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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第三十八章 決意
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 ジギアスにとっては二度目の大敗北であった。意気揚々と先の敗北の復讐戦とばかりに大軍をもって出撃したが、結果はまたしてもジギアスの一方的な敗北に終わった。

 しかし、先の敗北と異なるのはジギアスに悲愴さがないことであった。

 『俺はまだやれる!帝都に帰ればまだ精鋭が五万がいる。それに南部の領主どもから徴兵すれば十万になる!』

 ジギアスは真剣にそう思っていた。しかし、ジギアスの言う皇帝直轄軍の精鋭はすでに二度の敗北で壊滅していたし、領主達の心はすでにジギアスから離れていた。現状では十万どころか一万も集まらないだろう。

 『次の戦略はこうだ。敵は勝利に乗じて帝都に攻め上ってくるだろう。帝都に篭城し、敵の補給線が延びきったところで一気に反撃して覆滅する!』

 帝都へと逃げ帰る最中、ジギアスはそればかりを夢想していた。そのことを想像し現実から逃避することでしか正気を保てずにいた。

 『さぁ来い、サラサ・ビーロス!俺の舞台なら負けはしない!』

 しかし、ジギアスは、サラサには帝都へ進撃する意図などまるでないということを知らずにいた。サラサ・ビーロスの人となりと、彼女が成そうとしていることを少しでも理解していれば、容易に想像つくことであったが、ジギアスはこの点を完全に怠っていた。


 無事に帝都に帰りついたジギアスの供回りは、わずか三十人あまり。ジギアスから遅れて逃げている者もあれば、領主達から徴用した兵士達の中には無断で郷里に帰る者も少なくなかった。中には、

 『かような惨めで無謀な戦争をする皇帝にはついていけるか!』

 と部隊ごと離脱し、そのまま領境の警備を固めてしまう領主もいた。

 そのようなことはジギアスの知らぬことであった。すでに時勢はジギアスの胸元から離れてしまったのだが、それに気がついていないのはジギアスただ一人であった。

 これまで勝者として凱旋し、帝都の民衆から歓呼の声で迎えられてきたジギアス。先の敗北の時は恥じることなく、勝った時と同様に南門から堂々と入り、南大路から皇宮へと向った。今回もそうつもりでいたのだが、イーベルが制した。

 『すでに帝都の民衆も陛下の御為に臨戦態勢に入っております。南大路もそのために封鎖しておりますので、どうか裏口より直接皇宮へお入りください』

 イーベルがそうジギアスに説明した。勿論これは嘘であった。ジギアスを迎える民衆などもはや一人もおらず、それどころか帝都から逃げ出そうとしている民衆もいた。その事実をジギアスに見せないためのイーベルの機転であった。

 「国務卿と伝奏方長官を呼べ!大将軍は帰っているのか!」

 ジギアスは一息つくこともなく、閣僚を招集した。しかし、ジギアスは命じるまでもなくレスナンとホルスは顔を揃えて皇帝を待っていた。

 「おお!揃っているな!国務卿、すぐに全領主に命じて兵を出させろ!五万、五万は出るはずだ!」

 ジギアスは次にホルスの方を向いた。

 「マトワイト!貴様は今すぐエメランスに出向いて僧兵どもを借りて来い。三万はいる!そうすれば恩赦をもって過去の教会の過失を許してやると……」

 「陛下……」

 ホルスが悲しげに首を振った。饒舌に動いていたジギアスの口がはたと止まった。

 「陛下、すべて無益なことです。もはや陛下に心寄せている領主から万単位の兵を徴用するのは不可能です。それに僧兵は陛下のご指示によって削減しておりますので、三千も集まらないでしょう」

 レスナンが冷厳に言い放った。現実を突きつけられたジギアスは拳を握り締め振るわせた。

 「何故だ!何故こうなる!俺は皇帝だぞ!地上の支配者だぞ!どうして!どうして俺の思うままにならんのだ!」

 何故だ!何故だ!と喚きながら、ジギアスは拳を机に何度も叩きつけた。ホルスはおどおどするばかりであり、レスナンは瞑想しているかのように目を閉じていた。

 やがて興奮が収まったジギアスは、どかっと椅子に座った。憔悴していたが、皇帝としての威厳は保っているつもりであった。

 「……俺はどうすればいい?」

 「もはや帝国の秩序を回復させるには、しかるべき後継者に政治を委ねるしかございません」

 レスナンはなんら躊躇うことなく、はっきりと言った。ジギアスは血走った目をレスナンに向けた。

 「俺に退位しろと言うのか!」

 雷が落ちたかのような怒声であった。ホルスは身を縮めたが、レスナンは眉ひとつ動かさなかった。

 「それが帝国のためであり、陛下のためでもあります」

 「ふざけるな!俺が皇帝だぞ!どうして退位する必要があるんだ!」

 ジギアスがレスナンに飛び掛った。椅子に座っていたレスナンをそのまま押し倒し胸倉を掴んだ。

 「俺が何をした!どうして退位する必要がある!騒乱を起こしたのはサラサとかいう小娘であろう!」

 ジギアスは唾のかかる距離でレスナンに怒鳴り散らした。それでもレスナンは恐怖の色ひとつ浮かべず、ジギアスにされるがままであった。

 「へ、陛下、お止めください。落ち着いてください」

 ホルスが羽交い絞めをするようにしてジギアスをレスナンから引き離した。流石に大人気ないと思ったのか、ジギアスは素直に従い、再び椅子に座った。

 「すまなかった…・・・つい興奮してしまった」

 「いえ、陛下のお怒りはご尤もでございます」

 「しかし、俺は退位などしないぞ。そのうえで何か方策はないか?」

 「左様でございますな……」

 「陛下、どうぞおひとつ。これで落ち着かれませ」

 レスナンが右手を顎に当て思案していると、ホルスが杯を差し出した。中には葡萄酒が注がれていた。ちょうど喉が渇いていたので、ジギアスは怪しむことなく葡萄酒に口をつけ、一気に飲み干した。

 次の瞬間であった。体の中から痺れと激痛がこみ上げてきた。喉に熱いものが溜まったかと思うと、堪えきれずそれを吐き出した。大量の血であった。

 「こ、これは……」

 声が掠れた。何が起こったのか分からぬまま力が抜けていき、ジギアスは杯を握ったまま倒れた。

 「お、おのれ……」

 ようやく毒を盛られたのだと思った。レスナンとホルスを口汚く罵ろうと思ったが、声ではなく血しか出てこなかった。手が小刻みに痙攣し、視野が段々と狭くなってきた。

 「素直にご退位していただければ、このようなことは……。陛下、帝国は陛下の私物ではございません」

 それがジギアスが最期に聞いた言葉であった。女の色気のある言葉ではなかったのが、ジギアスにしてみればつくづく残念であった。

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