107話 ちょっと落ち着こう
殴り飛ばされて、壁に叩きつけられた。
痛みはあるが、驚きはない。直前で殴られることはわかった。その前に殺そうと最速の動きで襲いかかったが、それでも私のほうが遅かった。
親父は女と私の間に立っている。
庇っているようには見えないが、しかし二度目のチャンスはなさそうだった。さらには親父の後ろにはラウド・スナイクがいて、女の横に立って声をかけていた。
ラウドの私を見る目つきには警戒心が伺える。シャルマー家のクラーラやその護衛には警戒心だけでなく恐怖と敵意も混じっている。
どうやら衝動にかられた結果の代償は高くつくようだ。
まあ、どうでもいいか。
「どうした、セージ」
「どうもしないよ」
私は壁に叩きつけられて傷んだ体を治しながら、服についた埃を払い親父に答えた。
喧嘩は終わりで、女に手出しもできない。
では話を戻すとしよう。
「さて、マルク・べルール氏の身柄はこちらで引き受けさせていただいて構いませんね、シャルマーさん」
「え、ええ。そ、そうね」
「親父、それ持って帰るから抱えて。シエスタさん、どこに運べばいいですか?」
私はマルク氏を指して親父に教えた。シエスタさんはビクリと肩を震わせた。
私が安心させようと笑いかけると、シエスタさんは一歩後ずさって、腰を抜かした。
「え、あ、え……。ち、違うの。怖くないから、怖くないからっ」
シエスタさんは泣きそうな声で、謝るようにそう言った。シエスタさんは立ち上がろうとしていたが上手く足に力が入らないようで、私は彼女に近づかないよう気を付け、親父に手を貸せと顎で示す。
親父が近寄ってきて、そして私は殴られた。
今度は壁ではなく、地面に叩きつけられた。
「……痛いな」
「……チっ。おい、お前ら」
「えっ!?」
「はい!!」
私は起き上がって文句を言ったが、親父は私を無視して女とケイに声をかけた。
「謝れ」
二人は呆気にとられる。
「二人共とりあえず謝れ、こいつがここまで怒ってるのは弟が死んだ時以来だ。何かしたんだろう」
「え、ええ。本当にごめんなさい、セイジェンド様。勝負の邪魔をしてしまって」
申し訳なさそうに女が言った。ケイとの喧嘩の勝敗に私が強くこだわっているのだと思っているようだった。
殺されかけたことはまるで気にしていない。随分と気概の強い女だった。
親父がうむと頷いた。
しかし私は喧嘩の勝敗には拘ってなかった。親父は何も分かっていない。二度も殴られたことだし、帰ったらこの報復はしっかりと行おう。
親父は視線でもう一人を、ケイを促した。
「あ、ご、ごめんなさい」
恐る恐ると行った様子で親父や女の影から出てきたケイは、泣いていた。
「ごめんなさい。
……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
わたしが、わたしがわるかったから、まりあをころさないで」
泣きながら、そんな事を言っていた。ごめんなさいと、泣き崩れながら繰り返している。
親父はもう一度うむと頷いて、こっちを見た。
どうするんだと、目で訴えてきた。
「……はぁ。どうにも悪役やってるね、私は」
大きく深呼吸する。長い夢から目を覚ましてから、あるいはケイとの戦いで昔を思い出してから、私は随分と気が立っている。
ケイのことを正気でないと嘲笑う権利は、私には無かったようだ。
ケイを守る女性はクライスさんを殺したが、それは夢の中での話だ。夢の中では親父がケイを殺しているのだから、それはやっぱり現実とは関係のないIFの話だ。
マージネル家は現在進行形で敵対しているから対応する必要があるが、それにしたって敵対して相手を潰すというのは、選択肢の一つでしかない。
碁だって相手を殺すしかないと思い込んで視野を狭めれば、勝機を失うこともある。
ケイやこの女性と敵対する必要はない。
そもそもあの夢だってデス子が見せているのだから、私をその方向に誘導させようとしている可能性もあるのだ。
まあとは言え、スッキリとしない部分はある。
「……親父、ちょっとこっちきて」
「む。なんだか嫌な予感がするが、いいだろう」
渋々とだが、親父は近寄ってきた。
その腹を思いっきりグーパンした。
「ぐふっ!!」
「うん。すっきりした」
そういえばここ一年間、親父との立合いでは一度もクリーンヒットがなかった。
うん。女性に八つ当たりするよりよっぽどいいストレス解消になった。
「こ、この野郎。なにしやがる」
「いや、気持ちを切り替えようと思ってさ。まあ気にしないで」
ふんと、私の拳を避けようとも防ごうともしなかった親父は、そう鼻を鳴らした。
「二人共落ち着いてください。こちらとしてはこれ以上何かをするつもりはないですよ」
「はい、お嬢様も、ほら、私は大丈夫ですから」
「う、うん。ごめんなさい」
恐る恐ると行った様子で、ケイさんは私の様子を伺う。何だか戦っている時と印象が大きく異なるが、それだけ私が殺しかけた女性が大切なんだろう。
……私が殺しかけたって、改めて明記するとちょっと危ないね。
……いや、ちょっとじゃなくて普通に危ないね。
……うん。普通にかなり危ないね。
どうもこの国――というか、親父の影響を受けすぎているようだ。
ちょっと気を付けよう。
「やりすぎてしまって申し訳ないですけど、そっちだって悪いんですよ。
ほら、初めて会ったときは僕は良いように殺られちゃいましたし、今回だっていきなり因縁つけてきたじゃないですか。なんの苦労も知らない子供だなんて」
びくりと怯えるケイさんとそれを庇う女性に、親父を指差して示す。
「僕の親父これなんですよ、苦労してないわけないじゃないですか。ひどい侮辱です」
その場にいる全員がポカンとし、そしてケイさんと親父以外が程度の差はあれど一斉に笑った。
クラーラさんはプッ軽く吹き出す程度で、シエスタさんとゲイツさんは苦笑気味の笑いで、ラウドさんとカナンさんはかなりはっきり笑っていた。というか、ラウドさんは爆笑してた。
うんうん。みんなの心が一つになったね。
「ふ、ふふふ。そうですよね。それはお嬢様が悪いですよね。だってベルーガー卿の、野獣の下で育つんですから、プププっ。それはきっと大変な毎日でしょう」
「……ちっ。卿はやめろ、マリア」
「考えておきます。さあ、お嬢様。改めて、謝罪を。
……生まれてたった七年でこれほどの力を身に付けるのです。それが才能に胡座をかいたものでないことぐらい簡単に想像がつくでしょう」
女性――マリアさんは、後半はケイさんにだけ聞こえるような小声でそう言った。
……もしかして私はものすごく耳がいいのだろうか。トイレでクラーラさんたちの会話が聞こえたのもそのせいかもしれない。だとしたら、またデス子絡みでおかしな力が作用しているのだろうか。
「あ、うん、本当に、ごめんなさい」
「いいえ。こちらこそ」
私がニッコリ笑うと、安心したようにケイさんは歪に笑う。
無理矢理な愛想笑いだったけれど、その魔力は少しだけ良い方向に傾いた。
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「それで、何の話をしてたんでしたっけ?」
「マルク・べルールの身柄について、ですけれど……」
私が改めて切り出すと、クラーラさんが答え、親父が誰だと声を上げた。
「すみっこで小さくなってるあの人だよ。僕が共生派のテロリストだって嘘ついて、マージネル家に私を殺すようにって依頼した人だよ。
そんでもって産業都市の騎士様とマージネル家の騎士様があれこれ悪いことしてそのための下準備したから、騎士様たちはその辺を誤魔化してマルクさんだけが悪いってことにしたくて、探してるんだよ」
「そうか。ならここで殺していいのか」
「親父、話聞いてなかったでしょ。だめだよ」
親父にも理解できるよう噛み砕いた今の私の説明を聞き流すとか、マジでありえない。
「そうか? どっちみち殺されるんだろう。ならこの手でやったほうが気が済むだろう」
マルクさんが親父の言葉に震え上がる。
まあマルクさんのこれからって、どの勢力に捕まって殺されるかっていう違いしかないんだよね。国家反逆罪なわけだし。
マージネル家に捕まると交渉での優位性がひとつ消えるので、私も逃がす気はないし。
「僕は殺さないよ。親父も殺しちゃダメ。とりあえず貰って帰っていいって話でしたよね」
「……ケイ・マージネル。あなたの家の問題でもあり、また騙された当事者でもあるあなたとしては、何か言いたい事があるのではありませんか?」
「えっ!? わ、私は、知らない。わかんない」
「ラウド様はいかがですか?」
私の問い掛けに、クラーラさんは周囲に水を向ける形で答えた。
どうにも実家と何かあったらしいケイさんははっきり断って、ラウドさんも肩をすくめてクラーラさんからの応援要請を断った。
「それじゃあ特に異論はなさそうなので、貰って帰りますね。親父、担いで」
「お待ちください、セイジェンド様。まだ話は終わっていませんよ」
「――そうそう。せっかく役者も揃っているんだから、持って帰って改めてなんてまどろっこしい事をするんじゃなくて、このままマージネル家に乗り込んじゃおう」
そう割って入ってきたのは、スノウ・スナイクさんだった。
この人が一番遅れてやって来て、ついでにこんな提案をするとか嫌な予感しかしないんですが。
これはマージネル家終了のお知らせでしょうか。