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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第二十八章 来るべき決戦
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 シラン領の領主カーベスト・シランは凡庸な領主であった。二十年にも及ぶ治世は可もなく不可もなく、神託戦争においても皇帝軍に属しながらも、隣領のよしみからコーラルヘブン領には同情的であった。

 今回の事態についても、強固な意思があるわけではなかった。皇帝に対しては面従しながらも、サラサ・ビーロスには裏で何かしらの支援をしたいと考えていた。

 実はカーベストはサラサの父であるゼナルドに恩義があった。かつてシラン領が飢饉に見舞われた時、コーラルヘブン領自体食糧供給が乏しかったのに、ゼナルドは無償で食料を供給したのだ。以来、シラン領では領主から領民までビーロス家に対して恩義と同情を感じていた。

 そこへ皇帝軍の行軍を足止めしてくれ、という要請が来た。カーベストは左右の家臣に、

 『どうであろう。連日皇帝陛下をおもてなししてみればよいのではないだろうか?遊興好きの陛下であれば、ご不快に感じることもなかろうし、足止めになってサラサ殿への暗黙の協力ともなろう。我が領地は酒だけは豊富にある。惜しみなく使え』

 いかにも定見がなく、日和見主義の判断であったが、時としてこういう判断が歴史を旋回させる事態になるのであった。

 カーベストは連日連夜、ジギアス軍を道中に待ち伏せ、宴席を設けさせた。戦場では迅速を尊しとするジギアスであり、本来であるならば謝辞を述べるに留まり先を急ぐのだが、接待役を仰せつかったクシュナという女性がジギアスの琴線に触れた。

 このクシュナという女性、カーベストの愛妾であった。男を虜にする豊満な四肢をしており、その点、ジギアスの寵愛を一身に集めているカヌレアと似ていた。

 実はクシュナはカーベストの愛妾であったが、元々は娼婦であった。カーベストがお忍びで領都にある娼館を訪れた時に見初め、引き抜いて愛妾としたのだ。市井で生業をしていただけに肝が据わっており、今回の件を切り出したときも、

 『私も領主様の子種よりも皇帝陛下の子種の方がよろしゅうございます』

 とカーベストを唖然とさせることを言って承諾したのだった。

 ジギアスは連日連夜、クシュナが整えた宴席を楽しみ、夜には閨でクシュナの肉体におぼれた。

 『このままではいかん!』

 とジギアスの理性は自身に囁きかけてきた。しかし、クシュナの肉体を抱きしめていると、理性はあえなく欲情の闇へと消えていくのであった。もしここにバーンズがいれば、ジギアスを諌め、ジギアスもその諫言を受け入れたであろう。だが、バーンズは帝都におり、ジギアスを諌める家臣は周囲にいなかった。通常、三日もあればシラン領を通過できるのであるが、ジギアス軍はすでにシラン領に入って六日経っていた。

 七日目の日、ジギアスは流石に宴席を拒否しようと決意を固めていた。あの美しく豊満な肉体を堪能できないのは残念であるが、これ以上遊興に耽っていては兵の士気も鈍ってしまう。いや、実際に兵の士気は鈍っていた。宴席はジギアスのみだけではなく、末端の兵士達にも酒が振舞われた。当初は困り顔だった兵士達も酒で喉を潤すのを楽しみとするようになり、完全に行楽気分になっていた。そのような兵士達の気分をジギアスも感じ取っていた。

 だが、その日の夜は領主自ら宴席を構え待っていた。ジギアスは断りきれなかった。流石に領主であるカーベストがいる手前、クシュナを抱くことはなかったが、事のほかカーベストは酒席では面白みのある男であり、結局ジギアスは明け方近くまで酒池に溺れてしまった。

 だが、奇妙な事ながら、このことがジギアスに妙な自信を与えてしまった。

 『やはり領主どもは俺を畏れている……』

 畏れているからこその連日連夜接待であり、愛妾まで差し出すのだ。妙な自信を得て気が大きくなったジギアスは、その後もゆるゆるとシラン領を通過し、十日かかってようやくエストヘブン領に入ったのだった。

 『このままエストブルクまで進撃し、一気に反乱軍を覆滅してやる!』

 と勢い勇んでみたものの、エイリー川に差し掛かった時点で、ジギアスの顔色が変わった。いや、ジギアスだけではない。皇帝軍全将兵の顔色が変わった。これまでの遊興気分が一瞬にして吹き飛んでいった。

 「これはどういうことか!」

 ジギアスは馬を下り、地面を蹴った。エイリー川の対岸に簡易ながらも要塞ができていたのだ。そこには見慣れぬ獅子の紋章が入った軍旗が翻り、兵士達が警戒にあたっていた。

 『シラン領のクズはこれが狙いだったのか?』

 とジギアスは一瞬思った。あの連日連夜の宴席は、この砦を作るための時間稼ぎだったのではないだろうか。しかし、その考えはすぐに捨てた。あの凡庸な男がそのような真似ができるとも思えなかった。

 「陛下。お怒りは尤もながら、所詮は反乱軍の即席砦です。一気に攻めて押し潰してしまいましょう!」

 今回、参謀として連れてきたイーベルが息巻いた。

 「うむ……」

 ジギアスの怒りがイーベルに乗り移ったのか、ジギアスは幾分か冷静になれた。

 「敵の兵力が分からん以上、迂闊には動けんか……」

 ジギアスの手元にある反乱軍の情報は実に乏しい。そのほとんどが先の敗戦で逃げ帰ってきた兵士達がもたらしたものばかりであり、兵力も二千と報告する者もあれば、五万だという者もいた。信憑性は実に乏しかった。

 ジギアスは戦場における情報を重視しながらも、サラサほど徹底していなかった。すでにサラサが皇帝軍の詳細を入手していたのに対し、ジギアスの手元にある反乱軍の情報はあまりにもか細かった。

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