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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第十一章 暗転
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2

 なんとか勝つには勝った。それがサラサの印象であった。

 結果的には大勝である。相手に与えた損害と比べれば、サラサ軍の損害は非常に少なく、歴史上にこれほど寡兵で大軍を蹴散らした例はおそらくないであろう。

 しかし、サラサからしてみれば薄氷を踏む思いでの勝利であった。圧倒的な兵力差を作戦の妙で補い、後は運によって掴みえた勝利である。それはこの戦闘の遂行者であるサラサが一番に身にしみて理解していることであった。このような戦いが二度三度できるとは思えなかったのだ。

 だから戦勝後、この勢いでカランブルに攻撃をしかけようという意見が出た時、サラサは猛然と反対した。

 『こちらが攻めに転じ、徒にカランブルの市民を傷つけるようなことになったら、民心はアズナブール殿から離れてしまう』

 本心は言えなかったので、建前としてそう言った。先の勝利をもたらしたサラサが強硬に反対する以上、反論する者はいなかった。それにサラサには別の思惑があった。

 『カランブルの市民達がアズナブール殿を迎えるために蜂起してくれれば言うことはない』

 民心ということを考えれば、それが最良の展開であった。サラサは我ながら悪辣な考えだと思いながら、そうなることを望んでいた。

 しかし、事態は意外な展開を迎えた。マグルーンの母であるネクレアから争いを収束させるために会談の申し込みがあったのだ。

 この申し出に対して、アズナブール派の意見は二分した。怪我から快癒したレジューナなどは断固拒絶し、カランブルを攻めるべしと主張し、一方でジンのように条件次第では受けれ入るべきだとするものも少なくなかった。

 この議論に対してサラサは完全に埒外にいた。これに関してはエストハウス家の問題であり、部外者である自分は立ち入らないほうがいいと判断したからであった。

 今も白熱した議論が隣室で繰り広げられる中サラサは、同じく部外者としての立場を標榜しているジロンと将棋に興じていた。

 「で、サラサ様はどうすべきとお考えですか?」

 長考しているジロンが盤面から顔を離さずに言った。

 「何だ?まだ自分が打っていないのに、先に相手の手を聞くのか?」

 ジロンがネクレアからの申し出のことを言っているのは百も承知であった。しかし、あえて惚けたのは、この話題にあまり触れたくなかったからであった。

 「そうではありません。ネクレアが会談を申し出てきたことです」

 「そのことか。私は部外者だぞ。口を差し挟むつもりはない」

 「今更部外者もないでしょう。軍司令官殿」

 「嫌な言い方をする奴だ切り込み隊長。それに軍権に関してはアズナブール殿に返上した」

 「だが、いざ戦となると、また多くの者がサラサ様に指揮を取って欲しいと望むでしょうな」

 「本当に嫌なことを言う爺だな。早く打てよ」

 暫しお待ちあれ、とさらなる長考を決め込むジロン。サラサは苦々しく思いながら、ジロンの述べたことがあながち間違っていないことに懊悩していた。

 『いずれにしろ再戦となる』

 サラサはそう睨んでいた。確かにバスクチでは大勝した。しかし、それが見かけでしかないことはサラサはよく知っていた。もしマグルーン派にそれなりの指導力と見識を持った人物がいて、再度大軍を繰り出しバスクチを攻めていたら、サラサとしては尻尾を巻いて逃げ出すしかなかった。

 だからネクレアから会談の申し出があったのは僥倖とも言えた。ここで平和裏に話をまとめてしまえば申し分なかった。しかし、マグルーン派、アズナブール派、いずれが優位に立つかで揉めるのは目に見えて分かっていた。

 マグルーン派はまだ戦える余裕をもって優位に立とうとするだろうし、アズナブール派は先の大勝で気を大きくして優位を主張するだろう。そうなれば会談は決裂、再び戦闘状態となるだろう。

 「時として戦に勝つというのは毒物だな。自分達の存在というものを過大に見てしまう」

 思考をまとめていたサラサは思わずぽつりと呟いた。

 「そこまでお考えであるならば、隣に行って言ってきたらいかがです?さっさと会談を受け入れ、話をまとめろ、と」

 ジロンもサラサと同じようなことを考えていたらしい。

 「ジロンが言ってきたらどうだ?」

 「いやいや。爺の戯言など若い連中は聞きますまい。寧ろサラサ様が言われた方が皆聞き入れるでしょう」

 「あぁ、嫌だ嫌だ。乗せられて柄にもないことをするもんじゃないな。たった一度の奇跡のために、ずっとそうやって乗せられ続けるんだ」

 「しかし、アズナブール殿にとってはここが正念場でありましょう」

 ようやくジロンが駒を動かした。考えられないほどまずい手であった。

 「今更無関心を決め込み、見捨てるのは忍びないか……。はい、王手」

 うおっ、と呻くジロン。腕を組み、必死に考え始めたがもう遅い。

 「待ったはなしだぞ」

 「サラサ様はお強いですな。これで三連敗か」

 「もう一局やるか?」

 「よしましょう。勝てる気がしません。それにそろそろ結論が出る頃かもしれません」

 ジロンが盤上の駒を片付け始めると、まるでそれを待っていたかのように扉が開いてミラが顔を覗かせた。

 「サラサ様……」

 「ミラ、終わったのか?」

 ミラは首を振った。

 「それで皆さんがサラサ様の意見を聞きたいと……」

 サラサはわざとらしく顔をしかめた。

 「いつまでこんな小娘に頼る気なんだ……」

 サラサはうんざりしながらも、ミラの悲しげな顔とジロンの訴えかけるような眼差しを見ると、ため息ひとつで引き受けるしかなかった。

 サラサが隣室に入ると、アズナブール派の幹部達が居並んでいた。アズナブールは上座にいる。ここ最近は体調がいいらしく、血色も随分とよくなっていた。

 「サラサ殿。どうぞお掛けになってください」

 アズナブールはサラサに椅子を勧めたが、サラサは無視した。全員を見渡すには立っているほうがいい。

 「アズナブール殿。この件については、私は口を差し挟むつもりはありません。確かにアズナブール殿より軍権をお預かりして敵を撃退しましたが、謂わば雇われ軍人がその職責を果たしたようなものです。しかし、この件はエストハウス家の問題。やはり私が立ち入るわけにはいきません」

 サラサはアズナブールの手前、言葉を選んで丁重に答えた。もしアズナブールがおらず幹部連中ばかりであったなら、品のない言葉で怒鳴り散らしていただろう。

 「それは百も承知です。我らだけでは異論百出でまとまりません。ぜひサラサ様の意見をお聞きしたいのです」

 レジューナが言った。百も承知なら言わすなと反論したかったが、サラサはぐっと我慢した。

 「私の意見などありません。あなた方かどうしたかいです。あなた方はこれから先も私の意見を求めていくのですか?仮に会談がまとまり、エストブルク領の領主となってもまだ私の意見を求めていくつもりですか?」

 卑怯な言い方だと思ったが、アズナブール達を黙らせるにはこれしかないと思った。案の定、アズナブールとその幹部連中は一言も発せず俯いてしまった。

 「サラサ様……それはあまりに」

 「いや、私もサラサ様の意見に賛成ですな」

 ミラが何か言いかけ所にジロンが割って入ってきた。

 「サラサ様以上に無関係である私が意見すべきではないのだろうが、老婆心として言っておきたいことがありましてな。特にアズナブール様。貴方はいいかげんに主体性を持つべきだ。いつまでもご自身の境遇に甘えるのはお止めなさい」

 ジロンの言葉はサラサ以上に辛らつであった。これは年長者だから言える言葉であった。

 「ぶ、無礼でありましょう!いくら神託戦争の英雄とはいえ……」

 「レジューナ止しなさい」

 立ち上がって猛然と抗議しようとしたレジューナをアズナブールが制した。

 「まさしくサラサ殿やジロン殿の仰るとおりだ。不肖このアズナブール、目が覚めました。私は自分の病弱をいいことに、自分の運命から逃げていたかもしれません。しかし、逃げるわけにはもういかないのですね」

 そういうことですね、とアズナブールが言うと、ジロンが頷いた。

 「サラサ殿も私以上に苦難を直面したのに逃げずに戦ってこられた。男で年長の私がまだ逃げ続けるなんてできるわけいかないのでしょう」

 「アズナブール殿……」

 「ネクレア夫人との会談に応じましょう。どうなるか分かりませんが、まずは話し合わないと」

 アズナブールが決意した以上、異論を挟む者はいなかった。サラサは、アズナブールと出会って初めて凛々しい男としてのアズナブールの姿を見た気がした。これでサラサは煩わしいことから開放されるのだが、完全に心が晴れることはなかった。

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