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天使と悪魔の伝説  作者: 弥生遼
第二章 少年は旅をし世界を知る
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4

 年のせいか、急勾配の階段が日に日に辛くなってきた。

 本来なら教会の一階を居住としているブラシスが二階へと行く必要性などないのだが、どうしても行かずにはおられなかった。

 二階の一番奥まった部屋。ブラシスはノックもせずに扉を開けた。当然ながら無人である。乱れままの寝具がそのままになっていた。

 『やはりいないか……』

 ブラシスはため息を交えながら、扉を閉めた。ひょっとしたら帰ってきているのではないかという淡い期待を抱き、こうして事ある毎に見に来ているのだが、シードの姿はそこになかった。

 シードがいなくなって一日が過ぎた。

 二年前の記憶を失っているとはいえ、カーブ村での生活に順応していたシードが自発的に失踪したとは考え難い。しかも、旅人で教会に宿泊させていたエルマなる少女もいなくなっていた。あの善人そうな少女がシードを連れ去ったとも考えられず、二人が手に手を取って駆け落ちしたというのも無理がある。両名が夜半のうちに何事かに巻き込まれて誰かに拉致されたのではないか。ブラシスはそういう推論していた。

 ブラシスは、カーブ村の面々に協力を仰ぎ、シードの行方を捜した。村人達は収穫期にも関わらず協力してくれたが、見つけることができなかった。

 『きっとあのエルマって女は追われていたんだ。シードは正義感が強いからエルマが捕まらんとしていたところを助けに入って巻き込まれたんじゃないか』

 協力してくれた村人の一人がそう主張していた。突飛な話ではあったが、あり得ぬ話でもなかった。シードはそういう子であった。

 ブラシスは隣の部屋の前まで移動し、ノックをした。こちらの部屋に関しては中に人がいるのは分かっている。

 「マリンダ。調子はどうだ?」

 声をかけてみたが応答はない。ノブを回してみても、鍵はかかったままだ。マリンダは、シードが失踪して以来、塞ぎ込んだままだった。

 『無理もない……』

 マリンダの気持ちを考えれば、もうしばらくはそっとしておくべきなのだろう。

 マリンダがシードの好意を寄せているということは、ブラシスには分かっていた。他人に知られていることに気がついてないのは当人達だけであり、村人にとっては周知の事実であった。

 だからブラシスは、将来的にはシードとマリンダを娶せるつもりでいた。夫婦になってこの村で生活する。それが孤児である二人にとって最善の未来像であるはずだ。

 『今は時が過ぎるのを待つだけか……』

 しかし、シードは死んだわけではない。あるいは明日にでもひょっこり帰ってくるかもしれないし、教会を通じて何かしらの情報が入ってくるかもしれない。マリンダについても、時が立てば立ち直るはずだ。

 ブラシスは自分にそう言い聞かせ、急勾配の階段を下りていった。

 「あっ!司祭!」

 講堂の方からケーツの大きな声が聞こえた。ブラシスの姿を見つけると、駆け寄ってきた。

 「これ、ケーツ。講堂では静かにせんか」

 「司祭!長老達が呼んでいます。集会場に来てくれって」

 「長老たちが?」

 カーブ村には村長がおらず、五人の長老達の合議制によって村の自治が運営されている。教会の司祭であるブラシスは教会が掲げる『政治には介入せず』の精神に基づいて、祭礼に関する事以外で長老達に呼ばれることはなかった。祭礼は一年を通じて定期的に行うので、急な呼び出しを受けるなどこれまでないことであった。

 ひょっとしてシードに関する情報でも入っだろうか。そのことを口にしようとするよりも早く、ケーツが口を開いた。

 「なんか領都から代官の使者か何かが来て、長老達ともめているんだ。かなり険悪な雰囲気」

 『政治には介入せず』という教会の精神はブラシスにとっても侵し難いものだった。しかし、長老達に呼ばれている以上、行かざるを得なかった。

 

 集会場は村のほぼ中心にある。駆けつけたブラシスが驚いたのは、集会場の前に領都の使者が連れてきただろう複数の騎兵とそれを取り囲む村人の姿であった。すぐにでも一触即発という感じではないが、ケーツの言うとおり険悪な雰囲気である。

 「おお!司祭!」

 集会場の前に長老の一人であるオルゲンがいた。長老と言いながらもまだ四十代と若い。その人柄から長老に推戴されたのだ。

 「オルゲン。これは一体……」

 「領都の代官が今年の租税を七公三民にするって言ってきたんだ。ま、とりあえず中へ」

 感情むき出しに言葉を並べるオルゲンに促され、ブラシスは中に入った。

 集会場の中は外以上に険悪な雰囲気に満ちていた。

 長机にはオルゲンを除く四人の長老達と、代官の使者が向かい合って座っていた。使者の両脇には鎧に身を固めた兵士が立っており、緊張の度合いを明らかに高めていた。

 「ほう。司祭か」

 使者がブラシスの姿を目にし、疎ましげに言った。あれが使者のゼハムだとオルゲンが耳打ちした。

 「教会の司祭が何用ですかな?『教会は政治に介入せず』の精神をお忘れですかな」

 「左様なつもりは毛頭ない。しかし、村の平穏が破られ、村人の信仰に支障をきたすようなら座視はできない」

 「ふむ。一理ある。しかし、平穏を破ろうとしているのは我々ではなく、村人達の方ではないか?」

 「何だと!今年の租税を七公三民にすると言われて黙っていられるか!」

 と怒声をあげたのはオルゲンだった。今にも立ち上がらんばかりの勢いだったので、ブラシスは服の裾を掴み、椅子に座らせた。

 「ゼハム殿。何度も申し上げておるとおり、確かに今年は豊作なれど、七公三民はあまりにも法外。かような税率は古今例のござらん。作物は我らが心血を注ぎこんで一年育ててきた苦労の結晶。易々と租税をあげられては困ります」

 そう発言したのは長老達の中でも最も年長のカシムであった。最年長だけに、非常に落ち着き払っていた。

 「これは奇態なことを。この領土は寸土に至るまで皇帝陛下のもの。それを我が領主が拝領し、代官であるトロンダ様が命を受けて治めておられる。当然、そこで自生する作物も皇帝陛下や我が領主のもの。貴様らごときが口を差し挟むことではないわ」

 ゼハムは朗々と威圧的に言った。帝国の制度上としてはまさしく正論だが、民心が納得できるものではなかった。

 当代領主のフェルナンデス男爵は帝都に居続け、領内の経営には無関心であることは周知の事実だった。どう考えてもフェルナンデス男爵が自らの意思で七公三民の租税率を決めたと思えない。おそらくは代官であるトロンダあたりが勝手にそう言っているだけだろう。ブラシスの中にある『政治には介入せず』という強い戒めが綻んだ。

 「ならば、今回の七公三民の件。当然ながら領主フェルナンデス様もご存じありましょうな」

 ブラシスが言うと、能面のようなゼハムの表情が僅かに崩れた。

 「我らはフェルナンデス様の領民としてフェルナンデス様に敬意を持っております。またフェルナンデス様も我ら領民のことを子の如く案じておられると思っております。なればこそ、今回の件について長老達は承服いたしかねるのでしょう。我らとしてはフェルナンデス様にこの事実を確認するために、帝都に上ることも辞さない覚悟ですが」

 いかん、と問うと、ゼハムは明らかに青ざめた。ゼハムが吐いたことが正論だとすると、ブラシスの言ってことも正論であった。領の租税権は領主のみが有するもので、代官やその使者ごときが左右できるものではなかった。

 「……。今日はここまでにしよう」

 ゼハムは徐に立ち上がった。青ざめた顔のまま下唇をかみしめていた。立腹しながらも、屈辱に耐えているのだろう。

 ゼハムは兵士達を引きつけれ村を去って行った。村人達は歓声をあげつつも、去りゆくゼハム達には罵声を浴びせた。

 「流石は司祭。頼りになりますな」

 カシムはそうブラシスを称えてくれたが、ブラシスの心情としては複雑であった。唐突に七公三民と言いだしてきたトロンダ達がこのまま引き下がるとは思えなかった。

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