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彼女は来世に期待する

俺の姉がこんなに残念なわけがない

作者: くまこぶた

短編「転生したのに、なんたることだ」の対です。

部屋が暗い…。

マンションの一室を見上げて舌打ちをする。朝に受けとったメールでは20時に帰宅予定とあった。もう二時間以上過ぎているが、帰っていないらしい。

『まだ会社?』

メールを送ると、すぐ返信がくる。

『いま電車の中。あと5分』

今日も姉ちゃんは忙しかったようだ。

とりあえず、自販機で缶コーヒーを買って一服する。姉ちゃんに会うとき、俺には心構えが必要だ。

できれば、会いたくない。しかし、筑波方面で仕事や勉強会がある際は、姉ちゃんの家に泊まるよう母から厳命を受けている。

一つは経費削減、一つは姉ちゃんの現状確認。

手土産として持たされた母手製の料理の重みがずしっと増した気がした。

「おう、お待たせ」

俺の姿に気がつき、駆け寄ってきた彼女を見て、すぐ目をそらす。

だから、会いたくないんだよ。彼女に会うたび、俺の姉への幻想はガラガラと崩れ落ちる。

ボサボサの髪、よれよれの服、どろどろの化粧!

一体お前はどこに女子力を落としてきたんだ!!


二つ年上の姉は俺にとって憧れだった。はっきり言って初恋の人である。ある時期まで本気で結婚する気だった。ドン引きされても構わない。こちとら筋金入りのシスコンだ。完全に開き直っている。

彼女は完璧な女の子だった。少年漫画や恋愛シュミレーションのヒロインのような人だった。趣味はピアノとお菓子作り、特技は日本舞踊と家事全般。清楚で可憐でおしとやか、いまどき男の後ろを三歩さがって歩くような彼女に、近隣の思春期男子は全員恋をしていたと言っていい。

例を挙げるなら、私立女子校への通学のために彼女が乗る電車は、彼女が混雑を避け早朝の時間帯を選んでいたにも関わらず、彼女目当ての乗客で乗車率が通年の20%アップするという珍事が続いた。鉄道会社に勤める親戚に笑い話としてこれを聞かされた里見家では緊急家族会議が開かれ、それまで公立志向だった俺の中学受験は決まった。もちろん姉の学校に隣接された男子校に、姉のボディーガードのために、である。そう、俺は姉に悪い虫がつかないようにそれこそ体を張ってきた。

すべては彼女の笑顔を守るためである。それで俺は幸せだった。

しかし、思い出は美化され、現実は過酷だ。


「さあ、あがった、あがった」

そう姉ちゃんはすすめるが、よく見ろ、玄関に足の踏み場などない。大家族の家か、ここは。呆然とする俺に一瞥もくれることなく姉はさっさと部屋に入ってしまった。

残された俺はしかたなしに散乱している靴を収納ボックスにしまう。案の定、中に靴はなかったが赤いスーパーボールが一つ転がっていた。スーパーボールは収納ボックスを飛び出すと廊下で楽しげに弾んだ後、壁にぶち当たり反転して玄関に戻ってきた。

うん、おかえり。

「そこらへんに荷物おいていいよ。いつも通り、ソファベッドが君の寝床ね」

リビングに入れば家モードの姉である。化粧を落とし、てきとうに髪を一つに束ね、母校の体操服を着用している。その体操服は本来の目的でつかわれなくなってから既に干支を一回りしているだろうに…。首周りはのびきり、ハーフパンツのあらぬところに穴があいているのは気づいていないのか?

「姉ちゃん、その服さぁ」

「ああ、これ?気にしない、気にしない」

姉ちゃんは穴があいている部位を指さしてけろっとしている。

「気にしろよ!」

素肌が見えているんだぞ、もはやこれは女子力以前の問題だろ!

「そんなことよりさ、ご飯は?」

二の句が継げない俺に対し、こいつはとことんマイペースだ。

本当に俺の天使は、どこに行ってしまったのか教えてほしい…。

「とにかく下だけでも履き替えてこい!」

「えー?」

面倒だと拒否する彼女を部屋に押し込み退場を願う。

俺、本当にこの家で一晩過ごさなきゃいけないの?年々、ひどくなっているよ?あの人…。

「着替えましたー」

数分後、姉ちゃんは、これでどうだ!と両膝穴あきジャージで再登場した。

もう、穴あきがトレンドなんだと思うことにした。


「で、ご飯は?」

「食うよ。あとこれ、母さんから」

台所に立つ姉ちゃんの頭の上に手土産を入れた紙袋を置いてみる。

「おー、ありがとう」

そろりと頭上の紙袋を受け取った彼女はにっと笑った。

とりあえずつまんでてと、居酒屋並みのスピードでビールと枝豆を俺に出すと、姉ちゃんはそのまま晩酌の準備を始める。ものの数分で母の総菜と姉ちゃんの得意料理がテーブルに並び、乾杯とあいなった。

相変わらずの手際に感心するが、その姉ちゃんの手にあるのはお茶でもカクテルでもビールでもない。

日本酒だ、大吟醸だ、バカ野郎!

なんなら、いまやつが口に入れているのはスルメだからな。体操服に刺繍されているお嬢様学校の名前が泣いている。もう号泣だよ。

「国仁は明日、勉強会?」

「そ。病院の先生の紹介」

インターンを終えて間もない勤務医は、一に勉強二に勉強とは我が恩師談だ。

「ああ、病院の先生…いい響きだよねー」

うっとりと、お金の匂いと本音を漏らしている。この営業マンが…。

「姉ちゃんは、相変わらず忙しそうだな」

壁にかかっているカレンダーにはびっしりスケジュールが書きこまれているし、今だってかたわらにノーパソを置いてメールチェックをしている。

「行儀が悪い」

「こりゃ失礼」

まったく、悪びれない様子に今日何度目かのため息が出る。昔は、俺が注意される側だったはずなのに…。『朝食を食べながらの新聞はやめなさい』と、口をとがらせて朝刊を取り上げていた彼女よ、カムバック!

現実を見れば、いつの間にか手酌でおかわりをした姉ちゃんがうまそうにそれを口に含んでいた。

幸せそうでなによりだな!


姉がここまで仕事にのめりこむとは、正直家族のだれも思っていなかった。

学校の成績が特段いいわけでもなく、ひたすら女の子らしい分野にだけ興味と関心を持っていた彼女は短大の家政科にすすみ、教授のすすめる企業に就職した。

そして、就職して一カ月たった頃から彼女の様子が変わってきた。

帰る時間が遅くなったのだ。

どこかで寄り道でもしているのかと心配する母が姉に聞けば、残業だと答えた。残業なしの事務職だと聞いていたのに、と漏らす母を父がたしなめ、遅くなる日は俺が駅まで迎えに行くことになった。

日ごと口数が少なくなり、明るい表情を見せなくなった姉。きっと、すぐに仕事を辞めるだろうとだれもが思った。もとより神経の細い彼女に会社勤めは難しかったのだ。

しかし、姉の出した答えは大多数の想像の真逆をいった。

『お父さん、わたし一人暮らしするね!』

それまでの憂い顔など嘘のような笑顔で宣言すると、姉は一週間のうちに物件を決めて来た。仕事に専念するため通勤三十分圏内に家を借りたいという娘の言葉に最初は面食らった父も、所詮仕事人間、反対する母と俺をよそに保証人の判を押した。

そして姉は風のように去り、いなくなった。

人は失ってみて初めてその大切さに気付くものだ。


「国仁、眉間にしわっ!」

ぐーっと、あり得ない強さで眉間を押される。俺がその手を払えばケタケタと笑う。

「もう、酒はやめろ」

杯を取り上げれば、この世の終わりというような顔で

「こんなに楽しいのにっ!?」

と、わめいた。

「あと少しで嘔吐と二日酔いのコンボが待っている。しかし、いまとどまれば二日酔いだけですむ」

姉ちゃんは、吐くのがこわくて酒が飲めるか、と叫んだが、そのままテーブルに突っ伏した。

目を閉じている。活動休止状態に入ったらしい。

「姉ちゃん、仕事は楽しい?」

聞こえているかはわからないが、尋ねてみた。

「んー、困るぐらいには」

「そっか…」


その後完全に沈黙した姉ちゃんが寝落ちしたのを確認すると、抱え上げて寝室に運ぶ。

寝室の惨状は目も当てられなかった。

引越した時の段ボールが今回も開けられた形跡なく積んである。姉ちゃんが転勤で筑波にうつってから六年か…。この尋常じゃなく重い段ボールを運んだ俺の上腕筋に謝ってほしい。

とりあえず、ベッドに山ほど洗濯ものが積まれていたが、こいつはどこで眠るつもりだったんだ?っていうかいつもどこで寝てんの?もう知るかと、洗濯ものを床に落として姉ちゃんをベッドに横たえた。


だから、来たくないんだよこの家。


リビングにも積まれていたが、その倍以上ある専門書の数々、資格試験のためのテキスト類、会社の書類、ファイリングされたもの、床に散らばったもの、その中で痛感する。これらは彼女がどれだけ仕事にかけているかの証だ。

なら、なにもできることなんてないじゃないか…。

熱量の多い部屋を閉めると、俺はあてがわれたソファベッドに身を沈めた。


小さい頃は姉が嫌いだった。聞き分けがいい彼女を大人達は皆褒めた。それが気に入らなかった。姉にいくらきつく当たっても、まったく相手にされないのも腹がたっていた。

ある日、俺はいつものように姉を悪者にして母に甘えていた。今日こそ姉は悔しがっているだろうと振りかえると、ワンピースの裾をぎゅっと握った姉が泣きそうな顔で俯いていた。

いつもと違う…

だって、姉は俺のどんないたずらにも意地悪にもこたえることなんてないんだ。どんな酷いことをしたって、平気なんだ。

なんで、そんな顔をしているんだ!そんなの反則だ!!

『お姉ちゃん?』

弾かれたように顔を上げた姉は、いつもの姉だった。

『しょうがないなぁ、くーちゃんには負けるよ』

なんでもないように笑っている。

それを見て俺は、泣きわめいた。よくわからないけれど、声を上げて泣きたかった。わんわん泣いていると、いつの間にかそれに姉の泣き声も重なり、姉弟そろって泣き疲れて眠るまで母にしがみついて離さなかった。

この日、俺は生まれて初めて姉の泣いている姿を見た。


そして、姉は俺の特別になった。


目を覚ますと、姉ちゃんはもう家を出ていた。

「マジか…、まだ七時前だぞ」

テーブルには朝食がしっかり用意してあり、今日着るスーツが一式ハンガーに掛けてあった。ちなみに、ワイシャツのアイロンがけもしてくれた模様。

ついでに、置き手紙が一枚。


『 国仁へ


おはよう

しっかり食べて

しっかり勉強しておいで


  姉ちゃんより』


相変わらずの達筆に頬が緩む。

裏返せば、余計なひと言。


『あんまり口うるさいと彼女に捨てられるよ』


うるさい!

いつだって彼女と別れるきっかけは、十中八九、里見凛々、お前だっつーの!!

紙片を握りつぶして、俺は自分の好物ばかり並んだ朝飯に手をつけた。


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