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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第八章 雷神と少女
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7

 エストブルクにおけるサラサの日常というのは、一言で言えば退屈であった。その退屈さはメトスで軟禁されている時よりも遥かに上回るものであった。

 基本的には外出禁止。外に出られても屋敷の庭までで、エストブルクを自由に歩くことは許されなかった。

 屋敷にある書物も童話や幻想小説ばかりで、サラサが好きな歴史や戦記物の書物は皆無であり、買い求めることもできなかった。唯一の救いは、出される料理がそこそこ美味いというぐらいであった。

 「籠の鳥とは今の私のことだな。あのメトスでのことが懐かしいぐらいだ」

 メトスにいた頃は馬での遠乗りができ、随分と憂さ晴らしができたものだった。しかし、市街にでも出れない状況ではそれも叶わなかった。

 この間、領主であるベストパールの死が発表され、葬儀が行われた。サラサも参列したが、喪主はネクレアが務め、肝心のマグルーンは未だ姿を見せず、新領主着任の発表もなかった。こうなってくると、ますます事態が分からなくなってきた。

 「それで紅鳥は今日も飛んでいたか?」

 サラサはミラに尋ねた。彼女は買出しなどで自由にエストブルクを動き回れるので、今や唯一の情報源であった。

 ミラは無言で首を振った。『紅鳥』というのアズナブールのことを表す隠語である。ようするにアズナブール生存の噂はなかったか、ということである。万が一、二人以外に話を聞かれてもいいように、アズナブールについては隠語で話すようにしていた。

 「そうか……」

 サラサは俯いた。これは好材料かもしれないと思った。

 もしベンニルがアズナブールの死を確認したとなれば、それを大々的には宣伝するはずである。それをしないということは、アズナブールが死んだという確証を得ていないのだろう。

 サラサが少し考えた後、紙とペンを引き寄せた。隠語以外では筆談をすることもあった。

 『都督は生きているかもしれない』

 と書いてミラに見せた。ミラは少々驚きながらも、『その根拠は?』と書いてきたので、先ほど考えていたことを続きで書いた。

 『だとすれば、どうしてアズナブール様は表に出てこられないのでしょう?』

 とミラが書いた。尤もな疑問である。

 その点については二つ考えられた。ひとつはアズナブールが病で動けない状態にあること。これが有力であった。もうひとつは密かに軍を集め、表に出る好機を探っている状態であること。サラサはそれらのことを書いてミラに見せた。

 「私としては後者であって欲しいのだが」

 「そうですね……」

 その望みは薄いだろうとミラも思っているようだった。サラサは筆談に使った紙を細かく千切り、水の入ったカップに入れてぐるぐるとかき混ぜた。


 変化のない日常に嫌々ながらも慣れ、情報を欲するという意欲が鈍化し始めた頃、サラサの日常に変化が訪れた。ベンニルとネクレアがサラサの無聊を慰めるために宴席を設けたいと通達してきたのだ。

 「はん。アズナブール殿の時は多少なりとも心躍ったものだが、気乗りしないな」

 「ですが、断るわけにもいかないでしょう」

 ミラの言うとおり、サラサにはおそらく断る権利はない。メトスにいた時以上に、サラサは強く拘束されていた。

 だが、エストブルクに到着した当初ならまだしも、しばらく時間を空けて宴席を設けると言い出したのはどういうわけであろうか。

 『ひょっとすれば新領主就任に関して何らかの動きがあったのかもしれないな……』

 嫌な予感しかしないが、やはり断れないだろう。サラサは腹を括るしかなかった。

 「やむを得んな。新しき領主様にもお目見えできるかもしれないし……。ところでミラは熊のことを知っているのか?」

 『熊』というのはマグルーンの隠語である。体つきのいい巨躯と聞いていたのでその隠語を当てはめたのだ。

 「さぁ……話には聞きますが、実際には……」

 「まぁ、そいつを見てみるのも一興だ。せいぜいおめかししていきますか」

 サラサにしてみれば移動動物園へ珍獣でも見に行くような感覚であった。


 宴席は夜に行われた。流石に領都の迎賓館ということもあって、カランブルとは比べ物にならないほど豪奢な部屋で、参加する人員も多かった。ざっと見ただけでも五十人近くいるだろうか。立食形式で席次は決まっていなかった。サラサは上座から遠い、一番隅の机に陣取った。

 「要するに私をだしにして宴会をしたいだけか」

 サラサの無聊を慰めるというのは口実なのだろう。やはりどうにも楽しめそうになかった。

 「折角一張羅を着てきたが、展開次第では早々にずらかるぞ」

 サラサは隣に寄り添うミラに耳打ちした。両肩を露にした紫のロングドレスを着こなしているミラ。彼女にはこういう格好の方が似合っていた。

 「皆様、本日はお集まりいただき、まことにありがとうございます」

 上座にいたネクレアがよく通る声で話し始めた。雑談をしていた参加者達は一斉に口をつぐみ、上座に目をやった。

 「この度の宴は、新たにエストブルクの住人となられたサラサ・ビーロス様の無聊をお慰めしたく設けました。ビーロス様は皇帝陛下よりお預かりしている大切な客人です。皆様ともご縁を持ち、健やかな領都での生活を過ごしていただければと思います」

 余計なお世話だ、と思った。サラサの心は暗澹となり、さっさと帰りたくなった。しかし、なけなしの理性が働き、何か一言ぐらいは喋った方がいいかと思っていると、構わずネクレアが言葉を続けた。

 「また先日行われました我が夫の葬儀に多くの皆様に参列いただき、まことにありがとうございました。我が夫も喜んでいることと存じます」

 新しい領主は誰なんだ、とサラサに立っている老人がぼそっと呟いた。やはり誰もがそのことを気にしているらしい。

 「そして今宵、新領主たるマグルーン・エストハウスをご紹介いたします。まだ正式に皇帝陛下の勅状をいただいてはおりませんが、いずれくだされるものと思います」

 新領主の発表に一瞬ざわめいたが、勅状がまだと知れると、ざわめきは落胆のため息に変わった。そういう場の空気の流れを察したネクレアの顔がわずかに引きつった。

 「マグルーン。おいでなさい」

 ネクレアが言うと、彼女の左側の扉が開いた。ベンニルに付き添われてひとりの少年が入ってきた。ざわめきがいっそう大きくなった。やせ細った小さな体をしていて、おどおどとベンニルの影に隠れるようにして母の方に向かって歩いていた。

 『あれがマグルーンだと?』

 サラサは驚きを禁じえなかった。話に聞くマグルーンは、がっしりとした体躯を持つ男のはずだった。しかし、今マグルーンだと紹介された少年とはまるで異なっていた。

 いや体躯のことだけではない。頭脳も聡明とされていたが、恥ずかしそうにベンニルの影に隠れているその面構えには知性の欠片も見えなかった。

 『はん。謀ったか……』

 痩身のアズナブールに対抗するため、マグルーンが体格のいい聡明な少年だと宣伝したのだろう。しかし、いずれは実物を披露せねばならないのだから、そのような姑息な手口は後で失望を買うだけである。事実、場内のざわめきは止まるどころか大きくなっていた。あまりにも姑息で思慮のないやり方にサラサは呆れるしかなかった。

 片やミラは、蒼白になりつつも、怒りのあまり手が震えていた。こんな少年のためにアズナブールが、という思いが強いのだろう。

 「お静かに願います。これよりマグルーン様よりお言葉があります!」

 場内の雰囲気に明らかに焦りを感じているベンニルが声を荒げた。才子を気取っていたつもりかもしれないが、とんだお粗末な結果である。一応場内は静粛になり、マグルーンの一声を待った。

 「さぁ、マグルーン。皆様に挨拶なさい」

 ベンニルから離れ、ネクレアの影に隠れたマグルーンは、母のスカートを大事そうに握りながら、顔だけはひょこっと出していた。何がおかしいのかへらへらとしていて、それでいて異常なまでに発汗していた。

 「マグルーン……。怖がることはありませんよ。さぁ、挨拶なさい」

 ネクレアが心配そうにマグルーンの肩に手を置いた。しかし、マグルーンは何か不明瞭なことを小声で口走るだけで、挙句には母の手を振り払い、部屋を出て行ってしまった。

 「マグルーン!み、皆様、しばらくお待ちください。その間、料理をお楽しみください」

 動揺を隠し切れないネクレアが息子の後を追いかけていった。ベンニルもそれに続いたので会場には主催者が誰もいなくなってしまった。場内は完全に白けた雰囲気になり、美味しそうな匂いのする料理だけが次々と運ばれてきた。

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