97話 夜を守る騎士にして輪廻の番人
それに最初に気付いたのは、離れたところにいた魔法使いのガスターと斥候のリムだった。
二人は声を上げ、ガスターはさらに狙撃魔法でそれを迎え撃って仲間たちに危機を教えようとしたが、その場に降り注ぐ礫の散弾は轟音を撒き散らしており二人の声を届かせることなく、また狙撃魔法にも干渉し十分な効果を発揮させなかった。
次に気付いたのはセージだった。魔法への干渉から二人に意識を向けてその恐怖を感じ取り、そしてその恐怖が向かう先を察した。
ケイたち三人は気付かなかった。セージとの戦闘は彼女たちから周囲を気にする余裕の一切合切を奪っていた。
それを察知し、それの殺意が狙う先を察知して、セージはケイに向かって一直線に走り出した。
これまでとは違って降り注ぐ礫に干渉し、道を開いて一直線に最短距離でケイに向かって走った。
その動きに虚をつかれた三人は咄嗟に反応できなかった。
正確にはケイだけが反応したが、その動きはこれまでで最も鈍いものだった。まるで目の前のセージよりも警戒しなければならないものがいると訴えられているような、そんな迷いのある動きだった。
真正面から突っ込んでくる敵に対応しないのは自殺行為と言っていいバカな選択肢だ。
だがケイはその馬鹿な選択肢を選んだ。確たる理由はない。強いて言うなら、迫り来るセージの目を見て、直感的にそう判断した。
振り返ったケイが目にしたのは空を飛ぶトカゲだった。大きな翼を羽ばたかせ、空を飛ぶには不似合いな鈍重そうな巨躯で空を駆けていた。
視界に映った姿は小さかったが、それは見る間に大きくなっていく。
そのトカゲは、竜と呼ばれる災厄だ。遠くから一目見ただけでもわかる圧倒的な存在感に、ケイの体は一瞬の硬直をした。
ありえない。ふざけるな。なんでこんな時に。
目の前に迫って来るその災厄を受け入れるのに、ケイは一瞬だけを要した。
そしてその一瞬の間に、ケイの頭上をセージが飛び越えていった。
ケイの視界に小さな背中が映る。
その小さな背中は、迷いのない背中だった。戦意に満ちた背中だった。勇敢な背中だった。
ケイは敗北感を味わうと同時に、言い様のない興奮を覚えた。それは恐怖や戸惑いを容易く吹き飛ばす程の強い感情だった。
そうしてケイは一瞬だけ遅れて、その背中と同じ方角に駆け出した。
二人の基礎能力差はやはり歴然で、さらに迷いのないケイの突進力は守護都市でも随一だ。
「はんっ。遅いじゃないの!!」
「ちっ」
ケイは一歩でセージに追いつき、二歩で悔しげな舌打ちを抜き去り、三歩でさらに加速する。
翔ぶように走りながら、その手に持った大剣で迫り来る竜を迎え撃つ。
竜の速度もケイの速度も尋常なものではない。
両者の距離はまたたく間に縮まり、ケイは竜の結界に囚われる。圧倒的な魔力量を誇る竜はその魔力でもって不可視の力場を作り出し、ケイの全身を押さえ込む。
竜に対峙する資格なきものはその力にひれ伏し、霊格の差があまりに大きければ命すら奪われる竜の固有技〈聖域〉。
強大なその聖域の圧力を、ケイは未だに湧き上がり続ける魔力でもって弾き返す。
竜がその大きな口を開けた。間髪入れずにその口腔から吐き出されたのは咆哮。
ハイオーク・ロードなどとは比べ物にならないその咆哮は、地を震わせ、乱立する岩山を砕き、砂へと変える。
遠く離れたところにいるリオウたちですら効果範囲に収め震え上がらせるそれが、真正面からケイは浴びる。
だが直撃を受けてなお、ケイは止まらない。
彼女は真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに駆ける。
「うるさいってのよ、このっ!!」
勢いよく竜に肉薄したケイはその大剣でもって、その大きく開かれた鰐口を強かに打ち付ける。
魔力による強化によって格下の相手を斬ることに支障はないが、ケイの大剣はもともと斬るよりもその質量で叩き潰す性質の武器だ。
竜はその破壊力で強引に口を閉じられ、乱杭歯のいくつかが欠けて周囲に散った。
会心の一撃に笑みを浮かべるケイだったが、それは油断というものだった。
これまでケイの全力の一撃に耐えられた魔物はおらず、今のケイには精霊から過剰なほどの魔力供給がなされている。さらにはセージと戦っていた時と違い、竜を相手取ることでケイ自身の戦意と精霊の魔力はよく親和した。
そこから繰り出されたのは文字通りの会心の一撃だった。
だがケイが相手にしているのは上級を超えた特級の魔物であり、時には聖獣と崇められることもある特別な相手。
ケイの一撃は確かに竜にとっても痛打だったが、それは勝敗を決める一撃には程遠かった。
竜は無理やり頭を下げられた体勢から、その額の角で頭上にいるケイの体を串刺しにせんと突き出した。
全力の一撃を放ったケイの体は硬直し、それを防ぐすべはない。そもそも今の一撃に全霊を込めたケイには、もう何かをするだけの余力がない。
賭けには負けたと、死を覚悟し痛みに備えるケイだったが、彼女を襲った痛みは竜が与えるものとは別だった。
それはケイと竜の間に割って入り、二人の間で炸裂した。火と風の混成魔法であり、上級の爆裂魔法だった。
それは竜に対しては頭突きの勢いをいくらか弱める程度しかできなかったが、爆発の勢いに逆らわなかったケイの体は容易く吹き飛ばされ、両者に距離を取らせるには十分なものとなった。
勢いよく吹き飛ばされ地面を転がるケイを逃すまいと、竜はすぐさま体勢を整えて追撃をかける。
ケイは倒れたまま、動けなかった。
だがその彼女を再び飛び越えて、セージが走る。
竜はわずかに突進の勢いを減じた。
セージは短槍にありったけの魔力を注ぎ込んだ。みしりと、供給される過剰な魔力に短槍が悲鳴を上げた。それでも構わずセージは全力の魔力を注ぎ込んだ。一合だけでもいい。時間を稼がなければならない。
ケイは既に限界を超えている。気合で強烈な一撃を叩き込んだのはさすがだったが、これ以上まともに戦えはしない。
精霊からの魔力供給も止んでいる。さらには爆風で竜と距離を取るため防護層を弱め――ケイにセージやジオのような魔力制御技術があれば風圧だけ受け取ることもできたが、未熟なケイでは熱量も受けなければならなかった――全身に酷い火傷を負い、さらに吹き飛ばされて満足に受身も取れず大地に叩きつけられ転がったため、全身を打撲していた。
そのことをセージは仮神の瞳で正確に把握していた。
だからここに全力を費やすことにした。
相手はケイ以上に小細工の通じない圧倒的強者。時間を稼ぐにはそれしかないと覚悟を決めていた。
そこにはケイの一撃を見て、当てられるものがあったのも関係はしていた。
使う技は貫散らし。他の選択肢はない。
距離が詰まるほどに速度を増していくセージとは対照的に、竜は全力で減速をする。
セージとの正面からのぶつかり合いを避けようとすらする竜だったが、勢いに乗るセージを見て意を決する。
セージはケイが痛めつけた竜の額を狙い、竜はそれに合わせてその角でセージの短槍を狙った。
交差する短槍と角。
有利なのは圧倒的に竜の角だ。十トンを超える体重が乗り、膨大な魔力で強化されたその角に貫けぬものなどない。
対してセージの体重は竜の五百分の一も無く、それを覆すための魔力ですら竜に劣っている。
その手に持つ短槍は名工カグツチ――セージは名前と勘違いし、誰も訂正しないためそう思い込んだままだが、実際にはカグツチとはこの精霊都市連合〈エーテリア〉にて最高の呪練鍛冶師に送られる称号である――の手によって作られた一級品だ。
もっともそこらの武器を容易く凌ぐ名品であっても、あくまでセージの実力に合わせて見繕われた品にすぎない。
等級としてはケイの大剣にすら劣り、当然のことながら竜の角とは比べるまでもない。
だが両者の激突において、セージの助けとなるものも存在した。
一つは竜が短槍に狙いを定めたこと。武器の破壊にこだわり、セージには当たらないようにと気遣った一撃は竜にとっての最高とは程遠いものだった。
もう一つは魔力の性質。今のセージが扱う魔力はほぼ全てデス子のものといって良い。セージが扱えるようにと大幅に劣化、適応されたその魔力はしかし元をたどれば死の神力である。
直接ではないものの竜の上位にあるその力は、竜にとって天敵とも言える性質を内包していた。
両者はそのまま激突し、セージの短槍は粉々に砕け、竜の角は二つに割れて地に落ちた。
そして全力で突っ込んだセージはそのまま竜の額にぶち当たる。
セージは咄嗟に受身を取ろうとしたが、腕は痺れてまるで動かなかった。
当然だ。セージの両腕は強力すぎる技の使用と堅牢な竜の防護層からの反動で指先から肩まで粉砕骨折を起こしていた。
セージは竜の額にはじかれて、宙を舞う。
受身も取れずぶち当たったことで、肋骨や鎖骨の骨も簡単に折れ、頭蓋にもヒビが入った。
竜は口を開いて宙を舞う半死半生のセージを捉える。
抵抗もできないセージは為すすべもなく竜に食われ――
ズドンと、
――一拍置いて、竜にその巨体を揺るがすほどの勢いで岩石がぶつかった。そしてその口から、セージの体が五体満足な姿で吐き出された。
セージは吐き出された勢いで大地を転がり、直ぐに立ち上がって鉈を抜いた。
竜に一撃を与えた存在を、それがこちらに向かってきているのを、セージは予め察していた。
だから助けられたことにも、その人物がセージを庇うように降り立ってきても驚きはしなかった。
女性を抱き抱えたその背中は、セージがよく知る背中だった。
セージとは違う、大きな背中だった。
不意に、セージの中から力が抜けた。その背中を見て緊張の糸がわずかに緩んで、これまでの異常な魔力供給も失われた。
とたんに、竜が生み出す聖域にセージの体が押しつぶされる。
大きな背中は女性を放り投げ、腰元の刀を抜いて、振るった。
それで竜からの圧力は消えた。
不可視であり面で迫る圧力が、その一振りで容易く切り裂かれた。まるで理解できないその現象に、セージは苦笑した。
「なるほど、役には立てないみたいだ」
その言葉を最後に、セージはその場に倒れた。
ケイがそうであったように、セージもまた心身ともに限界などとっくに超えていた。
******
「――さて、息子のことは頼むぞ」
ジオはマリアにそう告げた。
竜に衝突したのは二人が載っていた土台だ。セージが竜に食われるのを見たジオが咄嗟に足場としていた土台を魔力で強化し、思いっきり蹴飛ばして、竜にぶつけたのだった。
大地を蹴り上げ離れた相手に岩石をぶつける闘魔術があり、それを応用したものだった。
なお土台を陣で固定し飛翔させていたラウドの剣はジオの蹴りの影響で技として構成が砕かれ、竜にぶつかることなく地に落ちていた。
「ええ。私では竜を狩るのに役に立たないでしょうから、それぐらいはやらせてもらいます。ご武運を、ベルーガー卿」
マリアはそう言って、ケイとセージを肩に担いでその場から走り去る。
「……ふん。律儀だな。待ってくれるのか?」
「グルルゥ」
動かない竜に気まぐれでジオが問いかけると、唸り声が返ってきて苦笑した。
馬鹿げた質問をした自分を笑ったのではなく、竜の唸り声が私にとっても都合が良いと、そう言ったように聞こえたのがおかしかったのだ。
マリアが十分に離れたところで、ジオは体に闘志をみなぎらせる。とは言っても、全力ではなく八割程度だ。今のジオが全力を振るえる時間は限られているし、目の前の竜を見る限りそこまでする必要がないとも感じていた。
そこにはジオと竜の単純な実力差もあったが、竜が既に軽くない傷を負っているのも関係していた。
ジオの戦意に反応して竜もその体に魔力をみなぎらせる。
戦闘の開始は、しかしジオでも竜でもなく第三者の手によってなされた。
高速で飛来する剣が、竜に襲いかかる。竜はその巨躯に見合わぬ俊敏な動作で剣を回避するが、その剣は一本ではなかった。
都合六本の剣に襲いかかられ、竜は避けきれずにその翼を切り裂かれ、その肉体にもまた一本の剣が深く突き刺さった。
「――砕!!」
竜を切り裂いた第三者が声を上げる。その声で竜に突き刺さった剣が爆発した。
竜は衝撃と痛みに耐えかね悲鳴を上げる。剣が刺さっていた箇所は大きく抉られ、その傷口には剣の破片が深々と刺さってその傷の治癒を邪魔していた。竜は傷口を自ら食い破り、破片の混じった血肉を吐き捨てる。
それで傷は再生を始めるが、それを黙って待つほど第三者――ラウドは優しくなかったし、出し抜かれたジオもそうだった。
「ちっ。俺の獲物だぞ、ラウド!」
「はっ。呪い持ちは大人しく後ろで震えていろ。こんな手負いの若竜など、俺一人で十分だ」
「グアアアァァァァッ!!」
二人のやり取りに、竜は怒りの咆哮を上げる。
その咆哮という形なきものをジオの刀が容易く切り裂き、ラウドの操る剣はその無防備に開かれた口に向かって殺到する。
竜は咄嗟に口を閉じ顔を背けてその剣を回避するが、その足元にはいつの間にか迫っていたラウドがいた。ラウドがその手で直接操る剣が無防備にあらわとなった竜の胸元を切りつける。
今まで傷ひとつ付けられたことのない皮を容易く切り裂かれて、竜は悲鳴を上げて転がり、ラウドと距離をとった。
だがその逃げた先にはジオが回りこんでいた。
竜は咄嗟に前足でジオを叩き潰そうとして、その前足を切り飛ばされた。そのことに呆気にとられる暇も余裕もなく、竜は大きく後ろに飛んで逃げた。そうしなければ次の一刀で首が落とされていた。
不格好に逃げて体制の崩れた竜の体には飛翔剣が突き刺さり、肉を抉って弾け飛ぶ。
それに構うことなく竜はとにかくジオと距離をとった。
あれの刀が届く所にいてはいけないと、一瞬で悟ってしまった。
ほんの数合で無数の傷を負った竜は、その体を再生させながら、再度咆哮を上げる。
ここで己が死ぬと、理解したがゆえの叫びだった。
たとえ死ぬと分かっていても、戦い抜くと覚悟を決めた叫びだった。
この国に訪れる最大の厄災。あらゆる魔物を従える最悪の王。皇剣でなければ傷ひとつ付けることもできず、力なきものは何もできずに殺される最強の代名詞。
その竜こそが、守護都市最強の二人の前で、ただ一方的に狩られるだけの魔物に成り下がっていた。
******
マリアはセージとケイを抱えて退避した先で、リオウたちが合流する。礫の散弾はとっくに消えており、セージにやられたリオウたちの傷の手当ても済んでいた。
マリアはケイとセージを地面に下ろし、リオウたちを睨みつける。その眼光に気圧されてリオウたちは距離を詰められなかった。
「ケイお嬢様は無事ですか?」
「ええ。火傷のせいでひどく見えますが、命に別条はないでしょう。
それで、まだセイジェンドを殺すつもりですか」
マリアの全身から殺気が溢れる。
正直なところ、マリアの実力はリオウたちに劣る。かつてはジオの領域にたどり着けるかも知れないとすら言われたマリアだったが、ジオの引退と同時期に第一線を退き、それ以降はケイの教育係に専念していた。
そのため保有する魔力量こそ上級に達しているものの、現役のリオウたちに敵うものではなかった。
だがそれでもセイジェンドに害をなそうとするなら全力で抵抗しようと、場合によっては命すらかけようとマリアは決意していた。
「……いや、こうなった以上計画は失敗だ。
ただこの件に関わっているのは私だけだ。ケイお嬢様や仲間たちは私に騙されただけだ。その事を理解して欲しい」
「そんなことを私に言ってどうなるというのですか。同情しませんよ。貴方とアールは、何の罪もない子供を殺そうとした。それだけがこの件の全てです」
そう言って、マリアは悲哀の念を込めて気を失い昏睡するケイを見つめた。
「……そして騙されていたとしても、その手にかけようとしたお嬢様にも罪の一部はあります」
悔しそうに、お前がそうさせたのだと恨みを込めてそう言った。
たとえ騙されたのだとしても、なんの罪もない子供を殺そうとしたことをケイが気にしないはずもない。そしてあのスノウがこの一件を把握している以上、ケイに何のお咎めもないなんて事はありえなかった。