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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第十章 必勝と必敗
72/263

9

 朝靄は濃くもなければ薄くもない。奇襲をかけるには丁度いい濃度であった。

 『まさに天佑。サラサ様の頭上には戦の神が乱舞しているのに違いない』

 サラサはまさに戦場に立つために生まれてきたのではないか。ジロンは暫しそのような感想を持つようになった。ひょっとしてジロンが期待している以上の人物なのかもしれない。冗談で天下を制するのではと言ってみたが、あるいは本当にそうなるかもしれない。

 『最後まで彼女の旅に付き合えるか分からんが、まずは緒戦を華々しく飾らんとな』

 ジロンは部隊の先頭を行く。ジロンに倣って足音静かに敵陣に近づく。やがて敵陣のものと思われる柵が見えてきた。

 ジロンが手で合図を送ると、工作兵が前に出て柵の上部に縄をかけ、柵を引き倒した。

 「かかれぇぇぇ!」

 柵が地面にぶつかる音がしたのと同時に、ジロンが剣を抜いて大音声で号令をかけた。奇襲部隊の全員が喊声をあげた。

 全軍が疾風のように敵陣を駆けた。眠りについていた敵兵は突然の喊声に目を覚ましたが、武防具をつけるまもなくサラサ軍の餌食となった。夜番をしていた兵も疲労と睡魔が頂点に達している時で、まるで役に立たず、成すすべなく切られていった。

 「火はかけるな!逃げる敵は相手をするな!」

 ジロンは声を張って命令しながらも、自らに向ってくる敵は容赦なく切り捨てた。

 『ベンニルはどこだ?』

 ジロンは先ほどから敵将の姿を捜し求めていた。今回の作戦に込めたサラサの意図を知り抜いているジロンは、自らの手でベンニルを仕留めようと思っていた。逆にベンニルを逃がせば長蛇を逸することになる。

 すでに勝負は決したといって言い。地面に転がっているのはほとんどが敵兵で、脇目も振らず逃走しているのも敵兵ばかりであった。この逃げる敵にベンニルが紛れられれば見つけるのは至難である。

 『あれは……』

 一際大きな天幕があった。敵味方の多くの兵が集まり、激しくつばぜり合いをしている。

 『あそこか!』

 咄嗟に判断したジロンは自らも乱戦に加わった。瞬く間に三名ほど切り捨て、天幕に乱入した。天幕にはひとりの男がいた。ちょうど鎧を着け終わり、剣を腰につけようとしていた。ベンニルであった。例の宴席で顔を見ていたので間違いなかった。

 「誰だ!貴様は……」

 ベンニルは、乱入してきたジロンを見て、目を丸くして驚愕の表情を浮かべた。当然であろう。味方に引き入れようとして失敗した過去の戦争の英雄『雷神』が目の前にして剣を向けているのである。

 「貴様個人には恨みはないが、これも我が主のためだ」

 「小癪な!」

 ベンニルは剣に手をかけた。しかし、その剣が抜かれることはなかった。ジロンの鋭い一撃がベンニルの頭と胴を切り離していた。ベンニルの胴部は宙を飛び、地面に落ちてジロンの足元に転がってきた。

 「敵将!討ち取ったりぃ!」

 ジロンはベンニルの頭部を掴み、天高く掲げた。合わせて味方が鬨の声を上げる。

 「えいえい、おー!」

 「えいえい、おー!」

 鬨の声が敵陣に伝播していく。それで主将がやられたのを知ったのか敵は無秩序に潰走し始めた。

 「勝った!勝ったぞ!」

 「敵が逃げていくぞ!」

 「流石サラサ様だ!まさに戦女神だ!」

 至る所から歓喜の声が上がる。ジロンがそれを制するように声を張り上げた。

 「まだだ!砦を囲んでいる敵が引き返してくるぞ!」

 勝利の後の気の緩みほど恐ろしいものはない。その辺りの戦場の呼吸をジロンは心得ていた。ジロンは隊列を整えさせ、引き返してくる敵軍に備えた。


 戦闘の経緯は、サラサの想定どおりに進んだ。あたかもバスクチ盆地はサラサが脚本を書いた舞台演劇のようであった。

 砦を包囲していた敵軍が本陣の危機を知り引き換えしてきたのは、日が完全に昇った頃であった。すでに朝靄は消え去り、盆地全体が見渡せる状態になっていた。それで敵軍は気付いたのであったが、すでにベンニルの首は討たれていた。

 敵軍は反転し、自分達の本陣へと進軍した。彼らはまるで背後もしくは側面から攻撃を受けると考えていなかったようで、そこへジンが率いる部隊が山中から飛び出し殺到してきた。

 この奇襲も上手くいった。敵軍は単に不意を突かれただけではなく、同士討ちも発生し、瞬く間に兵の数が減っていった。さらに追い討ちをかけるように本陣を襲っていたジロンの部隊も合流し、敵軍は組織的な抵抗もできず、敗走し始めた。

 「逃げる敵を追う必要はない!降伏する敵は素直に受け入れるんだ!」

 ジロンはそのことを徹底させた。敵を追い込み、窮鼠にして噛み付かれるようなまねは、余計な流血を避けるためにも必要であった。

 敵の無秩序な潰走が終了したのは、昼前のことであった。バスクチ盆地に集結していたベンニル軍は、軍組織として完全に消滅した。ベンニル軍の死傷者は七百名あまり。それに対してサラサ軍の死傷者は数十名程度であった。

 後世の歴史家が『バスクチの奇襲戦』と呼ぶこの戦いは、サラサの完勝であった。しかし、多くの歴史家は、どうしてこの後追撃戦を行わなかったのかと疑問を呈した。

 だが、それは無茶な注文というものであった。もしサラサに幾ばくかの予備兵力があれば、追撃線を行っていただろが、残念ながらサラサには持ち駒など存在していなかった。

 「戦闘終了。可能な限り、敵味方の遺体を収容する」

 サラサは全軍にそう命じたことで、この戦は終了した。

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