケイとアールの二人が踏み出す最後のきっかけが作れずに、セージは内心の奥で苛立ちを感じていた。
この時、セージは大きな勘違いを犯していた。
夢の中でアールはケイが殺されたあと、率先して武器を取ってジオに向かっていった。
結果としては一太刀浴びせて死んでいったが、しかしその時の気迫は鬼気迫るものが有り、決して自死を望むような軟弱な感情ではなく、ケイが殺されたことにとてつもない怒りと恨みの感情を抱いていた。
その事と、そしてこうして顔を合わせて、その魔力の奥底からケイに向けているものを感じ取って、セージはこうしてアールを煽った。
しかし夢の中では大きく名家としての力を失っていたマージネル家だが、実際には一年前のケイの皇剣武闘祭優勝と、その後のシエスタからパクった政策活用法で大きく力を取り戻していた。
そのマージネル家を守り、さらに発展させていく義務がアールにはあった。
それはアールという人間の、骨の髄まで染み込んでいた。
その信念があったからアールは此処まで頑張ってきたが、守るべきマージネル家がなければとっくに復調したジオに喧嘩をふっかけて楽になろうとしていた。
犯罪者としてジオに殺される展開はなくなったが、殺そうとした子供にボロクソに言われ、まるでダメなオヤジ二号として軽蔑され、そして――口にしたことは一度もないが、愛娘である――ケイにも愛想をつかされそうになっている。
アールの罰を受けたいという気持ちは満たされてしまっていた。
そして自分のようなまるでダメなオヤジのもとにいるよりは、英雄であるマダオ一号のもとで暮らしたほうが幸せになれるのではないかという、逃げの思考が生まれていた。
もちろんアールはケイに出て行って欲しくないとは思っている。
だがそれをはっきりと口にするだけの勇気は、アールの中から根こそぎセージの手によって奪われていた。
場の空気は硬直した。
マージネル勢はそろって混乱していたが、ある程度状況を理解しているスノウとクラーラは静観してケイとアールの言葉を待った。
ケイがブレイドホームに行けば戦力的に脅威となる。
特にジオやラウドが歳を重ねて一線を退いた時に、セージとケイの二人が同じ家にいるのは避けたい。
だがこの二人にしても打てる手はなかった。アールの気持ちを誘導しようにも、打算で発せられる言葉で勘の良いケイが拒絶反応を起こしては元も子もない。
アールが自らの意思で声をかけなければならないと、二人は静観を決めた。
そんな重く硬直した空気の中で、セージの首根っこを掴む手があった。
大きな手だった。隣から伸びてきた手だった。空気を読まない男の手だった。
それはジオレイン・ベルーガーの手だった。
「――は?」
掴まれたセージはそのまま放り投げられた。投げられた先にはアールがいて、咄嗟にアールはセージを抱きとめようとする。
セージもそれがわかったので無理に体勢を整えず、アールに抱きとめられるのに任せた。
「おいケイ、こっちに来い」
「え、あ、はい――ぐふっ!!」
混乱するままに呼ばれて近寄ったケイは、ジオに殴られて気を失った。
ちなみにセージが折って、不出来な身体活性でなんとか繋がりかかっていた肋骨は、この時再度ポッキリ逝った。
「よし」
「良くないよ!?」
アールの手から抜け出たセージが咄嗟に叫ぶ。マージネル勢は立ち上がって闘志を見せ、ジオを睨んだ。
その中でも最も強い闘志を放つ男に、ジオは声をかける。
「おい、アール」
「――ケイを放せ、ジオ」
殴られ、ぐったりと気を失ったケイの姿を見せつけられて、不抜けたアールの体に再び熱が入った。
「断る。こいつは借りていく。代わりにそいつを置いていく。それでいいだろう」
「良くないよ!?」
セージは再び叫んだ。何を言い出すのこのバカ親父と、全力で顔に書いてあった。
「俺も馬鹿だが、お前も馬鹿だ。しばらく頭を冷やせ」
「……あー、道場生の交換留学みたいなことをしようってことかな、ジオさん」
好機と見たスノウが、やんわりと合いの手を入れてくる。
「――ああ、それだ」
「違うよね。親父なんにも考えてなかったよね。なんだか嫌な空気だからとりあえず突飛な事をやっただけだよね」
セージは真理を叫んだが、誰にも相手にはされなかった。
「まあ、良いんじゃないかな」
「スノウ様!?」
クラーラが驚きの声を上げる。
ケイをブレイドホーム家に入れたくないという意味で二人の利害は一致していたが、ケイとセージたちの不仲を望むかどうかで二人は対立していた。
「いやね、セージ君はマージネル家と喧嘩したくないって言ってたし、それなら交流の場を持つのもいいことでしょ。ケイ君がどっちの家に所属するかも、この交流を終えて気持ちを落ち着けてから決断すればいい。
守護都市の道場同士で交換留学をするのは珍しいけど、無いわけじゃあないしね。
それに対外的にもケイ君とセージ君は協力して竜と戦ったってことになってるから、今回の騒動が表に出るのはあんまり良くないんだよね。
まあつまるところ、君たちが仲良くしてくれるんならそれにこした事はないよ」
「それはそうかもしれないけど私がいないんですよね。親父達だけでケイさんの面倒を見るんですよね。それすっごい怖い事なんですけど」
その発言にシエスタだけが心配そうにしたが、
「まあ、今回のような交換留学には人質交換の意味もあるし、諦めたほうがいいよ」
スノウは心から楽しそうにそう言った。
絶望的な気持ちでセージはジオを見る。
「……じゃあ親父がケイさんに変なことしたら、私は殺されても文句言えないの?」
「大丈夫だ」
ジオは力強くそう言った。セージはまるで安心できなかった。
「そんなことより、セージさんは彼らに殺されかけたんですよ。倫理的に考えて七歳のセージさんを彼らに預けるのは反対です」
「そうだよ。そうだったよ。僕アウェイじゃないか」
「お前なら大丈夫だ」
ジオは再び力強くそう言った。
ジオの直感は今のマージネル家なら大丈夫だと囁いていたし、少々の問題なら独力で切り抜けられるだろうとセージへの信用もあった。
ただそれはセージには全く伝わらなかった。
「ジオさんの方は賛成でよしとして、エースとアールはどうかな?」
「そうだな。儂は構わん。ケイにとっても良い経験になりそうだ」
「……ああ、それでいい」
こうしてまるでダメな保護者同士の意見が決定し、セージはマージネル家で、ケイはブレイドホーム家で交換留学を送ることとなった。
天使の悲痛な絶叫がマージネル家に響いたが、それに同情したのはシエスタ一人だけだった。
to be continued
~~幕間 家族の問題が片付いてきたら家族の問題に巻き込まれた~~