102話 マージネル家の様子
「異常はないようですね。もう退院されて結構ですよ」
「大丈夫なのですか。結構な火傷でしたけど」
病院の診察室にて、医者がそう正式な退院許可を出した。言われたのはケイで、返事をしたのはケイに付き添っているマリアだった。
「皮膚の表面を火傷されていたので大げさに見えていましたけれど、皮膚の下に炎症は及んでいませんでした。加えてケイ様の強力な生命力は既に新しい皮膚を作られていました。
いやあ、さすがは皇剣様ですね」
「別にたいしたことない。セイジェンドの魔法が風圧重視だったからだ」
ケイはやや憮然とした声でそう言った。退院こそ言い渡されたケイだが、その体調はあまりにひどい。
過剰な魔力供給を受けた霊的な循環回路はズタズタに傷んでおり、通常の身体活性にすら支障がある。これは医療行為や回復魔法で治るたぐいのものではなく、数ヶ月の休養とリハビリで治すしかない。
当面の間ケイの能力は二段階は下がり、その基礎能力は皇剣となる一年前と同程度かそれ以下にまで落ち込んでしまっている。
もっとも竜の討伐に大きく貢献したという言い訳があるため今のケイの状態を責めるものはいないし、休養を取ることに異論を挟むものもいない。
だがケイにとってはそんな現実は、屈辱以外の何物でもなかった。
「助けて貰ったと分かっていて、そういう態度は良くないですよ、お嬢様」
「でも私はあいつを殺そうとしてたんだぞっ!!」
「――お嬢様!!」
マリアが大きな声で叱責すると、ケイはしまったという様子で医者を見る。
「……私は何も聞いてませんよ、みなさんもそうでしょう」
医者はそう言って周囲の看護師たちを見る。看護師たちはこくこくと一斉に頷いた。
ケイがこの病院に運び込まれた初日に起きた乱闘騒ぎは記憶に新しいので、関わり合いになりたくないという気持ちが如実に現れていた。ケイが名家の子女でなければ治療が済んでいなくてもその日のうちに退院を勧めたかったほどだった。
ちなみにケイよりも気絶させられたマリアの方が早く目が覚めたので、ケイには悪趣味な嫌がらせをされた記憶もない。目が覚めた時になんだか落ち着かなくて、鼻をかんだくらいだ。
「さて、強い治癒魔法は使ってませんが、ケイ様の肉体はとても弱っています。最低でも一ヶ月は鍛錬は自粛し安静にして下さい。合わせて、日常生活でも怪我を負わないように気をつけてくださいね。
あとはなるべく魔力の使用も控えて、異常を感じたらすぐに病院で診察を受けてください。それではお大事に」
「わかりました」
「どうも、お世話になりました」
医者にそう言われてケイとマリアは病院を後にした。
ケイはまる一日眠っていたが、病室に運び込まれた翌日には目を覚ました。
ケイを待っていたのは心配そうな顔をしたマリアと、シエスタ・トート監査官だった。ケイの家族は一人もいなかった。
ケイはそこで初めて相手取っていた子供がセイジェンド・ブレイドホームであると教えられた。
自分よりも武の才能が有るであろうあの少年がジオレインの子供と聞いて、ケイは驚くよりも納得をした。
ケイが驚いたのは彼が共生派のテロリストではないと教えられた時だ。
冷静に考えればジオは共生派のテロリストと何度も死闘を繰り広げている。ジオの子供がテロリストのはずがないと考えれば分かるのだが、憔悴していたケイはそんな考えが回らず、ただただ驚いた。
ちなみに余談となるが、たぶん憔悴してなくても考えは回らなかった。
それから教えられたのはマルク・べルールという情報管制室の室長が、セージに与えられる産業都市を救った特別報奨をギルドのスタッフと共謀してかすめ取るために殺そうと企み、共生派のテロリストだと偽証したのだという。
そしてシエスタはケイに聞いた。
「あなたはそれを嘘だと知っていましたか?」
聞かれたケイはその意味がわからなかった。
答えは、知らなかった。
でもそれを聞かれた意味がわからなくて、困惑した。
数秒かけて、嘘だとわかっていてセイジェンドを殺そうとしたのかと疑われてるのだと気づいて、ケイはふざけるなと反射的に怒鳴った。
まだ痛む体をベッドから起こそうとするのをマリアが押しとどめて、ケイを宥める。
「リオウは知っていました。疑われても仕方がないんです」
ケイは泣きたくなった。マリアが味方をしてくれないのが悲しかった。マリアまでもが疑っていると思って、胸が苦しくなった。
でもマリアの泣きそうな顔を見て、そうではないとわかった。
ケイは泣かなかった。
それからシエスタにいくつか質問され、ケイは全て正直に答えた。マージネル家への配慮もなく、ただ正直に答えた。
ケイは質問に答えると同時に、シエスタにいくつも質問した。
シエスタはケイにも分かるよう噛み砕いて、教えられる限りの事を教えた。
べルールという男がなんか色々やらかしてて癒着で横領でお金使っててお金が必要で悪いことをしたと教えてくれたシエスタは頭が良く根気強かったので、ケイはべルールが悪い奴だとわかった。
ただし養父アールが何を考えていたかは分からなかった。
退院したケイはその真意を確かめるべく、守護都市の自宅へ向かった。
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「どういうつもりだ、アール」
「どうと言われましても、マルク・べルールの証言に従って共生派テロリスト容疑者の捕縛を行おうとしたところ、竜の出現によって邪魔をされ、その後の再調査でセイジェンドにかけられた嫌疑がべルール氏の偽証であることが発覚しただけですよ」
「その答えであのジオやスノウの小僧が納得すると思っておるのか」
「しなかったとして、どうするのですか。魔人の家にも我がマージネル家にも死者は出ていない。我らは治安を守る警邏騎士としての役目を果たしただけでしょう」
「ふざけるなっ、アール!! 体面を守るだけが騎士か、そんな者にマージネル家は任せられんぞ」
「では、私が当主候補の座を降りましょう。それで少なくともクラーラは満足しましょう」
「なっ……、お前は」
「別に当主の座など誰が継いでも良いでしょう。幸い当家は弟も妹も優秀です。内輪争いの耐えぬスナイクやシャルマーと違ってね」
「どうしてだ。どうして、カレンやダックスが死んだのはジオのせいではない。それはお前もわかっているだろう」
「ええ、そうですね。そのとおりです」
「ならばなぜ? わしを殺すならともかく、ジオの子を、それもケイの手にかけさせようなどと」
「そうすれば、あの心無い魔人も、少しは苦しむでしょう」
「アール!!」
「それにあのジオレインの子ですよ。今はおとなしくしているようですが、将来はどうなることか。
七歳の時点で精霊様の恩恵を受けたケイですら仕留めきれなかったのなら、成長したあとは誰の手にも負えなくなる。それにジオレインと違って子供とは思えないほど見識があり、機転が利くというではないですか。
それらを考えれば将来的にこの国はセイジェンド一人の意思に振り回されることにもなりかねない。だからこそ精霊様もケイに力を貸したのでしょう」
「ラウドはセイジェンドに何もしなかった。あれは初めての人殺しにケイが興奮し、精霊様の力を暴走させただけだ。勝手な思い込みで罪のない子の殺人を正当化しようとするな」
「建前は大事でしょう。起きてしまったことを大衆が納得できるように演出するのは名家の義務だ。だからダックスたちは自殺ではなく、病死をしたのでしょう」
「――っ!! あれは、仕方が無かった。今回の件とは違う。真相を発表したところで誰も得はしない。ただいたずらに家の名を貶め、生まれたばかりのケイの心にも傷を落とすことになった」
「だから、隠した。
今回の件も同じですよ。正直なことを話したところでスナイク家やシャルマー家が得をするだけ、当家としては騙された無能な当主候補に罰を与えて手打ちとする。それで幕引きでしょう」
「……ケイは、どうする。
あの子はジオに憧れていた。お前はあの子とジオの間に決定的な溝を作ったのだぞ。義理とは言え、お前は父親として恥ずかしくないのか」
「はっ、旦那のいる娘を娼婦のふりまでさせてジオにあてがって、ケイを産ませて、そんな外道のあんたが親のあり方を説くのか。ふざけるなよクソ親父がっ!!」
ドアを開いた。
それは反射的な行いだった。
ケイは護衛たちやマリアを撒いて、一人で家に帰っていた。
ケイの行動はマージネル家の中で管理されている。
普通に帰れば当主であるエース・マージネルをはじめとして主要な人物にその事が伝わるし、その後は体を動かせない分勉強をしろと学業や礼儀作法の家庭教師が付けられるだろう。
流石に退院した当日は休ませようとするものだが、ケイはそうに違いないと思い込んでいた。
ケイの養父であるアールは当主のエース以上に忙しい人物だ。
一日の内に必ず顔を合わせるのは朝食の席ぐらいで、それ以外の食事はアールは執務室で軽食を口にしたり、出かけた先で済ませる事が多いため、顔を合わせることは少ない。
さらにはそれ以外の時間も何かしらの案件にかかりきりで、気軽に声をかけることもできない。
もっとも忙しそうにしていなくても、アールはケイにとって声のかけづらい相手であった。
だから忍び込むように家に帰り、いつもとは違って秘書の人にアポイントメントを取ってからとは考えずに、アールのところに直接向かった。
しかしアールはいつもいる執務室にはいなかったので、ケイはそこで初めて祖父であるエースに相談しようと考えた。
祖父はケイにとって唯一本当の意味で肉親と呼べる相手だった。
他の孫たちと同じか、あるいはそれ以上の愛情と、そして期待をケイに注いでくれていた。
ただ残念ながらエースは名家の当主であり、多くの家族を抱えるマージネル家の家長であった。
普通の家庭の祖父ほどにケイのために時間を割くことは出来なかったが、それでもマージネル家での数少ないケイの味方だった。
だから頼れるお爺ちゃんにお願いをしようとエースの執務室を訪れて、そうしたら部屋の中からアールとの会話が聞こえてしまった。
それがいけないことだとは思いつつ、知りたかった真実が聞けるかもと聞き耳を立てていた。
そして、ドアを開いた。
それは反射的な行いだった。
ケイはこの時初めて、自分がジオと顔も知らない母親との娘なのだと知った。
マージネル家の中で、なんとなく感じ続けていた疎外感の正体を知った。
生まれてくることを望まれていなかったことを知った。
この時に見たアールとエースの顔を、おそらくケイは一生忘れることはないだろう。
驚き、後悔、悲しみ、諦め。
どう表現してもしっくりとこない。
二人は複雑な感情をたたえた表情で、揺れる瞳で、ケイを見た。
声を失って、ケイを見た。
ケイはその場から走り出した。
行き先はわからない。
それでもこの場にはいられなくて、走って逃げ出した。
それを止める声は、耳に入らなかった。