106話 魔人/英雄を継ぐ二人
セージは弱かったが、しかし同時に強かった。
そこに至った経緯は間違ったものだったが、それでもセージとの戦いはとても楽しいものだった。
とても充実した時間だった。
セージの技は美しかった。地べたを這い、転がり、生きるためならどんな無様な姿も晒した。
その必死な姿はとても美しかった。
セージの才能は嬉しかった。
ずっと欲しかったライバルが見つかって嬉しかった。
セージの背中は輝いて見えた。竜に向かった背中は戦おうという意思に満ちていた。
そしてこれはケイの勘違いかもしれないが、その背中はケイを守ると、そう言っているように聞こえた。
ケイはセージに好意を抱いていた。
セージは弱いのに、勝てなかった。
騙されて戦うことになった。殺そうとした。
とても上手くジオの技を使っていた。長くその技を教えられてきたのだと感じ取った。
セージの才能はケイよりも大きいと感じた。
今まで強さだけでしか家族から認められてこなかったケイよりも、大きい才能を持っていると感じた。
セージの背中に負けたと感じた。守ってやると侮辱されたと感じた。
ケイはセージに、好意とは相容れぬ想いも抱いていた。
******
ケイはあてもなく走って、そこに行き着いた。
ケイは信頼する姉替わりのマリアに会うことよりも、ずっと尊敬してきた本当の父親であるジオに会うことよりも、セージに会いたいと望んでいた。
その思いが産業都市にケイの足を向けさせた。騎士との一合で漏れたわずかなセージの魔力を見逃さなかった。
それは血の導きではなく試練の導きでもあったが、何よりもケイが望んだからこその再会だった。
「……会いたかった、セイジェンド」
「会うたびに正気を失っているのはなぜなんでしょうね、姉さん」
セージの言葉にゲイツ一等騎士が驚く。それ以外に驚いたものはいない。ただケイの心は大きく揺れた。
「なるほど。生まれの経緯を聞いて、バイクも盗まず走り出したんですね」
「お前は、お前は知ってたのか。私は、ずっと、ずっと知らなかったのに」
「こちらもそれは同じですよ。知ったのはつい最近です。まあそんな事はどうでもいいでしょう」
どうでもいいと、お前の悩みに興味はないと。そう言われて頭が熱くなった。
ケイよりも化け物じみた才能を持つセージが、ずっと本当の父親の下で育ってきたセージが、ずっと化物の子供として育ってきたケイにそう言ったのだ。
許せなかった。
「お前はっ!! ずっと家族に囲まれて、何不自由なく暮らして、お前は愛されて、私はっ、私はずっと、才能もあって、ちゃんと教わって、ずるいじゃないか! お前ばっかり!!」
「はっ。知りませんよ、そんな事。ごめんね、なんの苦労も無くすくすく育って強くなっちゃって。このまま私は親父よりも強くなるけど、ごめんね。才能があって。
それで、貴方は私の何が欲しいのかな?」
プチンと、決壊寸前だったケイの感情はそれでぶちギレた。
「ぁぁああああああああああああああ!!」
******
ケイとセージの第二ラウンドが始まる。
それは殺し合いではなく街の喧嘩だった。
病院から出てきた二人は互いに非武装で、お互いの体だけを武器に戦った。
今回のケイは正気こそ失っているものの、精霊からの魔力の異常供給はない。
対するセージも扉の開き方は知っていたが、それを開く気はなかった。
退院したばかりのケイは本調子には程遠い。傷んだ回路に無理やり魔力を通しても身体活性はまともに機能せず、その実力は上級の壁を越えるのがやっとといったところだった。
病院で目が覚めたばかりのセージは確かに本調子ではなかったが、しかしケイと比べて回復度合いでは優位に立っていた。
これは魔力の過剰供給による後遺症の差でもあった。
竜と戦うことを目的として契約をしたケイと、将来を見据え成長を望まれて契約がなされたセージでは暴走時における過負荷への保険がはっきりと違っており、さらには竜がセージに与えたもの、精霊とデス子の上位存在としての格の違いなども起因していた。
その結果、二人の身体能力は前回の戦いとは違い、互角のものとなっていた。
ケイの拳が空を切る。本調子に程遠いといっても、その一撃は皇剣武闘祭優勝者のもの。
その鋭く早い一撃が、空を切る。
セージは小さな体をさらに小さくかがめてケイに踏み込む。ケイを倒す最善の戦術は距離を取って魔法戦をすることだが、それをするつもりはなかった。
街中でそんな事をしては周囲の被害が大きくなりすぎるし、そもそも今のケイと叩きのめすための戦いをする気にはなれなかった。
ケイは身をかがめて踏み込んでくるセージの顔面に膝を合わせる。
セージはその膝をクロスした両腕で受けつつ、飛んだ。
ケイの膝に帰ってくる感触は布でも蹴り上げたような頼りないもので、つまるところは手応えがない。
飛び上がったセージがお返しとばかりにケイの顔面に向けて蹴りを放つ。
防御は間に合わない。後ろに跳べば避けることはできるが、ケイはそれが嫌で前に出た。
繰り出されるセージの蹴りに、ケイは頭突きで応戦した。
ガツンと、鈍い音が響く。
ケイは仰け反り、セージは空中でバランスを崩す。
先に動いたのはケイだった。
空中のセージにケイは正拳突きを繰り出す。セージは空中で体を捻ってそれを躱し、そこから廻し蹴りを放つ。
ケイはしゃがんでそれを避けると、正拳突きとは逆の手でアッパーを繰り出し、セージは空中を足場に後方宙返りをしてそれを躱す。
空中を足場にする疾空は上級の闘魔術。魔力制御に限れば中級相当のケイにはまだ使えない技を七歳のセージがそれを当然のように使いこなすのは、魔力の吐き出し方に重点を置いて鍛えられたケイとは違って、吐き出す魔力の扱い方に重点を置いて学んできた証だった。
ケイの狂おしいほどに熱く滾る心にさらに燃料が加わる。
加えられたその感情は嫉妬とも呼べたし、喜びとも言えた。
ケイはセージに妬みと憎しみと、そして憧れと好意を抱いていた。
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シエスタをはじめとするギャラリーの前で繰り広げられるのは息も吐かせぬハイスピードバトルだった。
セージもケイも仕切り直しなどは考えず延々と殴り合う。
だが決定打は出ない。
パワーとスピードはややケイが優位だったが、セージはその小柄な肉体で的を絞らせず小回りを利かせて、その差を埋めていた。
単純な戦闘技量は経験と才能で勝るケイに分があったが、セージの仮神の瞳は他者の感情を見抜き、その次の行動を予見させる。それは差を埋めるどころか差をつけるだけの助けとなり、立ち回りはセージが上を行った。
だがそれでセージが優位に立てているとは言い切れない。
ケイは前回の戦いの経験と受け継いだ血統の、まだまだ荒削りなその直感で、セージの行動予測に対応していた。
二人の喧嘩は拮抗した状態で、続く。
それはシエスタのような荒事の門外漢には理解できないレベルの争いであり、ゲイツ一等騎士でも目で追いきれない戦いだった。
「カナン爺、どうなっているのかしら?」
「ふむ。まあ喧嘩は互角じゃが、分は小僧にあるのぅ。いやはや、七歳の小僧が上級の壁を越えとるとは、長生きはするもんじゃのぅ。ほっほっ」
多くの騎士に守られているクラーラはのんびりとそう言った。
守護都市の名家に生まれたクラーラには、当然のことながら武道の心得がある。
だが若くして前当主であった母親が急逝したため十分な経験を積むことが出来ず、その実力はスノウのようにかろうじて中級に入っただけで、目の前の戦闘を評価できるほどでは無かった。
「笑ってる場合かしらね。理由は何かしら」
「ケイの嬢ちゃんは竜にやられた怪我が治っとらんようじゃの。無理に魔力を使っとるせいで体中が悲鳴を上げておる。あれでは長くはもたんの」
「セイジェンド様が時間を稼いで終わり、かしら」
「いやいや、嬢ちゃんもそれはわかっとるし、小僧もそれに付き合って短期決戦の構えじゃ。
いやはや、両者が万全で死合った先の戦いとやらも見たかったのぅ。
それ、決着じゃ」
カナンの解説に違わず、二人の戦いは大きく動いた。
それまで互いに大きな決定打を欠いていたが、その交錯でセージが殴り飛ばされ、吹き飛んで壁にめり込んだ。
普通の人間なら死んでもおかしくはない勢いだったが、セージはめり込んだ壁から出てきて再びケイに突っ込んでいった。
対するケイは、脇腹を抑えて動けないでいた。
「え、何、何が起きたの?」
「セイジェンドの蹴りがケイの肋骨を折って、ケイの拳がセイジェンドを吹っ飛ばしたんじゃよ。
ふむ。小僧は身体活性と無詠唱の回復魔法ですぐに体を治しおったが、嬢ちゃんは折れた肋骨を治すのに手間取っとる。
少々味気ない幕切れじゃが、ああしてできた傷は簡単には治らんし、勝負はあったのぅ」
名残惜しそうにカナンはぼやき、クラーラは二人を見つめる。
ケイに向かって走るセージの瞳は冷たく、その体からは戦意が満ち溢れていた。
クラーラは不吉な予感を覚えた。
今回の竜の襲撃は、一般には哨戒任務に就いていたセイジェンドが竜の早期発見に成功し、そこに救援に駆けつけたケイと二人で協力して足止めを行い、続いて駆けつけたジオとラウドの二人がその竜を狩ったということになっている。
今回の件ではシャルマー家は蚊帳の外であったため公式発表の裏に隠された真相の詳細は知らないが、それでも二人に決して軽くない諍いがあったことは聞き及んでいる。
そしてその内容は、セイジェンドがここで報復にケイを殺してもおかしくないものであった。
常識で考えれば痛めつけはしても殺人までは行わないかもしれないが、セイジェンドはあのジオの息子だ。
ケイのように名家に従い、高い実力を持つ者は貴重だ。そのケイが死んでしまうのは守護都市にとって大きすぎる損失となる。
それにセイジェンドがケイを殺せばこの後のマージネル家との交渉に与える影響が大きすぎる。場合によっては守護都市を大きく巻き込む内戦へと発展しかねない。
クラーラがセージを止めようとするのを、カナンが押しとどめた。
クラーラよりも先に割って入る人影に気づき、それに任せた方がいいと思ったのだ。
「お止め下さい、セイジェンド様」
ケイを庇って、セージの前にその体を差し出したのはマリア・オペレアだった。
ケイの姉替わりの女性だった。
彼女は夢の中でクライスを殺した女だった。
血走った目でジオの子供たちを睨み、クライスの首をかき切った女だった。
その女が、セージの前で無防備に両手を開いてその身を差し出した。
「邪魔です。どいて下さい」
セージの冷たい瞳が鋭利さを増す。
二人の勝負は優劣こそ決したが、決着にはいたっていない。そんな喧嘩に割って入れば、勝負事を汚したとして両者から殴り飛ばされるのが守護都市の常識だ。
育ちの良いクラーラやシエスタ、守護都市に配属されたことのないゲイツ一等騎士以外はその事を知っていた。
当然マリアもそれを知っていたが、殴られてセイジェンドの気が済むのならそれで良いと、無抵抗に体を差し出した。
それが、セージの神経をよりいっそう逆撫でした。
「――っ!! 多くの無礼はお詫びします。私に出来ることなら何でもします。だから落ち着いて、話を聞いてください」
「……なんでも、ね」
セージは薄く嗤った。
セージとしては別にケイを殺すつもりはなかった。心の中で泣きじゃくる子供が逆恨みで殴りかかってきたから、その子の家に腹が立つから、売られた喧嘩を買っただけだ。
喧嘩の勝敗をはっきりと決めるためにもう一発ぐらいは殴り飛ばそうと思っていたが、それ以上のことをするつもりはなかった。
だが目の前の女が何をしても良いというなら、そうさせてもらおうと思った。
「じゃあ、死ねよ」
セージは魔力を手に込め、マリアに手刀の形で繰り出す。
その動作は一瞬で、反応できるものはいない。
そもそもここでセージがマリアを殺すと予測することが出来たものはいない。
この場にて最も力を持っているのは守護都市の皇剣であるカナンだったが、その力は老いによって上級の戦士にまで大きく衰えさせていた。
この一瞬の出来事に後出しで反応出来るだけの力は、もう持っていなかった。
上級の力を持つマリアも、セージへの誠意として自身の魔力を押さえ込み完全に無防備になっていた。
マリアもケイほどではないが、魔力制御よりは魔力を高めることに重点を置いて鍛えてきた傾向がある。
その一瞬で肉体を強化し直し、回避や防御をするというのは難しい事だった。
だからセージの手刀は無防備なマリアの顔面に突き刺さり、その命を奪うはずだった。
新たな人物が現れなければ、そうなるはずだった。
セージの斧よりも鋭く重い手刀がマリアの顔面を二つに割るよりわずかに早く、割って入る拳があった。
その拳はセージの顔面を容易く捉え、吹っ飛ばした。
「何をやってるんだ、お前は」
呆れた言葉に僅かな驚きを交えて、ジオレイン・べルーガーが拳を振り抜いた姿勢で、そう言った。
作中蛇足~~守護都市からケイを追いかけてきたマリアより産業都市にいたジオたちの到着が遅かった理由~~
酒場を出たジオとラウドの会話
指先に魔力の刃を作り顔をジョリジョリするジオ「……」
ラウド「何をやってるんだお前」
魔法で作った水をかぶり温風で濡れた全身を乾かすジオ「……」
ラウド「……頭がおかしくなったのか?」
適当に髪を整え、シャツをズボンに収めボタンをしっかり止めるジオ「……」
ラウド「おい、会話をしろよ」
雑貨屋店頭に並べられている口臭を消す魔法薬(焼肉や飲酒後の女性に重宝される大量生産の効かない薬。二十粒入りが日本円換算で19800円)を見つめるジオ。「……」
ラウド「おい、なんでいきなり身なりを整え始めるんだ」
財布の中身が空になっているジオ「おい、ラウド」
ラウド「……なんだ」
ジオ 「金をよこせ」
国内最強を決める戦いがこの時、
イラっとしつつも財布から金を出す金持ちラウド「……ほら」
ジオ「……すまん」
結婚して小遣い制にされた飲み友達を見るような目のラウド「……気にするな」
始まらなかった。