101話 天使
作者の英語力は中学二年生レベルです。その2。
「マジかよチム。大袈裟に言ってねえ?」
「大袈裟なもんかよ。マジでハイオーク蹴散らしたんだぜ。シュパッて魔法が飛んできてよ。俺はもう死ぬかと思ってたね。ハイオークが十も二十もわらわら出てきてよ」
「そうそう、いきなり目の前が赤く光ってさドカーンってなって、そしたらハイオークが全部丸焼きにされたんだって」
「はーん。じゃあ中級の上位か、下手したら上級魔法ぐらいか。話がマジだったら」
「マジだって言ってんだろ。んでケツまくって逃げてたらガキが出てきてさ。俺はもうピンときたね。見た目はガキだけど、ただもんじゃねぇって。
それでそのガキが言うんだよ。俺が足止めするから、お前たちは早く逃げろって。いや、言ってねえんだけど、こう、背中で語んだよ。俺の後ろに敵は通さねえって」
「はー、そりゃまたかっけぇガキだな」
「なんだよ、バカにしてんのか」
「ああ、悪い悪い。命の恩人だもんな。そんでお前は言われるがままに逃げたのかよ」
「んな訳ねぇだろ。そりゃ足手纏いになるからついて行くとは言えなかったけどよ、他のギルメン連中に危険を伝えに行くってな、ハイオークが蔓延る森ん中を走り回ったんだぜ。
ああいや、俺らのことはともかくよ。帰ったらそのガキがあの竜殺しの英雄の息子だって言うじゃねえか。しかも新聞じゃ今回の竜は皇剣二人に英雄親子の、四人で討伐したとか――」
産業都市にある酒場で酔っぱらいの話題に上がったその英雄ことジオは、奇しくもその酒場のカウンターテーブルで飲んだくれていた。
テーブルに上がっているのは産業都市産の安ワインと煎豆という簡素なもので、英雄に相応しい豪奢さとは程遠かった。
ジオの腰元には刀が差してある。
竜を殺して産業都市にたどり着いたその日、病室で眠るセージを見たジオはこの刀でケイ・マージネルの首を切り落とし、その首を手にマージネル家に乗り込むつもりだった。
それはセージが竜に丸呑みにされるところを見た時からそうすると決めていた事だった。
だが出来なかった。
ケイたちが入院する病院にはマージネル家の精鋭が警護していたが、ジオはその警戒をくぐり抜けてケイの病室までたどり着いた。
そこを不寝番をしていたマリアの目はさすがに誤魔化せず気絶させることになったが、それでも大きな問題なく憔悴した様子で眠るケイの下にたどり着くことができた。
ケイは全身に打撲と火傷を負っていたが、再開された精霊からの魔力供給と高い基礎体力から順調な回復を見せていた。だがそれでも疲労の度合いは深く、ジオが近づいても起きる様子はなかった。
その首を撥ねるのは容易い。
だが出来なかった。
自分の娘だから出来なかったのではない。
もとよりジオは孤児だ。育ててくれたのも縁もゆかりもない赤の他人で、今の家族だってそうだ。
その家族のためにろくに知らない娘を殺すことを嫌がるほど、ジオの持つ常識はまともではない。
だがジオがケイを殺せばセージはきっと怒るだろう。あるいは悲しむだろう。ケイの寝顔を見て、セージと、そして他の子供たちのそんな顔がジオの脳裏によぎった。
それで踏ん切りがつかなくなって、とりあえず見舞いで生けられている花瓶の花を、寝ているケイとマリアの鼻の穴に差して病院を後にした。
帰りは普通に帰ったので、マージネル家の護衛たちに呼び止められたり喧嘩を売られたりした。喧嘩を売られたというのはあくまでジオ主観によるものだが、とりあえずジオは全員殴り飛ばした。
幸い病院の中であったため護衛たちの治療は手早く済み、死者や重大な後遺症を発生させたものはいなかった。
さらに明らかに多勢に無勢な中ジオが拳だけで戦っていたのを目撃したものも多く、ジオが罪に問われることもなかった。
問われたところで怪我人が増えるだけではあるので、これはセージの胃と警邏騎士にとっての幸いごとだった。ちなみにこの件は後日セージにバレて、ジオは小遣い減額を言い渡されている。
それから数日がたって、ジオは酒場で飲んだくれていた。
建前としてはセージに何かあったときすぐに駆けつけられるように産業都市に待機しているのだが、セージが目を覚ますまで何かが起きるとは思っていなかったので、飲んだくれて時間を潰していた。家にいるとマギーからの圧がすごいのである。
ともあれ見た目の良いジオが一人で飲んでいれば守護都市でも産業都市でも誰かしらの女性が声をかけてくるものだが、不機嫌なジオの纏う雰囲気が剣呑なため、今は声をかける女性はいなかった。
そして代わりに、男が声をかけてきた。
正確には、ジオの隣の席に座って、ジオを親指でさしながら酒場のマスターに無遠慮なことを口走った。
「この人と同じワインと、あとなにか食事を。代金はこの人が払うので、適当に高いのをよろしく」
「アホか。自分で払え、セージ」
隣に座った男に苦笑交じりにそう言い返して、はっとした。
男はそれなりに整った顔立ちをしていたが、やや目つきが悪く、ついでに言えば厭世的で気怠そうな雰囲気があった。
年齢は二十歳を過ぎたぐらいで、どう見てもセージではない。
「ボケたの、兄さん? 若いのに大変だね」
皮肉げに笑う男に、ジオは咄嗟にその場から飛び退いて腰の刀に手をやった。
「お前、何故ここに」
「ん? お勤めがあったから。それも終わったからご当地グルメでもって思ったんだけど、お金がなくてさ。そしたら知った顔を見つけたから奢ってもらおうと思って。
……座ったら?」
男に促されて、ジオはゆっくりと、警戒心を隠さずに男の隣に座った。
周囲はおかしな行動に出たジオに視線を向けることはない。まるで今のやり取りがなかったように、変わらず会話や食事を楽しんでいた。
「何をしに来た……。竜の弔いか?」
ジオはそう言って男を睨む。男に変わった様子はない。何かをしている様子もない。殴れば簡単に殺せそうな雰囲気はまるで変わらない。
それでも警戒は怠らない。
目の前のこの男は二十年前に竜に殺されそうになった自分を助けて神技を教え、九年前にその神技でもって竜を狩った己の前に現れて呪いの抑え方を教えた。
そして出会った二回とも、死んだ竜を悼み、その魂を弔っていた。
そしてまたふらりと現れたこの男の姿は、二十年前からまるで変わっていない。
膨大な魔力量を持つジオとて二十年あれば多少の変化はあるのに、平凡な魔力しか感じさせない目の前の男はまるで変わった様子がない。
「いや。ついでに済ませてきたけど、目的は別件だった。言っちゃ悪いけど、あの子が死ぬのはもう少し先になるはずだったからさ。別件の方に掛かりきりになっちゃった」
「――別件?」
「ん? ああ、服にちょっとした傷とかでほつれがあってさ、でもぱっと見じゃあ分かんないからって気にせずに使ってると、そのほつれがどんどん大きくなって直しようが無いぐらいに酷いことになるだろ。
それと同じでさ、ちっちゃい傷もほうっておくと、いつかは大きくなるからさ。
……まあ弔いの予定もあったわけだし、直しに来たんだよ」
ジオが話がわからないといった顔をしていると、男は短く付け加えた。
「神技。使っただろ。そんな訳でこっちに苦労かけてんだから、食事ぐらいおごっても罰は当たらないでしょ」
そう言った男の前にタイミングよくワインと食事が運ばれる。この酒場では料金はその都度支払うことになるので、ジオは黙って財布から金を出した。そして財布は計ったかのように空っぽになった。
男は無造作にバクバクと出された食事を口に放り込み、ワインで胃袋に流す。
無造作で早食いというその食事の作法はやはりセージとまるで違うが、その目と髪は黒い。
さらに得体の知れない男の、一見すると常識的で人当たりの良い上っ面がセージに似ているような気もした。
男の食事が終るのを待って、ジオは声をかけた。
「お前はセージの父親か?」
「ふー、ごちそうさま。ワイン美味しいね。安っぽいけど癖がなくて飲みごたえがある。庶民のワインだ。お金あれば何本か買って帰るんだけど……ん? 何の話?」
「ちっ、はぐらかす気か?」
尋ねたジオの剣気を削ぐように男はとぼけた声を返して、ジオは苛立ちを隠さずに再度尋ねた。
男がイエスといえば、首根っこを掴んでセージに引き合わせる気だった。理由は特にない。だが会わせた方がいいと直感したのだ。
「いや、ごめん。ほんとに聞いてなかった」
「セージの父親かと聞いたんだ」
「え? いや、それはノーだ。俺は子供も奥さんもいない。ああ、でも、そのセージって子に言っといてよ。嫁き遅れのゴキブリ喪女によろしくって」
あっさりと返された答えは否定だったが、訳の分からない言葉も付け加えられた。
「は?」
「ああ、言えば伝わるから大丈夫。気にすんな。それじゃあご馳走様。俺は帰って糞して寝るから」
そう言って意地の悪い笑顔を浮かべた男はふらりと立ち上がって、酒場から去っていった。
追いかける気もないが、酒場を出た男の気配は探っても周囲に溶け込んでいてまるで掴めなかった。相変わらず読めない不気味な男だった。
だがジオは代わりに別の気配を掴んだ。
その気配は真っ直ぐにこちらを捉えており、酒場に入って来た。
その人物はラウド・スナイクだった。
ラウドが入ったことで、酒場の中の空気が変わった。
ジオがそうであるように、ラウドもまた超一流にふさわしい独特の雰囲気を纏っている。
そしてジオと違って名家のラウドは広報の仕事も(スノウの手により強制的に)請け負っており、その顔は広く知られていた。
端的に言えば、酒場に入ったラウドはその風格から注目を浴び、そして知名度の高さから最強の皇剣ラウドだと簡単にバレた。
「ラウドか」「ラウド様だ」「マジかよ、最強の皇剣だぜ」「サインもらおうよ」「マスター、ペン。色紙もない?」「ねえよ、くそ、ちょっと誰か買ってこいよ。店に飾るぞ」
もともと騒がしかった酒場の雰囲気は一気にヒートアップする。
ある程度ラウドの姿になれている守護都市ならばこうはならなかっただろうが、ここは産業都市で、ついでに言えば竜を討伐したばかりでラウドへの好感度も街の活気も最高潮に達していた。
守護都市に限ればそれなりに顔を知られているジオは、そんな酒場の反応に顔をしかめた。
名声や知名度に頓着はしていないが、なんとなくラウドに負けた気がして腹が立ったのだ。
店に入ってくるラウドに、意を決した客の一人が声をかける。
その人物は産業都市の年若いハンターで、セージに助けられたパーティーのリーダーだった。
「あの、ラウド・スナイク様ですよね。初めまして、俺――いえ、私は産業都市の上級ハンターで、以前のハイオーク防衛戦に参加して、その、ラウド様の技を見せていただく機会があって、大変光栄でした」
酔いも回っている若者は緊張を交えながら、たどたどしい口ぶりでそうまくし立てる。
「そうか、あれは蛇足だった。俺が出なくてもジオとその息子がどうにかしただろう」
実際、ラウドとしてはあそこで出ることになったことに不満があった。
勝負の優劣はセージの活躍によって決まっており、勝敗そのものもジオの参戦で決していた。その事は異変を察知したギルド――と言うか、スノウの手勢による探査魔法で把握されていた。
ラウドは大将首を取ったが、それは周囲に皇剣であるスナイク家のラウドが最大の活躍をした人物という印象を与えたいスノウの思惑によるものだ。
あそこでわざわざラウドが出る必要はなかったし、出るならもっと早いタイミングでも良かったくらいだ。
スノウのことは信頼していても、政治的な考え方が嫌いなラウドはハンターへ律儀にそう返した。
ハンターは自分の手柄を誇らないラウドの大物ぶりに感心し、大きく頷く。
「ジオレイン様……、それにセイジェンド様にも会いました。まさに本物の魔人といった様子で、本当に格好よかったです」
「そうか」
「違うぞ」
ラウドがおざなりに頷いて流した言葉を、ジオが割って入って否定した。ハンターの青年は何がわかるといった様子でジオを睨み、しかしてその直後に硬直して、数秒その顔を見つめることになった。
青年はその人物を実際に見たのは一度だけで、騎士養成校の校庭で生徒たちに紹介されたのを遠目に眺めただけだった。
その後は挨拶をする間もなく任地に行ったため、覚え違いの可能性が高い。
実際記憶にある顔には無精髭など生えていなかったし、髪はしっかりとオールバックでセットされていて、ざんばら髪ではなかった。服装はしっかりと整えられていて、シャツの第一ボタンどころか半分以上が空いてズボンからはみ出しているだらしない格好でもなかった。
ただそのだらしない格好をした英雄の持つ独特の雰囲気が、青年に間違いないと教えていた。
「もしかして、ジオレイン・ベルーガー様ですか?」
「ああ、セージは違う。あいつは魔人なんかじゃない」
酔いの回った青年は――そんな必要はないのだが――顔を青くしながらジオに問いかけ、そしてジオは答える。
それは噛み合わないちぐはぐなものだったが、そこにはジオにとって決して譲れないものがあった。
魔人というのは尊称であると同時に、蔑称でもある。
ジオが多くの尊敬を集める功績を成したためよく知られずに使われているが、その根っこには〈魔人伝〉における主人公が奴隷上がりという卑しい生まれ、体制への反逆者であるテロリスト、あるいは魔物との間の子であるという悪感情が潜んでいる。
ジオは己がそう呼ばれることに抵抗はない。もともと綺麗な人間でないという自覚がある。
だがセージに向けてそれが使われるのはひどく不快だった。
セージに対しても同じような使われ方がされる事はないだろうが、それでもセージを呼ぶにはふさわしくない二つ名だと感じていた。
セージに大きな歪みがあるのはジオも知っている。
その歪みはもしかしたらジオと同じように人として大事なものの欠落なのかもしれないが、ジオはそれを尊いと思った。
敵対する者を尽く殺してきたジオにとって、多くの命を救うセージの生き方は、ジオと違って正しく敬意を払われるべきだと思った。
「アイツは魔人じゃない。天使だ」
ジオは自信を持ってそう断言した。
この時、この瞬間、セージの二つ名は天使と決まった。
その名はまたたく間に産業都市で広まり、それを聞きつけたアリスの手によって、やはりまたたく間に守護都市に広められた。
そしてすべてが片付いた後日、その二つ名を耳にした天使に『許さない。親父許さない。絶対に親父許さない』とジオは責められるのだが、とにかくこの時は自信を持ってそう断言した。
「天使……ふっ。angel,say the endか、良い名だな」
そう呟いたラウドは、生まれも育ちも生粋の守護都市っ子である。
angel,say the endを、終わりを強いる天使とは訳せないというツッコミは受け付けておりません。