踏切
1.
通学路で、いつも渡る踏切に差し掛かった。
その踏切で、とびっきりの異変が起きていた。
遮断機が完全に下りている踏切内に、歩行者が二人倒れていて、取り残されてしまっているのだ。
どうやら二人とも、何らかの理由で気を失っているらしい。
電車はすぐそこまで迫ってきている。このままでは二人とも轢かれて死んでしまう。
だが、俺が今から踏切内に飛び込めば、そのうちの一人だけは何とか助け出せそうだ。
しかし、二人とも見ず知らずの他人だ。俺はどちらの命を助けるべきか、選べない。
一人は見たところ十歳くらいの少年で、もう一人は七十歳を過ぎたくらいの老紳士だ。
「―――――!」
俺は気がつくと、少年の足を掴んで引っ張っていた。とっさのことだった為、明確な理由など無いが、あるいは無意識下で、将来ある若い命の方を救うという選択をしたのかもしれなかった。
制動音を響かせながら、電車が踏切に差し掛かった。
間一髪のところで少年を線路から引きずりだし、俺は踏切外に退避した。
列車の車輪の下からは、制動音に混じって水気の多いビチャビチャした音が聞こえた。その音が、助けられなかった老人がひき肉になる音だと理解した時、俺は全身から急激に血の気が引くのを感じたのだった。
今の俺の4倍近くもの年月を生きてきた命を、こんな形で散らしてしまったと思うと、激しい後悔の念が、押し寄せてきた。
2.
遮断機が完全に下りている踏切内で、歩行者が二人倒れていた。
どうやら二人とも、何らかの理由で気を失って倒れているらしい。
電車はすぐそこまで迫ってきている。このままでは二人とも轢かれて死んでしまう。
だが、俺が今から踏切内に飛び込めば、そのうちの一人だけは何とか助け出せそうだ。
一人は老人であり、よく見ると、今年七十五歳になる俺の祖父だった。
もう一人は見ず知らずの、十歳くらいに見える少年だった。
俺は気がつくと、夢中で祖父の足を掴み、引っ張っていた。
間一髪。
祖父を引きずって線路外に退避した俺は、背後で列車のブレーキ音にまじって、ドン、という衝撃音と、何かが引きずられていくような嫌な音を聴いた。
「うちの子が!あの子が!」
近くで、女性が悲痛な叫び声をあげた。ひどく取り乱しており、顔からは血の気が失せ、今にも卒倒しそうな様子であった。おそらく、轢かれた子の母親だろう。
突然、その女性が俺の方に向き直った。彼女は表情筋が硬直しきったためか、能面のような顔になっていた。その中にあって目だけが、やや見開かれて虚ろな光を放って不気味な様相であった。その常軌を逸した目で、俺をじっと見据えながら彼女はつぶやくように言った。
「なんであの子を助けなかったの」
そう言われ、後悔が押し寄せてきた。
3.
踏切で、とびっきりの異変が起きていた。
……何だか、前にもこういう状況にでくわしたことがあるような気がするのだが、気のせいだろうか。
……ともかく、歩行者が二人、線路上で倒れているのだ。
どうやら二人とも、何らかの理由で気を失って倒れているらしい。
電車はすぐそこまで迫っている。このままでは二人とも轢かれて死んでしまう。
だが、俺が今から踏切内に飛び込めば、そのうちの一人だけは何とか助け出せそうだ。
しかし、二人とも見ず知らずの他人だ。俺はどちらの命を助けるべきか、決められない。
一人は見たところ10歳くらいの少年で、もう一人は70歳を過ぎたくらいの老紳士だ。
「―――――仕方ない、か!」
俺は気がつくと、老人の足を掴んで引っ張っていた。とっさのことだった為、明確な理由など説明できないが、あるいは無意識下で、その老人の姿に、いまは亡き祖父の姿を重ねていたのかもしれなかった。
制動音を響かせながら、電車が踏切に差し掛かった。
間一髪のところで老人を線路から引きずりだし、俺は踏切外に退避した。
列車の車輪の下からは、制動音に混じって水気の多いビチャビチャした音が聞こえた。
その音が、助けられなかった子供がひき肉になる音だと理解した時、俺は全身から急激に血の気が引くのを感じたのだった。
4.
遮断機が完全に下りている踏切内に、二匹の猫が取り残されていた。
どうやら二匹とも、何らかの理由で気を失って(?)倒れているらしい。
電車はすぐそこまで迫っている。このままでは二匹とも轢かれて死んでしまう。
だが、俺が今から踏切内に飛び込めば、そのうちの一匹だけなら何とか助け出せそうだ。
一匹はそこら中に居そうな、普通の猫。もう一匹はなんと、絶滅が危惧されている、イリオモテヤマネコだった。
さて、どちらを助けるべきか。
俺は気がつくと、イリオモテヤマネコを抱き上げ、走っていた。とっさのことだった為、明確な理由など無いが、あるいは無意識下で生物多様性を守り、固有種を保護しようという気持ちが働いたのかもしれなかった。
間一髪のところで、ヤマネコを抱えながら、俺は踏切外に退避した。
「ミーちゃんが!ミーちゃんが!」
突然、近くにいた女の子が泣き叫んだ。
どうやら、俺が見捨てた猫は、飼い猫だったらしい。
だが、ミーちゃんは今や、ミートになっていた。
5.
遮断機が完全に下りている踏切内に、一人の歩行者と、一匹のニホンオオカミが倒れていた。
―――俺がこのような奇妙な状況に出くわしたのは、もちろん今回が初めてだ。(しかし何故だろう。今俺は、奇妙な既視感を覚えている)―――。
それはそうと、どうやら踏切内の両者は、何らかの理由で気を失って倒れているらしかった。
電車はすぐそこまで迫っている。このままでは両者とも轢かれて死んでしまう。
だが、俺が今から踏切内に飛び込めば、そのうちの一人(もしくは一匹)だけなら何とか助け出せそうだ。
普通に考えれば人間を助けるべき場面なのだろうか。
だがどうした訳か、今の俺には、それとは別の考えが浮かんでいるのだった。
ニホンオオカミは既に絶滅したと考えられている種だ。その生き残りである“奇跡の個体”の命を、みすみす見殺しにしてもいいのだろうか?
かたや人類は、いまや世界中に70億もの個体が繁栄している、ありふれた種だ。その内の一人が踏切で死んだところで、マクロな視点で見ればほとんど損失は無いのではないか?
俺は結局、オオカミを助けだした。
結果どうなったか。
俺は踏切の外で、目を覚ましたオオカミに喉を食い破られて、死んだ。
まあ、俺も70億もいる人類の1人に過ぎないのだから、マクロでみればどうってことないか。
ちなみにその後、ニホンオオカミは、はやまった猟友会に射殺された。
6.(終章)
踏切で、とびっきりの異変が起きていた。
遮断機が完全に下りている踏切内に、歩行者が二人倒れていて、取り残されてしまっているのだ。
どうやら二人とも、何らかの理由で気を失っているらしい。
電車はすぐそこまで迫ってきている。このままでは二人とも轢かれて死んでしまう。
だが、俺が今から踏切内に飛び込めば、そのうちの一人だけなら、何とか助け出せそうだ。
しかし、二人とも見ず知らずの他人だ。俺はどちらの命を助けるべきか、選べない。
一人は見たところ十歳くらいの少年で、もう一人は七十歳を過ぎたくらいの老紳士だ。
さて、どちらを助ければいいのか。
俺は、このような特異な状況にあって、自分の心が妙に落ち着いていることに気がついた。まるで何度もこういう状況に出くわしていて、慣れているかのような心持ちだった。
おかげで俺は瞬時に、どちらを助けても悔いが残るし、正解はないということを悟ることができた。
本質的には、子供を助けても老人を助けても、正解ではないし、間違いでもないのだ。
老いも若きも、性別も、貴賤も、種や希少性や知能の優劣も、命を取捨選択する絶対的基準にはなり得ないのだから。
平等の観点からは、両方見殺しにするという選択肢もありえるかもしれない。
また、無理を承知で二人とも助けようとした結果、俺まで余計に死ぬというのも、ある意味では“正しい”のかもしれない。
しかし俺は、救える命は見捨てたくなかったし、また、自分が死ぬのは御免だった。
俺は我を失わず、自分の意志で遮断機に手をかけ、命を一つ、選んだ。
(終)