105話 騎士の事情とその誇り
そこまでですよと、セージは声を張って割って入った。
その声に動きを止めたのは、マルクに雇われたことになっているゴロツキたち二人だった。
「セージさん!!」
「後ろへ」
喜悦と安心を交えた声を上げ駆け寄ってきたシエスタに、セージは短く指示を出した。
セージは態度でも雄弁にその言葉を示し、シエスタを庇って二人の男の前に立った。
庇われたシエスタは常にないセージの無機質な声と冷たい目にやや怯んだが、今は何も言わずにその後ろに立った。
「そちらに隠れていらっしゃるのがマルク・べルール氏ですね。ごきげんよう、お初にお目にかかります。今日は良い日ですね。
そして数日ぶりですね、ゲイツ一等騎士。長い時間お目にかかっていなかった気がします。そんな錯覚を覚えてしまうのは、貴方が犯罪者の小間使いをやっているせいでしょうか。
一等騎士というのは随分と薄給なのですね。マルク氏のような人に顎で使われるような副業へ望んで付くのですから」
冷たい目つきのまま口元に歪な笑みを浮かべ、セージは語った。
「えっ、何を言ってるんですか、セージさん」
「……」
セージの言葉に反応したのはシエスタとマルクだった。二人の男たちは押し黙って余計なことを言わないようにし、シエスタはそんな二人の男を改めて観察する。
セージが言ったゲイツ一等騎士は今回の一件での産業都市におけるマージネル家の協力者であり、セージを騙して犯行現場に行くことを強制させた人物だ。
マージネル家とつながっているのはこのゲイツ一等騎士の上司だが、その上司である産業都市の都市防衛責任者を裁くにはゲイツ一等騎士の証言が必要でしつこく調書を取ろうとしていたが、ずっと逃げられていた。
だがその風貌はシエスタもよく知っている。
目の前にいる男は二人共ゲイツ一等騎士とは似ても似つかぬ薄汚れた風体のゴロツキだった。
「――ん? ああ、そういう事ですか」
セージはシエスタの言葉を意外に受け取り、それから二人の男をよく観察し、手を挙げる。
そして指を鳴らすと、
「アベル!?」
セージの姿はアベル・ブレイドホームのものへと変わった。セージはアベルの姿のまま、もう一度指を鳴らす。
「――!!」
二人の男が同時に息を呑む。セージの姿はアベルからケイ・マージネルに変わった。もっともその姿はやや歪で、アベルほど完璧に再現できている訳ではなかった。
セージはケイの姿で、さらにもう一度指を鳴らす。
次に現れたのはジオレイン・ベルーガーだった。
寸分たがわず魔人の姿を得たセージは、その鋭い眼光で二人の男を睨みつける。
「ま、こういう事ですよ。宴会芸のような魔法ですが、声までは変えられないようですね。お二人がなるべく喋らないようにしているのもそのためですか? それともまだ、身分を隠し通せると思っていますか?」
ジオの姿でセージはそう言って手を振る。それで幻術は解けて、セージは本来の姿に戻った。そのセージが二人に向けて手を突き出す。
何をされるのかと身構える二人に対して、高速の衝烈波が放たれる。それは通常の衝烈波とは違い物理的な破壊力は一切持たなかったが、しかし二人の男の身を包む幻術はそれに消し飛ばされた。
そして現れた姿はシエスタがよく知るゲイツ一等騎士と、都市防衛責任者の腹心である別の一等騎士だった。
「こんな危険な犯罪者と護衛も連れずに一人で対峙するなんて、少々お転婆が過ぎましたね、シエスタさん」
「うっ」
「とはいえ塞翁が馬、あるいは怪我の功名と言ったところでしょうか。こうして愉快な状況に立ち会えたのですから。
さてそれでこれはどういう事でしょう。共生派のテロリストと、偽証を行った犯罪者を産業都市の一等騎士様が護衛し、さらにはその犯罪者を追いかけてきた監査室室長であり、か弱い女性でもある彼女に剣を向けている。
ああ、なるほど。
このマルク氏は騎士様に言われて冤罪をでっち上げたのですね。だからこうして護衛をしているし、捕まえに来た相手を始末しようとしている」
セージが嗤いながらそう言うと、我慢できなくなったゲイツ一等騎士が声を上げる。
「それは違う。私たちはこいつを捕まえに来たんだ」
その言葉にマルクが震える。今更ながらにキョロキョロと周囲を見渡し、逃げ出す隙がないか探し始めた。
もっとも腹心の騎士がその動きに注意していたし、さらにセージはしっかりと魔力感知でロックしていたので、そんな展開が許されることはなかった
「それはおかしいですね。だとしたら剣を向ける相手が百八十度違う。ここで彼女に剣を向ける理由、暴力を働く理由が説明できていない。お答えをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「そ、それは――」
答えられるような理由はない。わざわざゴロツキになりすましてマルクの護衛兼案内役として雇われたのはシエスタをおびき寄せ、拉致監禁するのが目的だった。
産業都市側の監査官とは話がついている。
主犯格であるマルクをマージネル家一派に引渡し、さらに熱意を燃やす不都合な女性にしばらく消えてもらい、その間に証拠書類を改ざんする予定だった。
もともとの権威が低い守護都市の監査室は、今はまだシエスタのワンマンチームだった。
シエスタを産業都市の騎士たちが押さえつければ、交換条件として守護都市側はマージネル家が何とかしてくれるはずだ。そのために騎士たちはマルクをたぶらかし、シエスタを誘い込んだ。
「――なるほど。シエスタさんの口を封じるのが目的だった。そういうことですね」
ゲイツ一等騎士の感情を見通し、また置かれている状況からセージはそう正答を示した。
シエスタにも状況は理解できる。頭に熱が入って突っ走ってきたが、どこかで行動が誘導されて罠に嵌ったのだと理解し、セージがいなければと背筋を震わせた。
「はっ、いいね。腐りきってる。見ていて清々しいよ。
それで、どうしますか?
マルク氏は守護都市の犯罪者です。その身柄はこちらでもらって帰るし、君たちが彼を庇っていたという事実はしっかりと持ち帰らせてもらいますよ。
さあ、どうしましょうか?
ああ、私はついさきほど病院から目覚めたばかりでしてね。病み上がりというやつです。一等騎士様からすればそんな子供なんて、赤子の手をひねるように黙らせられるんでしょうね。怖いなぁ。
それでは決めてください。あなたたちの行動の決定権は、あなたたちにある。
素直に頭を垂れて、罪を認めますか?
それとも予定を変えず、口うるさい子供もここで殺しますか?」
嗤いながら、セージは二人の騎士に歩み寄る。
セージが口にした考えが頭になかったわけではない。だがそれを決行するにはセージの態度が不気味すぎた。
さらには腐っていると言われた二人も、性根は騎士である。
特にゲイツ一等騎士は、本当に騙されてセージを嵌めた。いや、騙されたのは産業都市にいた騎士や管制官全てだ。
本当の魔人の息子として号外の新聞を使い、ケイとマージネル家を侮辱した少年に少しだけ嫌がらせをする。もちろん死なせるつもりはないし、極端に危険な仕事を与えるつもりはない。マージネル家はそう言った。
それをゲイツ騎士に伝え、実際の行動を命じたのが尊敬する上司であったために――その上司もマージネル家に騙されていたし、守護都市で鍛えた質のいい騎士を数多く保有するマージネル家に逆らうのは、今後の人事の面でデメリットが大きかった――ここまで来てしまったが、もともと幼い子供を騙して荒野に送り出すことも、さらには騙されたとは言えその子供を殺そうとしたことにも、そして今、無力な女性に乱暴を働こうとしたことにも、少なくない罪の意識を抱えていた。
だがそれが偽りだと分かっていて国家反逆罪であると告発し冤罪にかけることは、国家反逆罪と同等の罪である。
ゲイツ一等騎士が行ったことは犯罪幇助という罪であって国家反逆罪ではないが、最低でも死罪となるような犯罪に加担した罪は軽いものでは無い。
騙された事と上司の命令に従ったことから情状酌量の余地はあっただろうが、それでもマージネル家や上司が責任を取らなければゲイツ一等騎士にそのしわ寄せが来るかもしれない。
そうなれば実刑は十分考えられるし、少なくとも苦労して就いた騎士という職業は続けられない。
シエスタが熱心に仕事をすればするほどに、ゲイツ一等騎士は追い詰められた。
さらには上司から養っている妻や子供、年老いた両親の事を持ち出され説得された。
だからゲイツ一等騎士は、苦渋の思いでシエスタを襲うという罪を重ねる道を選んだのだ。
セージは二人の騎士の横を通り抜け、無防備に背中を見せてマルクに歩み寄る。
二人の騎士は手に持った剣を強く握り、行動に出た。
セージの後頭部めがけて、剣が振り下ろされる。
当たれば頭部は砕け、間違いなく致命傷となる。剣の持ち手は多くの混乱を抱えていたが、その感情にははっきりと殺意が込められていた。
セージは後ろから振り下ろされる剣を紙一重で回避して懐に入り込み、襲撃者の鳩尾に肘を叩き込んだ。
その体はくの字に曲がって、頭が下がった。セージはその顔面を両手で掴み、地べたに容赦なく叩きつけた。
一人の騎士が力なく横たわる。死んではいないが、その体はピクピクと痙攣を繰り返し、意識を失っていた。
もう一人の騎士は、ゲイツ一等騎士は剣を捨てていた。
襲いかかった同僚に憐憫の眼差しを向け、諦めと後悔の声をもらす。
「遠慮なくやってくれ。私は君を殺そうとした」
「そんな事はどうでもいいですよ」
好きに痛めつけてくれと、ゲイツ騎士の懺悔の言葉を端的に切り捨てる。
セージは完全に腰を抜かしたマルクを引っ張って、
「やった事を後悔してるならこれを運んでもらえますか。あいにくとこの体格ですので、こればかりは難しいのです」
「あ、ああ、わかった」
人の心を見通すセージは、そう声をかけた。
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ゲイツ一等騎士がセージの言葉に従ってマルクを抱えようとすると、パチパチパチと、拍手が割って入った。
「お見事ですね。人手が入り用ということでしたら、私の部下を使ってくださっても構いませんが」
「お構いなく。人の後をつけてのぞき見をするとは、なかなか良いご趣味ですね」
「ほっほっ。気づいとったくせによく言うわい」
姿を見せたのはクラーラ・シャルマーと、守護都市の皇剣であるカナン・カルムだった。
クラーラの他の護衛は周囲に散っており、この場には姿を見せなかった。
「声をかけるタイミングが難しかったのよ。
ああ、そうそう。部下に取りに行かせていたセイジェンドさんのギルド・カードですけれど、スノウ様の計いで守護都市のギルドの方に移されておりました。そういう事ですから、あちらに取りに行かれて下さいとのことでしたよ」
「そうですか。わざわざご連絡ありがとうございます。それでは用も済んだようですから、どうぞお引き取りください。こちらとしても忙しくなっておりますので」
セージとしてはクラーラは警戒するべき相手だった。
交渉人としてはスノウに劣っているものの、セージが感じ取るクラーラの心は仮想敵として定めてもおかしくないものだった。少なくとも体調も悪く何の準備もない現状で長々と相手取っていたくはない。
「そう言わないで。
シエスタお姉さまもお久しぶりですね。今回の目覚しいご活躍のほどは聞き及んでいます。本当に、貴方が私を支えてくれればと、惜しい思いですよ」
「誤解やすれ違いも縁がなかった証なのでしょうね、クラーラ様。
マルクはこちらで確保させていただきます。異論はありませんね」
「異論と言いますか、監査官であるお姉様には逮捕権がないでしょう。私の騎士たちもそれは同じですが、皇剣のカナン爺は別ですよ。そちらの彼では守護都市に連行することもできませんし、こちらで確保させて頂くのはむしろ法に則った正しい行いですよ」
シエスタは表情には一切出さずに歯噛みした。
だがこれはマージネル家の人間にマルクの身柄を奪われる事に比べれば大分マシな展開だ。マルクが口封じされるリスクを考えれば、シエスタのところで保護をして必要な証言を早めにとっておきたかったが、そのチャンスはまだ十分にある。
妥協してもいいと考えるシエスタだったが、セージの考えはそれとは違った。
「彼は人を雇って女性への乱暴を指示した犯罪の現行犯ですよ。逮捕権ならばそれに居合わせた女性を守った私にあります。この方も被害女性も守護都市に住まわれていますからね。
都市を跨いで発生する多くの手間を省くために、同じく居合わせた一等騎士様に守護都市の信用できる騎士様のところまで連行を手伝ってもらい、さらには証言をしてもらおうと思います。
実際の犯罪に立ち会ったものが連れて行くのは、当然のことでしょう?」
「……彼は重大な偽証罪に問われているわ」
「そうなんですか。知りませんでした。きっと連れて行った先で教えてもらえるんでしょうね。これはびっくりです」
しれっと嘯くセージを、笑顔を張り付けたままクラーラは睨んだ。
「茶番はやめなさい。彼には正式な逮捕令状が降りているのよ。行きずりの犯罪よりもそちらの逮捕が優先されるのは当然のことだわ」
「では、令状の提示をお願いします」
そんなものは持っていない。だが指名手配されていないマルクを逮捕するには、確かに令状が必要だ。
守護都市の流儀で言えばそれらは割と簡単にごまかせるが、こうしてシエスタや他所の都市の騎士が見ている前でその手の裏技を行うのはリスクが多かった。
マルクの身柄について、クラーラはほぼ諦めていた。まさかこんなところで偶然確保するチャンスに巡り合わせるなどと思っていなかったのだから当然だ。
しかしマルクはクラーラの派閥に属していたのだ。セージは先ほどシャルマー家に被害を訴えるつもりがないといったが、そんな口約束を鵜呑みするほど楽観的な性格はしていない。
それにセージに敵対する意思がないにしても、監査官であるシエスタや責任逃れをしたいであろうマージネル家にその身柄が渡れば、管理監督責任でシャルマー家に火の粉が飛びかねない。
実際のところシャルマー家と敵対する余裕はシエスタにもマージネル家にもないのでそれは杞憂なのだが、クラーラとしては降って沸いたこのチャンスを逃すまいと必死だった。
「納得していただけたようですね、それでは私たちはこれで――っ!!」
そう言ったセージが、勢いよく振り返る。釣られてその場にいる全員がその視線の先を見たが何もなかった。
ただ一人だけその先からやって来るものを理解したカナンが、愉快に笑った。
「ほっほっ、いやはや凄まじい。これも血の導きというやつかのぅ。泣いた子供が真っ直ぐやってきおる。そしてワシより早く、その子供に気づきおったわ」
「余裕がありますね、ご老人。ゲイツ一等騎士、そちらの皇剣様と一緒に女性達を守ってください。あれは私が対処します」
「え? ――っ、この魔力。そういう事か。わかったこの身に代えても守りきろう」
セージやカナンから大分遅れて、魔力感知を持つゲイツ一等騎士が迫ってくるその大きな魔力に気がついた。実力で言えば下級上位相当のゲイツ一等騎士の魔力感知でもそのまき散らされている魔力の大きさと、そこに込められた感情の荒ぶりは理解できた。
周囲に散っていたクラーラの護衛の騎士たちも集まり、それの襲来に備える。
そしてほどなく、その魔力の持ち主は現れた。
もともと赤い目をいっそう赤く腫らして、その少女は真っ直ぐにセージを見据えていた。
「……会いたかった、セイジェンド」
ケイ・マージネルは、セージを見据えて、そう嗚咽した。