99話 殺意の理由
産業都市にあるギルド直営の病室にセージは運び込まれた。
竜との戦闘に決着がつくより早く産業都市に引き返したマリアは、セージをすぐに病院に連れていった。
戦闘では最終的にケイたち五人を圧倒していたセージだったが、怪我や疲弊の程度は誰よりも深かった。
竜と正面から激突したため、セージは全身に打撲を負っていた。幸い骨折や内蔵の破裂などの重篤な怪我にはいたっていなかったが――正しくは、重篤な怪我は既に治されていたが――、それでも全治数週間はかかるだろう大怪我を負っていた。
だがそんなセージに治癒魔法をかけることはできなかった。
全身の筋肉断絶に魔力の異常な枯渇と、怪我だけでなくセージはひどく消耗しきっていた。この状態で治癒魔法をかければ疲労度合いが促進し、死に至りかねない。
病院側に出来ることといえば、点滴を打ち静かに寝かせるだけだった。
だが仮神の瞳という破格の加護を得ているセージにはそれで十分でもあった。
死は闇や安息にも通じている。ゆっくり休むという何気ないことにも、小さくない助けが与えられていた。
セージを病院に連れ込んだマリアは念のためケイをリオウたちに預け、別の病院に行かせた。
マリアはその場面を見ていなかったが、ケイがセージに対し異常とも言える殺意を示していたと聞いて、念のために傍には居させないように計らい、またアールが別の刺客を送ってくることに備えて寝ずの番をしていた。
守護都市が産業都市に接続したのは夜が明けた頃で、その頃にはセージは峠を越えたと判断され、少しずつ治癒魔法が施されることになった。
病院にはスノウとその護衛がやってきて、マリアと番を変わった。当初ジオに任されたのは自分だからと譲らなかったマリアだが、竜を殺し終えたジオとラウドが一度顔を出したことと、ケイのことが心配でもあったため最終的にはスノウの説得に従った。ちなみにジオはセージの顔を見てすぐに家に帰った。
病室にはスノウが手配した護衛が張り付いた。
日をまたいでジオに連れられたブレイドホームの子供たちやシエスタ、そして話を聞いたアリスにアーレイ、ミルク代表にケシアナなどが病室に見舞いに訪れたが、セージは数日間眠りこけたまま、目を覚ますことはなかった。
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場所は変わってスナイク家にある当主の執務室で、スノウとラウドが話し合っていた。
「今回の竜は小柄だったってね?」
「ああ、前回の半分といったところだな。前々回と比べても歯ごたえがなかったな」
「なるほど、だから二人は助かったのかな。だとすれば不幸中の幸いだったね」
ふんと、ラウドは鼻で笑った。
ラウドとジオが仕留めた竜は確かに若く弱かったが、一方的に狩ることができた理由には竜の消耗もあった。
七歳の子供と、成人したばかりの未熟な皇剣がそれぞれ一合ぶつかりあっただけで、はっきりと竜を消耗させていた。
「どうだかな。案外あの二人ならもっと凶悪な竜でも生き延びたかもしれんがな」
「そう? ところでジオもその場にいたようだけど、呪いはどうなったの? 追加で呪われてもっと弱体化したってことはある?」
「いや、奴は迫って来る呪いを斬ったな。どうやってやったのかはまるでわからんが、相変わらずでたらめなやつだ。そう言えば一度見せた技は、二度とアイツには通用しなかった。竜の呪いも同じなんだろう」
呪いを斬るという意味のわからない言葉も、やったのがジオと聞けばなぜだか納得できてしまうスノウだった。
「……ははは。本当に無茶苦茶だね。皇剣でもないのに竜にダメージを与えられるっていうのがそもそも常識はずれなんだから、今更かもしれないけど」
「それを言うなら息子もだな。距離があったせいではっきり見えなかったが、竜の角を折ったぞ。その後すぐにぶっ倒れたが」
「……わぁー。まあジオが竜と戦えるんだから、その血を引いたセージ君が戦えてもおかしくないのかな? しっかし、竜に一太刀浴びせられる七歳か……行く末が怖いね。神童も大人になればただの人って言うけど、正直そうなってくれれば楽なのにね」
楽しそうなスノウの言葉にラウドは眉を動かすが、深くは気にせず話を続けた。ひねくれた弟が口にする言葉は額面通りに受け取っても仕方がない。
「神童というのは言い得て妙だな。セイジェンドの力には秘密がありそうだ」
「――と、言うと?」
「やつを見たときに軽い敵意と警戒心、そして恐怖を覚えた。俺の感情ではなく、精霊から流れ込んでくる魔力にその感情が混じっていた。それに明らかに身の丈を超えた、上級並みの魔力を身にまとっていた。その魔力はすぐに消えてぶっ倒れたが」
スノウは頭をひねる。ラウドの言いたいことは理解できたが、そんなことが本当にあるのか半信半疑だった。
「火事場の馬鹿力って言うんじゃないのなら、精霊様とは別のなにかと契約してるってこと?」
「おそらくな。以前アーレイから聞いたことがあるが、極々まれに生まれながらに精霊のようなものから特殊な力を加護として授かる者がいるらしい。エルフでは信仰する土着神に愛されている証として、そういう子供は神子として大切にされるそうだ」
「その話は聞いたことがあるけど、エーテリアの土地神は精霊様だよ。セージ君がよその神様の子供ってのはおかしくないかな」
スノウはそのアーレイから、この精霊都市連合〈エーテリア〉は結界で守られた土地だから、外からの干渉は少ないとも聞いていた。
「だが、だからこそ精霊は敵意を抱いた。ケイの暴走も、そう考えればおかしくはないだろう」
「そういうものかな。まあオカルトは苦手だからよくわからないけど、もしかして今回の竜が早く来たのってセージ君と関係してるのかな」
魔物の活性化から竜の出現まではいくらかの日数があるのが通常だ。これは魔物たちの長である竜には一定の知性があり、ロード種が率いる魔物たちをけしかけて防備の薄くなったところを狙っているのだろうと考えられている。
だが今回の竜は初回の襲撃から一日とろくに時間もかけず、さらには守護都市も近くにある状況で唐突に現れた。だからもしかしたら竜もセージを狙ってやってきたのかもしれないと、そんな想像をした。
だとすればセージは竜と精霊から目をつけられる危険人物だ。スノウの想像から大きく逸脱しているし、どうしても手に余る。
「どうだろうな。若い竜だったから単純にこらえ性がなかっただけかもしれんが、今回の竜の襲撃に関して中央はなんと言っている」
「いつもと同じだよ。
竜が来る。近づいてきた。襲われるのは東の農業都市か隣接する都市のどれか。産業都市に向かってる。
それだけだよ。
セージくんのことは一切触れてないけど……。あの子、一度政庁都市に連れていって見せたほうがいいかな」
「必要ないだろう。俺やケイが見ているものは精霊も見ている。しっかり見たいなら放っておいても命令がくるだろう。それに敵意を感じたといっても一瞬だけだ。病室のセイジェンドを見ても何も感じなかった。もう精霊も敵ではないと判断したのかもしれんぞ」
スノウは軽く安堵の表情を見せた。国のためならセージの首を切り落として精霊に差し出すことも厭わないが、それを望むかどうかは別問題だった。
ラウドは一旦間を取って、改めてスノウに厳しい目を向け声を発した。
「それで、お前はどこまで知っていたんだ」
「どこまでって、また抽象的だね。また買いかぶられてるんだろうけど、今回の件は僕の想像の外の出来事だよ。
そりゃあケイ君が産業都市に降りるから、セージ君も降ろしておけば面白くなるかなって思ったけど、こんな事態になるとは想像できないよ」
その際、ケイを煽って二人が対立すれば面白いと号外の紙面に干渉したが、これに関してはシャルマー家が率先して行い、スノウはマージネル家が横槍を入れてこないように援護しただけに過ぎないので、スノウとしては無罪だと思っている。もちろん二人が対立するにしても、殺し合うなんて展開は予想していなかった。
「そもそもね、僕はセージ君が死ななくて結構本気でホッとしてるんだよ。もし何かあったらジオは落とし前つけるまで止まらないだろうし、下手すればマージネル家だけじゃなくてウチまで報復対象にされかねないもん。そうでしょ?」
スノウの問いかけに、ラウドは首を縦に振って答えた。
ただスノウは情報管制室の室長であるマルク・べルールが庇護者であるシャルマー家ではなくマージネル家に駆け込んでいたのを察知していたし、マルクのような小物の考えることは簡単に見抜くことができる。さらにセージを産業都市に下ろし、それをいち早く周囲に漏らすことができたのはスノウただ一人だけだ。
ラウドの勘ぐりも的外れなものではなかったが、まあスノウが悪巧みをするのはいつものことなので、それ以上の追求はしなかった。
「まあ、そうだな。だがそのジオの行動がおかしいな。
以前のやつならマージネル家に殴りこみに行っていただろうが」
今、守護都市と産業都市ではマージネル家の犯罪工作について調査が行われている。
産業都市の騎士団や管制の言い分は、セージは軍から受けた防衛任務を放り出して持ち場を離れ、荒野へ単独で出かけた。不審に思った管制が偶然近くを哨戒中だったケイ・マージネル率いるパーティーに調査を依頼したところ、戦闘に発展したというものだ。
共生派の疑い云々を口にしないのは、もともとマージネル家は持ち込まれた告発に従って極秘に動いており、対象が英雄の息子という気を使わなければいけない相手のため、超法規的に対象を捕縛しようとしたからだった。
産業都市サイドは本当に何も知らず、マージネル家に騙されてギルドメンバーに危険な任務を強制し、それが冤罪による暗殺だったと後から知ったのであって、自分たちは無関係だとそんな建前をでっち上げたようだった。
だがそんな急ごしらえの言い訳に矛盾点が無いわけがないし、実行犯であるケイは調査に協力的だった。
しかしいかんせん犯罪が行われたのが管轄の違う産業都市であるため、証拠集めはそう簡単なものではなかった。
さらに犯罪捜査は本来、警邏騎士を擁するマージネル家の領分である。
捜査指揮は監査室が受け持っていたが、素直に従う騎士は少なく、そういった意味でも捜査は難航した。
もっともジオに疑わしきは罰せずなどという常識は存在しない。
疑わしいものには殴り込みをかけ、その際の対応から直感で真偽を判断するのがラウドやスノウの知るジオだ。
「子供が出来て、丸くなったんじゃないかな。
まあなんにせよ、おとなしくしてくれた方が助かるよ。セージ君が寝ている間に全部片付いちゃったら面白くないしね」
「ふん。今回は随分と慎重に動いていると思ったら、それが本音か。そんなことだとあの女監査官に出し抜かれるんじゃないか?」
トート監査官かと、スノウはつぶやいた。その声音にはそれまであった気の緩んだ柔らかさが抜け、鋭利なものに変わっていた。
「ここ一年見てきて、ついでに直接会った時の様子を見る限りは生真面目すぎるから期待はずれだと感じたんだけど、ちょっと気が早かったかな。
彼女はやっぱり竜だったね。マージネル家はその逆鱗に触れた形になってるね」
産業都市で起きた事件には介入する権限がないはずだったが、シエスタはそんなことは知ったことか、事件は荒野で起きたんだ、被害にあったのも犯罪者も守護都市の住民だと、半ば無理やり首を突っ込み調書を取りまくった。
今回の件はマージネル家の息のかかった騎士が主謀したものだが、関係者全員がマージネル家に忠義を尽くしているわけでは無い。
何も知らずに騙されていたものもいれば、金を渡されて協力をしていたものもいる。
シエスタはそんな人物を探し当てては調書を作成し、まずは共生派という嘘を吹き込んだ情報管制室室長のマルク・べルールを追い詰めている。
「今回の件は、落としどころが難しいんだよね。産業都市の方は向こうの騎士や監査官の仕事として、守護都市としてはとりあえずマルク・べルールを処分して、彼に踊らされたことになっているマージネル家をどこまで糾弾するか。
セイジェンド・ブレイドホームを見た限り、マージネル家にはここで退場してもらっても構わないんだけど……さて、悩ましいね」
スノウがそう言ったところで、執務室がノックされた。
「どうぞ」
「入るぜ」
執務室に入ってきたのはギルドの上級メンバーで、スナイク家子飼いの戦士であるベルモットという人物だった。
「よう。眠り王子が目を覚ましたぜ」
ベルモットは汚い言葉で、スノウがずっと待ち続けたセージの目覚めを口にした。
作中補足・名家の状況把握事情
スナイク家
セージが神子(契約者)であり、暴走したケイと殺し合いをして生き延びたのだと知る。竜がセージを助けたことまでは理解していない。
マージネル家
ケイの暴走は知っているが、セージが神子だとは知らない。
報告をしたリオウたちはセージの度重なる死に戻りを見続けたせいで、封印の扉を開いたセージの魔力量向上に違和感を覚えなかった。
間近で見たケイは違和感を覚えていたが、そもそも報告を求められなかった。
シャルマー家
今回は蚊帳の外だったため、ケイ(とリオウたち)とセージが戦闘を行い、その途中で竜が現れたという事ぐらいしか掴んでいない。