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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第十三章 天使と悪魔、困惑す
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4

 エシリアは困惑するばかりであった。

 サイラス教会領最南部に位置するネラード村は過疎の村とは聞いていたが、これほどまでとは思っていなかった。

 住人は全部で三十二名。高齢者がほとんどで、最年少で四十三歳の男性。一番年上は九十歳になる老婆であった。

 出迎えた教会の司祭も七十七歳になる老人で、彼はたった一人でサイラス教会領南部とマランセル公爵領を担当していたのだった。

 『これでは南部地方の教化がままらないのも無理がない……』

 エシリアは失望を禁じえなかった。無論、この老人に失望しているわけではない。過疎を進行させる帝国の政治と、過疎の村を見捨てる教会に対する失望であった。

 「おお、天使様がお出でになさるとは何年ぶりでございましょうか。ありがたい話です」

 素直に喜ぶ司祭の姿が痛々しかった。

 「ドノンバから知らせはなかったのですか?」

 「はぁ、こんな田舎でございますから、ドノンバの司祭様もお越しになるのが大変なのでございましょう」

 司祭の口調からは恨みを微塵も感じることはなかった。この司祭は、本当に根っからそのように思っているのだろう。

 「教化も私一人おればできます故、困っておりません」

 「それでも相当のご高齢の様子。辛くありませんか?」

 「天帝様の教えを広めることがどうして辛くありましょうや。寧ろこれも行と思えばありがたいことです」

 エシリアは感動した。こういう司祭も世の中に入るのだ。それを発見できただけでも、今回地上に下りてきた甲斐があったようなものだった。

 「ご自愛ください。私はしばらくここに留まりますから、教化のお手伝いをさせてください」

 「ありがたいことでございます」

 司祭は恭しく手を合わせ頭を下げた。エシリアはやや照れくさくなった。

 

 その晩、ネラード村での教化は無事に終了した。エシリアはネラード村を拠点に近辺の教化を行うことにした。

 この近辺にはネラード村と同じ規模の村が点在している。折角であるからそれらをひとつひとつ巡ってみようと思ったのだが、問題なのはマランセル公爵領であった。再び資料に目を通したネクレアは、気になる点をいくつか箇条書きに書き出した。

 新生児が少ない件についてはすでに触れた。これは過疎の村ならばどこでも同じことであった。問題なのは次の項目である。

 「行方不明事件……」

 ここ数年の間、マランセル公爵領内で住人が行方不明になる事件が発生している。一年に二三件という数字は、小さな領地内であるということを考えれば明らかに多かった。年齢、性別、職種などはばらばらで、何かしらの犯罪であるとは考えられない、と教会側の資料には書かれていたが……。

 「果たしてそうかしら……」

 ここの幹部司祭連中なら平気で自分達の不祥事を糊塗するであろう。一年で二三件の失踪事件という状況を考えれば、何かしらの犯罪あるいは事件が起こっていると考える方が妥当である間違いなかった。

 「それに……」

 起こっているのは人間の失踪事件だけではない。実は教化に人間界に下りてきた天使も過去に二人、行方不明になっていた。そのうちの一人は、エストヘブン領に下りていた天使で、今から五年も前のことである。

 「ひょっとしてユグランテスも……」

 と思い、資料を読み進めると違っていた。名前も違っていたし、その天使が失踪したのも一年前のことである。ほっとしたものの、天使の行方不明というのは気になる。天界ではどのぐらいの割合で天界に帰ってこない天使、即ち堕天使が発生しているかを発表していない。だから、エシリアの知る範囲内での感覚でしかないが、やはり多いように思えた。

 「クレモア様がややこしいと言ったのはこのことかしら……」

 確かにややこしい問題が潜んでいるかもしれない。だからと言って、教化が疎かになるというのはやはりあってはならないことであるし、天使の失踪も絡んでいるとすれば座視するわけにもいかなかった。

 それにこの問題を追っていけば、あるいはユグランテスに辿り着くかもしれない。エシリアにはそういう予感があった。


 翌日、エシリアは精力的に教化を行った。サイラス教会領南部には家屋が一桁台の集落も点在していて、それらもひとつひとつエシリアは巡った。それらには集落としての名称はなく、行政区分としてネラード村となっていたが、徒歩でも半日は掛かるほど教会のあるネラード村からは遠く離れていた。これでは教化が疎かになるのは無理なく、その日の最後に訪れた集落などは、天使が来たのは十年ぶりだと言う。

 「十年ぶりですか?」

 その集落の長老からそう聞かされた時には、エシリアは思わず声を上げてしまったほどであった。

 「左様でございます。このような田舎でございますから、天使様もお越しになるのが大変なのでございましょう」

 長老は申し訳なさそうに言うが、エシリアの方が申し訳なくなってきた。

 「そのようなことはありません。これは教会と天界の怠慢です。このことは必ず天界院に報告して、善処いたします」

 「ありがたいことです。それと畏れ多いことですが、この子に『祝福の儀式』を施していただけないでしょうか?もう十歳になりますが、赤子の頃に機会がなく現在に至りましたので……」

 長老の隣に少女が立っていた。ひどく緊張しているのか表情が硬かった。

 「勿論です。さぁ、いらっしゃい」

 エシリアはたどたどしい足取りで近づいてきた少女を二枚の翼で優しく包んだ。硬かった少女の顔が和らぐと同時に、翼を通じて少女の体内に宿っていた魔力がエシリアに流れ込んでくる。

 『十歳にもなると相当の魔力が蓄えられる』

 やはりこういう田舎に教化に来て正解だと思った。このままこの少女を放置していれば、彼女はやがて魔法を使えるようになるかもしれず、そうなれば彼女はこの人間界でまとも生きていくことができなくなるだろう。

 『祝福の儀式』が終わると、少女は頭を下げて去っていった。それを見送った長老は感慨深そうに涙を流していた。

 「どうしたのですか?」

 「いや、これがお恥ずかしい。実はあの子には兄がおりまして……その兄にも『祝福の儀式』を施してやりたかったのですが……」

 「亡くなられたのですか?」

 「いえ、行方不明になったのです。もう二年になりますか……」

 また行方不明か。エシリアは思わず口に出してしまいそうになった。帝国の犯罪統計がどうなっているか知らないが、この地方の失踪事件はあまりにも多すぎるような気がする。ましてやその中に天使も入っているとなると、なおさら異常である。

 「それで警察による捜査は進んでいるのですか?」

 「このような田舎でございます。官警もろくに参りません。我々で捜索しましたが、何分限界がありまして……」

 長老は悔しさをにじませていた。田舎ゆえ相手にされないことへの悔しさか、それとも自分達の無力さへの悔しさか、あるいは両方かもしれない。

 「ご自愛ください、長老。それはあなた方の責任ではありません。必ずやこのことは天界院に報告し、教会、帝国政府へ善処を促します。あなた方に天帝の加護がありますように」

 エシリアとしてはそう言うしかなかった。長老は、ありがたいことです、と頭を垂れるだけであった。


 ネラード村への帰り際、暗くなりかけた空を飛行していたエシリアは別の天使と遭遇した。主にエストヘブン領北部を担当しているタリューシャであった。魔力も高く、優秀な女性天使である。

 「タリューシャ!久しぶりじゃない」

 タリューシャは、エシリアと同年代で、担当教区も近いことから親しくしていた。エシリアに声をかけられたタリューシャは、二枚の翼をはためかせながら、笑みをこぼした。

 「エシリア!あなたも下りて来ていたのね」

 「あなたもね。でも、どうしてここに?エストヘブンは少し南でしょう?」

 「うん……。それがね」

 タリューシャはここ最近に起こったエストヘブン領での内乱について語った。次期領主の座を争っていた二人が亡くなり、エストヘブン領とコーラルヘブン領が皇帝の直轄地となったのである。

 「皇帝が……」

 エシリアはあの獣のような皇帝のことが嫌いであった。およそ戦争をすることでしか自己主張をできないような男で、その名を聞いただけでも虫唾が走るほどであった。

 「そうなのよ。しかも、皇帝は教会の許可を得ず勝手に直轄領にしたのよ。他の領地にならまだしも、コーラルヘブンは流石にまずいでしょう」

 コーラルヘブン領は、最初に天使が地上に舞い降りた地であり、さらに重要な意味合いがあった。

 「コーラルヘブンに魔界の門があるって本当なの?」

 一般の天使の中では噂になっていることであった。真相については執政官達しか知らないが、隣接するエストヘブン領を担当しているタリューシャなら聞かされているかもしれなかった。

 「私も知らないの。でも、シェランドン様が今回の措置にたいそうお怒りの様子みたいね。私もエストヘブン領で得た情報をこれからエメランスへ持っていくところなの」

 教会の総本山エメランスには執政官に準じる天使が常駐していて天界の代弁者となっている。きっと皇帝の措置に対する協議を行うのだろう。

 「あなたも大変な時期に下りてきたわね」

 「本当……。あ、急がなくちゃ」

 「ごねんね、呼び止めちゃって」

 「ううん。久しぶりにエシリアの顔を見れてよかった。また天界で会いましょう」

 「そうね。楽しみにしているわ」

 じゃあね、と速度を上げて飛んでいったタリューシャ。天界での再会。それが果たされなくなろうとはエシリアは夢にも思わなかった。

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