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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第七章 獅子達の時代
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8

 着替え終えて厩舎に行くと、すでにコーメルが馬車の準備を整えていた。身分の低いコーメルは迎賓館の中に入れず、ずっとこの厩舎にいたのだ。そのことが幸いした。

 「準備いいな、コーメル。流石私の馭者だ」

 「馬達が騒ぎ始めましてな。これは何か起こっていると思って、こうしてお嬢様を待っておりました」

 「頼りにしているぞ」

 と言ってサラサは馬車に乗り込もうとしたが、ミラがなかなか乗ってこようとしなかった。

 「どうしたんだ?ミラ」

 「サラサ様、やはり動かない方がよろしいのではないでしょうか?カランブルにいる以上、都督の庇護下にあった方が安全ではないでしょうか?」

 「あの火事を発見してかなりの時が経っている。それにも関わらず我々の所に誰も来ないし、兵士の気配もない。すでに大多数の兵士が前線に出ているのではないか?我々は忘れられたか、捨てられたかのどちらかだ」

 「しかし……」

 ミラは隣接する都督府に目をやった。ようやく篝火を点け始めたのか、都督府の建物が赤く映し出された。

 『万事が遅い』

 サラサは苛立った。サラサの見た所、マグルーン派と思われる敵は相当数の兵士を繰り出している。その存在をカランブルにいるアズナブール派の兵士がまるで気がつかなかったというのは大失態である。

 それだけではない。すでに大多数の敵兵がカランブルに入り込んでいる。それにも関わらず今更拠点となる都督府に篝火が入るというのは、あまりにも対応として遅すぎるのである。

 『だけど、この混乱の中をミラとコーメルを頼りに逃げるのも確かに心もとないのも確かだ』

 こういう事態になってわずかな時間も惜しい。だが、ミラとコーメルだけで逃げ切れるというと自信もない。それにあの病弱で、およそこの混乱を収められそうにない都督を見捨てるというのも忍びなかった。

 「ミラ。都督の様子を見てこよう」

 「でしたら、サラサ様はここで待機していてください。私がひとりで見てきます」

 「駄目だ。私も行く。コーメル、いつでも出れるようにしておいてくれ」

 畏まりました、とコーメルは言った。サラサとミラは夜陰に紛れ、都督府に向かった。

 都督府は混乱の極みだった。兵士達が秩序なく右往左往し、怒号と悲鳴が場を満たしていた。彼らはどこにどのような敵がいるのかまるで把握していないらしく、それどころか自分達に命令を下してくれる存在すらを探し回っている、そんな状態であった。

 「統率する将はいないのか……」

 それがアズナブールである必要はない。彼に軍事的に有能な腹心がいればいいだけのことなのだが、それがいないのだろう。

 『あるいはマグルーン派の工作で、そういう人物を都督につけなかったのだろう……』

 そのうえでの今回の攻撃だとすれば、マグルーン派の謀略は巧妙である。アズナブール派が勝てるはずがない。

 「サラサ様。こちらです」

 都督府の中の様子を伺っていたミラが手招きをして呼んだ。

 「都督がいらっしゃったのか?」

 「はい。ですが……とにかくこちらへ」

 ミラの顔は冴えなかった。

 ミラに案内されるまま都督府の中を進むと、最上階の奥まった部屋に通された。そこには寝台があり、レジューナを含めさきほどの宴席で見かけたアズナブールの家臣達が取り巻いていた。寝台に寝かされていたのはアズナブールであった。

 「これはどういう……」

 「おお!ビーロス様。このような事態になり、申し訳ありません……」

 「そんなことはいい。都督は如何されたか?」

 「発熱されて……臥せっておられるのです」

 サラサは枕頭に立った。汗をかき、苦しそうなアズナブールが横たわっていた。

 「こんな時に……」

 「お労しいや、アズナブール様。苦しそうになされて……」

 「ところでレジューナ殿。軍は誰が指揮されておられるのだ?」

 「軍?」

 「何者か知らんが、このカランブルに攻めてきているのに、軍を指揮する者もおられんのか!都督のことが心配かもしれんが、ここであなた達が雁首揃えていて、何者が敵を防ぐのか!」

 「しかし、軍権は都督に……」

 「その都督が病に倒れたら臣下が代行すべきであろう。敵がすぐそこまで着ているのに、なんと悠長な奴らだ!」

 小娘にここまで言われているのに、反論する者もいなければ、自ら軍を指揮しようとする者もいなかった。

 サラサはもはや我慢できなかった。こいつらは悠長を通り越して鈍感すぎる。

 『やはり見捨てて逃げるべきだった……』

 しかし、今となっては敵の包囲網も狭まっていることだろう。容易には逃げ出せないだろうし、マグルーン派に助けを請うても無事に保護してくれるという保証もないのだ。

 「この中で軍事に知悉している者は?」

 「は、はい……」

 サラサの威に圧倒されたのか、サラサに比べるとはるかに体格がよく、年も相当上の騎士らしき男が気弱そうに手を挙げた。

 「今すぐ前線に行って戦況を把握して来い!お前は前線に残ってそのまま指揮し、伝令を寄越せ」

 今すぐにだ、とサラサが言うと、畏まりました、と全速力でその男は出て行った。

 「それと……そこのお前!」

 次にサラサは他の騎士らしき男を指差した。

 「は、はい!」

 「お前は都督府の近辺にいる兵士をまとめて消火隊を結成して、火事を消して回れ。同時に市民を街の郊外に非難するよう誘導するんだ。急げ!」

 了解しました、ときびきびとした動作で部屋を後にした。

 「あと、地図だ。地図を用意してくれ。概略図でいい」

 「は、はい」

 応じたのはレジューナであった。彼もサラサの威に圧倒されていた。隣の部屋から地図を持ってきて、サラサに渡した。サラサはそれをもってバルコニーに出て、火事が起こっている場所と、目視できる範囲内での敵味方の位置を地図に書き込んでいった。

 部屋の中に戻ると、ちょうど伝令が帰ってきていて、戦況をサラサに報告した。そのこともサラサは地図に書き込んでいく。

 「伝令」

 「はっ!」

 「こことここが手薄で突破されると全体が包囲される。今すぐ前線に出た……あの男に手当てさせるように伝えろ」

 「はっ!直ちに」

 伝令は駆けていった。そして消火隊を結成させた男には、鎮火を急がせろと別の伝令を立たせた。

 『これで敵をしばらく防げるだろうが、それだけで終わってしまう。一時的にでも敵を撤退させないと……』

 すでにサラサの頭脳の中にはカランブル一帯の地図と詳細な敵味方の位置が刻まれていた。いかにして兵を動かし、いかにして敵兵を撤退させるか。そのことばかりを考えていて、勝手にアズナブールの軍を動かしているという重大事などもはや埒外であった。

 「レジューナ殿」

 「は、はい」

 「秘密裏に街の外に出られることができるのか?」

 レジューナは隣にいた若い男に目をやった。どうやらレジューナよりもこの男の方が話が通じやすそうだった。

 「可能かと思います」

 「よし。まだ近辺に残っている手勢を率いて敵の後方に回れ。本格的に攻める必要はない。火をかけたり、騒ぐだけでいい。敵が来たらさっさと逃げるんだ」

 「了解しました」

 この男もサラサの威と的確な指示に感服したのだろう。まるで長年仕えた臣下のように恭しく拝命した。

 「これで何とかなるか……」

 サラサは脳みそを回転させ、できうる限りの手を打ったつもりである。

 その甲斐あってか、明け方になりカランブルに攻め込んできた敵兵は街から撤収していった。

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