100話 ブレイドホームの子供たち
ジオがいないため、道場は臨時休業することになった。
その道場で、セルビアがカインと模擬試合を行っていた。
二人で使うには広い板張りの道場の中に、かんかんかんと、木刀を打ち合う音が木霊する。
セルビアはセージと同じ七歳で、カインは四つ上の十一歳。この年頃の年齢差はそのまま体格差に繋がり、そしてその体格差がはっきりと実力差に繋がる。
セルビアは物心つく前から超人のジオや仮神の加護を授かったセージと接し、その魔力量や魔力制御技能を高めていた。さらにそうと知っているものは限られるがその血統も一級であり、七歳とは思えない魔力量を誇っていた。
だがそれでも仮神の試練によって鍛え上げられたセージほど異常なものではなく、また血統と才能と環境に恵まれているのはカインも同様であり、二人の身体能力差を埋めるには不足があった。
セルビアは小柄な体格を活かしてカインに詰め寄ろうとする。それは直線的な動きではなく、フットワークを活かし、フェイントを織り交ぜた動きだった。
カインはそれに対し、一つずつ冷静に捌いて対処する。ただそこに余裕はなかった。
基礎能力でははっきりとカインに軍配が上がっている。道場での訓練を受けてきた期間の差もある。それでもカインに余裕はなかった。
攻めきれずとも格上のカインを追い込んでいるセルビアは、その顔を紅潮させながら木刀を振るっていた。
セルビアはカインを見ていなかった。
目に見えるカインの動きに反射的な対応こそするものの、セルビアはただ一心不乱に一つの動きを再現しようと苦心していた。
セルビアの脳裏に焼き付いているのは、セージがハイオークを惨殺した場面。
それはとても恐ろしい記憶だったが、同時にセルビアはセージの姿を美しいとも感じていた。返り血に濡れて凄惨に嗤う見たこともない兄の姿を、美しいと感じた。
そう感じてしまったことも含めて、あの時はすべて拒絶したかった。
そうして自分が拒絶したから、セージが倒れたんだとセルビアは自分を責めた。
わたしが嫌だといったからアニキは家に帰らなくて、ひどい目にあったんだ。
憔悴した様子で病院のベッドで眠りこけるセージを見て、セルビアはそう自分を責めた。
それからしばらくセルビアは塞ぎこんで、たくさん泣いて、そしてカインを誘って道場で稽古を始めた。
自分がセージを怖がらなければ、強くなれば、こんな嫌な事はもう起きないんだと、木刀をとってカインに立ち向かった。
そして今、圧倒的に実力差のあるカインに対し、セルビアは無心で攻め込んでいた。
脳裏にあるのはセージの動き。
最低限の身体活性でなされたあの時の動きは、セルビアの目にもしっかりと映っていた。
それだけではない。道場でセージがジオに挑む姿は何度も見てきたし、セージに二人の兄や不良たちが挑む姿も何度も見てきた。
そのときはアニキ強いとしか思わなかったが、しかし見るべきものはしっかりと見ていた。
そうして見てきたセージの動きを再現しようと、セルビアは必死になっていた。
相手取っているカインは意識にない。ただの動く的のようなものであり、練習相手でしかない。
この時、セルビアにとっての敵は己自身だった。
セージのような肉体の強化は当然できない。足さばきも稚拙。木刀の繰り方にも無駄が多い。フェイントは簡単に読まれる。
それも当然だ。
セージは今生で既に千を越える魔物を殺し、遥か格上のジオに手ずから鍛錬を受けている。
道場に通うようになったとは言え、セルビアは過保護なセージとジオという二人の保護者から優しく指導されていた。道場に通うのは皆十歳以上の年上の人たちで、セルビアはどうしたって手加減をされてきた。
そんな指導環境で学んだセルビアに、セージの実践的な動きを模倣出来るだけの技術が身に付いているはずがなかった。
だがそれでもセルビアはできると信じた。
あたしはアニキの妹だからと、そう思った。
脳裏には最高の動きが焼き付いている。
そして練習相手であるカインはセルビアの動きを冷静に見定め、打ち返しは最小にしていた。
セルビアは疲れきって倒れるまで、この打ち込み稽古に没頭していた。
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いきなり訓練したいと泣きはらした顔のセルビアに連れられて、カインは道場でセルビアの剣を受けることになった。
最初は気晴らしの運動に付き合うぐらいのつもりだったカインだったが、セルビアが何をしようとしているのかを理解してからは真剣になった。
カインは勘のいい少年だった。
そして今は疲れて寝ているセルビアを介抱していた。
もっともやることは少ない。寝不足で思いっきり動き回ったから寝ているだけで、放っておけばそのうち目を覚ますだろう。
カインがやったのは汗を拭いて、薄手の掛け布団を被せただけだ。
カインは寝ているセルビアの近くに腰を下ろし、自分の手のひらを見つめた。
手のひらには赤みが有り、ジンジンと鈍い痺れが残っていた。
「弱いな、俺は……」
セルビアの動きは一合ごとに良くなっていた。
事実は違うが、セージの双子の妹と見なされている。
セルビアがまともではないだろうという予感は、カインの中にあった。
いつか追い越されるだろうと、そんな漠然とした予感があった。
そこに不安や嫉妬はなかったが、こうしてそれを実感すると、やはり自分は才能に劣る弱者だと実感させられる。
道場で同年代や不良と戦ってそれなりに強いというという実感は得ているし、才能がまるでないとも思わない。
だがそれでも父のようになれる程ではないとも理解していた。
そちら側に行けるのはセージのような特別な人間で、そして今日、セルビアもまたそちら側なのだと感じ取った。
「ま、いっか」
カインは強がりなような、そうでもないようなことを口にすると、立ち上がって素振りを始めた。
受けに回って消化不良な気持ちがあったし、さらには熱くなる気持ちもあって、とにかく体を動かしたかった。
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ブレイドホームの庭ではフットサルが行われている。
今は五歳と六歳の子達の試合の真っ最中で、それ以下の子供たちはマギーや保育士たちと一緒に観戦をしていた。ちなみにラウドの開けた穴は芝生こそなくなっているが、ちゃんと土で埋められている。
フットサルといっても試合をしているのが小さな子供ということで試合時間は短いし、庭に作られたコートも正式なものに比べて小さい。
試合は五対六という白熱した結果で終わり、インターバルに入る。四歳以下の子は危ないので試合はない。ただボール遊び自体はこのインターバルの間にさせている。そちらの面倒は保育士に見て貰って、マギーは試合をしてきた子供たちに飲み物を配って回った。
いつもどおりの、ブレイドホームの日常だった。
セージがいなくても、変わらない日常があった。
マギーは何も考えずに、いつもどおりに子供たちの世話をした。
そんな事しかできなかった。
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アベルは商会の手伝いを早めに切り上げて、家に帰った。
もともと父が家を出るようだったので外に出るつもりはなかったが、世情を知り始めたアベルはセージが入院しているのにはマージネル家が関わっているという噂を聞きつけていた。
何も知らないままではいたくないとミルク代表やシエスタを頼ったが、結果としてはこの件に首を突っ込むなと追い返されるだけだった。
まだ十四歳のアベルは二人からすれば守らなければいけない子供の一人で、頼りにされることはなかった。
冷静なアベルは名家を相手にして自分に出来ることがないことは分かっていたし、それよりも家を守る役目を果たさなければならないとも理解していた。
だがそれでも、悔しいものは悔しかった。
アベルが家に帰ったのはちょうどお昼頃で、昼食の支度を保育士たちが行っているところだった。
セージがいないことで食材は適当に買い足されてきたものばかりだった。
ただ保育士たちも子持ちで普段から料理をしているとあって、特に不自由なく昼食は出来上がっていた。
そして食欲旺盛な子供たちの食事はいつも多めに作られるので、アベルの分もあった。
アベルは保育士にお礼を言って昼食をもらった。子供たちに囲まれ賑やかな空気で食事をする気にはなれなかったので、自分の部屋で食べようとしたら、妹のマギーに呼び止められた。
マギーの顔を見て断る気にはなれなかったので、アベルはブレイドホーム家のダイニングに移動する。子供たちは天気が良いのでリビングと縁側で保育士に見守られながら昼食中だ。
「……アベルは、知ってたんでしょ? セージがギルドで危ないお仕事してるって」
「まあね」
ハイオーク襲撃の後に配られた号外の新聞はマギーの目に止まらないようにしたが、預かっている子供たちの中にはそれを見た子もいたし、その後にセージが入院したこともあって、とうとう隠しきれなくなった。
「なんで、止めなかったの」
「……止められなかった。お金がなくて、ダストが死んだばかりだった。
僕が知った時にはもうあいつは実戦を経験してて、父さんもギルドの人ももう仕事ができるって言ってたから」
「それじゃあなんで私に言ってくれなかったの!! 二年も前からなんでしょ!! あの子がずっと命懸けで仕事してたなんて私知らなかった!! 私のお父さんはギルドで仕事してたから死んじゃったんだよ!! セージがいくらすごくたって危ないことしてたらいつか死んじゃうかも知れないでしょ!! 何でそんなことがわかんないの!!」
マギーに怒鳴られて、アベルは何も言い返さずに食事を続けた。
「なんとか言ってよ、アベル!!」
マギーは実の父親の死の真相を知らない。
でもこの家で暮らし、多くの子どもを預かって、その母親や保母さんと交流を持つうちにおぼろげにその正体に気づいていた。
夫婦で守護都市にやってきて、子供が出来て、父親が死んで、母親が娼婦になる。それは守護都市ではよくある話だった。
ギルドで働けばいつ死んでもおかしくない。父親が、夫が、あるいは母親が、妻が。時には力ない子供が。
そんな大切な家族を失った経験を、守護都市では誰もが持っていた。
「……わかってるよ」
「なに」
「わかってるって言ったんだ。あいつはお人好しだから、いや、たぶんあいつは頭がおかしいんだと思う」
アベルはセージをずっと真似てきたから、セージをずっと見てきたから分かることがあった。
「たぶんさ。あいつは、自分のことを大事にできないんだよ」
最初は優しいからだと思った。あるいは家族を愛しているからだと思った。
でもそれじゃあ説明がつかなかった。
セージはお金に拘るくせに、自分の贅沢には無頓着だった。
セージはよく人助けをするのに、人に助けてもらえるという期待が薄かった。
セージは多くの人に優しくしているのに、誰かから優しくされると大げさに喜んだ。
きっとあいつは、誰かに尽くすのが当たり前だと思い込んでいるのだ。
そんな人間がギルドなんかで働いていたら、いつかはだれかの盾になって死ぬ。
そんな事は、簡単に想像がつくのだ。
そして同時に思う。
そんなセージだから、この家は救われたと。
「マギーが止めるのは止めないよ。でも僕はこれでいいと思っている」
あいつはきっと変わらない。少なくとも僕には変えられないと、アベルはそう思っている。
だから支えになろうと、もしもの時には必ず助けになろうと、そう思っていた。
そしてそのもしもの時がやってきたのに、アベルは役立たずとして家で食事をしている。
悔しさがないわけがなかった。
それっきり黙るアベルにマギーも感じるものがあって、それからは二人で黙って食事を摂った。
いつもとはまるで違う、通夜のような暗い食事の時間だった。