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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第二章 少年は旅をし世界を知る
14/263

6

 「何?拒んだだと?」

 ゼハムの報告に眉をひそめたトロンダは、思わず蒸留酒の入ったグラスを叩きつけたくなった。が、悪いのは任務を果たせなかったゼハムではなく、代官の命令に従わなかったカーブ村の奴らである。己の理性を働かせたトロンダは、動きかけた手を止めた。

 「はい。申し訳ありません」

 「ふん。たかが農民のくせに、代官に楯突くとは。こんな田舎まで来てやったのに」

 しかも、天幕を張り、野営をしている。トロンダにしては非常に珍しいことであった。

 「如何なさいますか?奴ら、このことを領主様に訴えると申しております」

 「捨てておけ。どうせその場しのぎの戯言だ。そもそも奴らが直訴したところで領主に会えるものか」

 「しかし、無用に騒がれ、僅かばかりでも領主様の耳に入れば厄介なことになるやもしれません」

 「う、うむ……」

 あの無能を絵に描いたような領主であっても領主である。ただの一言でトロンダを馘首し、罪あれば殺生与奪を思うがままにできるのだ。そんな馬鹿馬鹿しいことで死ぬのはごめんである。

 「どうすればいい、ゼハム」

 「こうなれば村を焼き払うしかありますまい。収穫物は根こそぎ運びだし、村人は悉く口を封じる。そのためにトロンダ様に心服するものしか連れてこなかったのですぞ」

 「それは分かっておる」

 トロンダにしてみれば田舎の農民など塵芥に等しい。言うことを聞かないのであれば、村丸ごと焼き払うことも厭わないつもりであった。ただ恫喝程度で十分と高をくくっていただけに、こんなことで危険を冒すのに躊躇いを感じてしまったのだ。

 「大丈夫でありますよ。野盗か何かの仕業にしておけばよろしい。領主様も収穫物さえ無事であればご興味を持ちますまい」

 「うむ。そうだな」

 トロンダは決断した。たかが田舎の村がひとつ消えようとも大したことではあるまい。近隣の村から若者を入植させ、また新たなカーブ村を作ればいいだけのことだ。

 「今夜のうちにやるか」

 「御意」

 ゼハムが深々と礼をして天幕から出て行った。


 その夜、カーブ村の集会場は夜半になっても明かりが煌々と照っていた。代官の使者ゼハムが示した七公三民の税率に対してどう対処すべきか、長老達が協議をしていた。

 元来ならこの場にブラシスはいるべきではない。しかし、自らの言でゼハムを追い払った以上、このまま無視することもできず、長老達に請われるまま集会場に居残っていた。

 「拒否するのは当然として、どう拒否すべきかだ。ブラシス司祭の仰るとおり、これは代官トロンダの独断であることは間違いないから、領都におわす男爵に訴えるべきだと思う」

 と発言したのはオルゲンだった。若いオルゲンだからこそ、憤りはひとしお大きく、直情的であった。

 「しかし、この税率が本当に男爵の意思だとすればどうする?」

 「だからと言って黙ってはいるわけにはいかないでしょう」

 慎重論を唱えようとする他の長老に対し、オルゲンはすかさず反駁する。反駁された長老も痛いほどオルゲンの気持ちが分かるので、それ以上は主張せず沈黙した。

 「ブラシス司祭はいかが思われる?」

 それまで他の長老達の議論に黙って耳を傾けていたカシムが重々しく口を開いた。

 「カシム殿、私は……」

 「分かっておる。『教会は政治に介入せず』という精神は理解しておる。しかし、それを承知の上でブラシス司祭にはお願いするのだ」

 すでにカシムの腹は決まっているらしい。ブラシスとしても、もう引くに引けなかった。

 「私はやはり男爵に訴えるべきだと思います。僭越ながら、その役目を引き受けてもよいと考えています」

 ブラシスも腹を決めた。帝都の男爵に訴えると言い出したのは自分であるし、帝都へ向うとなれば教会の司祭であるブラシスの方が何かと有利であった。

 通常、領と領の間には関所があり、通行をするにあたってはその目的を誰何されたり、税金を払ったりしなければならないが、教会の司祭となれば無条件で通行でき、税金を払う必要もない。

 それにレンストン領内であれば、こちらの動向を知ったトロンダが妨害工作をしてくるかもしれない。しかし、教会の司祭ならトロンダも迂闊には手を出せないだろう。教会を敵に回すことの恐ろしさを知らないトロンダではあるまい。

 「かたじけない。早速、男爵宛の書状を作成しよう……」

 とカシムがペンとインクを自分の手元に引き寄せた時であった。微かに地を踏み鳴らす音が聞こえた。

 聞こえたのはブラシスだけではないらしく、長老達も一斉に口を閉じ耳を済ませしていた。音は明らかに複数で次第に大きくなっていく。

 「何だ、この音は?」

 「ちょっと外を見てきます」

 長老の中で最年少のオルゲンが立ち上がり、集会場の扉を開けた。その瞬間、立っていたはずのオルゲンが仰け反るように倒れた。

 「オルゲン!」

 オルゲンが声を発することはなかった。彼の喉元には矢が刺さり、血が間欠泉のように吹き出ていた。しかし、完全に事切れていた。

 ブラシスはオルゲンに駆け寄りながらも、彼が開け放った扉から外を見た。村の目抜き通りを複数の騎馬兵が駆け抜けていった。

 「何だと!」

 騎馬兵達は火矢を手当たり次第に放っていく。火矢の刺さった建物は瞬く間に炎に包まれ、さらに隣の建物へと燃え広がっていく。村全体が火の海に変わるのにそれほど時間がかからなかった。

 「あ、悪夢だ……」

 悪夢。まさしくその言葉が相応しい光景だった。いや、悪夢は夢であるからいつか覚めるが、これは明らかな現実であった。

 「ブ、ブラシス司祭……。これは……」

 「トロンダでありましょう。先手を打ったのです」

 ブラシスが言い終わらないうちであった。集会場にも火矢が打ち込まれた。

 「い、いかん!外へ」

 「駄目です!カシム殿!今出られては……」

 ブラシスの声は届かなかった。カシムの声に促され長老達が我先にと外へ出ようとした。しかし、外には待ち伏せていた兵士が複数がいて、長老達を剣で切りつけていった。

 「くっ……」

 このままではブラシスも命が危ない。カシム達を見殺しにするのは忍びなかったが、どのみち助からないだろう。

 ブラシスは集会場の裏口に回った。そこには幸いにも兵士は待ち伏せしておらず、焼け落ちる集会場から何とか脱出することができた。

 村の光景は凄惨を極めていた。集会場同様に建物は次々と焼け落ち、外へ逃げた村人達は兵士の剣や槍の餌食になって転がっていた。奴らはこの村全体を焼き捨て、村人を皆殺しにするつもりなのだ。

 「まさしく悪魔の所業だ」

 悪魔が実在しているとは思っていない。しかし、もし悪魔がいるとするならば、きっとこのような連中のことを言うのだろう。血と火を見ることを好み、人を殺しても何の感傷を抱くこともない連中。そしてそれを平然と命令するトロンダ。ブラシスは、トロンダのことを甘く見ていたことを後悔した。

 「そうだ……教会へ」

 そんなことを後悔している場合ではなかった。教会にはまだ子供達がいるはずだ。ブラシスは教会を目指した。

 目抜き通りを行くわけにはいかないので、裏道を進む。襲撃してきた連中はこの村の地理には精通していないようで、その姿はなかった。

 「司祭、司祭!」

 教会の方向から転がるようにして駆けてくる影があった。ケーツであった。煤だらけに顔に涙が雑じらせていた。

 「ケーツ!」

 ブラシスはケーツを抱きとめた。ブラシスの腹に顔を押さえつけ、声を殺して嗚咽するケーツ。これまでの恐怖を爆発させているようであった。

 このまま泣かせてやりたい。ブラシスは思ったが、心を鬼にしてケーツを引き離した。

 「ケーツ、教会は無事か?」

 ケーツも、今は泣いている場合ではないと分かっているのだろう。袖で涙を拭きながら首を振った。

 「燃えている。僕は何とか逃げてこれたけど、他の子は分からない」

 夜の時間帯だけにそれぞれ部屋で寝ていたはずだ。そうなれば、他の子の様子など分かるはずないだろう。

 「ケーツ。村を出ろ。どこでもいい。他の村や町の教会に駆け込め。そして、この状況を他の司祭に伝えろ」

 「でも、司祭……」

 「いけ!ぐずぐずするな。わしも教会の様子を確認してから後を追う」

 「う、うん」

 ケーツは柵を乗り越え、闇夜にまぎれて駆け出していった。ブラシスも教会へと急いだ。

 「おお……なんてことだ……」

 教会も燃えていた。燃え崩れていないだけで、全体が炎に包まれていた。自分の住いであり、村人の信仰の対象でもあった建物がただの紅蓮の炎となっていた。

 「子供達は……」

 中に入ろうとしたが、扉も燃えていて裏口から中に入ることは不可能であった。この分では表側の扉も燃えていて入ることはできないだろう。

 だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。中に子供達がいる可能性がある以上、なんとしても助け出さなければ。

 ブラシスはまだ延焼していない倉庫から農具を取り出した。これで扉を破壊し、中に入るつもりだ。

 しかし、ブラシスがまさにその行動を起こそうとした時だった。表側扉の方から少女の悲鳴が聞こえた。

 振り上げた鋤を下ろしたブラシスは、表側に回る。炎に照らされ映し出されたのは、複数の兵士に襲われているマリンダであった。

 「マリンダァ!」

 ブラシスは逆上した。無我夢中で駆け出し、マリンダに覆い被さっている兵士に向って鋤を振り下ろした。ブラシスの一撃は、兵士の頭部を的確に捉えた。

 うっと呻き声を上げた兵士はマリンダを押し潰すように倒れた。後頭部はぱっくりと割れ、血がおびただしく流れていた。

 「てめぇ、何をしやがる!」

 他の兵士が剣を抜いた。ブラシスがこの世で最後に見た光景だった。抵抗することもできず、頭上から切られたブラシスは絶命し、そのまま崩れ落ちた。


 カーブ村は一夜にして焼き尽くされ、村人は悉く殺害された。

 

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