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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第十章 必勝と必敗
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4

 「やはり行かれるのですか?」

 隣で寝ていたベンニルがベッドから這い出たのに気がついたネクレアは、逞しい背中を見上げた。今の今まで激しく抱き合っていた頼もしい男の背中であった。

 「無論です。アズナブールの死を確認しなかったのは私の落ち度。私自身がけりをつけなければ」

 バスクチ近辺に潜んでいたアズナブール軍がカランブル奪還のために動き出したという知らせは、すでに早馬でエストブルクに届いていた。戦力的に見ても、カランブルに駐留する将と兵だけで十分のように思えるのだが、それでもベンニルは自ら行くと言い出したのであった。

 「今度こそアズナブールを討ち、その首をエストブルクまで持って参りましょう。そうなれば、マグルーン様の地位は安泰です」

 確かにそうだろう。未だに皇帝からの勅状は下っていないが、対抗馬さえいなくなれば、マグルーンの次期領主の座は確定的であった。

 「頼みにしておりますよ。しかし、御身は大事に。あなたがいなくなれば、私達は路頭に迷わざるを得なくなります」

 ネクレアはベンニルの背中に抱きついた。豊満な胸が押し潰れるほど強く抱きしめた。

 「ご安心あれ、ネクレア様。負けようのない戦です」

 すっと力を抜いた瞬間、こちらに向き直ったベンニルが唇を押し付けてきた。ネクレアも唇をもってそれを受けた。

 「それでは行ってまいります」

 「ご武運を」

 情熱的な接吻を終え、ベンニルが着替えをして部屋から出て行った。それを見送ったネクレアは、急激に火照った体が冷めていくのを感じた。


 エストブルクに貧家に生まれたネクレアが、領主の屋敷に奉公にあがることになったのは十八歳の時であった。最初は単なる身分の低い雑用係でしかなかったが、やがてベストパールに見初められて妾のひとりとなった。

 領主の妾と言っても、序列的には最下位であった。しかし、それまでの人に使われるだけの人生よりも遥かにましであった。

 そんな人生が大きく変化したのは、マグルーンを懐妊した時であった。すでにアズナブールが生まれていたが、病弱であったので、新たに生まれてきたマグルーンには大きな期待が寄せられた。すでにアズナブールの母である女性はこの世を去っていたので、ネクレアは一気に正妻の地位にまで上り詰めたのであった。

 貧家に生まれたネクレアは、エストヘブン領における女性の最高地位を極めた。彼女に残されたことは、我が子を次期領主の地位につけることであった。

 しかし、ベストパールは後継指名についてはまるで言及しなかった。閨で体を愛撫されている時も、ベストパールのものを受け入れている時も、マグルーンを次期領主に添えるよう囁いてきたのだが、ベストパールは曖昧に言葉を濁すだけであった。

 そんな時分に出会ったのがベンニルであった。若く才能があり、そして野心的であったベンニルは、己の野望を実現させるためにネクレアに近づいてきた。ネクレアとしても、才幹があり、エストヘブン領内で頭角を現しているベンニルは利用するに値する存在であった。肉体的に深い仲になったのも、決して愛情からではなく、自家薬籠中の物にするためであった。

 おそらくベンニルも単にネクレアの地位を利用し、肉体を性欲の捌け口にしているだけであろう。ネクレアとしてはそれでよかった。心情的な繋がりよりも利害の方が信ずるに値する。ネクレアはそう考えていた。

 「お母様……」

 ネクレアが身繕いをしていると、寝巻き姿のマグルーンが部屋に入ってきた。

 「まぁ、マグルーン。侍女達はどうしたのです」

 マグルーンは答えず、母の胸に飛び込んできた。マグルーンは今年で十六歳になる。年の割には肉体的にも精神的にもとても幼かった。エストハウス家内にはアズナブールの方がやはり領主に相応しいという者もいた。

 『そんなこと関係あるものですか!』

 誰が何と言おうと次期領主はこのマグルーンである。それだけは是が非でも譲るわけにはいかなかった。

 「マグルーン。どうしたのです?」

 「怖い夢を見ました。とても怖い夢です」

 マグルーンは母の胸の中で震えていた。よほど怖い夢だったのだろう。

 「そう。私が傍にいますから、ゆっくりお眠りなさい。マグルーン」

 そっと頭をなでてやると、マグルーンは顔をくしゃくしゃにして笑った。

 この笑顔を守ってやれるのは自分しかいない。そのためには何でもしてみせる。ネクレアは最愛の息子に改めて誓った。

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